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剣の章

♤2 達する感情と細い手

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「はぁ、はぁ……は、ははっ。やった、ようやく……」

 呼吸も忘れて夢中になっていた日々子は、少し名残惜しそうに啓介の首から手を放した。

 もっと楽に済ませたかったが、この体格差だけはどうにもならなかった。手が痺れて力が入らない。

 平均よりも軽い体重をこれでもかと掛け、全力で締め上げたのだから、それも当然だ。どれだけ力を籠めれば人は死ぬかなんて、何を調べても分からなかったのだから。


「やっと、私は自由に……!!」

 そもそも、まともな準備を整える余裕なんてなかった。
 日頃から啓介は日々子を縛りたがった。職場であり住居でもあるこのビルに軟禁し、外へは買い物にすら行かせなかった。

 娘は学校にも遊びにも行かせる、良い父親面をしていたのに。どうして私だけ。日々子はこの部屋で、いつもそう思いながら過ごしていた。


 夫の監視の目を盗んで彼女ができたのは、啓介の飲む酒に薬を盛って自由を奪うことぐらいだった。

 あとは短い間で何度もシミュレーションをするぐらい。とはいえ、殺人なんて生まれて初めてだ。人生を掛けた一大イベントだった。失敗すれば、啓介からどんな仕打ちを受けるかも分からない。

 怖かった。だけど、この男の息の根を止めるためならと考えれば、いくらでも耐えられた。そして、これまでの苦労や恐怖はこうして報われることができた。

 たとえようのない達成感が快感の波となって、彼女の脳を何度も痺れさせる。

 既に心臓の止まった夫の腹の上で、日々子は天を仰ぎながら本日二度目の絶頂を迎えた。


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