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月下の遭遇

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 あれからひと月ほどが経った。
 私はヴァジニでの暮らしにも少しずつ慣れてきている。

 日中は相変わらずヴォールク様について公務を学んでいた。
 魔石は多くの国に輸出しているので、税の取り決めや量の調整、価格交渉など覚えることは多い。


 国が違えば言葉も変わる。
 人も違えばやり方も変わる。

 感情の色には相変わらず困らせられることも多かったけれど、ヴォールク様が隣りに居てくれると不思議と取り乱すことも無かった。

 それに「クレハが色を教えてくれるおかげで、相手の感情が読みやすい。交渉がやりやすくなった」と言ってくれた。
 私は初めてこの力が役に立ったと感じていた。


「はぁ……どうして私はこの国で生まれなかったんだろう」

 王城にあるテラスで手すりに寄りかかりながら、私は夜空を見上げていた。
 色取り取りの星々がキラキラと輝く。

 昔から星を見るのが好きだった。
 それは占星術をするお母様の影響だったと思う。
 星を見て、お母様が解説する。それを聞くのが私の楽しみだったのだ。

 星空はどこで観ても同じなのに、どうしてこんなにも国によって人は違うのだろう。

 白く見える溜め息がゆっくりと昇っていく。
 このヴァジニ王国は山に位置するので、夜は少し冷える。

 魔石の呪いだとか、犬の耳だとか、そういうことが気になるよりもずっと、私はこの国に魅力を感じていた。
 その理由の大部分は……

「ヴォールク様もいつかは結婚しちゃうんだろうな……何て言ったって次期国王様だし……」

 今の国王様も魔石病を患っていて、最近あまり体調が思わしくない。
 みんなこの国に生まれたら早死には覚悟している、と笑っていらっしゃったけれど。

 後継ぎを作るために、早めに王妃を見繕うのは当然だ。
 その相手はいったい誰なんだろう……。


「はぁ……」
「どうしたのだ、こんな夜更けに。外に居たら風邪をひいてしまうぞ?」
「……ヴォールク様」

 何度目かも分からない溜め息を吐いていたら、背中を何かが覆う感触があった。
 どうやら私がこんな夜更けに外に居るのを心配して、毛布を掛けてくれたみたいだ。

「星空を……観ておりました……」
「星、か。俺はあまり観ないな。あの月を見ると、どうしても本能がうずくんだ……」
「そうなのですか。私には月はとても優しい色に見えるのですが」

 あのぼんやりと包んでくれそうな柔らかなオレンジの光。
 眩し過ぎる太陽よりも好きだ。


「私の名前のクレハ、というのはくれないの葉という意味があります。これは今日みたいな満月の夜に、紅葉が美しく舞う光景から母が取って名付けたそうなんです」
「……人によって見え方というのは、こうも異なるのだな。そう聞くと月も美しく思える」
「そうですね。私もこの国に来て、色んな方と触れ合ううちに気付きました」

 結局のところ、昔の私は自分の目が見えないことを理由に自分の殻に篭もっていたんだと思う。
 全部この目の所為にして、他の人のことを知ろうとも思っていなかった。

「特に人間と言うのは、単純な一面性だけでは判断できぬ。状況によって感情もコロコロ変わるだろう」
「……はい」
「だからこそ、見た目……色だけではなく、その者の行動で判断するとよい。実際あのソル王子だって見た目や口先こそ良かったが、性格や行動は酷いものだっただろう? あれでは確実に人心は離れていくぞ。近いうちに次期王座だって簒奪さんだつされるかもしれん」

 この国は周辺の国のほぼ全てと取り引きがあるため、様々な情報が入ってくる。
 他国から見たあの国の評判は最悪で、交易も自国にしかえきが無いような無茶な取り引きばかり。それらはあのソル王子が主導でやっている政策なんだそうだ。

 あまりに阿漕あこぎなことばかりやらかすので、『取引きを徐々に減らし、真綿で首を絞めるかのようにジワジワと国力を落とす』と周りの国が一致団結し始めているほどだった。


「……私は随分と長い間、この力が憎いと思っていました」
「そう、だろうな……」

 これまで私がどう育ってきたのかは、彼にも打ち明けている。
 恐怖に打ち勝つために、血の滲む努力をしてきたのも分かってくれている。

「ですが、知らず知らずのうちに私自身がこれに頼っていたのかもしれません。もう少し私は別のモノを見たい。そう思います」
「そうするといい。きっとまだ、知らない色もあるかもしれないしな」

 ヴォールク様は私の隣りに来て、一緒に空を見上げている。
 毛布よりも、彼が居てくれる方がなんだか、心があったかい。

 もしかしたら彼も私と同じ……
 いや、彼は……ところどころモフモフがあるから寒くはないだろうな。


「……あの、ずっと気になっていたのですが」
「ん? なんだ、言ってみろ」

 今まで遠慮していたけれど。
 この機会に聞いてみよう。

「ヴォールク様のお耳……触ってみてはダメでしょうか?」
「はっ!? み、耳!? 耳ってこの犬耳のことか!?」
「はい……実はお会いした日からずっと触りたくて……」


 あの馬車の中では触れたらどんな影響があるか分からないとおっしゃっていた。
 だけど他のヴァジニ人の方に聞いてみたらそんな話、誰も知らないと言っていた。

 どうやらアレは、ヴォールク様の嘘だったようだ。
 やはりあのお耳を他人に触らせることに抵抗があるらしい。


「嫌なら、いいのですけれど……」
「……いや、では無いのだが」
「では、是非!!」
「どうしてクレハはそんなにも耳なんかを触りたがるのだ……」

 そりゃあ、あんなにモフモフしていたら触りたくもなるでしょう!?
 それにヴォールク様は嬉しいことがあった時はピコピコと動くのだ、この犬耳が!!

「それが何とも、お可愛いのです……」
「そんな風に見られていたのか……恥ずかしい……!!」

 私にさわさわと大人しく犬耳を触れられているヴォールク様は床にうずくまり、顔を両手で塞いでしまっていた。

 これはたまらないわ……実際に目で見られないのは残念だけれど、こうして触っていられるだけで幸せな気持ちになれる……。


「や、やっぱり駄目だ。これ以上は……!!」
「えっ? ど、どうしてです!!」
「つ、月だ! 本能が疼くからこれ以上は駄目なんだ!」
「きゃっ!?」

 そう言ってヴォールク様はガバッと立ち上がってしまった。
 あぁ……私の犬耳が……。

「そうですか、残念です。……では、昼にでももう一度」
「昼も駄目だ!!」
「でも月がって今」
「そ、そうだ。そんなに星が好きなら、『昼に見える星空』というのが我が国にはあるのだ。これまで危ないので案内しなかったが、どうだ? 気になるだろう!?」

 かなり食い気味で私の肩を抱いて熱弁するヴォールク様。
 たしかに星空は好きだけど、犬耳も……。

 でもこれ以上しつこく強請ねだって嫌われてしまったら元も子もないわね。
 仕方がない、今度また折を見てお願いしようかしら。

 それに、昼に見える星空というのが気になるのも確かだし。
 せっかくのデートのお誘いですしね。


「是非とも見てみたいです」
「……良かった。では明日案内してやろう。だからもう、耳は勘弁してくれ……本当に変な気持ちになるんだ」

 珍しくペタン、と耳を倒してションボリとしてしまった。
 おぉ、これはこれでレアなヴォールク様が見れましたね。
 ふふふ、眼福です。

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