電子世界のフォルトゥーナ

有永 ナギサ

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  序章 女神と世界を統べる者たち

2話 戦友の少女との日々

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 十五歳の少年である久遠くおんレイジは、十階建てのビルの屋上に設置されているフェンスへ背中からもたれかかり、待機している状況だ。
 上空は淡い青色が混ざり始める、夜明けの空模様が見える。ふと視線を後方に移すと、そこにはビルが立ち並ぶ市街地の光景が。そしてさらに遠くの方では、岩山があちこちにたたずむ荒野がどこまでも広がっていた。そんな荒野の中にある市街地だが、辺りは完全に静まり返っており、人々の姿はもちろん、車の行きかう姿もまったくない。もはや無人と化した街中。というのもここら一帯の建物は、すべて廃墟。窓が割れ、壁のいたるところに穴が。ひどいところは半壊している始末である。とはいっても人々の住んでいる形跡がないのは、当然のことだろう。そもそもの話、ここは現実ではないのだから。
 この場所は2037年に人工知能を搭載とうさいした量子コンピューターセフィロトが、自身の電子ネットワークとその中にあるすべてのデーターを物質化して創りだした、エデンと呼ばれる電子の世界の中。人々はエデン用のアバターを脳とリンクさせ、意識だけをこの世界に持ってきているのだ。そのため現実にある身体どうよう思い通りに動け、さらには五感まで再現されているのであった。

「――あー、眠い……」

 思わず大きなあくびがでてしまう。

「もう、レージ、しっかりなさい」

 するとこしに手を当てながら、たしなめてくる少女の姿が。
 彼女はレイジと同い年であり、名をアリス・レイゼンベルト。輝く金色の髪に、研ぎまされたナイフのようなきれいでするどい瞳。スタイルが非常によく、さらには整った顔立ちをしているため誰もが美人と認めるであろう少女である。
 その外見はエデン用のアバターであるのにも関わらず、現実の彼女とまったく同じ。これはエデンのシステム上の制約により、ある例外を除いてアバターを現実の自分の姿と同じにしないといけないというもの。なので専用のスキャナーを使って全身のデータを取り、本人の外見をアバターで完全再現するというわけだ。
 レイジは八年前からアリスの父親に引き取られた形になっているので、彼女とは家族同然の付き合いをしてきた仲といってよかった。
「いくら早朝だからといっても、これから仕事なのよ。そんなふうに寝ぼけてたら、戦いに支障が出てしまうわ」
 現在レイジはアリスと共に、彼女の父親が社長をしている狩猟兵団しゅりょうへいだんレイヴンに所属している。
 狩猟兵団とは簡単に説明すると、このエデンでの金で雇える傭兵ようへいであり、民間の会社という形態で世界に根付いているのだ。その数は八年前のある事件以降から次第に増加していき、今やこの世の中に欠かすことのできない社会システムになっているほどであった。

「――あのな……、こんな状況になったのも、オレがアリスの代わりに犠牲になったからだぞ。そのおかげでお前は夜の飲み会の席を回避できたんだから、感謝しろよな」

 ひたいに手を当て、アリスに恨みがましい視線を向ける。
 事件は昨日の夜遅く、狩猟兵団レイヴンの軽い打ち上げ時のこと。大きな仕事を済ませたあと幹部の一人が盛大に飲もうと言いだし、今いるメンバーで夜遅くまで騒ぐことになっていた。普段なら参加してもよかったのだが、その日の依頼はかなりハードな仕事だったのでさすがに体力が持たないと、辞退することにしたのだ。あとはホテルに戻って寝ようとしたところ、アリスに肩をつかまれそのまま飲み会の席に放り込まれたのである。というのも今回は社長が不在だったため、その娘であるアリスに少しだけ参加してほしいという流れだったらしい。それを彼女は面倒くさいとすべてレイジに押し付けて、自分はさっさと寝にいってしまったというのが昨日の出来事である。しかもアタシならすぐに抜けるけど、レージならずっと付き合って盛り上げてくれるわよ、と無茶振りをしてだ。
 ちなみにレイジは未成年なので、もちろんお酒の類は飲んでいない。その場はジュースで切り抜けたのであった。

「あら、そうだったかしら? ――でもたとえこちらにどんな事情があったとしても、プロなら常に全力で戦えるようにしとくべきだわ。狩猟兵団にはいつ依頼が来てもおかしくないんだから!」

 アリスはほおに手を当てて首をかしげるだけで、とくに反省した素振りはない。むしろ正論を振りかざしてきた。

「――まったくの正論だが、原因を作った奴に言われると複雑な気分だな……。――というか今回の依頼なら、アリス一人でも充分なはずだ。わざわざ帰ってきてフラフラのオレを連れていく意味が、どこにあったんだよ?」

 指を彼女に突きつけ、抗議を入れる。
 今受けている、早朝に入ってきたばかりの依頼。その内容は割と簡単であり、アリス一人でも余裕で事足りるもの。もはやレイジが力を貸すまでもないというのに、それを無理やりたたき起こして仕事に付き合わせるとは、どういった了見なのだろうか。

「フッ、もちろんあるわ。だってアタシはいかなる時もレージと一緒がいいもの。とくにそれが戦場ならなおさらね。一人で戦場を駆け抜けるより二人の方が楽しいに決まってる! そう、アタシにとってはデートみたいなものなんだから!」

 アリスは自身の胸にバッと手を当て、得意げにウィンクしてきた。こんないかにもはずかしいセリフを、一切のテレも見せずさぞ当然のように言い切ってだ。
 もはやここまでされるとテレくさくなるのが普通の反応。だがレイジから出てくる感情はあきれしかなかった。

「――なんて迷惑な話だ……。しかも一緒に戦うことがデートって絶対おかしいだろ……。――はぁ……、付き合わされるオレの身にもなってくれよ……」
「もう、女の子にここまで言わせておいて、その反応はおかしくないかしら? 男ならここはビシッと決めるべきよ」

 がっくりうなだれるレイジの反応が気に入らなかったのか、アリスはむっとして詰め寄ってきた。
 しかしここでレイジが思うことはただ一つ。アリスには失礼かもしれないが、彼女に対してこういう言葉ぐらいしか思いつかなかった。

「――これがもっとまともな女の子だったらそうするんだけど……。なんたって相手があのアリスだし……」

 肩をすくめながら、残念な人を見る目をする。

「あら、おかしいわね? なんだかものすごくバカにされてる感じがするけど」
「ははは、だって本当のことだろ? 外見は文句のつけようもない美少女だけど、肝心かんじんの中身があれなんだからさ」
「――フフフ、ねえ、レージ。斬ってもいいかしら?」

 笑い飛ばしていると、いつの間にかアリスの手には武器が。なんと自身の背丈ほどの太刀たちが、さやに入れられた状態でにぎられていたのだ。そして彼女はその刀身を少しだけ抜き、満面の笑みをしながらたずねてくる。もちろん笑みにはその表情から本来ありえない、殺意という感情がにじみ出ていた。

「――あー、アリス、オレがわるかったからいったん落ち着こう。お前の場合だと冗談抜きで斬りかかってきて、応戦しないといけない状況になる」

 荒ぶるアリスを、手で制しながらなんとかなだめようとする。

「あら、それはデートのお誘い? フフフ、いいわ。まだもう少し時間があることだし、ここで一曲踊りましょう! 最悪どちらかが残れば依頼も達成できるはずだし、存分にやり合える!」

 アリスはぱぁぁっとまるで恋する乙女のような顔で、さやから刀身を抜ききった。
 彼女は極度の戦闘中毒者であり、もはやそのために生きているといっても過言ではないぐらいの戦闘狂。なのですぐに戦いたがる危険な少女なのだ。

「いい加減にしろ」

 もはや今にも襲って来そうなアリスの頭に、レイジは軽くチョップをくらわす。

「もう、痛いじゃない、レージ」
「またいつものように暴走しようとするからだ。仕事前だというのに、もしオレたちがやり合ったら絶対本気の死闘みたいな感じになって、お互いボロボロになるだろうが」

 被弾カ所を手で押さえて抗議してくるアリスに、しっかり言い聞かせる。
 実のところレイジ自身も、アリスには負けるが戦闘狂の類に入るほど闘争が好きといってよかった。そのためもし彼女が斬りかかってくるならば、仕事前だということを忘れて全力で戦ってしまうはず。そうなると確実に仕事に支障が出るので、すぐさま彼女を止めたのであった。

「それなら大丈夫よ! いくらボロボロであろうとも、アタシとレージの最強のコンビネーションの前に、敗北の文字はないわ!」

 アリスは手を胸元近くでグッとにぎり、豪語する。

「――おいおい、いったいどこからそんな自信が湧いてくるんだ?」
「フフフ、だってアタシたちは二人そろった時こそ、最も真価を発揮できるんだもの! そうでしょ? 戦友さん!」

 そして不敵な笑みを浮かべながら、一点の曇りもない信頼しきった瞳を向けてくるアリス。
 もはやその自信ありげな感じは、レイジ自身さえもその気にさせるほどの説得力があった。

「――まあ、言いすぎな気もするが、そんなにも異論はないか……。アリスとは共にウデを磨き合い、幾多いくたの戦場を背中をあずけ合いながら戦ってきた戦友。そして黒い双翼そうよくやいばとしてのコンビだし」

 黒い双翼の刃。それはいつの間にか呼ばれるようになった、レイジとアリスの通り名である。こうなったのもアリスが小さいころからレイジと離れようとせず、いつも一緒に居たがったせいだ。それは当然狩猟兵団としての仕事をしている時でも変わらず、最終的には基本二人一組でしか依頼を受けないようになったぐらいに。そのため依頼主たちの間でも二人一組が当たり前となって、このような通り名になってしまったのである。

「フフフ、だからなにも問題ないわね。さあ、思う存分闘争という名の華を咲かせながら、踊り狂いましょう!」
「そうだな。ガキのころみたいにたまには全力でやるのもわるくない。それじゃあ、始めるか……、って! そんなわけあるか! 仕事前だって言ってるだろ!」
「あら、あと少しだったのに、残念」

 レイジの渾身こんしんのツッコミに対し、アリスは肩をすくめながら太刀を自身のアイテムストレージへと戻す。

「――はぁ……、まったく、アリスは戦いのことになると、ほんといつも好き放題してくれるよな。そのせいで手綱をにぎるお目付け役のオレが、どれだけ苦労してるかわかってるのか?」
「もう、またそんなこと言って……。あなたはもっと今の自分の幸福を噛みしめるべきよ。アタシみたいな美人な女の子が付きっきりでいてくれる、この狩猟兵団の日々をね!」

 アリスはほおに手を当てながら、ウィンクしてくる。
 そして彼女は数歩ほど、レイジと反対の方向に歩いていく。それから輝く金色の髪をなびかせながら、ばっとレイジの方へ振り返った。

「さあ、行くわよ、レージ! 戦場がある限りどこまでも。共にこの闘争の日々を謳歌おうかしましょう! 昔、ちかい合ったように、二人でずっと、ね!」

 アリスはどこかはしゃぎ気味に、手を差し出してくる。

(そうだな。二人で、ずっと……)

 その差し出された手をつかもうと、レイジは手を伸ばした。すべてはアリス・レイゼンベルトという少女を、一人にさせないため。
 だがそこでレイジの手はふと止まってしまう。脳裏をかすめるのは、銀色の髪をしたカノンという七歳ぐらいの少女の姿。そして彼女と誓いを交わした時の光景だ。その想いを意識してしまった瞬間、レイジは全部気付いてしまった。たとえこれが夢であったとしても、今はアリスの手を取ることができないと。

(――まさかこんな夢を見るなんて、オレはまだ割り切れてないのかな……)

 このアリスとのやり取りはかつての記憶。そう、レイジがすでに手放してしまった、狩猟兵団のころの思い出。やはり今だあのころの日々に未練みれんがあるのだろう。
 自嘲気味に笑いながら、レイジはこのなつかしい夢から覚めることにする。なぜならレイジには現実でやるべきことがあるのだから。

(だけどオレは手放さないといけないんだ。すべてはもう一度、答えを選択するために……。だから!)

 レイジの宣言と同時に、意識は現実へと戻っていった。
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