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5.確かなる変化
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数日が経った。
カナリアは自分磨きに勤しんだ。
体調不良と言って、誰にも会わず、部屋に籠もっていた。
朝は湯に花を浮かべ、昼は化粧品を調合し、夜は誰もいない庭園でハーブを採取する。
“居てもいなくても変わらない”と誰も会いにこないのは、むしろ都合が良かった。
机の上には、色とりどりの粉が並んでいる。
粉砕した石英の白、翡翠の淡い緑、そして琥珀の金。
ゆめの指が、すり鉢の中で色を混ぜ合わせた。
「ねえ、カナリア。あなたの世界には“メイク”って概念がなかったのね」
思わず独り言が零れる。
砕いた貝殻に、蜂蜜と少しの油を混ぜる。白粉がわりの柔らかなクリーム。
そこに琥珀の粉をほんのひと匙落とすと、光がかすかに弾けた。
「……ふふっ、悪くない」
指で頬に乗せると、肌の上で光が微かに踊った。
翡翠の粉は瞼に。紅花は唇と頬に。
香りも、色も、触感も、すべてが新しい。
鏡に映る自分が少しずつ“人の心を奪う顔”になっていくのを、ゆめは静かに感じていた。
毎朝、毎晩、マッサージを続けた。
肌の血の巡りが戻り、手足の冷えが和らいでいく。
それだけで、体の中に宿る気配が変わる。
___ある朝、鏡の中のカナリアが微笑んだ。
目の下の影はなくなり、肌のキメは整っていて、頬に柔らかな血色が灯っていた。
彼女はもう“哀れな娘”ではなかった。
*
ある日の午後。
屋敷の前で、馬のいななきが響いた。
マリアが慌ただしく部屋に飛び込んでくる。
「お嬢様、突然で申し訳ありません。お嬢様の元婚約者、――エドガー様がいらっしゃいました」
ゆめの手が、わずかに止まった。
(エドガー……)
その名前を、カナリアは何度心の中で呟いただろう。
かつて、彼に婚約を破棄された日。
妹を見つめるその瞳を、カナリアはただ見ていることしかできなかった。
マリアの声が震えている。
「お嬢様も、お加減を見せてほしいと……」
「そう。なら少しだけ、お会いしましょう」
ゆめは微かに息を吐いた。
鏡に向かい、急いで仕上げをする。
貝粉の薄いヴェールをはたき、翡翠の粉を瞼の内側にほんのりのせる。琥珀を少し頬にのせ、光を纏わせる。香油を髪先になじ
ませると、金の束がわずかに揺れた。
扉を開けると、廊下の先にエドガーが立っていた。
正装をうつくしく纏い、顔立ちは以前と変わらず整っている。だが、その目が彼女を見た瞬間――一瞬、時が止まった。
静寂。
エドガーは言葉を失っていた。
「……カナリア?」
掠れた声が、空気を震わせる。
カナリアは小さく微笑んだ。
「お久しぶりですね、エドガー様」
その声音には、怨嗟も未練もなかった。
ただ、ひとつの事実だけを告げるように、穏やかで美しかった。
エドガーは言葉を探すように口を開くが、何も出てこない。
その瞳に宿るのは、驚きと――戸惑い、そして、確かな“欲望”だった。
ゆめの心が静かに微笑む。
(ねえ、カナリア。
あなたはやっと、本来の"顔”を認識してもらえたようね。)
窓から風が吹き、カナリアのバラの香りがわずかに舞った。
その香りをまとって、カナリアはゆっくりと彼を見上げた。
「どうかなさいましたか?エドガー様」
彼の喉が、かすかに動いた。
けれど、その先の言葉は風に溶けていった。
――沈黙が、何より雄弁だった。
カナリアは自分磨きに勤しんだ。
体調不良と言って、誰にも会わず、部屋に籠もっていた。
朝は湯に花を浮かべ、昼は化粧品を調合し、夜は誰もいない庭園でハーブを採取する。
“居てもいなくても変わらない”と誰も会いにこないのは、むしろ都合が良かった。
机の上には、色とりどりの粉が並んでいる。
粉砕した石英の白、翡翠の淡い緑、そして琥珀の金。
ゆめの指が、すり鉢の中で色を混ぜ合わせた。
「ねえ、カナリア。あなたの世界には“メイク”って概念がなかったのね」
思わず独り言が零れる。
砕いた貝殻に、蜂蜜と少しの油を混ぜる。白粉がわりの柔らかなクリーム。
そこに琥珀の粉をほんのひと匙落とすと、光がかすかに弾けた。
「……ふふっ、悪くない」
指で頬に乗せると、肌の上で光が微かに踊った。
翡翠の粉は瞼に。紅花は唇と頬に。
香りも、色も、触感も、すべてが新しい。
鏡に映る自分が少しずつ“人の心を奪う顔”になっていくのを、ゆめは静かに感じていた。
毎朝、毎晩、マッサージを続けた。
肌の血の巡りが戻り、手足の冷えが和らいでいく。
それだけで、体の中に宿る気配が変わる。
___ある朝、鏡の中のカナリアが微笑んだ。
目の下の影はなくなり、肌のキメは整っていて、頬に柔らかな血色が灯っていた。
彼女はもう“哀れな娘”ではなかった。
*
ある日の午後。
屋敷の前で、馬のいななきが響いた。
マリアが慌ただしく部屋に飛び込んでくる。
「お嬢様、突然で申し訳ありません。お嬢様の元婚約者、――エドガー様がいらっしゃいました」
ゆめの手が、わずかに止まった。
(エドガー……)
その名前を、カナリアは何度心の中で呟いただろう。
かつて、彼に婚約を破棄された日。
妹を見つめるその瞳を、カナリアはただ見ていることしかできなかった。
マリアの声が震えている。
「お嬢様も、お加減を見せてほしいと……」
「そう。なら少しだけ、お会いしましょう」
ゆめは微かに息を吐いた。
鏡に向かい、急いで仕上げをする。
貝粉の薄いヴェールをはたき、翡翠の粉を瞼の内側にほんのりのせる。琥珀を少し頬にのせ、光を纏わせる。香油を髪先になじ
ませると、金の束がわずかに揺れた。
扉を開けると、廊下の先にエドガーが立っていた。
正装をうつくしく纏い、顔立ちは以前と変わらず整っている。だが、その目が彼女を見た瞬間――一瞬、時が止まった。
静寂。
エドガーは言葉を失っていた。
「……カナリア?」
掠れた声が、空気を震わせる。
カナリアは小さく微笑んだ。
「お久しぶりですね、エドガー様」
その声音には、怨嗟も未練もなかった。
ただ、ひとつの事実だけを告げるように、穏やかで美しかった。
エドガーは言葉を探すように口を開くが、何も出てこない。
その瞳に宿るのは、驚きと――戸惑い、そして、確かな“欲望”だった。
ゆめの心が静かに微笑む。
(ねえ、カナリア。
あなたはやっと、本来の"顔”を認識してもらえたようね。)
窓から風が吹き、カナリアのバラの香りがわずかに舞った。
その香りをまとって、カナリアはゆっくりと彼を見上げた。
「どうかなさいましたか?エドガー様」
彼の喉が、かすかに動いた。
けれど、その先の言葉は風に溶けていった。
――沈黙が、何より雄弁だった。
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