blue moonに恋をして

桜 朱理

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1巻

1-3

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 しばらくソファで目元を温めたあと、深見はぬるくなったタオルを手にして立ち上がった。

「三時間したら、一度起こしてくれ」
「はい。私はこちらの部屋にいますので、何かあればお声をおかけください」
「すまん……」

 頷くと深見は夏澄にタオルを手渡して、寝室に入っていった。リビングルームから寝室の様子をうかがう。しばらくは寝室のほうで物音がしていたが、やがて静かになった。
 カップやタオルを片付け、さらに十分ほど待ってから、夏澄は深見の様子を確認するため、そっと寝室に入った。
 静かな寝室に穏やかな寝息が聞こえて、夏澄はひとまず胸を撫で下ろす。
 ナイトランプのほのかなオレンジの明かりに照らされた深見の顔色も、先ほどよりも幾分改善しているように見えた。
 夏澄は深見を起こさないように気をつけつつ、ベッドの下に脱ぎ散らかされたズボンやワイシャツを拾い、ハンガーにかけた。
 サイドテーブルの上に、ミネラルウォーターのペットボトルとグラスを準備する。
 そして、深見に何かあってもすぐにわかるようにと、ドアをほんのわずかに開けたままにして、夏澄は寝室を出た。
 リビングルームに戻り、今度は自分用にお茶をれる。
 ソファに座ると、一気に疲労が押し寄せてきた。
 けれど、ここで休んでいる暇は夏澄にはなかった。
 熱いほうじ茶を飲んで一息入れると、夏澄は動き出す。
 念のために深見を起こす予定時間をスマホのタイマーでセットし、鞄からタブレット端末を取り出すと、本社に残っている他の秘書たちと連絡を取る。そして、今日、キャンセルした分の予定の割り振りを依頼する。それと同時に、来週までの深見の予定をゆるやかなものに組み直した。
 すべての連絡が終わったのは、それから一時間ほどが経ってからだった。
 窓の外はすっかり夜のとばりが降りていた。摩天楼まてんろうがその真価を発揮しネオンをまたたかせ、星屑ほしくずをちりばめたように地上をきらめかせていた。まるで天と地が逆さになったような光景は美しい。夏澄はその華やかな光景をぼんやりと眺めた。
 遠く高層ビルの端に月が顔を出していた。
 ――ああ、今日は満月か……
 地上のネオンの輝きの中、まるで恥じらうようにひそやかに昇る月は、綺麗な円を描いていた。
 小さなため息をこぼし、夏澄はまぶたを閉じる。
 途端に、張りつめていた神経が緩んでいくのを感じた。
 ――少しだけ……少しだけだから……
 誰に言い訳するでもなくそう思いながら、夏澄は束の間の休息に身をゆだねた。


 不意に唇に柔らかいものが触れた感覚に、微睡まどろんでいた夏澄の意識が浮上する。
 ――何?
 薄い皮膚の上に触れるそれは、柔らかく温かかった。覚えのあるようなないようなその感触の正体が掴めず、夏澄は瞼を開けた。

「……んっ。え……? 社長!?」

 瞼を開くと驚くほどすぐ傍に深見の端整な顔が迫っていて、夏澄は一瞬、自分の置かれている状況がわからなかった。
 ――え? あれ……? 何で、社長?
 驚きすぎて、思考がまともに働かない。

「伊藤。この手、どうした?」

 固まる夏澄に構うことなく、深見が夏澄の手首を掴みながら問いかけてくる。

「え? 手……?」

 言われて、深見に掴まれている自分の手のひらを見ると、部分的にうっすらと赤くなっていた。自分の手のひらを眺めて、夏澄はようやく今の状況を思い出す。
 ――あ、そうか。社長を休ませるためにホテルを取ったんだ……って、やだ、私。寝てたの!?
 自分の失敗を悟り、夏澄は一気に目が覚めた。
 ――今、何時!?

「申し訳ありません! 三時間後に起こすとお約束していたのに!!」
「いや、約束の時間前に勝手に目が覚めただけだから気にするな。それよりこの手、さっきのタオルのせいか?」

 慌てて謝る夏澄を意に介さず、深見は夏澄の手のひらの、火傷やけどともいえない赤味の理由を問うてくる。
 言い逃れを許さない眼差しの鋭さに、夏澄は戸惑いを覚えた。
 確かに夏澄の手のひらの赤みは、先ほど深見に渡したタオルを絞った時にできたものだろう。しかし、深見が寝ている間にちゃんと冷やしたし、もう痛みもない。明日の朝にはきっと赤味も引いている。こんな風に深見に問われなければ、夏澄は気にもしなかった。

「痛みは?」
「大丈夫です。これくらいなんともありませんから」
「ちゃんと冷やしたのか? 薬は?」
「ちゃんと冷やしたし、もう痛みもありません。薬なんて塗らなくても明日には消えてますよ」
あとが残ったらどうする!?」
大袈裟おおげさです。社長に言われるまで忘れていたくらいなんですから」

 深見の心配に夏澄は苦笑する。
 普段、深見が付き合っている恋人たちであれば、こんな風に火傷やけどすれば大騒ぎになるだろう。
 しかし、夏澄の手は彼女たちとは違う。傷だらけだろうと、この帝王のために働ける手であればいいのだ。
 そうは思っても、荒れた手を深見に掴まれているという状況が恥ずかしくなってきて、夏澄は腕を引こうとした。
 しかし、それは叶わなかった。逆に痛いほどの力が深見の指に込められて、夏澄は思わず顔をしかめる。

「……っ!」
「どうして……どうして、お前は、そこまで……」

 低く、聞き取れないほどの声で深見が何かを呟いた。

「しゃ、社長?」

 触れている深見の手がひどく熱くなっている気がして、夏澄は動揺に声を上ずらせる。
 夏澄の呼びかけに、無言のまま深見が顔を上げた。深見と夏澄の視線が絡む。
 その瞬間――まずい。そう思った。
 何がまずいのか自分でもわからない。でも、このままではだめだと頭の中で警鐘が鳴る。
 囚われる。このままだと自分は……

「社長こそ体調はどうですか? 頭痛は治まりましたか?」

 少しでもこの雰囲気を壊したくて深見の体調を尋ねたが、深見は何も答えない。
 場を支配する沈黙と緊張感に、夏澄はどうすればいいのかわからなくなる。
 深見の眼差しに絡め取られて、身動き一つ取れない。
 少しでも動きがあれば、この張り詰めた空気は破裂する。そうなった時、自分がどうなるのか夏澄にはわからなかった。
 恐怖と紙一重の甘い緊張感が、ぞくぞくとした予感となって夏澄の背筋をすべり下りた。
 怖い……そう思うのに、深見の手を振り払えない。
 ――二人の均衡きんこうを破ったのは、甲高い電子音だった。
 夏澄が先程、深見のためにセットしたタイマーのアラーム音だ。
 夏澄はハッとして深見から視線を離し、掴まれていたのとは反対の手で、スマホのアラームを止めた。
 次の瞬間、あらがえない力で手首を引かれ、夏澄はソファから立ち上がらされた。
 そして、そのまま抱き寄せられる。

「……夏澄」

 名前を呼ばれた。この五年間、一度も呼ばれたことのなかった名前を。
 その瞬間、夏澄は自分もただの女でしかなかったのだと思い知る。
 ――名前を呼ばないで……そんな聞いたこともないような、甘い声で……
 理性も、戸惑いもその声に溶けて消えそうになる。
 腰を抱かれてあおのいた視線の先。間近に迫った深見の瞳に宿る情欲の輝きに、女としての本能がざわめいた。
 ずっと憧れだと思っていた。ただの憧れだと思っていたかった。
 なのに、今この瞬間に、はっきりと自覚する。
 この想いは恋だったのだと――
 気づきたくなんてなかった。囚われたくなんてなかった。
 近づいてくる唇を避けるすべがわからず、夏澄は泣きそうになる。
 自覚したばかりの恋が、夏澄の心を惑わせた。
 触れた唇の思わぬ熱さに、夏澄は震えるまままぶたを閉じる。
 それ以外にどうすればいいのか、わからなかった。
 柔らかなその感触に、先ほど夏澄を微睡まどろみから呼び覚ましたのも深見の唇だったのだと気づき、混乱はますますひどくなった。
 頭の中は真っ白で、ただただ、どうしようという言葉だけが巡る。
 混乱して震える夏澄の背中を、男の大きな手のひらが辿る。なだめるようなその手のぬくもりに、体の力が一気に抜けた。腰に回された手が、夏澄の体を深見に押し付けるかのごとく引き寄せた。
 わずかに開いた唇に差し入れられた男の舌が、夏澄の戸惑いも、ためらいもすべてを奪い取ろうとするように、情熱的に絡む。
 唇に触れる吐息に、鼓動がひどく乱れた。
 深見が夏澄の口内をかき混ぜる。その慣れない濡れた感触が、深見とキスをしているのだという実感を夏澄に与えた。
 それはかつて恋人だった男と交わした、互いの唇を重ね、舌をなめ合っただけの不器用なキスとは完全に別物だった。
 まるで快楽を教え込むように、深見の肉厚な舌が淫猥いんわいな動きで歯列を辿り、うわあごを舐める。きつく舌を吸われて、吐息が奪われた。

「んぅ……!」

 息苦しさから思わず漏れ出た自分の声は、驚くほど甘く聞こえた。
 手のひらの優しさと矛盾する情熱的な口づけに、夏澄はもう何も考えられない。
 普段の夏澄なら理性が止めた。伸ばされた腕を拒んでいたはずだ。
 なのに、今、夏澄は男の腕の中に囚われていた。
 大きな手のひらが何度も夏澄の背中を辿る。それはひどく優しくて、ずっとこの腕の中に囚われていたいと願ってしまう。
 そんなことは望めるわけもないとわかっているのに……
 突き飛ばして逃げるべきだと思っていても、深くなる口づけに体から力が抜けてしまう。
 じんわりと高められる快楽に、体の奥が切なさにうずいた。
 深見の唇と舌に翻弄ほんろうされ、まなじりにじわりと涙がにじむ。
 一瞬にも、永遠にも思える時間が終わり、唇が離れた。
 舌がもつれて、まともに言葉が紡げない。乱れた自分の呼吸に羞恥しゅうちを覚えて、夏澄は目を伏せた。こらえ切れなかった涙が頬を流れる。

「何を泣く必要がある? 何も変わらない。怖いことはしない……」

 夏澄の涙に気づいた男が、親指で頬をぬぐう。その手つきが優しくて、ますます涙が止まらなくなった。
 深見がささやくことに、根拠なんて何もない。
 何も変わらない? 嘘つき。
 きっと、あらゆるものが変わってしまう。変わらないのはこの男だけ。
 この夜を越えた朝、夏澄は自分のすべてが変わってしまう確信があった。
 泣き出した夏澄を、あやすように触れる深見の手。それが、恋しくてたまらない。
 今だけの優しさなのだと知っているのに、それでも、今この時だけでもこの男を独占したいと思う自分がいた。
 この五年間、ずっと傍で見てきた。
 何もかもを手に入れている男が、日ごと夜ごとにその恋の相手をかえて遊ぶさまを。
 仕事の上では尊敬できる上司であっても、その乱れきった私生活には呆れるばかりだったはずなのに、気づけば自分もこの男のあらがいきれない魅力に囚われていたのだと知る。
 気まぐれに、相手をしてくれたとしても、それは今だけのこと。
 この男が飽きるまでの期間限定の恋。未来なんて望めない。
 わかっているのに……わかっているからこそ、流されてしまえと自分の中の女がささやいてくる。
 未来など望めない関係だからこそ、今この時におぼれてしまいたい。
 そんな破滅的な想いが、嵐のように心の奥から湧き上がる。
 自分の中にこれほど強い感情が生まれたことに驚きつつも、夏澄はその誘惑に逆らえそうになかった。
 自分でも馬鹿だと思う。なのに、今この時にこの衝動を抑えるすべを夏澄は知らなかった。
 夏澄は戦慄わななく息を吐き出して、覚悟を決める。
 たとえ、気まぐれでも構わない。
 一夜限りの恋。
 堅物かたぶつで通した自分には望むべくもない夜。
 男の上質なシャツにすがった時には、体の震えも涙も止まっていた。

「夏澄」

 名前を呼ばれるたび、心が恋しさに痛んだ。
 でも、この男には何も見せない。
 今、夏澄が感じている痛みも、明日の朝、夏澄が覚えるはずの絶望も絶対に見せない。
 この男が何も変わらないというのなら、何も変わらない自分でいよう。
 秘めやかな決意を胸に、夏澄は涙に瞳をうるませたまま笑った。
 つややかに、華やかに笑って、この夜を手に入れる。
 これは一夜限りの夢だ。流されて、おぼれて、我を忘れても、これは夢。
 だから、明日の朝には何もかも跡形もなく消える。消してみせる。
 恋に堕ちていたことに気づいた瞬間に、夏澄の淡い恋は終わる。それでいい。
 恋をした男の腕の中にいるはずなのに、ひどい寂しさが夏澄の心に忍び寄る。
 でもそれは夏澄だけが知っていればいい痛みだ。
 男の肩越しに青く輝く月が見えた。
 あまりにも暗示的なその月の輝きに夏澄は笑い出したくなる。

『blue moon』

 青い月。それはありえないことの代名詞。
 同名のカクテルには『叶わぬ恋』『できない相談』なんて意味もあったことまで思い出す。今の自分の状況にぴったりすぎる青い月の輝きに、この恋はやっぱり叶わないのだと、そう思った。
 無粋な自分にこの言葉の意味を教えてくれた目の前の男は、この状況をどう思っているのだろう?
 ふとそう思って視線を目の前の男に戻すと、こちらを見下ろす切れ長の瞳と目が合った。その瞳に宿る情熱はわかるのに、今、男が何を考えているのかはわからない。
 でも、わかる必要もないのだろう。
 今までになく近づいた男の肌は、女の夏澄から見てもきれいで思わず触れたくなる。
 衝動を抑えきれずにそっと指を伸ばし、そのなめらかな頬に触れると、愛おしいぬくもりが夏澄を力強く包んだ。
 再び落ちてきた唇に、夏澄はまぶたを閉じる。青く輝く月の残像が瞼の裏に残った。
 自分はきっとこの青い月に恋をしたのだ。
 そう思えば今感じているこの痛みも切なさも、少しはやわらぐ気がした。
 もう一度重なった唇は、一度目の時とは色合いを変えていた。強引に奪うのではなく、夏澄がおびえないように、ただ、ただいつくしむように、触れるだけの口づけが与えられる。

「大丈夫だ……」

 触れ合わせる唇は素直に気持ちいいと思えるのに、口づけの合間にささやかれる言葉は、どこまでも残酷に響いて夏澄に痛みを覚えさせる。
 何度も繰り返し角度を変えて唇をついばまれるたび、夏澄の中にもどかしさがつのっていく。
 もっと深くこの男に触れたくて、たまらなくなる。
 もどかしさに耐えかねて、夏澄は広い背中に腕を回してすがりついた。
 自分から唇を開いて、おずおずと舌を差し入れると、先端だけをきつく吸われた。次の瞬間、キスが一気に深くなる。

「……ふ……ぅ……」

 抱きしめる腕が強くなり、抱擁ほうようの深さに体が震えた。
 遠慮なく差し入れられた舌が、夏澄に口づけの甘さを教える。
 何度も舌を吸われたせいで、敏感な舌の先端がしびれていた。それを甘噛みされて、膝から力が抜ける。夏澄の体が崩れて唇がほどけた。
 咄嗟とっさに縋った指で深見のワイシャツをきつく掴み、しわを作る。腰に添えられていた深見の手がすべり落ちて、まろみを帯びた部分をぎゅっと鷲掴わしづかみにし、離れそうになった体を引き寄せた。腰をぴたりと合わせるように重ね、夏澄のへその下に硬い何かを押し付ける。
 ベルトのバックルの無機質な硬さとは違うそれが深見の欲望のあかしだと気づいて、夏澄の頭に一気に血がのぼった。

「……寝室へ行くぞ」

 耳朶じだに直接吹き込まれた囁きに、びくりと体が震えた。腕の中からおずおずと見上げると、深見は形の良い眉をひそめ、まるで獲物を前にした肉食獣のような表情を浮かべていた。
 遊び慣れているはずの男が浮かべている余裕のない表情に、夏澄は息を呑む。
 逃げるつもりも、拒むつもりもなかったのに、無意識に体が逃げを打つ。けれど、あっさり深見にはばまれ、拒絶は許さないといわんばかりにますます腰を押し付けられる。欲望を隠さないあからさまな深見の行動に羞恥しゅうちで目がくらんだ。
 まともに言葉を紡げず、あえぐような呼吸を繰り返したあと、夏澄は首を縦に振った。深見が満足そうに瞳を細める。
 足がもつれてまともに歩けない夏澄の腰を掴んだまま、深見は寝室に向かった。半ば引きずられるように歩きながら、夏澄は大人しくそれに従った。


 寝室のベッドに横たえられる。恥ずかしげもなく衣服を脱ぐ男に、視線のやり場に困った夏澄はまぶたを閉じて、枕に顔を押し付けた。
 先ほど、深見が休んでいたベッドからは、普段、彼が使っている香水の匂いがほのかにした。自分も服を脱いだほうが良かったのではと気づいたのは、裸になった深見がベッドに乗り上げてきたあとだった。

「夏澄」

 背後から抱きしめられて、体をあおけにさせられる。

「社……長……」

 こういう時、どうしていいのかわからず、夏澄はおおいかぶさってきた深見に思わず手を伸ばしてその首にすがりついた。物慣れない夏澄の仕草に、深見が目元をゆるめて、頭を撫でた。
 器用な指が、夏澄のシャツのボタンを次々と外していく。女の服を慣れた手つきで脱がしていく深見に、過去の恋人たちとの経験がちらついた。
 嫉妬しっとしたところで仕方がないと思う反面、心臓をぎゅっと掴まれたような痛みを覚えて、泣きたくなる。
 同時に、深見の恋人たちの女性らしい体つきを思い出し、自分の体の貧相さが急に恥ずかしくなった。夏澄とて世間一般の成人女性としては平均的な体形だが、深見が付き合ってきた女性たちは女の夏澄ですら息を呑むほどにスタイルが良かった。
 そんな女たちを見慣れている深見が自分の体を見ていると思うと、気おくれを感じた。少しでも体を隠したくて、手足を丸めて縮こまる。

「夏澄? どうした?」

 突然、縮こまった夏澄の様子をいぶかしむように、深見が顔を覗き込んでくる。

「な、何でも、ないです……緊張して……だ、から……」

 子どもっぽい嫉妬と劣等感を知られたくなくて、夏澄は震える声でなんとか言い訳を紡ぎ出す。
 本心でもないが、嘘でもないその言葉に、納得したように頷いた深見が、瞼に唇で触れてきた。

「怖いことはしない。だから、体の力を抜け」

 夏澄の臆病さを気遣うように、瞼の上に直接落とされた優しいささやき。それがくすぐったくて瞼をぎゅっと閉じる。
 今、一番夏澄を混乱させ、怖がらせている男の言葉に説得力なんて欠片かけらもない。
 なのに、夏澄の体に触れる深見の手も唇もどこまでも優しかった。
 その優しさに、初めて自覚した嫉妬や劣等感も忘れることができそうな気がした。
 まぶた、額、鼻筋とついばむようなキスがいくつも落とされる。その感触に、夏澄はなんとか戦慄わななく息を吐き出して、体の力を抜く。
「いい子だ」と微笑んだ男が夏澄の髪を乱した。
 キャミソールの裾から忍び込んできた長い指が、背中に回りブラジャーのホックを外す。ブラジャーが押し上げられ、直に乳房に触れられて夏澄は身をよじった。
 その場所を誰かに直に触れられたのは初めてで、夏澄はどうすればいいのかわからず、シーツを握りしめて、未知の感覚に耐えた。深見の手の中で、胸の先端が自己主張するように尖り、うずく。指の腹でその先端の硬さを確かめるみたいに押しつぶされ、高い悲鳴が上がった。

「やぁ……あ!」

 不埒ふらちな手はそのままキャミソールとブラジャーをはぎ取った。
 深見の胸板は広く、すっぽりと夏澄の体を包んでいた。初めて触れた男の肌の意外なほどの硬さに、羞恥しゅうちよりもなぜか安堵を覚えた。
 同時に首筋に熱い吐息が触れ、そのまま肌の上を唇で辿られて、むずがゆいともくすぐったいとも思える感覚に、肌が粟立あわだった。
 敏感な先端部を指先でもてあそばれて、これまで感じたことのない重く甘いしびれが、足先に向かってすべり下りていく。
 それが快感なのだと知ったのは、指で弄ばれていたのとは反対側のいただきを口に含まれた時だった。
 濡れた肉厚な舌が芯を持った頂に押し当てられ、吸われる。そのたびに、甘い痺れがどんどんとつのっていく。
 その間も深見の指は夏澄の肌の上を辿っていき、やがて太ももに手が置かれた。
 きわどい場所に感じた深見の手のひらに、ぎくりと体を強張こわばらせる。
 無意識にベッドの上をずり上がり逃げようとした夏澄の体を、深見は上から押さえつけるようにしておおいかぶさり、唇を奪う。

「ぁ……あ……」

 口の中に舌を入れられ、舌を絡めるよううながされた。覚えたばかりの甘くて濃いそのキスに夏澄は夢中になる。
 その間に、深見の手はストッキングのさらさらとした感触を楽しむように太ももを撫で上げ、スカートの裾をたくし上げる。
 内腿をツーと指で撫でられ、太ももがあらわになっていることに夏澄が気づいた時にはすべてが遅かった。
 こうなるとわかっていたはずなのに、いざその場所に触れられるとうろたえてしまう。咄嗟とっさに深見を止めようと手を伸ばしたが、逆にその手を掴まれ、頭上に一つにまとめて押さえ付けられた。

「やぁ! だ……め……!」
「だめじゃない」

 あげく、あっさりと夏澄の抵抗を一蹴いっしゅうした深見は、内腿の間に手を入れ、ストッキング越しに秘めやかな場所を押し上げた。

「ひっ、やぁ……」

 自分でもろくに触れたことのない場所。そこに与えられた刺激に、頭の中が真っ白になる。
 肘を曲げて体を起こそうとしたが、深見は夏澄のその動きを利用して、スカートもストッキングも、そして下着も片手だけで器用にぎ取ってしまった。あらがうすべもなく、本当に全部脱がされる。
 身を守るものが何一つない状態でさらされた素肌に羞恥しゅうちつのり、体が赤く染まった。
 怖い……そう思った。

「……ひっ……く……」

 今まで感じたことのないような羞恥と混乱に襲われ、嗚咽おえつが漏れた。
 泣きたいわけじゃない。この行為が嫌なわけじゃない。
 だけど、性に関してろくに経験がなかった夏澄は、この先どうしていいのか、自分がどうなるのかわからなくて、涙が止まらなくなる。


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