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クララ、勝海舟と出会うのこと

ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版第6回 クララ、勝海舟と出会うのこと

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 来日二ヶ月目にして、クララは後に義父となる勝海舟と初対面する事になります。

明治8年11月25日 木曜日
 今日はアメリカでは感謝祭の日だ。
 ご馳走を用意して日本に来て以来お世話になった方々を招待することにした。準備のため大変忙しかったけれど、お客様がおいでになってからはとても楽しかった。流石に七面鳥が手に入らなかったのは残念だったけれど。
 我が家においでになったのは、大鳥圭介氏、箕作秋坪氏、杉田玄瑞氏、そして勝海舟氏だ。
 大鳥氏は留学中にアメリカの我が家にもおいでになったことがあり、古くからの友人だ。
 日本に来た当初、私たちが困窮していた時とても親切にして下さった。高木氏に負けず劣らずの立派な髭を蓄えていらっしゃる。箕作氏は富田氏の親友でいらっしゃり蕃書調所の教授手伝を勤め、最近では森氏らとともに明六社に参加された方で、前にお宅に伺った医師の杉田先生は令息の盛が我が家で寄宿している。
「How nice of you to ask me!」
 最後に我が家においでになったのは、私たちの救いの神となって下さった勝氏は非常に著名な提督だ。幕府側の交渉責任者であったこの方の尽力のお陰で、先の革命戦争では全面的な戦闘が避けられたとだという。ちなみに、逆に大鳥氏の方は最後の最後まで今のミカドの政府に反抗され、蝦夷地まで転戦して戦い抜かれたそうだ。私たちが知っている物腰の柔らかい大鳥氏からはとても想像できない。想像できないと云えば、我が家に盛と同じく寄宿している高木氏も、大鳥氏と共に蝦夷地で戦ったそうだ。ただ直接の上官は大鳥氏ではなかったらしく、逆に大鳥氏と対立していた高名なサムライだったそうなのだけれど。
 話を勝氏に戻すと、勝氏は今のところ血気にはやる悪人に命を狙われておられているそうだ。
「今更俺を狙ったところでただの腹いせにしかならねぇのにな。狙うなら十年前に……って、当時も普通に毎日狙われていたら今と変わりゃしねぇか」
 そう笑って仰ったけれど、それでも昼間は家から出るのが非常に危険だし、周りの人を巻き込むといけないと云うことで、最近は夜コッソリと武装して外出されるのだそうだ。事実、我が家の門を潜られたとき、勝提督は刀を差しておられた。しかし客間に入ると刀を外して、友好の印にテーブルの上に置かれた。
 食後、男の人たちが喫煙のため食堂に行った後で、私はその刀をこっそりと調べてみることにした。鞘は金塗り、柄は白い真珠貝でできていて、金色の竜が彫り込まれていた。なにより目を見張ったのはその鋭い刃で、触れたものの全てを両断しそうな輝きに私は魅入られてしまった。人を殺めるための道具だというのに、なんて……!
「十分観察できましたか、お嬢さん?」
 突然そう声を掛けられ、わたしの心臓は爆発しそうだった。ふと気が付くと、手の中にあった刀の重みが消えている。落としてしまったのかと慌てたのだけれど、冷静になってよく見るといつの間にかその刀は勝提督の手に収まっていた。しばらく刀の刃を見て呆然としていたようだ。
「も、申し訳ありません」私は日本人みたいに深々と頭を下げた。
「いや、かまわねぇよ。アンタが見たそうにしていたから敢えて席を外したんでな。ただ、あぶねぇから、取扱いだけはくれぐれも慎重にと思ってな」勝氏にそう指摘されて、私は顔まで血が上ってくるのを感じた。そんなにはしたない態度をとっていたなんて! 
 だけど勝氏は穏やかな笑顔を浮かべて仰った。
「気にしなさんな、うちの娘も似たようなもんだ。今度連れてくることもあるだろうからその時には仲良くしてやってくれ」
 勝氏らが帰られた後、吉報が我が家にもたらされた。東京会議所が清国へ全権大使として赴任される森氏からこの家を買ってくれたのだ。これで森氏が再び変心されても住む家に困る事態には陥らないことになったのは素直に喜ばしいことだ。

明治8年11月27日 土曜日
 宮内省にお勤めの小野氏は土曜日が休みということなので、王子の有名な庭園や庭などに遠征することになった。
 11時に3台の人力車に分乗して出発。母と富田夫人が一台目に、アディと私が二台目に、小野氏と盛が最後の車に乗ったのだけれど、車の一つに積み込んだ大きな昼食のバスケットを忘れてはならない。
 私たちは大きな大学や小さな田舎家を見ながら、快適なまでに勾配のゆるい路、川、丘、谷などを揺れながら通って行ったけれど、気持ちのよい通りもあり、あまり感じのよくない通りもあった。
 小野氏は親切に面白い場所を説明して下さった。やがて、女子のための広い学校を通り過ぎたが、こういう学校は日本にとってもためになるし、興味深いものである。そして遂に王子の庭園に着き、車を降りた。 
 私たちは手を入れていない庭園をぶらぶら歩き回ったが、無造作な自然の美が美しかった。丸木橋を渡り、澄んだ小川や池野ほとりを歩き、それから小さな乗馬道が横についている傾斜の急な丘を登った。
「どうぞ、お使い下さい」
 小野氏が袖から取り出したオペラグラスで、私たちは頂上から素晴らしい田園の景色を眺めた。広大な田や茶畑や麦畑が、見事な丘陵と活火山浅間山のある山脈に続いていた。
 茶屋での昼食の後もしばらくうろうろと歩き、やがて王子の寺に着いた。そこは滝が流れ落ちていて、至る所に狐の像があった。実はこれは狐寺、日本人の云う“稲荷神社”なのだ。木々の葉は美しく、珍しい竹があった。ここは狐の穴が沢山あり、どの穴の上にも小さな寺か社が建っていて、信者は狐が食べるようにお米と魚をしばしば持ってくるのだ。
 寺の前にはとても大きな真鍮の鈴が三つ吊されていて、それぞれに綱がついていた。お参りに来た人はこの綱を引いて鈴を鳴らして、狐の神様を眠りから覚ますのだという。私たちは鈴を烈しく鳴らしたけれど、当然の事ながらなんの神も現れないので、肩を竦めて立ち去った。
 それにしても、なんと悲しいことか! 「栄光と栄誉に輝く」「御使よりも少し低くせられし」ものである人間が下等の動物を拝む、それも全ての動物の中で最も邪悪で有害で狡賢い動物を! ああ、わたしたちの偉大な宗教はなんと高貴ですぐれたものだろう。
 私たちは一通り見終わった後、また車に乗った。丁度角を曲がったとき、大きな見事な大洋が荘厳に輝きながら富士山の向こうに沈むのが見えた。

 帰宅して夕食を摂った後、私は小野氏と日本の現状についてとても知的な話をした。
 小野氏は報知新聞の論説委員で、朝鮮遠征などの日本の立場について長い記事を沢山書いている。小野氏はこのような事柄について話をすると霊感が働くらしく、こんなに英語がお上手だとは本当に今まで知らなかった。
「私は朝鮮遠征には反対です」小野氏はきっぱりと言い切った。
「いま日本はひどい負債を負っていて、朝鮮との戦争は必然的に破滅を早めるだけでなく、日出ずる国はたちまち砕け落ち、そして地球上に散り散りになってしまうでしょう。国外に背を向ければ、外国は男女とも、天賦の才のある人や知識ある人材に恵まれている一方、酷い負債を引きずっている日本はと云うと、金や銀は西欧社会に流出してしまい、日本はすっかり搾り取られて、やがてお金も天才も、望ましいものは全て枯渇してしまうに違いありません」
 あまりに悲壮感を漂わせて仰る小野氏に、私は悲しくなった。美しく繁栄した我がアメリカ合衆国が、苦闘している日本を略奪しようと企んでいるなんて、なんと恥ずかしいことだろう! ああ、そんなことはありません、と彼に証明することが出来さえすればいいのだけれど!
「それから女性が――」
 ここで小野氏は目から溢れ出て、その男らしい頬を伝わろうとする涙を拭く。
「ああ、なんということでしょう! 我が国の女の人たちには精神がない、本が読めない、子供たちに教えることができない。母親は子供の最初の教育者であるというのに、その母親が無知で学問を軽蔑し、顔に化粧をして口紅を塗ることにしか関心がないのだとしたら、子供はどうやって正しい考えをその若い心に植え付けられるのでしょうか? そもそも女性が顔に塗りたくる白粉には毒性があることが証明されているのに!」
 小野氏はもっと沢山のことを私に語られたのだけれど、突然顔を伏せたかと思うと、そのまま深々と頭を下げて仰った。
「申し訳ありません。いまわたしがクララさんにこんなことを話したなんて、どうか誰にも仰らないで下さい」
 そのあまりに真剣で、せっぱ詰まった様子に「何故ですか?」と問い返すことも出来ずに、私は深々と頷いてから「大丈夫です、安心して下さい」と答えた。
 それから小野氏は、自分の心配事で私を「退屈」させて済まなかったと謝られたのだけれど、私はそれに対して「興味深い話でした」と云った。辞書で示さなくてはならなかったので「interest-ing」という語をお見せすると、小野氏は訳の日本語を読んで悲しげな顔をなさった。
 私はすぐに英語の語義のついた日本語の相当語を探してみると、そこには「楽しい」「健康によい」などの注釈が付いていた。明らかに私の意図が伝わっていないので、改めて「sympathy(共感)」という語を探し出すと、ようやく小野氏は得心がいったとばかりに頷かれた。
 日本人から秘密を打ち明けられて、私はとても重々しい気持ちになった。

明治8年12月1日 水曜日
「日本語の勉強がしたい」
 お祈りの後、家族や富田夫人、小野氏、盛たちがいる前で私がそう宣言したのは、まだ一週間足らず前の事だ。富田夫人はすぐに「それでは教えてあげましょう」と仰り、しばらくして新聞記事を書かれていた小野氏が原稿から目を上げて私に聞いてきた。
「話法ではなく、文字を習いたいんですか?」
「ええ」
「よし、良かったら私が先生になってあげましょう」
 その翌日から私の特訓は始まった。
 小野氏は、早速四十八文字がきちんと書いてある細長い紙を二枚持って来られた。最初の試練は富田夫人の監督のもとで行われた。書き上がった後、先生の小野氏に私の幼稚な努力の跡をお見せすると、先生は諸々指摘して下さった。「とても良いが、この字は斜め過ぎる」「それは真っ直ぐ過ぎる」「全体に字が小さ過ぎる」などなどだ。
「いえいえ、最初にしては本当に美しく書かれていますよ」
 富田夫人はそう褒めて下さったが、私は率直に云って貰う方が嬉しいのだ。
 小野氏もフォローするように「とても見込みがある」と云って下さったけれども、実は些か気がくじけている。
 それから二日間、私の日本語勉強熱はひいてしまっていた。そこで小野氏は私が読める日本語の本のことや、規則正しく勉強を始めたら楽しいだろうと提案された。私と同様に、小野氏は英語の読み書きをとても習いたがっていらっしゃるのだ。
 小野氏の受け売りによると、日本には大名、サムライ、富裕な商人、中小の商人、職人、職工、労働者、人力車の車夫等々に、それぞれ慣用語があるのだそうだ。加えて女の人には独特の言葉があり、男の人の書く文字を読めない者もいるという。
 日本語は上記の他に清国語とオランダ語が混じっていて、文法のようなものを作るのが殆ど不可能になっている。だからこの育ち過ぎた言語を習得しようとしても上手くいかないかもしれない。そしてこんな難しいものの勉強を始める前に、自分自身の言葉にもっと精通した方が良いのではないかと、本気で考えざるを得なくなってしまった。

【クララの明治日記  超訳版第6回解説】
「父様、キターーーーーーーーーーーーーーッ!」
「恥ずかしい真似はおやめなさい、この馬鹿娘!」
「……いたたったたっ。酷いじゃない、いきなり頭を叩くなんて!」
「自ら一族の品位を貶めるような真似はするものじゃなくってよ!」
「だって6回目にしてやっとだったんだもん。最初の予定だと、とっくの昔に登場していた筈なのに。それにしても父様はやっぱり格好良いよね♪」
「残念ながらクララとの会話の最後の部分は創作ですわよ」
「それでも、だもんね! これからも父様の格好良さは何度も描かれる予定ですので、皆さん、お楽しみに♪」
「本当にクララの勝提督贔屓はちょっと度が過ぎていますものね。日記という性質上、ある程度主観的になるのは仕方ありませんけど」
「本当に格好良いんだってば、父様は!」
「……はいはい、分かりました分かりました。それにしても明治八年なんて時期に、勝提督が狙われていた、なんて初耳ですわよ? この頃は参議もお辞めになっている筈ですのに、日記中で提督ご自身が云われてますけど“今更”ですわよね」
「うーん、多分、表現は変なんだけど“慢性的に”狙われ続けていただけだと思う。うちにも怖い人、何度も来た事あるし。あと、この数年後の記録でも“人に会う時は夜出掛けていく”ってあるから、日常的に昼間の間は目立たないようにしてたのかも知れない」
「こういうのも“夜型人間”って云うのかしら? ともあれ、勝提督についてはこれから何度も出てくるので、とりあえず話題を変えて、王子の狐寺の話題に移りますわね。
率直なところ、北京生まれのわたくしから見ても、日本人は変わっていますわね、狐を拝むだなんて」
「ああ、メイも勘違いしてる! 別に稲荷神社は狐を祭ってるわけじゃないよ」
「? どういうことですの? 稲荷神社には狐の像が飾られているじゃありませんの」
「狐はあくまで神様の“御使い”だよ。元々は稲荷神社が祭っていたのは穀物や農業の神様。今じゃ、商売の神様になってるけれど。もっともこれについては、日本人、それこそ江戸時代の人たちから勘違いを始めているので仕方ないかも知れないけどね」
「へー、そういうものですの。勉強になりましたわ。そして第4回分に引き続き、朝鮮の話題ですけれど」
「朝鮮の話題、というより、当時の我が国の置かれた状況でしょ?」
「確かに。“いま日本はひどい負債を負っていて~”の件は、殆ど今のマスコミがそのまま流しても違和感ありませんわね。残念ながらと云うべきか、私の生まれた国への批評も似たようなところが歯痒くありますけど」
「……それでも昔のマスコミの人の方がマシ、だと思う。この小野氏をはじめ、彼らは心の底から、日本の行く末を心配しているんだから。それに較べて、今のマスゴミは……」
「お逸、ストップ! ここは解説の場であって、思想や意見を語るべき場ではありませんわ」
「……はーい、御免なさい」
「最後にクララが日本語の勉強を始めた件だけれど?」
「んー、私と仲良くなった頃にはまだ日本語での意思疎通は出来なかったわよ。初対面が確かこの年の12月25日だし……って、あー! やっと私の出番だ!」
「どうやらそうなりそうですわね。おめでとう」
「それでは、次回以降の私の“本編”での活躍をお楽しみに♪」
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