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クララ、日本における蓄音機の初披露に立ち会うのこと

ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版第59回 クララ、日本における蓄音機の初披露に立ち会うのこと

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  今回分は、日本における蓄音機の初披露(?)、クララの新たな飼猫、そして「とある大名御曹司の運命」の話がメインとなります。

明治11年10月8日 火曜日 
 新しく来られたユーイング先生が今晩家にみえることになった。
 というわけで、私は今朝インブリー氏のお宅に預かっていただいているテーブルを取りに、築地に出かけた。
 荷車と人夫を雇って、インブリー夫人とも打合せをしてから、ビンガム夫人を訪ねた。
 夫人はとても親切に迎えて下さった。
 けれど、なんとも運の悪い時に行き会わせてしまった。
 というのはベルジック号で到着したアメリカからの郵便が配達されてきた。
 そしてその中に二週間前に亡くなったと電報で伝えられていた、その当人からの手紙が入っていたのだ。
 手紙の主――つまり、ビンガム夫人の娘さんが快方に向かっているおつもりの時に書かれたもので、大変明るい手紙だった。
 気の毒なビンガム夫人のお嘆きは余りにも痛ましく、私はお慰めする力もなく、その悲しみを目撃すべきではないと思ってお暇した。
 帰り道で必要な品々を買った。
 そうそう、昨日着いた可愛い子猫のことを書くのを忘れていた。
 首の回りに札を付けてきたが、それには「ホイットニー様へ ウィリアム・グレー・ディクソン謹呈」と書いてあった。
 小さい虎猫である。
 私と一緒に夕べは寝たのだけれど、間違って押し潰してしまわないかと心配で仕方がなかった。
 午後三時半にディクソン氏がアジア協会に私たちを連れて行くために迎えに来た。
 会の開かれた書籍館は湯島聖堂という古い立派な建物で、昔若い武士の貴公子方が清国の古典を勉強したところである。
 数名の人が既に来ていた。
 私たちはみんなと握手をして、フェノロサ夫人とダイヴァーズ夫人の横に腰掛けた。
半時間の間に大勢の人が集まって来た。
 パークス夫人以下イギリスの婦人方は部屋の片側に並び、アメリカ人の女性と日本人の婦人方は反対側に並んだ。
 まるで向かい合った敵の陣地のよう。
 外国人と日本人の男性は部屋の二方の席を占め、工部大学校の学生達は後ろに立っていた。
 更にそれぞれグループ別になっていた。
 例えば宣教師は一緒に入って来て一箇所に並んで坐り、教師は教師で、工部大学校の一団と、モース先生や矢田部先生に引率された開成学校の一団とがそれぞれ別々に陣取った。
 これは意図的なものか、偶然そうなったのか私には分からない。
 まず、最初にミルン氏がシベリア旅行の非常に面白い話をした。
 寒さ、飢餓、雪による艱難に堪えての旅。
 ロシアで買った一着のスーツの話もしたが、まず毛を内側にした羊の皮のスーツを着用し、その上に大きな狼の毛皮を体に巻き付け、更に御者がその上に毛皮の衣で覆ってくれるのだそうだ。
 頭巾は長いものなのだけれど、あまりに寒いので、口や鼻から吐き出す息が凍って氷のガラスのようになる。
「凍った獣脂を食べたが、くるみのような味がした」
 そんな話もあった。
 次にディクソン氏の同国人であり友人のユーイング氏が、奇妙な蓄音機をおみせになった。
 管の中に大声で話すと、二、三分後に同じ抑揚で同じ文章をその機械が繰り返すのだ。
 ただ声が「甲高いアメリカ人の鼻声」になっていると先生は説明された。
 でもミルン氏のその声にはスコットランド人の強いアクセントが残っていると思うと云った。
 いずれにしても面白い機械で、機械にしてはよく喋る。
 一人のプリマドンナがそれに歌を吹き込み、日本人が日本語で叫んだ。
 ディクソン氏は高い声でそれが「ヨロシイキカイデアル」と吹き込んだ。
「何と云ったか分かりましたか?」
 私に向かって後でそんなことを聞いてきた。
 ディクソン氏は協会の書記なので、いろいろの方が話しかけるのを聞き終わってから、私たちは帰途についた。
 母が彼の腕によりかかり、私は母の横について歩いた。
 途中で付き添いのいないジェニーとガシーを追い越したが、彼女たちは心許ない様子であったし、ディクソン氏が真っ白の手袋を嵌めた手で私を人力車に助け乗せてくれるのを見て、幾分妬ましくも思ったようだった。
 ガシーが私の後ろに来て、私の腕に手をかけ「木曜日にね」と囁いた。
「帰途の旅は楽しかりき 月と星の輝く光は 幸福と安堵の光」
 夕食もまた楽しかったし、その後の時間も楽しかった。
 ディクソン氏が詩を読み、母は編み物をし、私は猫を撫でながら聞いた。
 ユーイング氏は、明日からお勤めが始まるので、準備をしなければならないため家には来なかった。

明治11年10月12日 土曜日 
 日記を書くのがどうにも遅れがちである。
 午前中はアニーと伊藤を教えることと、シェパード家でピアノの練習をするので一杯だ。
 この前行った時は、ミュラーの「落葉――秋の思い」という美しい曲を覚えた。
 午後は母のためにお使いに行くか、通訳するために一緒に出かけるしかなければならないので、書き物をしたり勉強したりする時間がない。
 特に夜は明かりがよくないため早く床に就くので、勉強も読書もあまりできない。
 そうそう、ランプといえば、父がこの間ひっくり返してしまい、油が綺麗なテーブル掛けに一面に流れてしまった。
 木曜日にはサットン家へテニスをしに行き、ヴィーダー家の人たちと私だけだったが、とても楽しかった。
 メイは行かなかった。
 ここ三日間、毎日ウィリイから手紙が来た。
 最後の手紙には天皇陛下のご訪問のことが書いてあった。
 ウィリイは陛下に紹介され、陛下の前で化学や物理の実験をいくつかお目にかけ、また盗難警報機をお見せした。
 ミカドは大いにご満足の意を表されたようだけど、しばらくして首相の岩倉公の方を振り向かれて云われた。
「よくわからない。説明を日本語にして貰ってくれ」
 そこでウィリイと生徒たちは英語をやめて日本語で説明した。
 天子様の御前でウィリイが無事任務を遂行できて嬉しい。
 ウィリイは彼が絶えず御前にぬかずいている「魂の王」のことを美しく書いて寄越す。
 どうか神様、彼の必要とする助けと力をお与え下さいますように。
 彼は母国語を聞くことのできるところへ帰ってきたいのだ。
 昨日私たちは子猫のことでとっても心配した。
 五時間も行方が分からなくなって私は目を泣き腫らしてしまった。
 結局、私の枕の下でぐっすり寝込んでいたのだけれど。
 それでもあまり嬉しくて私はまた泣いてしまった。
 元の飼主につけられた名前は「フロッシー・虎之助」という。
 しかし私たちは短くして「ビリー・グレー」、つまりディクソン氏の愛称で呼んでいる。
 全然話は変わるけれど、佐藤百太郎氏がアメリカ人の奥様を連れて帰国された。
「とんでもないことだ」
 富田氏はそう吐き捨てるように云われた。

明治11年10月16日 水曜日 
 今日は母、お逸、アディと私で横浜へ行った。
 良いお天気だったけれど、念のために厚い服を着て出かけた。
 お逸と私はヘップバン夫人のところへ昼食に招かれた。
 そこで姪御さんのリーナ・リートと知り合いになった。
 二十三歳のとても感じの良い方である。

明治11年10月17日 木曜日 
 今日母はアディと私を家に残して祈祷会に行った。
 私は伊藤と壮次郎の授業をした。その後ジョージ・パチェルダーが訪ねてきた。
 ついでトルー夫人とインブリー夫人が来られ、その後にウォデル夫妻とお子さん、ヘップバン夫人とミス・リートがみえた。
 千客万来な日だ。
 みんなお帰りになってやっと腰を下ろす。
 そして刺繍に取りかかった時に、ベルが鳴って今度はディクソン氏がやって来た。
 友人の若いユーイング先生と一緒に。
 ユーイング先生は開成学校で化学を教えている。
 客間に入って、長い間お喋りをした。
 子猫が部屋に入ってきて、とても利口な様子を見せた。
「こんな素敵な猫は見たことがない」
 お二人は口々にそう云った。特にディクソン氏は「僕の」猫と云いながら。
 だから私は猫の名前が「ビリー・グレー二世」となっていることを話さなかった。
 猫はユーイング先生の肩に飛び乗り、先生が喋っている間、好奇心を見せて口の中を覗き込んだ。
 ついで神学者ディクソン氏の膝に乗り、リスのようにちょこんと坐った。
 お二人の訪問はとても楽しかった。
 特にユーイング先生は感じの良い方で先生と私とで主に喋った。
 六時頃にお帰りになり、入れ違いに母が帰ってきた。

明治11年10月18日 土曜日 
 どうやら風邪を引いてしまったらしい。
 今日は一日中ベットで寝ていたので別に何も書くことがない。
 ただ私がひどく不機嫌だったことと、お逸がお見舞いに二階まで上がって来たことだけである。

明治11年10月19日 土曜日 
 昨日がウィリイの誕生日だったので、贈り物の箱を作っている。
 フジの主人が綺麗なバースデイ・ケーキを作ってくれたのだ。
 風邪の症状が出てから三日間も家に閉じこもっているがまだよくならない。
 なんとか起き上がって、せっせと刺繍をし、アディが美しいフランス王妃、ユージェニーの伝記を読むのを聞いた。
 その伝記はとても面白い。
 もう夜だけれど、私の風邪は悪化しただけだ。
 ここで日記にさよならを云い、過ぎ去ろうとしているこの週にも別れを告げる。

明治11年10月21日 月曜日
 昨日は風邪もだいぶよくなったので、家族と一緒に礼拝に出かけた。
 ウォデル先生の説教は「克己」についてのもので素晴らしかった。
 午後富田夫人がみえ、森有恕老先生は病状が悪化し、もう長くないと思われていることを知らされた。
 富田夫人は変わった方だ。
 私の猫がお気に召したらしく、こんなことを云った。
「地上における最上の幸福は、一日中おいしいお菓子やアイスクリームを食べ、二、三匹の子猫と遊ぶ以外に何もすることがない状態だ」
 それも時にはいいだろうけれど、私だったらより高いものを求める。
 今朝森氏がみえて、父上が赤痢で重態であると云われた。
 母上である里さんも中風で苦しんでおられる。
 父上が亡くなったかと思われた時には、彼女も死にたいと思われたそうだ。
 でも心を取り直し、こう云われたそうだ。
「今死んではならない。私が死んだら息子に面倒がかかり過ぎる。少なくとも半年は主人より長生きしなければならない」
 有礼氏が面倒を見なければならない人が実に大勢いる。
 ご自分の奥様とお子さんの他に、亡くなった二人のご兄弟の家族が合計五名、ご両親、奥様のご家族、その他に居候が大勢いる。
 外務大輔として相当の棒給を貰っておられるが、大金持ちというのではない。
 でも“格”を保つために衣装、家具、骨董品などに沢山お金をかけざるを得ない。
 今朝ダイヴァーズ夫人のところへ洋服屋のことをききにいったら、横浜の修道院<フランス系>の学校に行っていたエラが帰ってきていた。
「横浜の学校はいいですか?」
 そう聞いたら「お母さんが一緒だったらもっといいのに」と答えた。
「同年齢の子供は他にいないの?」
「二人しかいなくて、二人ともとても意地悪なの」
 夫人が説明のために口を挟まれた。「二人とも日本人の子なの」と。
「大山巌中将の奥様である沢子さんが家で勉強したいと仰っている」
 帰宅後、森氏にそう伝えられた。
 ウィリイが金沢で大山中将にお会いしたのだそうだ。

明治11年10月22日 火曜日
 夕べ裏の門をどんどんと叩いて、何か大声で叫んでいる声に目を覚まされた。
 はじめは怖かったけれど「郵便」という言葉が聞き取れたので、父に下へ行って郵便を受け取るようにと頼んだ。
 とんでもない時間にやってきたのはアメリカからの手紙を配る郵便屋だった。
 勿論そうなると手紙を読み、新聞に目を通すことになる。
 お祖父さんが亡くなってから、父に手紙を寄越す人はいないので、手紙は母と私が独占した。
 母にはワード先生やフィッツジェラルド夫人その他から、用事の手紙や宗教に関する手紙が来た。
 私はメアリ・チェディスターからの手紙を受け取った。
 新聞がたくさん来たし、叔母さんから楽譜が二冊来た。
 今日はライト夫人のところへお使いに行った。
 ハーヴィット家におられるが病気が重く、ドーニッツ先生によれば「もう長くない」ということだけれど、見たところはそれほど重病には見えない。
 赤ちゃんがそばの椅子に立っていたが、小さい手を握ったままお母さんの方に差し出して何か云った。
「どうしたの、ラミーちゃん?」
 ライト夫人は宥めるような優しい声で云って、開いた手を差し伸べられた。
 するとラミーはお母さんの手の上に、自分の服から引きちぎった沢山のボタンを落とした。
「なんてことするの。悪い子!」
 お母さんは腹を立て、そう子供を叱りつけた。

 夕方巧木氏という日本人がみえて、夕食までいた。
 六年前にアメリカで会った人である。
 アメリカでドリュー神学校のキダー先生が、私たちに紹介したのだ。
 彼はまたハケッツタウン神学校で、ジョージ叔父さんのところにもいた。
 それからボストンに行き、アメリカに十年はいる予定だった。
 彼は丹後の大名で大金持ちで、東京に百万エーカーの土地を持っている。
 他の留学生はみんな政府のお金で派遣されるのだけれど、朽木氏は自費だった。
 宗教に熱心で、宣教師になるつもりであったそうだが、この計画は中断してしまう。
 オーシャングローブで、セアラ・タイラーという平凡な女性に巡り会って結婚してしまったのだ。
 彼女を迎える準備を整えるために、彼は三ヶ月ほど前に帰国した。
 しかし、年とった父上が大層立腹し、即座に勘当して、姓を名乗ることを禁じ、平民にならざるを得ないようになった。
 彼は今や八方塞がりである。
 最早「大金持ちの朽木」ではなく「貧しい本荘」であり、気むずかしいアメリカ人の妻は彼に呼び寄せられ、丹後のお妃になるのを待っている。
 本当のことが分かった時、彼女はどんなに失望するであろう。
 でも私も賢明な母親に恵まれていなかったら、彼女と同じ窮地に立たされていたかも知れない。
 朽木氏は母を相談相手にして、どうしたら良いかと尋ねた。
 彼は妻を軽蔑している様子で、溜息混じりにこう云った。
「彼女は結婚してからすっかり変わってしまった」
 もっとも、それも驚くべきことではない。
 彼はアメリカに帰って、働いてなんとか奥さんを養うつもりである。
 しかしせいぜい週給十ドルくらいしか取れない。
 彼には同情するけれど、彼女には同情しない。
 母はその女の人をよく覚えているのだ。
 野心家で、夫を掴まえようと思って、よく野外集会などにやってきていた女性なのだ。
 そんな女に騙された朽木氏は気の毒なものだ。
 佐藤百太郎氏も同じような羽目にあるけれど、彼の妻は奔馬性肺結核であと三ヶ月と生きられないと医者が云っている。
 朽木氏は明日アメリカに向けて出発し、期待して待っている妻のもとに帰る。
 お幸せに!

明治11年10月23日 水曜日 
 一日中雨だったが、忙しくてそれさえ気付かないほどだった。
 母は今夜自分の口座に入れて貰うよう、八五〇ドルの銀行小切手をシモンズ先生に渡した。
 私はブルースさんのための小包を作り、リビーおばさんのためにも作った。
 それから美しいサインと詩に対するお礼の手紙をビンガム公使に書き、朽木氏に紹介する手紙をビンガムご夫妻宛に書いた。
 今夜父と母がビンガム公使に用があるというので、私も一緒に築地へ出かけた。
 公使はとても親切でお父さんのようであり、私のお祖父さんにそっくりに思えた。
 はじめ公使夫人は、荷造りに忙しくて誰にも会えないと云われたが、やがて私たちが来ていると聞いて、会いに下りて来られた。
 夫人はいろいろ親切な言葉をかけて下さった――特に母や私に対して。
 私たちのことを心から愛してくださっていると思う。
 今朝皇后様から頂いたというう白とピンクのお菓子を出してくださった。
 しばらくお話ししているうちに、ホートン夫妻が入って来られたので、私たちはお暇した。
 公使はやさしく別れの言葉を述べられた。
「五ヶ月後にまたお会いしましょう」
 夫人は戸口まで見送って下さって、涙とキスと握手のうちにお別れし、胸が塞がる思いで帰ってきた。
 外は冷たい風の吹く寒い夜だったので、私たちはもう一台の人力車を雇い、雨と風と霧の中を帰って来なければならなかった。

明治11年10月24日 木曜日 
 今日ビンガム夫人のところへ持って行くものを朽木氏に渡すため、彼のところへ行ったが留守だった。
 横浜に行ったとのことだった。
 船が明日未明に出発するのだと云いながら、夜の八時に彼は駅へ駆けつける途中で立ち寄った。
 友人を一人連れてきたが、飯島という人だった。
「飯島氏のお母様を是非訪ねてあげて下さい」
 朽木氏は私にそう云った。お母様は大名の奥方である。

【クララの明治日記  超訳版解説第59回】
「朽木氏、お気の毒に……」
「朽木氏といってもピンと来ない人が多いだろうけれど、福知山の大名家ね。
 大名として二百五十年の歴史を誇るこの一族が一番有名になったのは“関ヶ原の戦いで、西軍を裏切った瞬間”かな? 後は“古銭マニアな蘭学者殿様。但し藩主としての実績はほぼゼロ”みたいな」
「随分と悪意ある紹介ですわね。朽木家の記録を調べた方がいるそうですけれど、書類上“この朽木氏”は本当に“最初からこの世にいなかったこと”になっているそうですわよ。徹底していますわね」
「武士の世界の正真正銘の“勘当”ってそういうものよ。メイの国でも似たようなものだと思うけど」
「……わたくしの出身国の場合、ある意味でもっと凄い扱いになりますけれどもね」
「今週分で地味ながら、意外と興味深いのは蓄音機の公開かな?」
「蓄音機っていつ発明されたのでしたっけ? 丁度この時期ではなかったのかしら?」
「wikiによると、1875年になってるね。開発されてから僅か3年で日本に上陸しているわけで、これって結構凄いことかも?」
「もっともそれを云えば、電話だってそうですわよ。
 日本とアメリカ間が僅か三十日足らず。加えて明治初期にはかなり大量の留学生がアメリカ、ヨーロッパの各地にいたことからしても、それほど不思議な話ではありませんわね」
「もっともその留学生たち、相当数は質が悪く、世界各地でトラブルを起こしたということで、ある時期に一斉に国内に呼び戻されたことがあったんだけどね。大名家や家老格の家とか、相当数送り込んだらしいんだけど」
「後の歴史から見ると、大名家の跡継ぎが留学して大成した例って殆ど無いようですわね。僅かに軍部で出世した方がいるくらいで」
「だね。政治家として大成したと云えるのは、クララの日記にも登場した徳川家後継者の徳川家達公と、大名じゃないけれど華族の西園寺公望公だけ? 原敬は家老格の家の出身だけど、留学していたのとは違うし、家柄関係なく一人で這い上がった感じだし」
「徳川家達は政治家として大成したというより、丁度良い“御輿”だった、という感じがするのだけれど。実際に打診があっても、結局首相就任を断ってしまったのでしょう?」
「ま、御輿であることが明治以降の徳川家の“正しい在り方”だったとは思うんだけどね。
  さて、今回はこんなところで。次回は遂にクララの明治日記登場人物で“最も愉快な彼女”の登場となります」
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