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クララ、カミングス嬢と逢い引きするのこと
ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版第61回 クララ、カミングス嬢と逢い引きするのこと
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前回に引き続きの登場は、クララの明治日記、最大の愉快キャラ、ミス・ゴードン・カミングス。
明治11年11月1日 金曜日
今日、私はもう一度みんな招いてちょっとした会を開いた。
ジェニー、ガシー、ユウメイ、ジョージたちがみんな集まった。
ヴィーダー一家は来週の日曜日に出発することになっているのだ。
ガシーたちが行ってしまうと寂しくなる。
明治11年11月2日 土曜日
今朝、何をしようかと考えているところへ、玄関の銅鑼が鳴った。
「とてもよいお天気だから写生に行こう!」
ミス・ゴードン・カミングスが入って来たのだ。
彼女はダイアー夫人の馬車に乗って来ていたので、私たちはその馬車で麹町の方へ出かけた。
途中お堀のところで止まって、濃淡さまざまの緑や茶色の松や杉の木が生えている美しい芝生に覆われた土手を写生した。
凄い人だかりがしたけれど、全然平気だった。
私はせっせと彼女のために鉛筆を削る役目を負わされていたからだ。
その後でまた馬車に乗り、水道橋からの景色を描くために九段の方へ行った。
「ああ、マッタマッタ! ストップ!」
しかし、ミス・ゴードン・カミングスはそう叫んで途中で馬車を止めさせた。
そしてそのままお堀の内側の綺麗な道に入っていき、草の生えた土手の一番上まで行ってしまう。
何故か必死に制止する御者の声も右から左に聞き流し「わたしが写生する間、そこで待っているように!」と言いつけた。
御者の顔がみるみる間に真っ青になっていく。
不思議に思って理由を問いただすと、御者は巡査に見つかることを恐れていたのだ。前に巡査と一悶着あった経験があるらしい。
「なんとかして、あそこに上らないように彼女を説得してくれ」
彼は滑稽なほど低姿勢で私に懇願した。
でも、誰が何と云っても効果なんてない。なにしろ相手は“ゴーゴン”なのだから。
結局御者は手綱を握り、巡査がみえると私は道端の花を摘んでいるようなふりをした。
しかし、二人目の巡査をなんとかかわした次の瞬間、とんでもないことに思い至った。
(これは大久保利通卿の暗殺者たちが、相手が近づいた時に用いたのと同じ手口だ!)
私は慌てて花を摘むのをやめて車に戻り、巡査の注意は他の方法でそらすことにした。
しばらくして彼女が馬車の席に戻ってきた時には心底ホッとした。
それから水道橋に出て、ついでに菊の展示会が始まっている団子坂に出た。
狭い通りの入口で車を降り、展示会まで歩いた。
今年はとても美しく展示されていて、例年よりずっとよかった。
最初の庭で見たのは茶摘み女と男がお茶の葉を摘んでいる姿。女の一人は髪にお茶の花を一輪さしていた。
その他には宮廷の場面や弁天様や大きな魚、月下の殺人場面などがあった。
ちょっと引っ込んだ場所には一面に提灯をつけた屋形船があって、その船尾に男と女――女は芸者――がおり、男は煌めく刀を振り上げて恋人である彼女をまさに殺そうとしている場面であった。
非常に上手に作られた情景が沢山あり、菊の葉や蕾を使った衣装が特に美しかった。
私たちの側を通りかかったた小さい女の子が、道を教えてくれてた。
「お姉さん、年はいくつ?」
私が18歳だと答えると女の子は「あら!」と云った。
彼女の年は十二ということだったけれど、あまりに小さいので、こちらの方が吃驚した。
「おんぶしている赤ちゃんはいくつなの?」
彼女の連れている赤ちゃんの年を聞くと、一歳で名前は「岩」だと教えてくれた。
その後もミス・ゴードン・カミングスは男っぽい仕草で人々を驚かせた。
十銭を崩してもらって大きい重い銅貨ばかり渡されると、
「軽いのがいいや」
そう云って銭箱をひっつかみ、自分で好きな貨幣を選んでとった。
その次に上野に行き、木の下で一口食べてから写生するものを探した。
「ちょ、ちょっと! 何をなさるおつもりですか!?」
ミス・カミングスが突然お茶屋の前に置いてある大きいベンチを掴んだ。
そしてそのまま石段の上に持って行くと
「クララはそこに坐って楽にしていなさい」
「………………」
私はミス・カミングスの心遣いに応えようと努力した。
努力はしたのだけれど、群衆が集まってきて、楽どころかとても居づらくなった。当たり前のことだけれど。
もっとも鉛筆を削って現実逃避していられる間だけはまだましだった。
そう、鉛筆削り以外にも私には重大な使命が与えられていた。
私は綺麗な着物を着た女の子を何度も側に呼んだ。
要するに、子供たちが絵描きさんの近くへ行かないようにするのが私の役目だったのだ。
そのうち学生服を着た青年が近づいてきた。
私が英語で云ったことに一々笑っていたから、英語を勉強しているらしいと思った。
この推測は正しかった。やがてとても上手な英語で喋りだし、でも私が日本語を解すると分かると、だんだん日本語になっていった。
彼の名前は羽田といい、麹町のどこかに住んでおり、以前小石川で勉強していたとのこと。
感じのよい青年だった。
次に見栄えのしない男性が近づいてきた。
「おお、長年探し求めていたものを遂に見つけたぞ! 女の絵描きだ!」
手を握り合わせ、男は昂奮を隠しきれぬ声で叫んだ。
彼は真っ赤な顔をしていた。
けれど最初私は、段々を上ってきたせいだろうと思った。そっちの方角から姿を現したので。
彼はお喋りで、でもいろいろ喋っているうちに話し方がおかしいことに気付いたけれど、 それでもはじめは何処か遠くの地方の人なのかと思った。
「もうミス・カミングスはお帰りになりますから」
そういう話をしたら、突然私の手を両手で握ってきた。
そして拝むようにその上に頭を下げると「どうか帰らないように」と私に懇願した。
私は驚いて怒った目つきをし、顔を赤くして手を引っ込め、その場を離れた。
「気をつけた方が良いですよ。酔っぱらっていますから」
羽田さんがそう囁いて注意を促してくれた。
しかし酔っぱらいの老人が仲直りの印として、懐から虫食いの木の葉や柳の小枝を取り出した時にはおかしくなった。
羽田さんを私たちの従者とみたらしく、羽田さんが怒っていると思って古い豆を差し出し、こう云った。
「食べてごらん。身体にいいよ」
羽田さんが断ると、老人はうあろうことかミス・カミングスの方にそれを持って行った。
「歯が悪くても大丈夫」
「大馬鹿者ッ!」
当然の事ながら、ミス・カミングスはすっかり腹を立て一喝した。
ミス・カミングスは勿論、私もまったく取り合わないので酔っぱらいは困り果てたらしい。
「後でお茶屋に行くのだったら、代金の半分持ってもよいのだが」
言下に私たちが断ると、老人は近くの茶屋に向かっていった。
「それではご婦人が絵を描き終わるのを待つとしよう。その後でみんなでちょっと一服すればいいのだからな。ああ、酒は飲んでもお猪口に一杯だけだから大丈夫」
独り言のようにそう云って老人は立ち去った。
で、結局その後でお茶屋を覗いてみたら、老人は煙草盆と急須の横で床の上にぐっすり眠っていて、私たちが行ってしまうまでそこにいた。
滑稽な老人だったけれど、ミス・カミングスは「馴れ馴れしい」と云った。
五時に紙挟みと鉛筆箱を片付けて家路についたけれど、その前に池の中の弁天様に寄った。
それから人力車を雇って帰ってきた。馬車は上野から返してしまったのである。
私はすっかり疲れてしまい、それ以来足が痛い。
でも滑稽なことがあったから埋め合わせになる。
母は今日アディと横浜へ行った。
明治11年11月4日 月曜日
ウィリイから長いこと便りがなくて心配していたけれど、土曜日に手紙が来て安心した。
ジェニーとガシーがさよならを云いに来た。
午前中にミス・カミングスを訪ねてみたら、せっせと骨董品の荷造りをしていた。
相当の高価なコレクションができている。
ミス・カミングスは箱が小さすぎると怒っていた。
「チッ、いまいましい!」
そう怒鳴ったと思ったら一転、私の方を向いて優しい声で一言。
「いい子ちゃん、あんたは悪い言葉を使っちゃ駄目だぜ♪」
そのまま午前中ずっと写真を買うのを手伝わされた。
そしてそのあと店の人に手伝わせて分類し、数を数え、名前を記入した。
店の主人がお礼に五、六枚くれた。一枚二十五セントも三十セントもするものだから沢山のお礼を貰ったことになる。
浅草の内田写真館から来た人で、とても良い人だった。
「もっと良い写真を持って来なかったことに対して文句を云え」
私は厭だったけれど、ミス・カミングスは私にそう言い付けた。
口調から云って、きっと冗談だとは思ったけれど。
「お昼を一緒にどうだい?」
一通り片づいてからそう誘われたけれど、私はそうしてはいられなかった。
午後から、使用人を探しに築地へ行かねばならないのだ。
というのはフジが「お父さんの世話をするため」と云って帰ってしまい、家には誰もいなくなってしまったのだ。
【クララの明治日記 超訳版解説第61回】
「相変わらずの男前だよねぇ、カミングス嬢は」
「人には個性という物があって、それをどうこういうつもりはないのですけれども、流石に『チッ、いまいましい!』というのはレディとしてどうなのです?
英語の原文の方はどうなっていますの? やはり“神を罵る台詞“なのです?」
「それが残念ながら、出版されている英語バージョンにはこの日の記述がないんだよねぇ」
「……まさか“出版できないような台詞”が綴ってあったんじゃないでしょうね?」
「11月2日分の日記もカットされているから、単純にページ数の関係で削られただけだとは思うんだけどね。それにしても、原本に近い英語版の方がずっと省略が多いのは資料的価値としてはどうなのかと」
「まだ“たった百年しか”経っていないので、原文そのままを公開できないとしても、当たり障りのないところは公開して貰いたいものですわ」
「そうそう、後世の歴史家のためにもねー」
「……それはその通りだと思いますけれども、どこぞの誰かの“伝奇SFネタとして利用したい”という極めて個人的願望に基づくような気がするのですけれども?」
「気のせい気のせい! さて、本日分の解説だけども」
「解説もなにも“カミングス嬢、好き放題に生きる!”だけでしょうに、今回も?」
「ところがどっこい。団子坂の菊人形展の話だの、内田写真館の1878年時点の様子だの、実は風俗史的にはさりげなく重大なことを書いてあるんだよねぇ、本当にその手の専門家にしか意味がない知識だけど。
あと大久保利通卿暗殺の件とかだと、当時の人たちの一般認識が分かったり」
「当時の人々の“生の姿、生の認識”が分かる、というのがクララの日記の意義深いところですわね、確かに」
「さて、二回に渡ったゴードン・カミングス嬢編はいったん終了になります。残念だけど」
「もう一度、彼女には出番がありますけれども、しばらく先ですものね」
「次に彼女が登場する時は、意外な超有名人のパーティー会場になのますので、それが誰かも気長にお楽しみに!」
明治11年11月1日 金曜日
今日、私はもう一度みんな招いてちょっとした会を開いた。
ジェニー、ガシー、ユウメイ、ジョージたちがみんな集まった。
ヴィーダー一家は来週の日曜日に出発することになっているのだ。
ガシーたちが行ってしまうと寂しくなる。
明治11年11月2日 土曜日
今朝、何をしようかと考えているところへ、玄関の銅鑼が鳴った。
「とてもよいお天気だから写生に行こう!」
ミス・ゴードン・カミングスが入って来たのだ。
彼女はダイアー夫人の馬車に乗って来ていたので、私たちはその馬車で麹町の方へ出かけた。
途中お堀のところで止まって、濃淡さまざまの緑や茶色の松や杉の木が生えている美しい芝生に覆われた土手を写生した。
凄い人だかりがしたけれど、全然平気だった。
私はせっせと彼女のために鉛筆を削る役目を負わされていたからだ。
その後でまた馬車に乗り、水道橋からの景色を描くために九段の方へ行った。
「ああ、マッタマッタ! ストップ!」
しかし、ミス・ゴードン・カミングスはそう叫んで途中で馬車を止めさせた。
そしてそのままお堀の内側の綺麗な道に入っていき、草の生えた土手の一番上まで行ってしまう。
何故か必死に制止する御者の声も右から左に聞き流し「わたしが写生する間、そこで待っているように!」と言いつけた。
御者の顔がみるみる間に真っ青になっていく。
不思議に思って理由を問いただすと、御者は巡査に見つかることを恐れていたのだ。前に巡査と一悶着あった経験があるらしい。
「なんとかして、あそこに上らないように彼女を説得してくれ」
彼は滑稽なほど低姿勢で私に懇願した。
でも、誰が何と云っても効果なんてない。なにしろ相手は“ゴーゴン”なのだから。
結局御者は手綱を握り、巡査がみえると私は道端の花を摘んでいるようなふりをした。
しかし、二人目の巡査をなんとかかわした次の瞬間、とんでもないことに思い至った。
(これは大久保利通卿の暗殺者たちが、相手が近づいた時に用いたのと同じ手口だ!)
私は慌てて花を摘むのをやめて車に戻り、巡査の注意は他の方法でそらすことにした。
しばらくして彼女が馬車の席に戻ってきた時には心底ホッとした。
それから水道橋に出て、ついでに菊の展示会が始まっている団子坂に出た。
狭い通りの入口で車を降り、展示会まで歩いた。
今年はとても美しく展示されていて、例年よりずっとよかった。
最初の庭で見たのは茶摘み女と男がお茶の葉を摘んでいる姿。女の一人は髪にお茶の花を一輪さしていた。
その他には宮廷の場面や弁天様や大きな魚、月下の殺人場面などがあった。
ちょっと引っ込んだ場所には一面に提灯をつけた屋形船があって、その船尾に男と女――女は芸者――がおり、男は煌めく刀を振り上げて恋人である彼女をまさに殺そうとしている場面であった。
非常に上手に作られた情景が沢山あり、菊の葉や蕾を使った衣装が特に美しかった。
私たちの側を通りかかったた小さい女の子が、道を教えてくれてた。
「お姉さん、年はいくつ?」
私が18歳だと答えると女の子は「あら!」と云った。
彼女の年は十二ということだったけれど、あまりに小さいので、こちらの方が吃驚した。
「おんぶしている赤ちゃんはいくつなの?」
彼女の連れている赤ちゃんの年を聞くと、一歳で名前は「岩」だと教えてくれた。
その後もミス・ゴードン・カミングスは男っぽい仕草で人々を驚かせた。
十銭を崩してもらって大きい重い銅貨ばかり渡されると、
「軽いのがいいや」
そう云って銭箱をひっつかみ、自分で好きな貨幣を選んでとった。
その次に上野に行き、木の下で一口食べてから写生するものを探した。
「ちょ、ちょっと! 何をなさるおつもりですか!?」
ミス・カミングスが突然お茶屋の前に置いてある大きいベンチを掴んだ。
そしてそのまま石段の上に持って行くと
「クララはそこに坐って楽にしていなさい」
「………………」
私はミス・カミングスの心遣いに応えようと努力した。
努力はしたのだけれど、群衆が集まってきて、楽どころかとても居づらくなった。当たり前のことだけれど。
もっとも鉛筆を削って現実逃避していられる間だけはまだましだった。
そう、鉛筆削り以外にも私には重大な使命が与えられていた。
私は綺麗な着物を着た女の子を何度も側に呼んだ。
要するに、子供たちが絵描きさんの近くへ行かないようにするのが私の役目だったのだ。
そのうち学生服を着た青年が近づいてきた。
私が英語で云ったことに一々笑っていたから、英語を勉強しているらしいと思った。
この推測は正しかった。やがてとても上手な英語で喋りだし、でも私が日本語を解すると分かると、だんだん日本語になっていった。
彼の名前は羽田といい、麹町のどこかに住んでおり、以前小石川で勉強していたとのこと。
感じのよい青年だった。
次に見栄えのしない男性が近づいてきた。
「おお、長年探し求めていたものを遂に見つけたぞ! 女の絵描きだ!」
手を握り合わせ、男は昂奮を隠しきれぬ声で叫んだ。
彼は真っ赤な顔をしていた。
けれど最初私は、段々を上ってきたせいだろうと思った。そっちの方角から姿を現したので。
彼はお喋りで、でもいろいろ喋っているうちに話し方がおかしいことに気付いたけれど、 それでもはじめは何処か遠くの地方の人なのかと思った。
「もうミス・カミングスはお帰りになりますから」
そういう話をしたら、突然私の手を両手で握ってきた。
そして拝むようにその上に頭を下げると「どうか帰らないように」と私に懇願した。
私は驚いて怒った目つきをし、顔を赤くして手を引っ込め、その場を離れた。
「気をつけた方が良いですよ。酔っぱらっていますから」
羽田さんがそう囁いて注意を促してくれた。
しかし酔っぱらいの老人が仲直りの印として、懐から虫食いの木の葉や柳の小枝を取り出した時にはおかしくなった。
羽田さんを私たちの従者とみたらしく、羽田さんが怒っていると思って古い豆を差し出し、こう云った。
「食べてごらん。身体にいいよ」
羽田さんが断ると、老人はうあろうことかミス・カミングスの方にそれを持って行った。
「歯が悪くても大丈夫」
「大馬鹿者ッ!」
当然の事ながら、ミス・カミングスはすっかり腹を立て一喝した。
ミス・カミングスは勿論、私もまったく取り合わないので酔っぱらいは困り果てたらしい。
「後でお茶屋に行くのだったら、代金の半分持ってもよいのだが」
言下に私たちが断ると、老人は近くの茶屋に向かっていった。
「それではご婦人が絵を描き終わるのを待つとしよう。その後でみんなでちょっと一服すればいいのだからな。ああ、酒は飲んでもお猪口に一杯だけだから大丈夫」
独り言のようにそう云って老人は立ち去った。
で、結局その後でお茶屋を覗いてみたら、老人は煙草盆と急須の横で床の上にぐっすり眠っていて、私たちが行ってしまうまでそこにいた。
滑稽な老人だったけれど、ミス・カミングスは「馴れ馴れしい」と云った。
五時に紙挟みと鉛筆箱を片付けて家路についたけれど、その前に池の中の弁天様に寄った。
それから人力車を雇って帰ってきた。馬車は上野から返してしまったのである。
私はすっかり疲れてしまい、それ以来足が痛い。
でも滑稽なことがあったから埋め合わせになる。
母は今日アディと横浜へ行った。
明治11年11月4日 月曜日
ウィリイから長いこと便りがなくて心配していたけれど、土曜日に手紙が来て安心した。
ジェニーとガシーがさよならを云いに来た。
午前中にミス・カミングスを訪ねてみたら、せっせと骨董品の荷造りをしていた。
相当の高価なコレクションができている。
ミス・カミングスは箱が小さすぎると怒っていた。
「チッ、いまいましい!」
そう怒鳴ったと思ったら一転、私の方を向いて優しい声で一言。
「いい子ちゃん、あんたは悪い言葉を使っちゃ駄目だぜ♪」
そのまま午前中ずっと写真を買うのを手伝わされた。
そしてそのあと店の人に手伝わせて分類し、数を数え、名前を記入した。
店の主人がお礼に五、六枚くれた。一枚二十五セントも三十セントもするものだから沢山のお礼を貰ったことになる。
浅草の内田写真館から来た人で、とても良い人だった。
「もっと良い写真を持って来なかったことに対して文句を云え」
私は厭だったけれど、ミス・カミングスは私にそう言い付けた。
口調から云って、きっと冗談だとは思ったけれど。
「お昼を一緒にどうだい?」
一通り片づいてからそう誘われたけれど、私はそうしてはいられなかった。
午後から、使用人を探しに築地へ行かねばならないのだ。
というのはフジが「お父さんの世話をするため」と云って帰ってしまい、家には誰もいなくなってしまったのだ。
【クララの明治日記 超訳版解説第61回】
「相変わらずの男前だよねぇ、カミングス嬢は」
「人には個性という物があって、それをどうこういうつもりはないのですけれども、流石に『チッ、いまいましい!』というのはレディとしてどうなのです?
英語の原文の方はどうなっていますの? やはり“神を罵る台詞“なのです?」
「それが残念ながら、出版されている英語バージョンにはこの日の記述がないんだよねぇ」
「……まさか“出版できないような台詞”が綴ってあったんじゃないでしょうね?」
「11月2日分の日記もカットされているから、単純にページ数の関係で削られただけだとは思うんだけどね。それにしても、原本に近い英語版の方がずっと省略が多いのは資料的価値としてはどうなのかと」
「まだ“たった百年しか”経っていないので、原文そのままを公開できないとしても、当たり障りのないところは公開して貰いたいものですわ」
「そうそう、後世の歴史家のためにもねー」
「……それはその通りだと思いますけれども、どこぞの誰かの“伝奇SFネタとして利用したい”という極めて個人的願望に基づくような気がするのですけれども?」
「気のせい気のせい! さて、本日分の解説だけども」
「解説もなにも“カミングス嬢、好き放題に生きる!”だけでしょうに、今回も?」
「ところがどっこい。団子坂の菊人形展の話だの、内田写真館の1878年時点の様子だの、実は風俗史的にはさりげなく重大なことを書いてあるんだよねぇ、本当にその手の専門家にしか意味がない知識だけど。
あと大久保利通卿暗殺の件とかだと、当時の人たちの一般認識が分かったり」
「当時の人々の“生の姿、生の認識”が分かる、というのがクララの日記の意義深いところですわね、確かに」
「さて、二回に渡ったゴードン・カミングス嬢編はいったん終了になります。残念だけど」
「もう一度、彼女には出番がありますけれども、しばらく先ですものね」
「次に彼女が登場する時は、意外な超有名人のパーティー会場になのますので、それが誰かも気長にお楽しみに!」
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