上 下
91 / 123
クララ、五十年後の日本経済界のドンと遭遇するのこと

ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版第78回  クララ、五十年後の日本経済界のドンと遭遇するのこと

しおりを挟む
 今回分は「筑前黒田家訪問」「日曜学校の説教で想起したクララの思い出」、そして「日本経済界のドン(五十年後)との遭遇!」な話がメインとなります。

明治12年5月8日 木曜日
 約束通り午後二時に松平氏がみえた。
 赤坂福吉町にある、筑前の殿様である叔父の黒田長溥氏の家へ連れていって下さる約束なのだ。
 黒田氏の広大な屋敷は勝氏の大門からヤマト屋敷の近くの麻布谷町まである。
 大きな白い門を通って、鉄の門のところで車を降り、中に入っていくと、白い長い髭を生やした上品な老人が迎えに出て来られた。
 孫息子である長成氏と二言三言話すと、丁寧にお辞儀。
「お招き有り難うございました」
「いえいえ、こんな汚い家に来て頂いて嬉しい限りです」
 日本では“お約束”のやりとりをして、中に招じ入れられる。
 この家は日本の家にしては、とてもヨーロッパ風だ。
 広い石のポーチを通って中に入ると大きな広間になっていて、右手には瀟洒な家具の入った応接間。
 左手奥には階段があり、その下には袴姿の厳めしい家来たちの使う部屋がいくつかあった。
 応接間でしばらく話をした後、二階を見たいかと尋ねられ、異存はなかったので案内して頂いた。
 最初の踊り場には狭い窓がついていて、深い窓枠の上には美しい大理石の台と花の入った花瓶が置いてあった。
 紫の絹のカーテンが掛けてあり、紫と金の重い房がついていた。
 廊下には本棚。
 マーク・トゥエインや『ニューヨークの光と影』。
 そんな有名なアメリカの文学作品もかなり混じっていた
 私たちの通された客間は下のと同じように素晴らしかった。
 しかし、いくつか家庭的――展示場のような黒田邸にこういう言葉が使えるとしたら――だった。
 美しい家具や珍しい日本の骨董の他に、油絵がいくつか掛かっていた。
 その中の一つは日本に一度も来たことがないイタリアの画家に描かせた大変写実的な日本茶屋の絵が。
 でも、あれ? 何処かで見たような……と思ったら、同行していたアディが叫んだ。
「分かった! マーシャル氏の誘ったピクニックで、ダイヴァーズ夫人がスプーンを落とした二階のバルコニーだ!」
 なるほど、これは王子の扇屋だ。
 確認してみると、はたして扇屋の写真を見て描いたものだった。

 この二階の美しい部屋のバルコニーからは周囲の景色が見晴らせ、汚らわしい町は、緑に囲まれた周りの屋敷の中に隠れてしまったのか、素晴らしい眺めだった。
 景色を眺めたり、同じイタリアの画家がクレヨンで描いた黒田氏や二人のお孫さんの肖像画、その他の美しいものを鑑賞した後、公ご自慢の庭を見に下に下りた。
 藤棚の美しい富士は富士山の形に仕立ててあり、実に見事だった。
 植えてある木の名前は半分も分からなかったが、ミス・ビーチズの庭にあるのと丁度同じような泰山木や、本物の「シュラブ・ツリー」があった。
 シュラブ・ツリーはいつ見ても綺麗だが、移植したせいで白っぽかった。
 それから野鴨を捕まえる場所に連れていかれた。
 季節になると川の蕎麦の小さい番小屋に人がいて、覗き穴から鳥が来るのを見張っており、少し離れた猟番に合図する。
 すると長い柄のついた網を持って土手の後ろから幾人も不意に飛び出して、鳥を捕まえるのだ。
 黒田氏が鷹狩りに使う二羽の鷹も見た。
 背中は美しい淡い黄茶で、羽先は白く、胸はチンチラのように黒と白の混じった色をした気高い姿の鳥で、鋭い目は黄色に光っていた。
 私たちの後から鷹匠が、足に長い絹紐を結びつけた一羽の鷹を、手に乗せて運んで来た。
「昔は雀を食べさせていたので、鷹を飼うのはとても難しかったのですがね、今は肉を食べさせています」
 松平氏がそう説明して下さった。
 番小屋は床がセメント、壁と天井は葦簀張りの長い小屋で、かなり大きな部屋が二間あるきりだった。
 一部屋には中央に深い囲炉裏があって、天井から下がった長い鈎の手に鉄瓶がかけてあった。
 周りには植木屋の道具がずらりと並んでいたが、全体にとても居心地がよかった。
 戸口には見事な葡萄の日除けがあり、その先は柔らかな芝生で、日光がキラキラ踊っていた。
 この小さな小屋で、殿様の周りに蹲っている家人たちの姿は絵のようにロマンチックで、 黒田邸ではここが一番綺麗だと私は思った。
 それから花壇に行き、薔薇やその他の花を見たり、四フィートはたっぷりある真っ赤な冠と黒い尻尾の見事な鶴を見たりした。
 黒田氏はとてもよい養鶏場を持っておられ、見事な七面鳥の雌がいた。
「日本での暮らしは如何ですか?」
 花壇で会った青年にそう問いかけられた。
 彼はアメリカに七年留学していて、ボストンに住んでいたという。
 私たち家族が日本でとても親切されていることを伝えると、本当に嬉しそうに云った。
「それは良かった。私もアメリカでは大変親切にして頂きましたから」
 彼の名は團琢磨といい、とても良い人のようだった。

明治12年5月10日 土曜日
 木曜の夜、YMCAでとても良い会があった。
 ターリング氏がテニソンの「眠れる美女」を朗読したが、美しい言葉と読みが合っていて非常に効果的だった。
 昨日は十六日に発つベイリー夫人をお別れに訪ね、リリーを今日の午後に招待した。
 シェパード姉妹にも手紙を出しておいたら、二時に来た。
 大声のグレッティーは自慢屋で騒々しく、アニーは青白くて気が抜けたようだし、ルイーズは生意気で、一番上の姉さんの自信たっぷりな態度とうるささを真似しようとしていた。
 リリーは綺麗な服を着て後から来た。
 リリーはイギリス人で、他の人はアメリカ人だが、リリーの静かな美しいマナーが対照的で「いいな」と思わずにはいられなかった。
 疋田家から、お輝としげのがお茶に来て、おしゃまな話し方が面白かった。
 私がテーブルの用意をしていると、しげのがそばに来て囁いた。
「クララさん、真ん中の女の子は黄色い目をしているわ」
 そして、お輝もしげのも、可愛らしく手を合わせて私に頼んだ。
「お願いだから、あの黄色い目の女の子と隣にしないで!」

明治12年5月11日 日曜日 
 神学博士のアレグザンダー氏が「我は世の光なり」について説教した。
 とても静かで厳かな説教だった。
 私は田舎の牧師館を、まだ蒸し暑い安息日の午後、白い服に水色のサッシュを結び、幅広の麦藁帽を被った子供たちが、キューキュー鳴る靴を履いて日曜学校に颯爽と歩いていく情景を思い出した。
 それから蜂や虫のブンブンいう眠くなるような音、
 青草の乾いた匂いや甘い花の香りの漂うものも思い起こした。
 簡素なチャペルに坐って牧師の青白い顔を目の前にし、眠気を誘うような声を耳にしていると、自分が何処にいるのか、誰であるのかも忘れて、故郷の絵が心の中に一枚一枚とひらけ、寂しさに泣きたくなるような気持ちになった。
 説教はほとんど頭に入らなかったが、長い間忘れていた幼い頃の思い出が、私の魂に何かを与えてくれたことと思う。
 ちょっとした言葉、表情、動作がなんと多くの思い出を蘇らせてくれることか。
 午後の日曜学校には田中がついてきた。
 神のご加護で今日はとてもうまくいった。
 説教は箴言の二十七章からで、キリスト教徒の団結、すべての人が兄弟にならなくてはいけないということが切々と説かれた。
 今晩の会はとてもよかった。
 津田氏は七人生徒を連れてこられ、勝家からは二、三人来た。
 中島氏は放蕩息子のたとえ話を選んで、上手に説明なさり、ディクソン氏も良い話をなさった。

明治12年5月12日 月曜日
 今朝は雨が降ったので、母が学校に行くのは気の毒だった。
 私も気分がさっぱりせず、憂鬱な一日だったが、何とか終わった。
 昨日、ミス・ホアは、田中が哲学的な顔をしていて、孔子の絵のようだと褒めていた。
 だがこんなことを聞いたら、あの年寄りは有頂天になってしまうだろう。
 今日お逸が奇妙な虫――蓑虫というらしい――をくれた。
 絹や木綿の切れっぱしのところに置くとすぐそれを被って、まるで洋服を着たようになる。
 洋服代を倹約しているので、私たちはこの前の土曜日、殆ど丸一日かかって、私の震い絹の服をリフォームした。
 私は「玄人並」に帽子の飾りをつけたが、費用は絹地代の十八セントだけで済んだ。
 横浜でさせたら少なくとも二、三ドルはしただろう。
 母は流行遅れの胴着からとても素敵な上着を作ってくれた。
 母は私たちの趣味がよくなってきたと云っているが「必要は発明の母」ということなのだ。

明治12年5月13日 水曜日 
 また雨でじめじめした日だったが、授業が終わった後、今日はアジア協会の日なので聖堂と中村氏宅に行く支度をした。
 中村氏のところでは楽しかった。
 お嬢様のたか子さんが私に「ピアノを教えて欲しい」と云われた。
 良いピアノだけど音がすっかり狂っていて、特に高い方の音を聞くのは苦痛だった。
 とても良いオルガンも持っていたが、勿論、うちのエステー・オルガンとは全然違う。
 スージー・コクランがカナダに帰るまで、おたか――洗礼名はバーサ――に教えていたらしい。
 とてもよいお嬢様で、することが徹底的だ。
 実際音符の名前や位置についていろいろ聞かれ、今まで考えたこともなかったので困ってしまった。
 他のことと同様、音楽についても私はまったく非科学的だ。
 おたかさんは上手になると思う。
 小石川から聖堂に行ったら、来ているのは男の人が数人とミス・ピットマンだけだった。
 着いた時、丁度役員の選挙中だった。
 間もなくアトキンソン氏が、日本人の食べる砂糖菓子の一種のアメの製法について話しだした。
 だが化学分析なので、私にはつまらなかった。
 アストン氏の論文は1808年に、長崎のオランダ人を侵略したイギリス軍艦フェートン号事件についてで、時の役人のトキエモンの書いた一種の日記だった。
 チェンバレン氏が読んで、とても面白かったが、日本人の見せた臆病ぶりがよく分かり、日本人が聞いていなくてよかったと思った。
 帰りはひどく雨が降ったが、人力車の中は無論平気だった。

【クララの明治日記  超訳版解説第78回】
「團琢磨、キターーーーーーーッ!」
「何をそんなに興奮していますの?」
「團琢磨だよ、團琢磨! 三井財閥の実質的なボス。そして、戦前の日本経済界のドン!」
「そう昂奮されても、世間一般にはこの方の“最期”しか、知られていませんわよ?」
「仕方ないなあ、じゃあ解説を。
 團琢磨は嘉永6年(1853年)、福岡藩士馬廻役の四男として生まれます。
 若干13歳で、旧藩主黒田長知の供をして岩倉使節団に同行して渡米し、そのまま留学。
 ちなみにこの時に同行した藩士が、憲法を起草した政治家の金子堅太郎で、後に義理の兄弟になります。
 MIT、つまりマサチューセッツ工科大学の鉱山学科を卒業し、帰国したのがクララと出会ったこの前年。
 数少ない鉱山学のスペシャリストだった團は政府から三池鉱山を実質的に任され、明治21年に三井に売却された際には、そのまま三井に移籍し、三井三池炭鉱社事務長に就任。
 というより、この時の高額の売却金額には“團琢磨の政府からの引き抜き金付き”とまで云われているくらいでね。
 ここからが本格的なサクセスストーリー。
 團は鉱山だけを経営していたのではなく、三池港の築港、鉄道の敷設、大牟田川の浚渫までセットで構築し、三池鉱山はますます発展。
 遂には三井鉱山会長となり、その鉱山だけの利益で三井銀行を追い抜き、三井物産と肩を並べ、三池は三井のドル箱となり、三井財閥形成の原動力になります。
 そして大正3年(1914年)、三井物産を創設した有名な益田孝の後任として三井合名会社理事長に就任。三井財閥の総帥となります」
「まるで物語の中のようなお話ですわね」
「更に大正11年(1922年)には、後に大蔵大臣となる井上準之助と日本経済連盟会を設立、翌年同理事長、昭和3年(1928年)同会長となり、名実ともに日本経済界・財界の旗振り役となるわ」
「しかし、ですわね」
「そう、時は1932年3月5日、場所は三井銀行本店玄関前!
 政党政治家や財閥重鎮を私利私欲に走る国民の敵である極悪人と断罪し“一人一殺”“一殺多生”の思想を掲げた日蓮宗の僧侶井上日召。
 その暗殺指示の元に発生した“血盟団事件”の締めくくりとして、団琢磨は射殺されます」
「1932年だとクララもまだ存命ですわね。もし団琢磨氏のことを覚えていたら、どんな気持ちでそのニュースを聞いたのでしょうね……」
「さて、ここからは余談……だけど、日本の政界にバリバリに関係するお話。
 團琢磨にとって孫娘であり、長男伊能氏の娘さんである團朗子さんは石橋幹一郎氏と結婚しています」
「? 石橋幹一郎氏って、どなたですの?」
「ブリヂストン創始者、石橋正二郎氏の息子さん」
「ということは……」
「妹さんの名前は石橋安子。結婚後は鳩山安子という名前になるわね」
「……………………」
「更に云うと、石橋幹一郎氏と朗子さんの子供である寛氏の結婚相手の高見理沙さん。
 その人の姉妹に高見エミリーと云う人がいてね、今は鳩山エミリーって云うの」
「お、おとぽっぽの奥さん、ですの……?」
「華麗なる親族結婚の坩堝だよ。
 鳩山家に團琢磨自身の血は一滴も流れてないけど、要するに、これ、三井とブリヂストンの二代巨大企業に、政治家としての鳩山家が完全に密着して繋がっていることの証明なわけ。
 更に云うと、團琢磨の長男團伊能氏は、ブリヂストン自転車工業社長だけじゃなくて、プリンス自動車工業、つまり今の日産(に吸収合併された側)の社長もやってるから、日産とも関係があったり。
 ただ、團家の直系である伊能氏の息子である團伊玖磨氏なんかは有名な作曲家になっちゃったので、現在どれくらい團家の関係者が三井に関係しているかは分からないけど。
 ともあれ、両企業とも超優良企業なので、別段企業側があくどいことをやっているとは思わないけどね。
 ただその二大超企業に繋がった鳩山家にとって、月額1500万円×2なんて、確かに端金なんだろうなあ」
「……少なくとも、脱税と節税の区別が付いてはいなかった気が致しますけどね」
「しかし、この流れで考えてみても“ルーピー”は、本気で“アレ”にベタ惚れなんだね。 どう考えても、鳩山家が嫁に迎えるような地位の出じゃないから。
 それだけは“ルーピー”も“純粋”ということで褒めてあげても良いけど……普通なら」
「世話になっている家の奥さんを寝取った、という事情がなければですわね。。。」
「やっぱり夫婦揃って宇宙人よね、アレ。。。」
しおりを挟む

処理中です...