先輩、オレ、フラペチーノでお願いします!

海帆 走 かいほ かける

文字の大きさ
1 / 1

先輩、オレ、フラペチーノでお願いします!

しおりを挟む
いよいよ一学期最後の登校日。
終業式も終わり、明日から夏休み。
ヨシノリの最後のホームルームが終わったところだ。

「いいかぁ、この2年の夏休みが山場になるから、遊んでばかりいないで、きっちりと勉強して実力をつけるように。
じゃあ、みんな元気で。真っ黒になってまた新学期に会おう!」

そんな担任の有難い話を最後に、ヨシノリの夏休みが始まった。

校舎を出た途端に背中を押す程の蝉の鳴き声が押し寄せる。夏休みの実感が湧いてきた。

「おう、ヨシノリ。お前また部活か?このアチいのに、お前ホント部活好きだよなぁ。後でLINEするわ。じゃあな!」

仲の良い友人が鼻歌混じりに、肩を叩いて通り過ぎる。いつもヨシノリを気遣ってくれる良い奴だ。

部室に着いたが、いつもの通りヨシノリが一番乗りらしい。
すぐ裏手の桜並木からは、大量の蝉の鳴き声が四方からシャワーの様に降り注ぐ。

鍵を開けて部室のドアを開け放つと熱い空気の固まりとむせる様な匂いがのろのろと這い出してきた。

剣道部の部室はどこも似たり寄ったりだ。
中学の時もそうだった。特に夏場は匂いがヒドい。
そのままドアを開け放しにして、空気が入れ替わるのを待つ。

部室の中の空気が、地球の大気成分に近付いたのを見計らって、ヨシノリは部室に入った。

一番奥の壁。
いつからそこにあるのか、毛筆で書かれた古い紙が貼ってある。 

「静 と 動」
「止 と 躍」

ヨシノリはこれがかなり気に入っている。
自らが目指す剣の勢いと潔さが良く現れているからだ。
この様にありたいと常々思っている。
いつもの様に引き締まる思いで張り紙を見つめると、直ぐに道着に着替え始めた。
ほぼ着替えも終わる頃、他の部員集まり始めた。

「ヨシノリ、お疲れ!早いな~」
「おう、お疲れ!」

今日は七海も出て来た。
「ヨシノリくん、お疲れ様!いつも早いわね」
「あ、七海先輩、お疲れ様です!」

(あ、今日は七海先輩、練習に来てくれたんだ。この間の後だから、ちょっと緊張しちゃうな)

先日の神奈川県大会予選、個人戦。
3年生にとっては最後の大会。

七海はいつもの真っ直ぐな攻め方で順当に勝ち進んだ。しかし準決勝で昨年の準優勝の選手と当たり、惜しくも敗退。
七海の高校生最後の試合は終わった。

ヨシノリたち下級生は、試合を終えた七海を心からの労いの言葉と精一杯の笑顔で出迎えた。

七海は受け取ったタオルで軽く汗を拭い、小脇に面を抱えながら、応援してくれた下級生のみんな一人一人にお礼の声を掛けていった。

最後がヨシノリだった。
ドリンクのボトルを差し出すヨシノリ。
ボトルを受け取った七海はまっすぐにヨシノリの目を見て言った。

「ヨシノリくん、君は強くなれるわ。もっとずっと強くなれる。たまには見に来てあげるから、練習、しっかり頑張ってね!」

手に持ったドリンクをグビリと飲んだ後、それを真っすぐヨシノリに突き出した。

ヨシノリがボトルを受け取ると
「ホントに頑張るのよ」と鮮やかに笑ったのだ。

その告白めいた行動に、1、2年生はちょっとざわついた。


「さあ、今日もしっかり練習しましょ」
緊張するヨシノリに、七海は爽やかに笑いかけると女子部室に消えた。

「はい !」(やべ!気持ちを切り替えないと)

ポツポツと他の部員も燦々午後、集まり始めている。

先に着替え終えたヨシノリは、久しぶりの七海の登場にどきどきしながら、みんなより先に道場に入った。

締め切られた剣道場の窓とドアを全て開けて回る。
閉じ込められた熱く硬い空気が開け放った窓から解放されていく。
暫くして、硬く熱いそれは、幾分マシな外の熱風と大量の蝉の鳴き声に置き換えられた。

空気は暑いが、やはり板張りの剣道場には、何だか涼しい緊張感が満ちている。
その涼しい緊張感がヨシノリのどきどきを冷ましてくれた。

意識を集中して、床のひんやりとした感触を足の裏に感じながら中央に進みでる。

まずは準備運動代わりに飛び出しの足さばきの練習だ。

構える。中段。止まる。息を整える。早く、短く、息を吐くと同時に前に跳ぶ。駆け抜ける。
「止 と 躍」と「静 と 動」だ。

もう一度180度向きを変え、同じ事を繰り返す。
今度は少し早く、長く跳び抜ける。
振り返る。この振り返りの速度が勝負を決める時がある。
同じ事を繰り返す。何度も繰り返す。

拭う事の出来ない面の中を汗が流れ落ちていく。

何回か繰り返した所で、着替え終えた部員たちが一礼と共に剣道場に入ってきた。

ヨシノリもアップ代わりの足さばきの練習を終わりにして、一度面を取り、汗を拭う。

ウオーミングアップのランニングと柔軟体操の後に全体練習が始まった。

先ずは一緒に声を出しながら、インターバルを入れて、素振り、跳躍素振り、足さばき、切返しの基本でみっちりと汗を流す。
身体を温める稽古と言っても良いだろう。

そして、いつもの払い、すりあげ、返し、抜き、打ち落しといった返し技の稽古を繰り返し、基礎を身体に染み込ませる。
顧問が大きな声を出す。個人のクセを指摘、修正するためだ。
毎日繰り返して、身体に染み付かせる。
染み付いて自分のものとなってしまえば強くなる。

「長い夏休みの最初の練習だからな。今日はこの位にしておこう!」
顧問の掛け声で初日の練習は早目に終了となった。

みな面を外して、風が通る出入り口近くに移動して、汗を拭い、ドリンクを口にする。

そうして今日の練習が終わった。

ヨシノリは水のシャワーを浴びてから着替え終えた。ようやく人心地ついた。
リュックを背負って部室を出る。

「ヨシノリ、帰ろうぜ~。マック寄ってく?」
「ワリイ。ちょっとあってさ。また明日な」
「わかった。じゃあな」

ヨシノリは目立たない場所に移動して七海を待った。

下級生に声を掛けて歩き出した七海は、すぐにヨシノリに気が付いた。

「ヨシノリくん、お疲れ様」
「七海先輩、お、お疲れ様です!」
(ヤバいなぁ。どうも普通に話せないや)

「最近調子はどうなの?」
「特に伸びてる実感は無いですけど、スランプでも無いです。淡々とって感じですかね」
「それでいいのよ。そのまま練習続けてね。ある日突然自分が上達したのが判るから。
そういう日がきっと来るから」

七海の言葉はこれで良いのかと迷っていたヨシノリにユックリと染み込んでいった。

「七海先輩、有難うございます。
オレ正直、迷ってました。先輩にもっともっと強くなるって言われて、頑張ろうと思って努力してたつもりなんですけど」

穏やかに微笑んでヨシノリの話しを聞く七海。
蝉しぐれが降り注ぐ。

「先輩たちが引退してから、俺たちが引っ張って行かなきゃって、みんなで話してるんですけど、練習しても上手くなってる実感がなくて、このままで良いのか って悩んでたんです。」

グランドに立ち昇るカゲロウ。
野球部の掛け声。
トラックを走り過ぎる陸上部。
降り注ぐ蝉しぐれ。

蝉の鳴き声が逆に静けさを際立たせる様な夏の夕方。

「だから、、、先輩の今の一言、効きました。
ある日突然上手くなる事を信じて、頑張ります。
頑張れる気がしてきました。有難うございます」

「最後の大会、個人戦でベスト4以上。私を超えること。いい?約束よ」
「はい、先輩」

七海は握り締めた拳を水平に突き出した。
ヨシノリは自分の拳を七海の拳にぶつけて約束した。

「暑いからスタバ行く?奢るわよ」
「有難うございます!先輩、オレ、フラペチーノでお願いします!」

ヨシノリはリュックを背負い直して歩き始めた。

歩き去る剣道部員たちの背中を蝉しぐれが押している。
いつの間にか蝉の声もヒグラシの鳴き声に変わろうとしていた。


本作品はフィクションであり、小説として脚色されています。
正確な事実を描いたものではありません。
皆様にその虚構をお楽しみ頂ければ幸いです。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

自習室の机の下で。

カゲ
恋愛
とある自習室の机の下での話。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...