Fleurs existentielles

帯刀通

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悪役か ヒーローか

01

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1日ですよ、と念を押す様子はまるでシンデレラに日付けが変わる前には帰ってこいと厳命するフェアリーゴッドマザーみたいだった。

「あなたの安全のためにGPSを切ることは出来ません。薄々ご承知かと思いますが、flowerは稀少性が高いほど厳重な身辺警護がついています」

「彼らに言い含めてあなたの行動を制限しないこと、感知したGPSによる追跡は極力控えること、これが最大限の譲歩です。行きたいところに行って、したいことをする。それがあなたにお渡し出来る最大の自由です」

当たり前の権利が阻害される特権階級ってなんだよとは思いつつも、

「行くべき場所で、なすべきことをなさい」

頑張って、と軽く笑顔を見せた彼のことを俺は随分信頼しているらしい。

当たり前のどこにでもあるマンションの一室を見上げる。教えられた番号をエントランスで入力すれば、返事もないまま自動ドアが左右に開く。

エレベーターで5階。もっといい場所を望めばいくらでも叶えて貰えただろうに、随分質素な住処だ。彼女はこう言ってはなんだがもっと派手で高価なモノを好みそうに見えたけれど。月日が人を変えたのだろうか。

ドアの前で一度、深呼吸をする。ここからが正念場、どうすべきか、どうしたいかは未だに俺にも分かっちゃいない。だけど何かに区切りをつけるためには今、見届けるべきものがここにあるはずだった。

チャイムを鳴らすと、足音も物音もしないまま突然ガチャリとドアが開いた。中から現れたのは、昨日と変わらない地続きの夢。

「どうぞ」

相変わらず何処を見ているのか分からない曖昧な笑みを浮かべて、くるりと踵を返す。

「お邪魔します」

目線より低い位置にある旋毛が揺れるのにつられて後ろをついていく。短い廊下の突き当たりのドアを開け、中に入れば、カサリと音を立てて崩れた花がそこにいた。

壁際のソファに寝そべる、美しい花だったもの。

ゴヤが描いたマハのように、クッションを積み重ねた上に左半身をあずけて横たわり、下半身は数枚のブランケットで覆われている。数年前は確実に俺より若く溌溂とした生命力に溢れていたはずの彼女はいまや、見る影もなく痩せ衰えていた。ただ眼差しだけが妙にギラついている。

長く波打っていた茶色い髪は綺麗に梳られてはいたが艶もなく、肉感的といっていいほどグラマラスだった身体は分厚いブランケットに覆われていてもはっきりと分かるほど骨ばっていた。袖口から覗く手は薄いレースの手袋に覆われていて、それでも隠せない皮膚の渇きが干からびた木の根のように伸びている。陸に上がってしまった人魚のように。

”花だったもの”に変わろうとしている彼女の姿は、きっといつか遠くない未来に俺自身が辿るだろう末路そのものだった。

不躾にジロジロと見たつもりはなかったが、目が離せなかった。衝撃に開いた口が空気を求めて喘いでいる。かけるべき言葉が泡沫のように浮かんでは霧散していく。

「お久し振りね」

しわがれた声はあの別れの日に俺を罵倒した叫び声とは似ても似つかないほど萎れていた。ソファの傍に置かれた小さな丸テーブルの上には華奢な持ち手のカップが置かれ、琥珀色の液体が揺れていた。それに手を伸ばし少し口に含んで喉を潤すとまた、喋り出す。

「嗤いに来たの?」

僅かに上がった口角は自嘲なのか挑発なのか、最後に残された虚勢か。

「癒せなかったのよ」

手袋を少しめくって見せた右手首の内側には、あの時に一度見たきりではあるがピンク色の可愛らしい花が咲き始めていたはずだった。だが、今は褐色化した肌に隠されてしまっている。完成、しなかったんだろうかあの日見た花は。

すっと取り払われた手袋。こちらに向かって伸ばされた手は老木のようにひび割れてかさついていた。突き刺す人差し指は俺の左胸に狙いを定めている。

「あなたのせいで、あなたなんかいたから!彼は!」

怒りの声すらもか細く震えて、それがとても悲しかった。憐れむのは簡単で、でもきっと彼女は俺に憎まれたいのだと思った。だから目は逸らさなかった。

「あなたが彼の心を連れ去ってしまった…」

俺を通して、アイツを見ているような目だった。物音ひとつ立てずに背後に立つアイツの硝子みたいな眼を思い出す。背中が視線で灼けるようだ。歪な直線上に立った異分子の俺はあるべき夫婦の姿を曲げた悪者なのか、それとも囚われの王子様の呪いを解きに来たヒーローなのだろうか。

「最初から私の手には入らないって分かっていたのに、このままどこかの知らない誰かを待ちわびて身を引くなんて嫌だった。少なくとも…男のあなたに負けるなんて許せなかった…」

それから俺の肩越しにアイツを見て、傍に来るように眼差しだけで示す。ぺたりぺたりとやる気のない足音が近づいてきて通り過ぎ、俺の視界を遮るように彼女の正面に立つとすっと膝をついた。

「…あなたの花になれたらどんなに幸せかと思ったわ。でも、人の幸せを奪った罰ね、私ではあなたを救えなかった」

救う?コイツに救われていたのは彼女の方じゃないのか?脳裏を掠めた疑問を彼女の言葉が攫って行く。

「ねえ、彼と二人きりにしてくれる?」

アイツに向けられた声音はとても穏やかなものだった。小さく頷くと、俺の方を見るでもなくスタスタと消えていった後でパタリとドアが閉まった。
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