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二発目 デイモン・ミーツ・ミリオネア
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西荒原を吹き荒れる風は、大粒の砂を含んで旅人を襲う。この地に慣れていない者は、大抵の場合、コレで皮膚なり衣服なりを傷つけてしまう。
マイアは顔全体を真紅のマフラーで覆い、黒のラインが鋭いゴーグルを掛け、馬を駆っていた。
雨量の少ないこの地域では、森などというものは、殆ど見受けられない。そんなものが育つ地は、潤沢な清水に満ちていなくてはならないからだ。無論、そういった地、オアシスは存在している。だから、疎らにだが、森も存在していた。稀有ながらも、存在はしていた。
しかし、オアシスの周りには、水に飢えた人が集まり、自ずから街が成る。故に、森は殆どの場合、“食い潰されてしまう”か“街の腹に呑まれる”の二つの終わりを迎えるのだ。
マイアの向かう街、サウゼイデンは、後者の形をとる連合都市だった。
オアシスを中心とした森と、それを囲うように発展した奇形の都市、サウゼイデン。西の荒野に現れた、大陸最大級の楽園は、富と情欲と、醜い野望とで満ちていた。
オアシス周辺で別個に発展を遂げた無数の街は、合併と分裂を繰り返している。最初の町にして、現在最大の街、バルバロエが現れてから数百年。渦巻く策謀の数々は水面下で蠢き、泥沼化した政略の表側では、箔のような繁栄が輝くこととなっていた。
繁栄という甘いヴェールの裏側を知る者は、政界で暗躍する大御所を除けば、マイアの様な“はぐれ者”に限られていた。それでも、そのヴェールは仮初めの姿ではない。あくまでも、サウゼイデンは二面性を持つというだけの話である。表は天国、裏は地獄。楽園の存在は、失楽園の存在の証明でもある。ただ、それだけのことなのだ。
それでも、表で生きる者は裏を知ることはなく、裏で生きる者は表に現れはしない。同一にして背反。正常と異常は相容れない。
だから、マイアはサウゼイデンを好くことが出来なかった。やはりこの街も、自分にとっては仕事場でしか有り得ない。神などいない。楽園を追放された咎人こそ、人類なのだ。
その最たるが自分なのだから、楽園などはやはり幻想でしか有り得ない。泥水の下から眺めた煌々は、眩しさよりも卑しさが目立つように感じられた。
彼女は孤高にして孤独であり、ついでに世界を知らな過ぎた。
「シャワー、浴びたいわね」
軋む髪を撫で付けて、マイアは荒野を駆け抜ける。正午前の日差しが照りつける肌は、白磁のように滑らかである。傷一つない少女の細腕は、使い古された手綱を強く握り締めていた。
少女の駆る馬は、淡い黒褐色の大馬である。少女の身の丈の、優に二倍を越すような強靭な体躯。地を蹴る健脚が砂煙の道を描き、地を打つ蹄は雷鳴の如く響いていた。
白陽が頂きに達する頃、何でも屋と落ち合った小町を出て、丁度一刻が過ぎた頃、マイアはサウゼイデンの郊外、外周を固める小さな町の一つに到着した。
「貴方が、ガルバロンさんで良いのよね?」
「如何にも」
サウゼイデンの中では、比較的小さく寂しい町。それでも、正午の賑わいは一通りではある。流石、サウゼイデンといった所だ。
依頼主は、アサシンと落ち合う場所として、この町を指定してきた。
「依頼内容は......」
確認する様に目を細めるガルバロン。
「大丈夫よ。貴方の“娘”を葬れば良いのでしょう?」
言葉を遮って、マイアは簡潔に述べた。
「ああ、間違いない。しかし、君はその」
「大丈夫と言ったでしょう。見た目で判断しないことをお勧めするわ。悪魔の顔って、意外と綺麗な形が多いのよ。知ってたかしら?」
音も無く引き抜かれた拳銃は、ガルバロンの腹部にぐいと押し込まれる。
「ばん」
細い指が引鉄に触れる。
カチリ、とハンマーが落ちた。
弾丸は込められていなかった。
「棺桶選びを済ませておくと良いわ。娘さんが明日の朝日を眺めることはないでしょうから」
隙間風が流れ行くように、マイアはガルバロンの右隣を抜けていった。
右手を顔の横に、浅く振って呟く。バーイ。昼の喧騒に掻き消され、別れの言葉は空に散った。マイアの背は細く小さく、遠ざかる様は萎んで消えていくようである。
「ったく。殺し屋ってのは、平然と依頼主に武器を向けるのか? 金は何処から出て来るのか分からないのか、あのメスザルめ。冗談では済まされないぞ」
握りしめた拳に、悪い汗が伝う。外套を羽織った上半身に、得体の知れない悪寒が残っていた。
空のリボルバーのトリガーが引かれた時、落ちたハンマーが音を立てた時、何かが自分を貫いたような錯覚に襲われた。確かに、弾丸は込められていなかった。込められていたのなら、全身を駆け巡ったのは、悪寒ではなく熱だったろう。そんなことは分かっている。しかし、ガルバロンは、自身を貫いた衝撃に、確かな感触を覚えていた。
「殺意、か」
メスザル、というのは訂正せねばならない。吹き抜ける風で頭が冷やされ、未だ残る悪寒が嫌悪へと変わっていった。
「あれは猿じゃあない。ましてや、人間であるなど決して有り得ない」
圧しあてられた銃口の形を、腹部が克明に記憶している。
「機械だ。ただ殺すため。それだけのために造られた機械じゃないか」
吐き捨てるように呟いた。
今日中に終わる。それは間違いない。
少女の皮を被った殺人兵器。悪魔は存外に綺麗な顔をしているのだ。自分は生涯、あの相貌を忘れることはないだろう。
ガルバロンは確信した。
後を追うように、ガルバロンも中心街へ踵を返す。
行き先が一つ増えた。醜い欲望のために、己が躍進のために犠牲となる娘へと、上物の棺桶を用意してやらねばならない。
酷く歪んだ、それは、親心だった。
マイアは顔全体を真紅のマフラーで覆い、黒のラインが鋭いゴーグルを掛け、馬を駆っていた。
雨量の少ないこの地域では、森などというものは、殆ど見受けられない。そんなものが育つ地は、潤沢な清水に満ちていなくてはならないからだ。無論、そういった地、オアシスは存在している。だから、疎らにだが、森も存在していた。稀有ながらも、存在はしていた。
しかし、オアシスの周りには、水に飢えた人が集まり、自ずから街が成る。故に、森は殆どの場合、“食い潰されてしまう”か“街の腹に呑まれる”の二つの終わりを迎えるのだ。
マイアの向かう街、サウゼイデンは、後者の形をとる連合都市だった。
オアシスを中心とした森と、それを囲うように発展した奇形の都市、サウゼイデン。西の荒野に現れた、大陸最大級の楽園は、富と情欲と、醜い野望とで満ちていた。
オアシス周辺で別個に発展を遂げた無数の街は、合併と分裂を繰り返している。最初の町にして、現在最大の街、バルバロエが現れてから数百年。渦巻く策謀の数々は水面下で蠢き、泥沼化した政略の表側では、箔のような繁栄が輝くこととなっていた。
繁栄という甘いヴェールの裏側を知る者は、政界で暗躍する大御所を除けば、マイアの様な“はぐれ者”に限られていた。それでも、そのヴェールは仮初めの姿ではない。あくまでも、サウゼイデンは二面性を持つというだけの話である。表は天国、裏は地獄。楽園の存在は、失楽園の存在の証明でもある。ただ、それだけのことなのだ。
それでも、表で生きる者は裏を知ることはなく、裏で生きる者は表に現れはしない。同一にして背反。正常と異常は相容れない。
だから、マイアはサウゼイデンを好くことが出来なかった。やはりこの街も、自分にとっては仕事場でしか有り得ない。神などいない。楽園を追放された咎人こそ、人類なのだ。
その最たるが自分なのだから、楽園などはやはり幻想でしか有り得ない。泥水の下から眺めた煌々は、眩しさよりも卑しさが目立つように感じられた。
彼女は孤高にして孤独であり、ついでに世界を知らな過ぎた。
「シャワー、浴びたいわね」
軋む髪を撫で付けて、マイアは荒野を駆け抜ける。正午前の日差しが照りつける肌は、白磁のように滑らかである。傷一つない少女の細腕は、使い古された手綱を強く握り締めていた。
少女の駆る馬は、淡い黒褐色の大馬である。少女の身の丈の、優に二倍を越すような強靭な体躯。地を蹴る健脚が砂煙の道を描き、地を打つ蹄は雷鳴の如く響いていた。
白陽が頂きに達する頃、何でも屋と落ち合った小町を出て、丁度一刻が過ぎた頃、マイアはサウゼイデンの郊外、外周を固める小さな町の一つに到着した。
「貴方が、ガルバロンさんで良いのよね?」
「如何にも」
サウゼイデンの中では、比較的小さく寂しい町。それでも、正午の賑わいは一通りではある。流石、サウゼイデンといった所だ。
依頼主は、アサシンと落ち合う場所として、この町を指定してきた。
「依頼内容は......」
確認する様に目を細めるガルバロン。
「大丈夫よ。貴方の“娘”を葬れば良いのでしょう?」
言葉を遮って、マイアは簡潔に述べた。
「ああ、間違いない。しかし、君はその」
「大丈夫と言ったでしょう。見た目で判断しないことをお勧めするわ。悪魔の顔って、意外と綺麗な形が多いのよ。知ってたかしら?」
音も無く引き抜かれた拳銃は、ガルバロンの腹部にぐいと押し込まれる。
「ばん」
細い指が引鉄に触れる。
カチリ、とハンマーが落ちた。
弾丸は込められていなかった。
「棺桶選びを済ませておくと良いわ。娘さんが明日の朝日を眺めることはないでしょうから」
隙間風が流れ行くように、マイアはガルバロンの右隣を抜けていった。
右手を顔の横に、浅く振って呟く。バーイ。昼の喧騒に掻き消され、別れの言葉は空に散った。マイアの背は細く小さく、遠ざかる様は萎んで消えていくようである。
「ったく。殺し屋ってのは、平然と依頼主に武器を向けるのか? 金は何処から出て来るのか分からないのか、あのメスザルめ。冗談では済まされないぞ」
握りしめた拳に、悪い汗が伝う。外套を羽織った上半身に、得体の知れない悪寒が残っていた。
空のリボルバーのトリガーが引かれた時、落ちたハンマーが音を立てた時、何かが自分を貫いたような錯覚に襲われた。確かに、弾丸は込められていなかった。込められていたのなら、全身を駆け巡ったのは、悪寒ではなく熱だったろう。そんなことは分かっている。しかし、ガルバロンは、自身を貫いた衝撃に、確かな感触を覚えていた。
「殺意、か」
メスザル、というのは訂正せねばならない。吹き抜ける風で頭が冷やされ、未だ残る悪寒が嫌悪へと変わっていった。
「あれは猿じゃあない。ましてや、人間であるなど決して有り得ない」
圧しあてられた銃口の形を、腹部が克明に記憶している。
「機械だ。ただ殺すため。それだけのために造られた機械じゃないか」
吐き捨てるように呟いた。
今日中に終わる。それは間違いない。
少女の皮を被った殺人兵器。悪魔は存外に綺麗な顔をしているのだ。自分は生涯、あの相貌を忘れることはないだろう。
ガルバロンは確信した。
後を追うように、ガルバロンも中心街へ踵を返す。
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