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CASE 2 ブルネット商店
【イオ・咳】
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4
ハンスは台所で鍋に湯を沸かし始めた。手を止めることなく動かしている。物の位置を把握しているらしい。他人の家にしては使い慣れている。
「うちはさ、昔あいつの父親にお袋の命を助けられたんだ。ずっと昔……オレの産まれる前さ。風邪を拗らせて、「医者に見せることもできねえから途方に暮れてた」って親父が言ってた。それ以来、うちの荷馬車に患者さんを乗せて近くまで運ぶようになったんだ。うちは町から村まで行き来してるし、隣国のエメラルジオとも取り引きがある。街道を移動してても荷物に紛れてりゃ怪しまれないのさ」
鍋の中身に視線を落としたままハンスが言う。かまどで木の枝が炎に包まれて爆ぜてパチパチと鳴った。
「で、オレが産まれてよ。これでもガキの頃は病弱で、先生には数え切れないほど世話になった。そのときリリーとも仲良くなって、兄妹みたいなもんなんだ。我が家はここには二人も世話になっちまったから、もう頭が上がんねえのさ。荷車使いたい放題だ」
口端を持ち上げて笑うハンスは、冗談めたしていながらも少し照れ臭そうだ。
「なるほど。君たちがここを手伝っていたんだな」
「そうそう。でも、うちは送り届けだけさ。そばで手助けしてやることはできねえから、アンタがいてくれてよかったよ。一人で危ねえしさ」
「ふむ……」
話が一段落すると、鍋の中でポコポコと水泡が浮かんでは破裂し始めた。ハンスは火から下ろし、戸棚から瓶を複数取り出す。匙で中身を救い、鍋に入れていく。乾燥ハーブだった。ハーブは湯の中を優雅に泳いでいる。
「手慣れているな」
ハンスはまだ燃えている火の様子を見ながら得意げに鼻を鳴らす。火かき棒を取り出し、燃料の位置を調節した。
「まあな。あの子と一緒で特に悪かったのがココなんだ」
胸の辺りをポンポンとムーンに見えるように叩く。
「だから、よくこのハーブティを飲んでた。途中からは勝手に作ってたんだぜ。あの子の辛さは分かるし、何とかしてやりてえ。こんなに元気になっちまった見本がここにいるしさぁ!」
「なるほど」
ハンスは台の上にコップを並べて鍋の中身を注ぐ。今度は別の瓶の蓋を開ける。中には粘性のある琥珀色の液体が入っていた。
「これを仕上げに入れるのが好きでさ。辛いのに嬉しかったなあ」
液体がハーブティの中にとろとろと落ちる。かき混ぜると、コップの中で溶けていく。燃え殻を火消壺に入れ、台所の作業は終わった。
5
イオの母親の到着を待って診察は始まった。母親は心配ゆえか泣き出しそうな顔をしている。
リリーは白紙を取り出し、イオのフルネームや住所、生年月日などを確認して記載した。他には食べられるものから体質まで。師匠である父親に初めの問診が重要だと習っている。確認事項を聞き漏らせば、かえって具合が悪くなってしまうこともある。タンザナ王国の平民における識字率は低い。だから、リリーがすべて記す。
「では、症状を聞かせて下さい。気がついたことならなんでもいいです」
母親の視線が下に向く。不安そうな表情の中に疲労が見える。
「この子は以前から風邪を引きやすい子でした。特に冬になると必ず具合が悪くなって……。その度に咳が止まらなくなるんです。暖かくなって落ち着いたかと思ったんですが、まだ止まらなくて……。いつもではないんですが、本当に苦しそうなんです」
「咳が出やすい場面はありますか? 時間帯でもいいです」
母親はリリーの質問に考え込む。視線が宙を彷徨い、息子に辿り着き、また下に戻る。
「原因となるものは思い当たらないですが……夜が多いです」
リリーは母親の言を書き留めていく。すらすらと淀みなくペンが動いた。最後に句点をトンと打ち、ペンを置く。
「それでは診ていきますね。まずは、お顔見せて下さい」
イオの身体を確認し、再びペンを走らせる。リリーは改めて親子に向き直り、話しかけた。
「最初にご説明した通り、わたしは医者ではありません。特効薬など出せません。ですが、身体を治すお手伝いならできます。一緒に元気になりましょうね」
リリーは患者を安心させるように優しく微笑む。
「まず、小さなお子さんの場合は空気の通る道――気道といいますが、どうしても狭いんです。夜に咳が出やすいのも、それが原因かもしれません。風邪などで腫れると呼吸がしにくくなります。うがい薬を差し上げますから、風邪の予防をしましょう。直接的な原因がある場合もあります。一つ一つ潰していかなければなりません。例えば、特定の食べ物を接種したことで咳が出るなんてこともあります。咳が出やすい状況をわたしと確認していきましょう」
「あの……病気は悪い空気や水が原因と聞いたことがあるのですが……」
おずおずと訊ねる母親にリリーは首を横に振る。
「一概には否定できませんが、基本的にそれは原因ではないです。ですが、家の中で暮らしてると空気は汚れます。普通のことです。身体によくないですから、毎日窓を開けて空気を入れ換えて下さい。気管が丈夫になるまで過度な運動は控えて、感情が昂るようなこともないように気をつけて下さい。そして、寝るときは背中に布などを敷いて上半身を浮かせるようにしてあげて下さい。呼吸が楽になります」
身振り手振りで説明をしてから、母親に向き直り、「お母さん、心配でしたよね。あなたのせいではないです。大きくなって元気になった子は沢山いますよ。あなた方をお連れしたブルネットの店員もそうでしたよ」と伝えると、母親は手で顔を押さえて礼を口にした。
「ママ……?」
イオが心配げに顔を見上げる。
リリーは姿勢を低くして明るい声を出す。
「大丈夫だよ、イオくん。お姉さんと頑張って苦しいの治そうね」
6
診察が終わったところで、ハンスがカップを持って部屋に入ってきた。
「お待たせー」
扉が閉まる瞬間にリリーの目はもう一つの影を捉えた。ムーンが廊下で待っていてくれる。感謝の視線を送る。
「気管に効くハーブティです。プリムラやタイムが入ってます。食べられないものは確認しましたが、少しずつ飲んで身体に合うか確かめて下さい」
カップは四つあった。ハンスはイオに渡した後に母親にも勧める。
「お母さんもドウゾ!」
「ありがとうございます。……あ、飲みやすい」
幼いイオも美味しそうに飲んでいる。
「ハチミツも入ってます。喉にいいんですよ」
なぜか二つ残ったカップを見てリリーが首を傾げる。
「多くない?」
「いーや、あってる。お前と俺。久々に飲みたくなってさ。ちょっと多めに、な」
イオと母親から笑いが溢れる。
リリーは一口飲んでから、「こればっかりはハンス兄さんの方が上手なのよね」と呆れるような顔を見せる。
「わたしはこれを調合してきますから、ゆっくり飲んでいて下さい。違和感があったらすぐにやめて下さいね」
椅子から起立し、部屋を後にする。扉を閉めると廊下で待機したムーンに小声で話す。
「ムーンさん、気を使っていただいて、ありがとうございますっ。いきなり兄さんと二人きりにしてしまって、すみませんでした」
それにムーンは平坦な口調で返した。
「いや、親切な青年だった。君についての話もした」
「えっ?! やだっ! 変なこと言ってませんでした?!」
「言ってない。君たちは仲がいいということは分かった」
動揺するリリーに生真面目に答えを返すムーン。会話を続けながら調合室に入る。薬草棚から壺を取り出し、重さを量って混ぜていく。ハチミツは液体だから加えられない。乾燥させたクランベリーで代用した。使ってみないと身体に合うか分からないから、初回の量は少なめにする。
相手が子どもであるために使える薬草が限られてしまうから気をつけなければならない。幼い子どもには効果が強過ぎてしまうのだ。例えば、チンキは酒を使っているので出せない。注意しながらイオ用の薬草を用意する。
最後に調合した薬草とは別に先日作ったばかりのものを小瓶に詰めて終わった。
「リリーはこれほどの量の薬草の場所を把握しているのか?」
ムーンは棚に並んだ入れ物を眺めながら言った。
「いえ! よく使うものならともかく、全部は無理です。父は暗記していました。でも、わたしが覚えられないので、瓶に目印や名前をつけさせてもらいました」
「聡明な方だったんだな」
「はい」
リリーの目が懐かしむように細まる。瞳の奥には懐旧の念が滲んでいる。薬草を準備する丁寧な手つきや真剣な顔は父譲りに違いない。
7
リリーは代金を支払おうとするイオの母親に丁寧に断りを入れた。町で生地屋を営んでいることから、売れ残ったものを譲ってもらうことで決着は着いた。
ハンスは来たときと同様にイオを背負って帰るらしい。母息子の表情は憑き物が落ちたように明るくなっていた。
「はい、これはおまけ」
最後にリリーはイオに小瓶を手渡した。
「スミレの砂糖漬け。少しずつ食べてね」
「重ね重ねありがとうございます」
母親は頭を何度も下げる。タンザナでは輸入に頼るしかない調味料類は高価なもの。リリーすら自分の食事にはあまり使わない。
「じゃあ、またね」
「バイバイ、お姉ちゃん」
「今度来たときは話を聞かせてもらうからな」
見送りが終わり、リリーはコップの片づけなどの後始末を始めた。ムーンの金属でできた身体では細かい作業には向かないので、薪割りに専念することにした。力を入れていないように見えるのに軽々と薪が一刀両断される。できた薪は一部を残して倉庫にしまう。
次にあまり家から離れない範囲で白樺や杉の木を探し、かまどの火種になる樹皮を削る。合間に細枝を拾う。かまどは裂いた樹皮を火種に細いものから燃やす。これらも台所に用意しておけば、すぐにかまどが使える。
昼過ぎに帰宅すると、リリーが「休憩にしましょう」と声をかけきたので台所の席に着いた。といっても、飲み食いが不要なムーンにはすることがない。
リリーは甲冑の表面を調べて傷がないか確認する。素人が手を入れただけに事後の状態が気になるのだ。ムーンは動かずに受け入れている。リリーに点検されることは不思議と心地よかった。患者の診察を見たから、追体験しているかもしれない。
「塗装も剥がれてないし、大丈夫です。一度、鍛冶屋さんには見てもらいたいんですけど……」
リリーはテーブルに立てかけてある剣にも視線を注ぐ。ムーンによれば、手にしたときからずっと使っているそうだが、錆びたり破損したりはしていない。もしかしたら、甲冑同様に身体の一部になっているのかもしれない。
研ぐ技術がいるだろうからと、剣には手をつけていなかった。かえって切れ味を悪くするかもしれない。家庭用の包丁とは訳が違う。
「剣もメンテナンスが必要ですね。町に行くときに鍛冶屋さんに見てもらいましょう」
点検が終わり、リリーも正面の席に着いた。ハーブティを傾けたところで、「訊くが――」とムーンが声を出す。
「はい」
「ハンスは恋人か? 兄妹のようなものとは聞いた。では、共に育ったのではないのだろう」
リリーの目が丸くなる。それから首を捥げそうなくらい横に振った。
ムーンの質問はただの疑問であり、他意はない。他の人間と比べて親密そうであり、同じ匂いを感じたからだ。家族ではない。恋愛や恋人という言葉は知っていても、辞書上の意味だ。
「違います違います。ただの幼なじみで……。小さい頃は父が忙しいときとか、預けられたりしてたからかな」
動揺したように視線を左右に巡らせる。少し身を乗り出し、躊躇いがちに口を開く。ムーンも真似て同じようにする。テーブルを挟んで顔を近づける二人。
「実は……ハンス兄さんは年上の素敵な女性が好きなんです」
「なるほど」
ムーンから見たリリーの体温も鼓動も落ち着いたままで真実を打ち明けたのだと理解ができる。
「好きな人がいるので、応援したいんですけど……」
「分かった。機会があったら協力しよう」
こうして、本人のいないところで勝手に話が進んでいったのだった。
次回→CASE 3 町へ行こう!
ハンスは台所で鍋に湯を沸かし始めた。手を止めることなく動かしている。物の位置を把握しているらしい。他人の家にしては使い慣れている。
「うちはさ、昔あいつの父親にお袋の命を助けられたんだ。ずっと昔……オレの産まれる前さ。風邪を拗らせて、「医者に見せることもできねえから途方に暮れてた」って親父が言ってた。それ以来、うちの荷馬車に患者さんを乗せて近くまで運ぶようになったんだ。うちは町から村まで行き来してるし、隣国のエメラルジオとも取り引きがある。街道を移動してても荷物に紛れてりゃ怪しまれないのさ」
鍋の中身に視線を落としたままハンスが言う。かまどで木の枝が炎に包まれて爆ぜてパチパチと鳴った。
「で、オレが産まれてよ。これでもガキの頃は病弱で、先生には数え切れないほど世話になった。そのときリリーとも仲良くなって、兄妹みたいなもんなんだ。我が家はここには二人も世話になっちまったから、もう頭が上がんねえのさ。荷車使いたい放題だ」
口端を持ち上げて笑うハンスは、冗談めたしていながらも少し照れ臭そうだ。
「なるほど。君たちがここを手伝っていたんだな」
「そうそう。でも、うちは送り届けだけさ。そばで手助けしてやることはできねえから、アンタがいてくれてよかったよ。一人で危ねえしさ」
「ふむ……」
話が一段落すると、鍋の中でポコポコと水泡が浮かんでは破裂し始めた。ハンスは火から下ろし、戸棚から瓶を複数取り出す。匙で中身を救い、鍋に入れていく。乾燥ハーブだった。ハーブは湯の中を優雅に泳いでいる。
「手慣れているな」
ハンスはまだ燃えている火の様子を見ながら得意げに鼻を鳴らす。火かき棒を取り出し、燃料の位置を調節した。
「まあな。あの子と一緒で特に悪かったのがココなんだ」
胸の辺りをポンポンとムーンに見えるように叩く。
「だから、よくこのハーブティを飲んでた。途中からは勝手に作ってたんだぜ。あの子の辛さは分かるし、何とかしてやりてえ。こんなに元気になっちまった見本がここにいるしさぁ!」
「なるほど」
ハンスは台の上にコップを並べて鍋の中身を注ぐ。今度は別の瓶の蓋を開ける。中には粘性のある琥珀色の液体が入っていた。
「これを仕上げに入れるのが好きでさ。辛いのに嬉しかったなあ」
液体がハーブティの中にとろとろと落ちる。かき混ぜると、コップの中で溶けていく。燃え殻を火消壺に入れ、台所の作業は終わった。
5
イオの母親の到着を待って診察は始まった。母親は心配ゆえか泣き出しそうな顔をしている。
リリーは白紙を取り出し、イオのフルネームや住所、生年月日などを確認して記載した。他には食べられるものから体質まで。師匠である父親に初めの問診が重要だと習っている。確認事項を聞き漏らせば、かえって具合が悪くなってしまうこともある。タンザナ王国の平民における識字率は低い。だから、リリーがすべて記す。
「では、症状を聞かせて下さい。気がついたことならなんでもいいです」
母親の視線が下に向く。不安そうな表情の中に疲労が見える。
「この子は以前から風邪を引きやすい子でした。特に冬になると必ず具合が悪くなって……。その度に咳が止まらなくなるんです。暖かくなって落ち着いたかと思ったんですが、まだ止まらなくて……。いつもではないんですが、本当に苦しそうなんです」
「咳が出やすい場面はありますか? 時間帯でもいいです」
母親はリリーの質問に考え込む。視線が宙を彷徨い、息子に辿り着き、また下に戻る。
「原因となるものは思い当たらないですが……夜が多いです」
リリーは母親の言を書き留めていく。すらすらと淀みなくペンが動いた。最後に句点をトンと打ち、ペンを置く。
「それでは診ていきますね。まずは、お顔見せて下さい」
イオの身体を確認し、再びペンを走らせる。リリーは改めて親子に向き直り、話しかけた。
「最初にご説明した通り、わたしは医者ではありません。特効薬など出せません。ですが、身体を治すお手伝いならできます。一緒に元気になりましょうね」
リリーは患者を安心させるように優しく微笑む。
「まず、小さなお子さんの場合は空気の通る道――気道といいますが、どうしても狭いんです。夜に咳が出やすいのも、それが原因かもしれません。風邪などで腫れると呼吸がしにくくなります。うがい薬を差し上げますから、風邪の予防をしましょう。直接的な原因がある場合もあります。一つ一つ潰していかなければなりません。例えば、特定の食べ物を接種したことで咳が出るなんてこともあります。咳が出やすい状況をわたしと確認していきましょう」
「あの……病気は悪い空気や水が原因と聞いたことがあるのですが……」
おずおずと訊ねる母親にリリーは首を横に振る。
「一概には否定できませんが、基本的にそれは原因ではないです。ですが、家の中で暮らしてると空気は汚れます。普通のことです。身体によくないですから、毎日窓を開けて空気を入れ換えて下さい。気管が丈夫になるまで過度な運動は控えて、感情が昂るようなこともないように気をつけて下さい。そして、寝るときは背中に布などを敷いて上半身を浮かせるようにしてあげて下さい。呼吸が楽になります」
身振り手振りで説明をしてから、母親に向き直り、「お母さん、心配でしたよね。あなたのせいではないです。大きくなって元気になった子は沢山いますよ。あなた方をお連れしたブルネットの店員もそうでしたよ」と伝えると、母親は手で顔を押さえて礼を口にした。
「ママ……?」
イオが心配げに顔を見上げる。
リリーは姿勢を低くして明るい声を出す。
「大丈夫だよ、イオくん。お姉さんと頑張って苦しいの治そうね」
6
診察が終わったところで、ハンスがカップを持って部屋に入ってきた。
「お待たせー」
扉が閉まる瞬間にリリーの目はもう一つの影を捉えた。ムーンが廊下で待っていてくれる。感謝の視線を送る。
「気管に効くハーブティです。プリムラやタイムが入ってます。食べられないものは確認しましたが、少しずつ飲んで身体に合うか確かめて下さい」
カップは四つあった。ハンスはイオに渡した後に母親にも勧める。
「お母さんもドウゾ!」
「ありがとうございます。……あ、飲みやすい」
幼いイオも美味しそうに飲んでいる。
「ハチミツも入ってます。喉にいいんですよ」
なぜか二つ残ったカップを見てリリーが首を傾げる。
「多くない?」
「いーや、あってる。お前と俺。久々に飲みたくなってさ。ちょっと多めに、な」
イオと母親から笑いが溢れる。
リリーは一口飲んでから、「こればっかりはハンス兄さんの方が上手なのよね」と呆れるような顔を見せる。
「わたしはこれを調合してきますから、ゆっくり飲んでいて下さい。違和感があったらすぐにやめて下さいね」
椅子から起立し、部屋を後にする。扉を閉めると廊下で待機したムーンに小声で話す。
「ムーンさん、気を使っていただいて、ありがとうございますっ。いきなり兄さんと二人きりにしてしまって、すみませんでした」
それにムーンは平坦な口調で返した。
「いや、親切な青年だった。君についての話もした」
「えっ?! やだっ! 変なこと言ってませんでした?!」
「言ってない。君たちは仲がいいということは分かった」
動揺するリリーに生真面目に答えを返すムーン。会話を続けながら調合室に入る。薬草棚から壺を取り出し、重さを量って混ぜていく。ハチミツは液体だから加えられない。乾燥させたクランベリーで代用した。使ってみないと身体に合うか分からないから、初回の量は少なめにする。
相手が子どもであるために使える薬草が限られてしまうから気をつけなければならない。幼い子どもには効果が強過ぎてしまうのだ。例えば、チンキは酒を使っているので出せない。注意しながらイオ用の薬草を用意する。
最後に調合した薬草とは別に先日作ったばかりのものを小瓶に詰めて終わった。
「リリーはこれほどの量の薬草の場所を把握しているのか?」
ムーンは棚に並んだ入れ物を眺めながら言った。
「いえ! よく使うものならともかく、全部は無理です。父は暗記していました。でも、わたしが覚えられないので、瓶に目印や名前をつけさせてもらいました」
「聡明な方だったんだな」
「はい」
リリーの目が懐かしむように細まる。瞳の奥には懐旧の念が滲んでいる。薬草を準備する丁寧な手つきや真剣な顔は父譲りに違いない。
7
リリーは代金を支払おうとするイオの母親に丁寧に断りを入れた。町で生地屋を営んでいることから、売れ残ったものを譲ってもらうことで決着は着いた。
ハンスは来たときと同様にイオを背負って帰るらしい。母息子の表情は憑き物が落ちたように明るくなっていた。
「はい、これはおまけ」
最後にリリーはイオに小瓶を手渡した。
「スミレの砂糖漬け。少しずつ食べてね」
「重ね重ねありがとうございます」
母親は頭を何度も下げる。タンザナでは輸入に頼るしかない調味料類は高価なもの。リリーすら自分の食事にはあまり使わない。
「じゃあ、またね」
「バイバイ、お姉ちゃん」
「今度来たときは話を聞かせてもらうからな」
見送りが終わり、リリーはコップの片づけなどの後始末を始めた。ムーンの金属でできた身体では細かい作業には向かないので、薪割りに専念することにした。力を入れていないように見えるのに軽々と薪が一刀両断される。できた薪は一部を残して倉庫にしまう。
次にあまり家から離れない範囲で白樺や杉の木を探し、かまどの火種になる樹皮を削る。合間に細枝を拾う。かまどは裂いた樹皮を火種に細いものから燃やす。これらも台所に用意しておけば、すぐにかまどが使える。
昼過ぎに帰宅すると、リリーが「休憩にしましょう」と声をかけきたので台所の席に着いた。といっても、飲み食いが不要なムーンにはすることがない。
リリーは甲冑の表面を調べて傷がないか確認する。素人が手を入れただけに事後の状態が気になるのだ。ムーンは動かずに受け入れている。リリーに点検されることは不思議と心地よかった。患者の診察を見たから、追体験しているかもしれない。
「塗装も剥がれてないし、大丈夫です。一度、鍛冶屋さんには見てもらいたいんですけど……」
リリーはテーブルに立てかけてある剣にも視線を注ぐ。ムーンによれば、手にしたときからずっと使っているそうだが、錆びたり破損したりはしていない。もしかしたら、甲冑同様に身体の一部になっているのかもしれない。
研ぐ技術がいるだろうからと、剣には手をつけていなかった。かえって切れ味を悪くするかもしれない。家庭用の包丁とは訳が違う。
「剣もメンテナンスが必要ですね。町に行くときに鍛冶屋さんに見てもらいましょう」
点検が終わり、リリーも正面の席に着いた。ハーブティを傾けたところで、「訊くが――」とムーンが声を出す。
「はい」
「ハンスは恋人か? 兄妹のようなものとは聞いた。では、共に育ったのではないのだろう」
リリーの目が丸くなる。それから首を捥げそうなくらい横に振った。
ムーンの質問はただの疑問であり、他意はない。他の人間と比べて親密そうであり、同じ匂いを感じたからだ。家族ではない。恋愛や恋人という言葉は知っていても、辞書上の意味だ。
「違います違います。ただの幼なじみで……。小さい頃は父が忙しいときとか、預けられたりしてたからかな」
動揺したように視線を左右に巡らせる。少し身を乗り出し、躊躇いがちに口を開く。ムーンも真似て同じようにする。テーブルを挟んで顔を近づける二人。
「実は……ハンス兄さんは年上の素敵な女性が好きなんです」
「なるほど」
ムーンから見たリリーの体温も鼓動も落ち着いたままで真実を打ち明けたのだと理解ができる。
「好きな人がいるので、応援したいんですけど……」
「分かった。機会があったら協力しよう」
こうして、本人のいないところで勝手に話が進んでいったのだった。
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