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[24]白い闇、黒き陽光

ー272-:初めて逢った時から、貴女にひと目惚れでした

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 さほど時が過ぎぬ中、キョウコはうっすらと目を開いた。

 天井が見える。

 先程まで星々が散りばめられた夜空を眺めていたはずなのに。

「お目覚めになられたようですね、キョウコ」
 声を掛けてくれたのは、ベルタだった。

「私…」
 上体を起こそうとしたら、思うように力が入らず崩れ落ちそうになる。そんなキョウコの体をベルタが受け止めてくれた。

「まだ酔いが醒めていないようですね。もう少し横になられた方が良いでしょう」
 寝かしつけようとするベルタに「酔い?」訊ねた。

「はい。パーティーで提供されていたドリンクにアルコールが含まれていて、貴女はお酒に酔って庭園で寝入っていたのです。貴女を見つけたヒューゴたちも、すでにお酒が回っていたので対応できず、私が呼ばれてこちらまでお運びしました」
 にわかに信じがたい状況説明であった。

 ヒューゴとクレハがハイになった状態で庭園に入ってきたのは覚えている。

 だけど、あのおぞましい体験は、断じて夢などではない。

 思い出すだけでも体が震えてならない。

 自由を奪われただけでなく、体を弄ばれ、挙句、無理やり唇を奪われしまうなんて。

 悔しさのあまり、涙が零れ落ちてしまう。

 だけど、こんな憐れな姿をベルタに見られたくない。

 零れ落ちる涙を指ですくい拭う。

「ごめんなさい。だけど、そんなウソで誤魔化すのはやめてちょうだい。惨め過ぎる」
 辛いけど、アレは事実なのだ。

「ウソ…ですか?」
 驚いた表情を見せるベルタにキョウコは両腕を前へと伸ばして見せた。

「だったら、この手首のアザは何なの!?説明してよ、ベルタ!」
 さらに両手首を見えるように、「ジェレミーアに掴まれて、無理矢理あんな男を抱き寄せさせられたのよ!」訴えながらベルタに向けて突き出して見せる。

 それでも、ベルタは首を傾げて。
「手首が、どうかしたのですか?」

 訊ねられ、「とぼけないで!」自身でも手首を確認すると、掴まれた痕跡などどこにも見当らなかった「うそ…」。

 夢でも見ているのか?触れても、こすってもアザなど無いし、痛みすら感じない。
「あんな男とは…?庭園で寝入っていたのは貴女ひとりでしたが…」

「そ、そんな…。私…確かに体の自由を奪われて、無理やりケイジロウにキスされたのよ…」
 秘密にしておきたい事なのに、夢であって欲しいと願う事なのに、つい思わず口に出してしまった。

 そんなキョウコに、ベルタは柔らかい笑みを向けて。
「悪い夢を見ていたのですね。貴女がうなされていたので、お声を掛けて起こして正解でした」

 ベルタが立ち上がった。
「では、私はヒューゴとクレハの介抱に行ってきます」

「ま、待って、ベルタ。もう少しだけ私の傍にいて」
 切ない眼差しを向けて懇願するも、ベルタは首を横に振って。

「安心して横におなりなさい。それと、先程の官能小説のようなくだりは、男性の前では話さない方が貴女の身のためですよ」
 キョウコの頬に軽くキスをすると、ベルタは部屋から出て行ってしまった。

 頬とはいえ、突然の同性からのキスに、キョウコは顔を紅潮させながら頬に手をやった。

「あれは、夢…だったの?」
 身体の火照りがお酒に酔ってなのか?ベルタにキスされてなのか?キョウコには判断が付かなかった。


 ベルタがリビングから出てきた。

「お疲れ様」
 迎えてくれたのはアミィことアーマーテイカーとナバリィ。

「この通り、礼を言う。ドラゴンたちよ」
 ナバリィが頭を下げた。

「これでキョウコは今夜の出来事を忘れてくれるでしょうか?」
 心配の止まないベルタ。

「あとは下手人のケイジロウたちを取り押さえてしまえば、無事に事無きを得られるのだが。それは、我々で何とかする。それよりも、治癒魔法を持つ者がいてくれて助かった」
 ナバリィは改めてアーマーテイカーに頭を下げた。

「気にしないで。可愛い女の子を傷ものにしておけないもの。それに、悲劇そのものを“無かった”事にしようと企むなんて、アナタのマスター愛に、私、ズギュンと胸を撃ち抜かれちゃったわ」
 ナバリィの心意気に、アーマーテイカーは、“回復役”なる決して敵に知られてはならない存在である事を快く公表してしまった。

 それはベルタにひと芝居を打たせたヒューゴも同じだった。


 しばらく経って。

 横になっても、寝入る事ができずに、ただぼんやりと天井を見つめていたキョウコの耳に、ドアをノックする音が聞こえた。

「明智です。入ってもよろしいですか?」
 明智・信長の訪問に、キョウコは慌ててソファーに腰掛けた。「はい、どうぞ」

「失礼する。いや、します」
 言い直してリビングルームへと入った。

 彼に続いてナバリィも入ってきた。「お初にお目にかかる。この者をマスターとするナバリィと申す」

 初見の相手に、キョウコは会釈して見せた。

「もう、大丈夫なのですか?まだ横になっていた方が」
 信長は心配のあまり、キョウコの下へと寄ると床に跪いて彼女と目線を同じにする。

「まさか、まさか、飲み物にアルコールが含まれていたとは、同じように飲んでいたのに、全然気づかなかった」
 慌てふためくノブナガに、後ろでナバリィは、やはり不安でならなかった。

 何が何でも彼にキョウコに起きた事実を知られる訳にはいかない。

 なので、ウソの理由である“アルコール混入”を誤魔化さなければならなくなってしまった。

「それは貴公は酒に強いからであろう。現に高砂・飛遊午と鈴木・くれはは別の部屋でベルタに介抱されておる」
 あの二人は口裏を合わせてくれるので心配無い。

「そ、そうか」
 クレハが言った通り、本当に気苦労が絶えない。

「我はしばらくライク殿と話があるので、ここを離れる」
 告げて、ナバリィは腕を組みながら部屋を後にした。


 二人きりとなったリビングルーム。


「僕が傍にいるから、安心して横になって」
 信長の言葉に、キョウコは素直に横になった。

「このまま私が目を閉じたら、明智様はどうなさいます?」
 ふと、悪戯っぽく質問をしてみた。

 心臓が高鳴るのを感じる。

 このドキドキは、恋い焦がれる乙女のものか?それとも、ケイジロウに受けた辱めが心の傷として起きているものなのか?判断がつかない。

 ただひとつ言える事は、『キス』そのものに不安を抱いているということだけ。

「眠りに入ったばかりのお姫様を、キスで目覚めさせるほど私はせっかちではありませんよ」
 その答えを聞いて、キョウコは嬉しそうに笑みをたたえると、ゆっくりと目を閉じて眠りに入った。

「初めて逢った時から、貴女にひと目惚れでした」
 奇襲のような信長の告白を耳にして、キョウコは眠ったフリを続けるも、嬉しさのあまり流れ出ようとする涙を、どうやら抑えられそうにない。
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