それは猫に生まれた男の話

真綾

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  気がついたら雌猫の乳を吸っていた。

 数匹の兄弟とそれを取り合い、おいらはいつも一番乳の出のいい所を奪っていた。
 
 体が少しだけ大きかったのと、人生経験が豊富だったからなせた業。

 一番に母の後を付いていったりもした。野良猫の世界は親猫に置いて行かれたらもう命はない。自分で餌を捕ることができないし、危険がよくわからない。

 気ままに移動する母に付いていくのはそりゃあもう大変だ。

 おいらたちの事を考えないで行動をしているとしか思えない。
 まだ脚力のないその足で五十センチ程の幅のある川の上を渡れとか、おいらたちよりも背の高い草道を歩かされたり。

 付いていくのがやっとだ。

 それを後になって旦那に言ったら「それが猫にとっての親の教育だ」と小一時間程の説教を食らった。

 兄弟の中には歩くのがトロイ奴もいた。

 おいらはそいつが可哀想だから、餌場を譲ってやった。

 本人はそれに気づいていないと思う。

 だって、おいらに礼の一言もない。

 一番小さかったから他の奴らから守ってやったりしていたのに。

 でもおいらの頑張りは何の意味も成さなかった。

 ある日姿を見なくなった。

 付いていくのがやっとの険しい山道を歩いていたからだ。

 休憩地点で奴が居ないと気が付いた。

 母猫に一人足りないと言ったら「そう」と素っ気無い返事をされた。

 足りない子を探そうとはしなかった。

 弱肉強食のこの世界の現実を垣間見た瞬間だった。

 家猫のように人間に愛嬌を振りまいていれば餌を貰え、身の安全が保障されているやつらと違う。

 現実に泣く事はしなかった。ここに生まれてしまった運命だからと自分を納得させた。

 おいらは、この生活をそれなりに満喫していたのだ。

 あの時まで。




 生まれたときから何かが“ズレ”ていると思った。

 今の記憶の片隅に霧がかかったような、そんな感覚があったのだ。

 霧は成長するうちに段々と薄れていって、はっきりと見えてきた。

 人間だった頃の記憶。

 巣立ちをした日に覚醒した。

 生まれたばかりの頃は猫としての本能があったし、食べないと生きていけないからそれに気を配っている暇が無かった。

 けれど大人になるにつれて段々と違和感を覚えた。

 どうして、己がここにいるのだろうか。

 自分がここにいていいのだろうか。

 そんな考えが頭を巡るようになった。

 巣立ちをする前に親猫に言われた。

「お前はどこか変よ。少しだけ人間のような感じがする」

 それは人間だったころがあるから。だからそんな行動をするのだ。

 普通兄弟にでも餌場を譲ったりはしない。

 弱い者が死んでゆくのは自然の中では当たり前のこと。

 自分が生きるのに精一杯だから、他の者に気を配る暇はない。

「自然の中で他に気を配る必要はないのよ。己が生きることだけを考えていくの。でないといずれ、身を滅ぼすことになるわよ」

そう、言われた。
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