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正木光夜

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光夜こうや! お前また一人でっ!」

 光夜にとって親友と言えるただ一人の男、生田真逆いくたまさかの声がダンジョン内に響く。
 まるで泣くような声を背に受けながら、表情一つ動かさずに、凶悪なモンスターに突っ込んで行くのが、正木光夜まさきこうや、現在二十九歳の探索者だ。

 この世界は、十年前に突然各地に出現した、ダンジョンと呼ばれる別の世界との接点によって、虫食いのように穴だらけとなった。
 しかも、ただ穴が開いただけではなかったのだ。
 人類がダンジョンを扱いかねて、ひとまず封鎖して調査を続け二年ぐらいが経過した頃。
 後に深淵世界と名付けられたダンジョンの向こうの世界から、恐ろしいモンスターが地球世界に這い出して来たのである。
 そして、人を食った。

 日本では『闇の金曜日』と名付けられたその災害によって、大勢の人が亡くなり、ダンジョン発生の際に犠牲となった人々と合わせて、東京だけで数千人規模の死者や負傷者が記録された。

 やがて、恐怖に震えているだけでは何も解決しない、そんな思いからか、自然発生的に誕生したのが、探索者と呼ばれる者達だ。
 探索者は、自らダンジョンに潜り、地球世界との接点となるエリアからモンスターを排除すると共に、ダンジョン内の資源を採取して、ダンジョンをただの災害から、新たな稼ぎ場所としたのである。
 ダンジョン探索者時代の始まりだ。 

 探索者の時代の訪れに、人々はかつての犠牲を悼みつつも、明るい未来を予感していた。

 だが、光夜は十年前のダンジョン災害の生還者である。
 そんな過去を抱えて探索者になった光夜を、周囲の者は『死にたがり』と囁く。
 無謀な戦い方、利益少なく危険の大きいダンジョンを選んで潜るというクレイジーっぷり、その全てが『死にたがり』という言葉に集約されているのだ。

 だが、そうではない。
 光夜は、自分の耳の奥にいつまでも残る、聞いた覚えのない人々の悲鳴に突き動かされるままに行動しているだけなのだ。
 光夜は、ダンジョン災害において、一人の幼い命を犠牲に生き残った。
 死者は、そんな自分を赦さないのかもしれない、と光夜は感じている。
 仲間達も薄々気づいているはずだ。
 光夜の歪な精神に。
 だが、それでも、仲間達は光夜を見捨てたりはしなかった。

「光夜っ!」

 下手な手出しは同士討ちフレンドリーファイアの危険がある。
 真逆とアトリがタイミングを計っていたときに、その横を駆け抜けた者がいた。

「私が、行きます」

 光夜のフォローに動こうとした真逆を遮るように駆け出したのは、さらりとした黒髪の、一見おとなしげな女性だった。

「……姫島さん」

 真逆の隣で、真逆の仲間である灰島花鶏はいじまあとりが呟く。
 その声には、ほうっと、どこか安心したような響きがある。
 姫島と呼ばれた女性探索者は、独特の滑るような足取りで、光夜の突っ込んだ逆側からモンスターに牽制の一撃を叩き込んだ。

 左の素手でモンスターの攻撃を弾くという、正気の沙汰とは思えない方法で、モンスターに何もさせないまま、右手に持った警棒で痛烈な一撃を入れる。
 そこにまるで事前に打ち合わせでもしたようなタイミングで、光夜がダンジョン専用のショットガンを撃ち込んだ。
 たまらずもんどり打ったモンスターに、さらに別の二人の人物が駆け寄る。
 姫島の仲間達だ。
 大剣使いと獣化ライカンスロープという、これまた異色の取り合わせだが、ぴったりと息を合わせて、モンスターに止めを刺す。
 真逆とアトリがカバーする必要も全くない、見事な連携だった。
 
「きゃー! さすがみゆさま!」
「誉くんも素敵」
「亜沙子お姉さまぁ!」

 場違いな歓声が呼ぶように、姫島達三人の名前は、姫島ひめじま望結みゆ岸谷きしたにほまれ前田亜沙子まえだあさこと言う。

 九州の地方都市から東京に拠点を移したという姫島達三人パーティは、若さと、自らの功を全く誇らないストイックさから、人気急上昇となっている。
 女性のほうが多いパーティなのに、なぜか女性人気が高いのが謎だ。

「チッ……」
「光夜、俺達との連携を考えろっていつも言ってるだろ?」

 不機嫌そうに舌打ちしつつ戻った光夜に、真逆が注意した。
 真逆は、聞き入れてはくれないことを理解しつつも、誰かが言わなければならないから言っているのだ。
 それを理解するからこそ、光夜はむっつりと黙り込んだが、特に反論することはなかった。
 さすがに、今回は自分でも無茶をした自覚があった光夜である。

 真逆はおそらく気づいていた。
 モンスターの周囲を囲む探索者の一画、まだ学生の雰囲気を漂わせている女性が、恐怖にすくんで逃げ遅れ、それに気づいた光夜が何も考えずに突っ込んだという経緯を。
 それでも、それならそれで、なぜ自分達に声を掛けないのだ? と言いたいのだろう。
 そのための仲間なのだから、と。
 
 そんな光夜達のところへ、姫島達三人が近づいて来た。
 実は、光夜の仲間の真逆とアトリは、姫島達とは妙な縁がある。
 姫島達三人が、まだ東京に拠点を移す前、東京のダンジョンを体験しに来たことがあり、そのときに知り合ったようなのだ。
 その出会いの際の印象がどうだったのか、姫島達は、真逆とアトリの二人と交流するようになった。
 そして、光夜は同じパーティメンバーとしてひとくくりに認識されているらしいのだ。

 とは言え、真逆にしても、アトリにしても、複雑な気持ちがあるだろう、と光夜は思う。
 いかにも地方出の地味な若手パーティだったのに、恐ろしい強さを発揮して、急速に実力者パーティとして探索者ランキング入りしてしまった。
 あまり成績などを気にしない光夜達だが、後輩と思っていた相手に軽々と追い抜かれると、なんとも言えない気持ちにはなる。

「余計なことをして、ごめんなさい」

 そんな姫島にいきなり謝られて、光夜のほうが面食らってしまった。

「別に……助かったと思っている」
「光夜、スマイルスマイル!」
「ダメ、光夜の顔面の筋肉はすでに死んでいる」

 好き勝手に言う仲間達にむかつきつつも、光夜は反論しない。
 笑い方など、十年前、ダンジョンに落ちて我に返った瞬間に、忘れてしまった自覚があったのだ。
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