竜の御子は平穏を望む

蒼衣翼

文字の大きさ
27 / 296
西の果ての街

城の中の三悪人

しおりを挟む
 部屋の中は食べ物の匂いに占拠されていた。
 この土地特産のはちみつを塗られ炙り焼かれた燻製肉が、崩されるのを待つ山のように大きな木皿にドンと盛られ、綺麗な三角に作られた平たい白いパンが赤い色が付けられた素焼きの皿に花びらのように盛られている。
 各人の前には深鉢にたっぷりとした玉ねぎベースのスープが、とろりとした照りをろうそくの灯りの元で輝かせていた。
 椅子にどかりと座るそれぞれの手にある杯にも麦酒が溢れんばかりに注がれている。

「ううむ、こうして見るとどうも無法者の集まりのようだ」

 主人席の男が嘆息して言った。

「なに言ってるんですか、今更」

 一人の男が手を脂でギトギトに汚しながら、骨にこびりついた肉を歯で削ぐと、次に骨を噛み割って中の髄をすすり上げる。

「意地汚いな、見ろ、ベスの恨めしそうな顔を」
「人間さまだって肉が不足してるんだよ、飼われてる獣の分際で態度がでかいぞ」
「態度がでかいのはきさまだ。ここにいる人間で一番地位が低いのはきさまだろうが」

 気品を感じさせる美貌の男が、その眉間に皺を寄せて温和な顔立ちを台無しにしながら唸るように言うと、それをなだめるように主人席の男がとりなした。

「いやいや、一番身分の高いのも彼だから」
「捨てたものは数に入りませんよ」
「確かにな」

 間髪置かない反論に、言われた当人自身が大きく同意すると、空になった自分の皿をちらりと見て、肉の山に手を伸ばそうとする。
 その彼を目で制し、主人席に座っている男がキラリと光るナイフを手に立ち上がった。
 その手にあるのは怖い程に磨き上げられた銀製のナイフだ。
 当然庶民の手に入るような品物ではない。
 彼はそのナイフで器用に肉の山から薄すぎず厚すぎない肉の一片をいくつか切り取ると、取り皿にパンを敷き、むしろこの場では浮いてしまう程上品に盛り付けて相手に差し出した。
 差し出された方は、手に持っていた骨の残りをぽいと投げ出してそれを受け取る。
 すかさず、机の下で待ち構えていた毛並みのいい狩猟犬が床に落ちる前の骨に飛びついて銜えた。

「こいつめ、今年の狩りは私に任せろとでも言ってるつもりか」

 骨を捨てた男は鼻を鳴らして犬をちろりと睨む。

「領主殿、食事の席で料理を取り分けるのが主人の仕事であるのは、農場の主人とか商家の主人の場合だと思うのですが」
「そんな事を言って、長年の俺の夢を奪うつもりか。お前も酷い男だな」
「あなたの夢はやたら多い上に価値観が我らから外れているのでどうにも理解しかねます」
「ふむ、どうも分かりにくいが今のは褒められたのかな?」
「俺は説教されているんだと思いましたが」

 主と会話しながらもガツガツと尚も食べる事に精を出していた男は、ふと思いついたように呟いた。

「そういえば、ちっと前までは城の会食の時は、なんかやたら見栄えがいい食い物ばっかり出てたような気がするが、最近は見た目を全く気にしないものになってきたな」

 主が肩をすくめてみせた。

「それは主にお前のせいだ。以前料理長が精魂込めて作った料理を『ドレスを脱がしたら期待外れの淑女のようだ』とか大声で言っただろう」
「そんな事言いましたか? 俺が?」
「野蛮人ですね」
「料理長はカンカンになって、そんな下品な輩に繊細な料理を出す必要はないって事で、それ以来、お前の来る会食は質より量になったのさ」
「ふん、あんな訳の分からん料理より、実のあるこういう食い物の方が良いに決まってる。俺にはありがたい事ですよ」

 他の二人は思わずため息をついた。

「とても王に次ぐ大貴族の当主になる予定だった男とは思えませんね。実現していたらと思うと恐怖に体が震えます」
「なんだ、そういう事をいつまでもネチネチと。誰だって生まれは選べないだろうが、貴族じゃないはずのハイライ殿がここで一番貴族らしく見えるようにな」
「私は母が一応どこぞの貴族の姫君だったらしいですからね、それを攫って私を生ませた父は盗賊でしたが」
「こらこら、お前たち。今日は楽しくみんなで食事をしようと集まったんだろう? そういう重たい話はよせよせ。なにか明るい話題はないのか? 赤ん坊が生まれたとか今年は渡りの鳥が多そうだとか」

 段々と険悪になって来ていた二人を見かねて、この街の領主、ラケルドがにこやかにそう言った。
 彼は笑うと邪気を払うようなほっとする空気を周囲に与える人物で、彼の補佐官などは「笑ってれば大概の事は片付く」とかさりげなく酷い評価を下していた。

「そういえば、ほら、ロウスさんのお孫さんが帰ってきたとか」
「ああ、ライカという名前ですよ。暮れ始めた夕日のような綺麗な色の髪と目をした可愛らしいよく目立つ子で、それもあってこないだはとんだ事件に巻き込まれていましたが」
「お前が罪人を半分死人のようにしたという一件だな」

 すかさずハイライがさらりと嫌味を混ぜる。

「むぅ、だが、今回は骨を一箇所ずつ折っただけだぜ? 俺も随分穏やかな性格になったな、と自分でも感心したぐらいだ」
「穏やかという言葉が泣いているでしょうね」
「ほらほら険悪になるのはやめような」

 二人を宥めるように杯に酒を注ぎ足す。

「それで、その子は無事だったのか?」
「ええ、まぁけっこう殴られたようですが、相手も人狩りですし、商品に無茶はしなかったんでしょうね。怪我自体はほとんどなかったという事ですが、どうもショックが大きかったようで、その日は倒れたとか聞いています」
「ふうむ、繊細な子なんだな」
「噂ではどこかの没落した王族の隠れ里で育てられたとか言われてますよ。確かにここらじゃ見ないような上品な雰囲気がありますね」
「ほう、王族ね、まぁ先の戦で国を失った王族はかなり出ただろうから、あながち無い話でもないな」
「今はほら、市場の所の宿屋の、バクサーの一枝亭で働いているんですけどね。動きに無駄が無いっていうか洗練された動きをしますね、あの子は」
「騎士みたいな?」
「いや、そんな感じじゃないですよ。例えば貴族の立ち居振る舞いってのはいかに美しく見せるか? というのが基本なんですが、最近の成り上がり連中なんかはそれを意識しすぎて無駄な動きが多くなっちまってるんです。でも、実際人間の動作で一番美しいのは無駄のない繋がりの断ち切れない動きなんですよ。そういうのが無意識に出来てる感じです」
「ほほう、とすると噂の信憑性も高まったという事か」

 ラケルドはしばし神妙に考えている風だったが、やがてポンと手を叩くと、

「よし、一度ケツを触りに行って来るか」

 真剣な顔でそう宣言した。
 肉を咀嚼していた男は思わずその肉を噴出し掛けて慌てて麦酒で流し込む。

「いや、あの子は男ですから!」
「なんだ、お前の話を聞いていたら女の子としか思えなかったぞ」
「馬鹿ですからね、ザイラック殿は」
「いや、そこで俺に問題をぶつけるのはどうなんだ? 補佐官として主に忠告すべきじゃないか? もし女の子でも、いや女の子だったらそれこそまずいだろ? 領民の尻を触りに街に繰り出す領主ってのは?」
「まぁ世の中には領民の婦女子を夜な夜な攫う領主もいるらしいですし、それに比べれば」
「最悪と比べてどうするよ? 良き領主になってもらうんだろう?」
「何言ってるんですか、大体、本当はどこかの田舎でひっそりと牛でも飼って暮らすというお約束だったんですよ? 領主なんて面倒なだけの仕事を押し付けられて」
「愚痴るなよ、付いて来なくていいと言ったじゃないか」
「俺と一緒に来れば平穏な暮らしが出来る場所に連れて行ってやるっておっしゃったじゃないですか、逃げようったってそうはいきませんよ」
「俺には一言も付いて来いなんて言ってくださらなかったけどな」
「嫉妬ですか? 見苦しいですね」
「やめろ、お前たち。聞いてる方が恥ずかしいぞ」

 ラケルドは頭を抱えた。

「とにかく尻を触りに行くのはやめてください。第一なかなか難しいですよ」
「ほう?」
「あそこは酒は二杯までしか呑ませないんですが、それでも酔っ払う奴はいるし、体力仕事の理性の働かない連中も食事に行くでしょう。ミリアムはまぁ長年の経験でそういうやつらをあしらうのは慣れているんですが、坊やはちょくちょくからかわれててね。ふざけて触ったり抱き付いたりする馬鹿がいたりもするんですよ」
「男の子なんだろ?」
「男の子なんですけどね。雰囲気の柔らかい可愛い子なんですよ。馬鹿共はおとなしげで上品となると、からかわなきゃ失礼だと思うみたいですからね。それでまぁそういう連中を軽く捌いて悪戯を成功させた事がないって評判ですよ。しかも相手を怒らせないで丁寧に貴族様でももてなすみたいに接してくれるからって逆に常連客が増えたって」
「ほほう」
「きさまは責任を取れよ」

 ラケルドの顔をみて、ハイライがザイラックにぼそりと言った。

「う?」
「なかなか楽しそうだな」

 ラケルドの声を聞いて、ザイラックの中で漂っていた酒精が霧散した。
 それは、今まで何度も聞いてきた本気の声だ。

「話を聞いていて、少し前に中庭で見た不思議な雰囲気の子を思い出した。そういえばあれはその事件の日だったな。連れていたのはお前の部下だったし」
「あ、主殿? 我が君?」

 呆然と主君を見る彼の足元では、猟犬のベスが次を催促するようにさかんに尻尾を振っていたのだった。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

相続した畑で拾ったエルフがいつの間にか嫁になっていた件 ~魔法で快適!田舎で農業スローライフ~

ちくでん
ファンタジー
山科啓介28歳。祖父の畑を相続した彼は、脱サラして農業者になるためにとある田舎町にやってきた。 休耕地を畑に戻そうとして草刈りをしていたところで発見したのは、倒れた美少女エルフ。 啓介はそのエルフを家に連れ帰ったのだった。 異世界からこちらの世界に迷い込んだエルフの魔法使いと初心者農業者の主人公は、畑をおこして田舎に馴染んでいく。 これは生活を共にする二人が、やがて好き合うことになり、付き合ったり結婚したり作物を育てたり、日々を生活していくお話です。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

A級パーティから追放された俺はギルド職員になって安定した生活を手に入れる

国光
ファンタジー
A級パーティの裏方として全てを支えてきたリオン・アルディス。しかし、リーダーで幼馴染のカイルに「お荷物」として追放されてしまう。失意の中で再会したギルド受付嬢・エリナ・ランフォードに導かれ、リオンはギルド職員として新たな道を歩み始める。 持ち前の数字感覚と管理能力で次々と問題を解決し、ギルド内で頭角を現していくリオン。一方、彼を失った元パーティは内部崩壊の道を辿っていく――。 これは、支えることに誇りを持った男が、自らの価値を証明し、安定した未来を掴み取る物語。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

処理中です...