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西の果ての街
癒せないもの
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畑を囲む垣根を回って現れたその男は、一種異様な雰囲気を帯びていた。
彼の半身、右側の部位がごっそりと失われていて、見た目のバランスの悪さもさることながら、なにより、その表情が相対する者を戸惑わせる。
その目には目前の相手が映っている風もなく、目線が合っても表情一つ変わらないのだ。
そのあまりにも感情のない様子に、彼と向かい合う者は、もしかしたらこの相手は人間ではない他の何かではないか? との疑いを持ってしまう程である。
「なんだ? 新入りか?」
ぼそりと、意外にも普通に発された言葉に、ライカは思わずびくりと身を震わせた。
「違うわ、あたしが養育院の仕事をしているはずがないでしょう? この子は先生のお手伝いに来ているのよ。畑の周りで採集をするんで承知しておいてもらいたいの」
「ふん」
男はライカへ僅かに視線を向ける。
「俺が怖いのか? 大丈夫だ、異形ではあるが人を食ったりはしないからな」
抑揚のない声で投げられる言葉は、そこに感情が乗っていないだけで得体の知れない凄みを帯びた。
「やめて、マァイア。子供相手にそんな風に言うなんて」
スアンは眉を顰めて非難すると、ライカの手を取った。
「大丈夫よ、ぶっきらぼうだけど悪い事をする人ではないの」
「あ、はい。あの、お聞きしていいでしょうか?」
ライカはスアンに安心させるように応えると、目前の男、マァイアに問い掛ける。
マァイアは無言でじっとライカを見た。
それを了解と受け取って、ライカは気になっていた事を問いかけた。
「その怪我は獣に襲われたのですか?」
ぴくりと、初めて男の表情が動いた。
スアンの体が小さく震えるのをライカはその手に感じる。
「それを正面から聞いてこられたのは初めてだな。獣か、確かに獣だ。人間という名のな」
男の、深い傷の付いた口元が笑いの形に吊り上げられた。
「戦で逃げ遅れた俺を捕まえた敵兵は笑いながらこう言った。どれだけ刻んだら人間は死ぬのか? と。彼等は銅貨を一枚賭けてそれを確かめてみた。まずは腕を、次は膝を、次は足の付け根を、次は耳を、最後には目を。のたうちまわる俺をひとしきり笑って、賭けをちゃらにすると、奴らは止めを刺しもせずに飯に遅れるのを恐れて去った。幸い奴らの剣の腕前は下手くそで、完全な切断は出来てなかった。おかげさまで俺はなんとか死なずに生き残ったという訳だ。幸いなるかな天なる恵み、という所だろうな。結局は半端に切れた所も全部切り取る羽目になって、おぞましいこの姿だが」
壮絶な内容にも関わらず、彼から流れてくる感情は平坦なまま。
いや違う、とライカは感じた。
感情が動かないのではない。
彼の感情は、その傷を負った時に共に切り落とされてしまったのだ。
自ら感情を封印する竜達ともまた違う、何かが欠け落ちてしまったその意識の空洞は、触れるライカの意識をも引きずり込もうとするかのように深い。
「ごめんなさい。辛い話をさせてしまって」
ライカはその男、マァイアに謝罪した。
そぼ降る夏の暑さを未だ残して生温い雨の雫が、一気に冷えた気がして、ライカは思わず身を竦める。
スアンが再び握る手に励ますように力を入れてくれるのを感じて、ライカは申し訳なく思った。
「別に辛いとかは思った事はない。聞かれずに色々言われるよりははっきり聞かれた方が良いぐらいだ。で、聞きたい事は終わりか? 仕事の方はあんまり余計な事はせずにさっさと終わらせるんだな。畑を荒らしたら少々お仕置きをしなきゃならんからな」
「あ、はい。分かりました。色々ありがとうございます」
そう礼をしたライカにちらと訝しげな目を向けたが、それ以降は一切かまわずにマァイアは立ち去る。
緊張した面持ちで隣にいたスアンが、ほっと息を継いだ。
「あなた、凄い度胸ね。あの人に正面切ってあの怪我の事を聞くなんて」
「ごめんなさい」
「違うのよ、怒ってるんじゃないの。怖がらないのは悪い事じゃないわ」
スアンは、今までに見た事がないような顔つきで、ライカの頭を撫でた。
「私たちは人の体を治療する仕事をしているけど、体じゃない部分の苦しみを癒してあげる方法を知らないの。彼や孤児の子達を見る度に自分達の力の無さを思い知らされるわ」
「孤児の子達?」
「ええ、彼とは違うけどあの子達も傷付いて、それを癒す事が出来ないでいるの。何か言ったりしたりしてくるかもしれないけど、出来れば悪く思わないでやってあげてね」
やや離れた畑で、じっと立ち尽くしてこちらを窺ういくつかの小さい姿がある。
何かきっかけがあればすぐに逃げ散りそうなその様子は、常に狩られる不安を抱く小動物を思わせた。
「それじゃ、頼んでいいかしら?」
「あ、はい。籠一杯に採集すればいいですか?」
「ええ、一杯じゃなくても怒ったりしないから大丈夫よ」
おどけたように応えて、スアンは来た道を戻る。
それを見送って、ライカは畑の周りを見回した。
今やるべき事は雨の向こう側からこちらを窺っている子供達を詮索する事ではなく薬草を採る事である。
それに小動物というものは、慣れない相手に決して気を許さないものだ。
今の状態で彼等に対して何か出来る事はないし、するべきではない。
ライカの暮らした地でも、竜族の生活圏に小動物は決して近付かないし、下手にこちらから近付けば恐怖のみで命を落とす者すらあった。
経験としてそれを知っているライカは、今急いで自分から相手に働き掛ける事は避ける事にしたのである。
雨に濡れて独特の匂いを放つ緑の葉を捜しながら、ライカは世界を銀色に彩る雨が宙に描く直線模様をその体で乱して歩いた。
薬草を採取しながらもついつい視線の流れる先の整えられた畑には、柔らかな緑の葉が茂り、市場に出回る野菜のいくつかはここから来ていた事が見て取れる。
元々この地で野菜を育てている者は少なく、いわば彼らのおかげでライカ達も野菜を口に出来るのだからと、ひそかに感謝の思いを抱いた。
だが、そんな静かで単調な時間はすぐに破られる事となった。
「だれ?」
密やかな小さい声が雨音にまぎれるように届く。
ライカが地面に下ろしていた目線を上に上げると、その動作に驚いたように小さい姿がやや大きめの影に隠れた。
「あんた誰だ?」
小さい影を庇ったやや大きい方の影が同じ事を違う口調で聞いた。
ライカ自身より幾分小さいその姿から、相手がまだ子供だという事は分かるが、それ以上の事は彼らの被った頭巾のせいでライカには分からなかった。
「ライカ」
何か酷く警戒している相手に、簡潔に自分の名前を答える。
「なんでここにいんの?」
「マァイアさんから聞いてない? 治療所の先生の手伝いで薬草を採ってる」
「マァイアは、聞かないと話さないから」
ちらちらと、少年らしき相手の後ろから更に小さな子供が覗いていた。
セヌと同じぐらいの大きさだな、とライカは思う。
年齢もセヌと近いのかもしれない。
だが、その纏う雰囲気は全く違っていた。
その子供は強い警戒と怯えを窺わせ、気になる風ではあるのに、決してライカと目を合わせようとはしない。
少年の方は対照的に、その目に強い警戒を浮かべてライカから目を離さなかった。
「そうか、先生の手伝いか」
ライカの答えに、その場の緊張がやや緩む。
「終わったらさっさとこっから出ていけよ!」
言い捨てると、少年は小さな手を引いて離れて行った。
湿った土を蹴る軽い二つの足音が遠ざかる。
(テリトリーに天敵が踏み込んだ子育て中の動物みたいだな)
やや偏った経験からそんな事を連想して、警戒に満ち溢れた背中を見つめながら、ライカはスアンの言った癒せない傷について考えた。
そして、他人からお互いを庇い合うような子供達と、恐れも痛みも失くしたような男の事を考えると、なぜか落ち着かない気持ちになる自分を感じ、それを不思議に思う。
まるで留まる事なき水のように零れて掴めない気持ちを抱えながら、ライカは雨の中でひときわ強い匂いを放つ緑の葉をひたすらに摘んだのだった。
彼の半身、右側の部位がごっそりと失われていて、見た目のバランスの悪さもさることながら、なにより、その表情が相対する者を戸惑わせる。
その目には目前の相手が映っている風もなく、目線が合っても表情一つ変わらないのだ。
そのあまりにも感情のない様子に、彼と向かい合う者は、もしかしたらこの相手は人間ではない他の何かではないか? との疑いを持ってしまう程である。
「なんだ? 新入りか?」
ぼそりと、意外にも普通に発された言葉に、ライカは思わずびくりと身を震わせた。
「違うわ、あたしが養育院の仕事をしているはずがないでしょう? この子は先生のお手伝いに来ているのよ。畑の周りで採集をするんで承知しておいてもらいたいの」
「ふん」
男はライカへ僅かに視線を向ける。
「俺が怖いのか? 大丈夫だ、異形ではあるが人を食ったりはしないからな」
抑揚のない声で投げられる言葉は、そこに感情が乗っていないだけで得体の知れない凄みを帯びた。
「やめて、マァイア。子供相手にそんな風に言うなんて」
スアンは眉を顰めて非難すると、ライカの手を取った。
「大丈夫よ、ぶっきらぼうだけど悪い事をする人ではないの」
「あ、はい。あの、お聞きしていいでしょうか?」
ライカはスアンに安心させるように応えると、目前の男、マァイアに問い掛ける。
マァイアは無言でじっとライカを見た。
それを了解と受け取って、ライカは気になっていた事を問いかけた。
「その怪我は獣に襲われたのですか?」
ぴくりと、初めて男の表情が動いた。
スアンの体が小さく震えるのをライカはその手に感じる。
「それを正面から聞いてこられたのは初めてだな。獣か、確かに獣だ。人間という名のな」
男の、深い傷の付いた口元が笑いの形に吊り上げられた。
「戦で逃げ遅れた俺を捕まえた敵兵は笑いながらこう言った。どれだけ刻んだら人間は死ぬのか? と。彼等は銅貨を一枚賭けてそれを確かめてみた。まずは腕を、次は膝を、次は足の付け根を、次は耳を、最後には目を。のたうちまわる俺をひとしきり笑って、賭けをちゃらにすると、奴らは止めを刺しもせずに飯に遅れるのを恐れて去った。幸い奴らの剣の腕前は下手くそで、完全な切断は出来てなかった。おかげさまで俺はなんとか死なずに生き残ったという訳だ。幸いなるかな天なる恵み、という所だろうな。結局は半端に切れた所も全部切り取る羽目になって、おぞましいこの姿だが」
壮絶な内容にも関わらず、彼から流れてくる感情は平坦なまま。
いや違う、とライカは感じた。
感情が動かないのではない。
彼の感情は、その傷を負った時に共に切り落とされてしまったのだ。
自ら感情を封印する竜達ともまた違う、何かが欠け落ちてしまったその意識の空洞は、触れるライカの意識をも引きずり込もうとするかのように深い。
「ごめんなさい。辛い話をさせてしまって」
ライカはその男、マァイアに謝罪した。
そぼ降る夏の暑さを未だ残して生温い雨の雫が、一気に冷えた気がして、ライカは思わず身を竦める。
スアンが再び握る手に励ますように力を入れてくれるのを感じて、ライカは申し訳なく思った。
「別に辛いとかは思った事はない。聞かれずに色々言われるよりははっきり聞かれた方が良いぐらいだ。で、聞きたい事は終わりか? 仕事の方はあんまり余計な事はせずにさっさと終わらせるんだな。畑を荒らしたら少々お仕置きをしなきゃならんからな」
「あ、はい。分かりました。色々ありがとうございます」
そう礼をしたライカにちらと訝しげな目を向けたが、それ以降は一切かまわずにマァイアは立ち去る。
緊張した面持ちで隣にいたスアンが、ほっと息を継いだ。
「あなた、凄い度胸ね。あの人に正面切ってあの怪我の事を聞くなんて」
「ごめんなさい」
「違うのよ、怒ってるんじゃないの。怖がらないのは悪い事じゃないわ」
スアンは、今までに見た事がないような顔つきで、ライカの頭を撫でた。
「私たちは人の体を治療する仕事をしているけど、体じゃない部分の苦しみを癒してあげる方法を知らないの。彼や孤児の子達を見る度に自分達の力の無さを思い知らされるわ」
「孤児の子達?」
「ええ、彼とは違うけどあの子達も傷付いて、それを癒す事が出来ないでいるの。何か言ったりしたりしてくるかもしれないけど、出来れば悪く思わないでやってあげてね」
やや離れた畑で、じっと立ち尽くしてこちらを窺ういくつかの小さい姿がある。
何かきっかけがあればすぐに逃げ散りそうなその様子は、常に狩られる不安を抱く小動物を思わせた。
「それじゃ、頼んでいいかしら?」
「あ、はい。籠一杯に採集すればいいですか?」
「ええ、一杯じゃなくても怒ったりしないから大丈夫よ」
おどけたように応えて、スアンは来た道を戻る。
それを見送って、ライカは畑の周りを見回した。
今やるべき事は雨の向こう側からこちらを窺っている子供達を詮索する事ではなく薬草を採る事である。
それに小動物というものは、慣れない相手に決して気を許さないものだ。
今の状態で彼等に対して何か出来る事はないし、するべきではない。
ライカの暮らした地でも、竜族の生活圏に小動物は決して近付かないし、下手にこちらから近付けば恐怖のみで命を落とす者すらあった。
経験としてそれを知っているライカは、今急いで自分から相手に働き掛ける事は避ける事にしたのである。
雨に濡れて独特の匂いを放つ緑の葉を捜しながら、ライカは世界を銀色に彩る雨が宙に描く直線模様をその体で乱して歩いた。
薬草を採取しながらもついつい視線の流れる先の整えられた畑には、柔らかな緑の葉が茂り、市場に出回る野菜のいくつかはここから来ていた事が見て取れる。
元々この地で野菜を育てている者は少なく、いわば彼らのおかげでライカ達も野菜を口に出来るのだからと、ひそかに感謝の思いを抱いた。
だが、そんな静かで単調な時間はすぐに破られる事となった。
「だれ?」
密やかな小さい声が雨音にまぎれるように届く。
ライカが地面に下ろしていた目線を上に上げると、その動作に驚いたように小さい姿がやや大きめの影に隠れた。
「あんた誰だ?」
小さい影を庇ったやや大きい方の影が同じ事を違う口調で聞いた。
ライカ自身より幾分小さいその姿から、相手がまだ子供だという事は分かるが、それ以上の事は彼らの被った頭巾のせいでライカには分からなかった。
「ライカ」
何か酷く警戒している相手に、簡潔に自分の名前を答える。
「なんでここにいんの?」
「マァイアさんから聞いてない? 治療所の先生の手伝いで薬草を採ってる」
「マァイアは、聞かないと話さないから」
ちらちらと、少年らしき相手の後ろから更に小さな子供が覗いていた。
セヌと同じぐらいの大きさだな、とライカは思う。
年齢もセヌと近いのかもしれない。
だが、その纏う雰囲気は全く違っていた。
その子供は強い警戒と怯えを窺わせ、気になる風ではあるのに、決してライカと目を合わせようとはしない。
少年の方は対照的に、その目に強い警戒を浮かべてライカから目を離さなかった。
「そうか、先生の手伝いか」
ライカの答えに、その場の緊張がやや緩む。
「終わったらさっさとこっから出ていけよ!」
言い捨てると、少年は小さな手を引いて離れて行った。
湿った土を蹴る軽い二つの足音が遠ざかる。
(テリトリーに天敵が踏み込んだ子育て中の動物みたいだな)
やや偏った経験からそんな事を連想して、警戒に満ち溢れた背中を見つめながら、ライカはスアンの言った癒せない傷について考えた。
そして、他人からお互いを庇い合うような子供達と、恐れも痛みも失くしたような男の事を考えると、なぜか落ち着かない気持ちになる自分を感じ、それを不思議に思う。
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