竜の御子は平穏を望む

蒼衣翼

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西の果ての街

冬の日

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 土間の炊事場に掘られた穴倉の中に保管してある塩漬けのカブの壷を取り出し、貯蔵してあった芋を一個ナイフで割った物と一緒に二切れ鍋に入れる。
 今の時期野菜が全くないので、この漬けの存在は有り難い。
 しかも塩が染みているので味付けになってスープの淡白さを補っていた。

「また警鐘鳴らないかな?」

 ライカがその漬けをしみじみ眺めて呟くと、隣の部屋にいる祖父が笑う。

「バカを言うんじゃないぞ、今の時期に山火事なぞ起こったら今度は全部が燃えてしまうじゃろうからな」

 以前、警鐘が鳴らされた原因であった山火事は、その後一晩で小さくなり、二晩目には消えたらしい。
 らしいというのは日が高くなる頃にはもう火も煙もあまり見えなくなっていたので、次の日もまだ火が残っていたというのが信じられないくらいだったからだ。

「別に火事が起こって欲しいんじゃないよ、時々訓練で鐘を鳴らしてるって聞いたからさ」
「こんな時期に訓練なぞする余裕はないじゃろう。とにかく今の時期は水が枯れるからの、井戸も枯れて、水路の端に造ってある溜池は割れない厚さに凍っておるし、警備隊の連中が総出で泉に水を汲みに行ってくれんと、まともな生活すら危ういわい」
「そうだよね、分かってるんだけど、もう少し塩があったらもっと色々漬けておけたのになと思って」
「なんじゃ、塩目当てか! そりゃまた随分気に入ったもんじゃな。ここへ来た早々は塩味のもんはまともに食えなかったお前がの」
「ああ、うん。だってそれまで塩とか食べた事なかったし」
「いやいや、塩は生きていくのに大事なものじゃぞ、食っとらん事はなかろう。お前が覚えてないだけじゃよ。どうせ上品な薄味の食いもんばっかり食っとったんじゃろう」
「うーん」

 ライカは竜の家族と暮らした生活を思い出してみたが、そもそもここへ来る一年前まで火を通す料理というものを口にした事がなかったのだ。
 唯一セルヌイの人間文化かぶれのせいで湯を沸かして茶を淹れる事だけはしていたが、これには当然塩など入っていなかった。

 ライカは人間世界に戻る為に文献や見聞きした事などから色々と勉強をして、ある程度予習もした。その時に料理の基本も覚えたが、料理に味を付けるという部分がすっぽりと抜けていたらしく、単に茹でたり焼いたりしたものを綺麗に盛り付けて食べていたのだ。
 人間の文化に詳しいセルヌイから匙の握り方や、今の所使う事もなく来ているナイフでの食事の仕方、そういう細かい決まり事や作法とかは教え込まれたのだが、そんなものを守っている人をこの街で見た事がないので、どうも他の国の作法なのではないかとライカは思っていた。
 竜王達と暮らしていた時でも、岩塩等をヤギや牛とかが集まって舐めているのはライカも経験上知っていたが、それはそういう動物だからだとライカは思っていたのだ。

「でも、確かに今は塩が無いとなんか物足りなく感じるよ」
「じゃから自分で食事を作るようになったから分かっただけで実は昔も食っとったんじゃよ」
「うん」

 ライカは自説に拘泥する事なく、祖父の言葉に頷いた。
 分からない事に拘っても仕方が無いと思ったのである。

「ご飯食べたら外に出て来る。やっと風も収まったみたいだし」
「おお、そうじゃ。ライカや、山の方を真っ直ぐ見るんじゃないぞ、雪が積もっとるからな、目をやられるぞ」
「雪? なんで目が?」
「ありゃ白すぎるからの、日の光を跳ね返し過ぎるんじゃ、太陽を真っ直ぐ見るようなもんじゃよ」
「へぇ、うん、分かったよ」


 ライカは街の通りを城の方へと進んだ。
 礫石を敷き詰めた道に雪が入り込んで溶け、それが凍ってやたらつるつる滑って歩き難い。
 ライカは何度も無意識に飛翔術を使って転ぶのを回避していた。
 やがて水路の方から子供の声が複数響いているのが聞こえてきて、なんとなくライカはそっちへと向かう。
 水路には子供達が何人もいて、厚く張った氷の上で板を使ったり、そのまま木靴で滑ったりしていた。

「何してるの?」
「あ、ミリアムの店のライカか。何って遊んでるに決まってるだろ? 氷の上ってすげぇ滑るから面白いぜ」
「へぇ」

 ライカはそこへ混ざろうと水路へと降りる。

「あ! お前! レンガ地区の連中とつるんでるヤツだろ、くんなよ!」

 横から声が掛かり、ライカがそちらを見ると、一人の少年が自分に指を突きつけていた。
 ライカは首を傾げる。

「つるんでるって?」
「仲が良いって事だ!」

 怒ったように言うその少年の周りで、他の少年が囃し立てた。

「ひゃっは、タイン! お前のきたねぇ言葉じゃわかんねぇとよ!」
「お上品なお坊ちゃんをからかうのも大変だぜぇ」
「うっせえな、てめぇらの方が口は汚ねぇよ」

 相手の意識が他に移り、ライカはその少年に見覚えが無かった事もあり、そのまま気にしない事にして、別の顔見知りの少年に声を掛ける。

「これ、凄い滑るけど」
「そそ、滑るんよ、見てろよ」

 彼はすっと体に反動を付けると、すいっと足を動かす事なく体重移動だけでそれなりの距離を滑ってみせ、転びそうになりながらもバランスを取って止まり、ライカにニヤリとしてみせた。

「おお!」

 当然その少年は飛翔術など出来ないので自らの体だけでバランスを取っているのだ。
 ライカは軽く感動を覚えて手を叩いて賞賛を贈った。

「おい!」

 そのライカの所へ、先ほどいちゃもんを付けた少年が現れて、ライカの服の首元を掴んだ。

「なんで俺を無視するんだよ!」

 ライカは不思議そうに彼の顔をしげしげと見る。
 しかし、やはり知らない顔でしかなかった。

「ええっと、誰だっけ? ごめん」

 最近は人の顔を覚えるのに慣れたとはいえ、やはり完全ではないので忘れている顔もある。
 ライカは自分が忘れたのだろうと思い、謝る事にした。

「警備隊と守備隊の狩り競争の日に会っただろう! 忘れたとは言わさないぜ!」

 狩り競争の日と言われて、しばし考えたライカは、警備隊と守備隊の狩りの初めの日にあった出来事をやっと思い出す。

「あ、小さい子に暴力を振るおうとした人だね」
「え?」

 何事かと様子を窺っていた周囲の子供達が眉を潜めたのを感じ取り、少年は慌てた。

「あれはあいつが警備隊を侮辱したからだろうが! やつら街の隅っこに棲み付いた糞虫のくせに!」
「あの時も思ったけど、なんでそんなにレンガ地区の人達を嫌うの?」
「はぁ? 当たり前だろ! あいつらはな、自分の国を守りもせずに逃げ出してきやがった腰抜けどもだぞ! しかも盗みをしながら暮らしてたんだ。そんな連中がこの街にいると街の評判そのものが落ちちまうんだよ」
「あそこの人たちが逃げて来たのは他人が起こした戦いからでしょう? なんでそれが悪いの? それに、元々ここに街を造ったのはあの人達じゃなかったっけ?」

 タインと呼ばれた少年が眉を上げて、何かを言いつのろうとしたその時、

「全くだ。戦い方を知らない連中は戦になればさっさと逃げるのが当然なんだ。その為に俺らがいる訳だからな」

 普段は洗濯場であり、今は水路に下りる踏み台になっている板の上から聞き覚えのある声が降ってきた。

「あ、また」

 少年は舌打ちして口をつぐみ、そっぽを向くが、ライカは瞬間、総毛立つような寒けを感じて身動きが取れなくなる。
 それは冬の空気による寒さではなく、まだ手の届かない場所にいる男が発している何かによるものであった。

「だからな、兵士でない者が戦いに背を向けるのは責めるべき事じゃないのさ」

 言葉を発するごとに、彼の発する何かは温度を下げていく。
 ライカはあまりの重圧に気が遠くなりかけた。

「くそっ! 俺! もう帰る!」

 タインと呼ばれた少年はライカ程ではないが、やはりなんらかの恐怖を感じ取ったらしい。
 慌てて体を引き、盛大に転んだ。
 ガツン! という痛そうな音に子供達はぎょっとしたような顔を向ける。
 その瞬間、彼、ザイラックから発していた凍った世界がぱらりとあっけなく散った。
 ザイラックは、ひと飛びで凍った川へと踏み込み、仮にも警備隊らしく少年に手を差し伸べる。

「おいおい大丈夫か? 治療所はすぐそこだ。連れてってやるよ」

 少年は、ひっと息を呑んでもがくように立ち上がると、見事なバランスでその手から飛び退り、水路から地面へと上がる。

「いえ、お、俺の家に薬がありますから、この程度なら大丈夫です」
「そうか? まぁガキん時は怪我はむしろ誉れだからな、無茶しない程度に遊んで怪我するのはいいだろう」

 なかなかに実行するには難しい事をさらりと言ったが、誰もそれに反応しないまま、タイン少年と、その仲間らしき数人が水路から出て走り去った。

「う~ん、なんか俺、子供にウケが悪いんだよな。なんでかな?なぁ?」

 残されたザイラックはのんびりと顎を掻くと、肩を竦めて誰へという訳ではなくそう呟く。

「班長さんはレンガ地区のみんなが戦いから逃げて来たのは正しい事だったと思っているんですね」
「ん? そりゃそうだろう? 戦うのはそういう訓練を積んだ人間の仕事だ。本来は戦えない連中を守る為に戦うんだぞ? そいつらが戦自体に夢中になって守ってくれないってんなら逃げるしかあるまい。そもそも戦い方も知らない連中が戦って死んじまったら俺ら兵士が戦う意味がないじゃねぇか」

 先ほどの凍りつくような気配は消えて、今は微かな悲哀が彼から伝わった。

(なんて強い思念を持った人なんだろう)

 普通人間の思念は言葉より弱く、よほど感情が大きく揺れないとそれを他者に感じさせる事はない。
 しかも、ザイラックは言葉としてではなく、強い圧力としてその思念を身に纏っているようだった。
 そして彼はそれ程大きな存在感を持ちながらも、近付く時にライカにその気配を感じ取らせた事がない。

「どなたかお知り合いに、逃げずに戦った兵士じゃない人がいたんですか?」

 思わず聞いたライカは、その言葉を発したと同時に後悔した。
 瞬時に高まった冷気に、ぞくりと、全身が総毛立つ。

「そういう事もあったかもな」

 だが、その恐ろしい気配は、僅かな間世界を圧するとすぐさま消滅した。

「坊主、どうした?」

 ふらりと足を滑らせたライカを、ザイラックが慌てて受け止める。

「あ、ちょっと寒くって」
「はあ? お前ちょっと鍛え方が足りないんじゃないか? このぐらいの寒さ、裸でも平気だろう」
「それは無茶です!」
「班長と一緒にするなよ」

 たちまち周囲から非難の声が上がり、ザイラック班長はむっと体を引いた。

「うぬぬ、お前等俺が嫌いだろ?」
「そんな事ないっす、俺ら優しいから本当の事なんて言わないし」
「ああん? それって嫌いって事じゃねぇのか?」

 きゃーっと、子供達が蜘蛛の子を散らすように逃げる。

「ったく、親の顔が見たいぜ」

 抱えられたライカは、少し笑ってみせた。

「大丈夫ですよ。嫌いなら最初からみんな逃げてます。ああやってからかったりなんか絶対しません」
「それは最悪よりマシって話か?」

 ふんと鼻を鳴らすと、彼はライカを下ろして、手を肩の辺りで払うように振る。

「お前もさっさと行け、走り回って遊んで体を鍛えるんだぞ?」
「あ、はい」

 なにやらブツブツ言いながら去っていく後ろ姿を見ながら、ライカは大きく息をついた。
 逃げ去った子供達も何事も無かったように戻ってくる。
 ライカはそのままぐったりと座り込んだ。

「もう、自力で氷の上を滑るだけの気力は残ってない気がするな」

 結局、ライカはその日、両手の指を使って数えても足りないぐらい氷の上で転ぶ事となったのである。
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