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竜の御子達
旅程・三日目
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旅人はどれ程に疲労していたとしても歩みを止めることはない。
なぜならば進まなければ目的地に辿り着かないからだ。
そこに辿り着くまではいかなる助け手も、安らいで眠れる夜もないのだから。
── ◇ ◇ ◇ ──
ライカ達の隊商が全部の荷物を携えて無事橋を渡り終えたのは、日が沈む寸前だった。
それから馬車を組み直しながら馬を休ませ、宿営地を作り、荷を積み直し、全てを終えたのがもうすぐ明け方に近い時分。
休息が取れたのはそこから夜明けまでの僅かな時間だけであった。
恐らく時間にしてせいぜい一刻前後だろう。
当然ながら全員の疲労の色は濃く、普段なら仲間内の軽口や、ちょっとした騒ぎが絶えない朝の出立さえも、まるで幽鬼の群れが蠢いているかのような静けさだった。
『良く分からないんだが』
サッズがライカへと問い掛ける。
『なんでこんな状態で先へ進むんだ? 一日ぐらい休んでも良いんじゃないか?』
『人間との旅なんて初めての俺に理由がわかる訳ないだろ?』
『お前、朝の食事にほとんど口を付けなかっただろ、大丈夫か?』
『食べなきゃ駄目なのはわかってたんだけど、どうしても口に入らなくてさ。なんか吐き気もするし』
ライカは、己自身ではっきりわかる程疲弊していた。
限界を超えた肉体労働と、慣れない環境での疲れが一気に体に来ていたのである。
仲間達とて、彼等より慣れているとはいえ、自分自身の体を管理するのが精一杯で年少の新入りに気遣うような余裕はない。
唯一、その日の食事担当の男が「食っておかねぇと持たないぞ」と助言をしてくれたのみだ。
ここからは水の所持量が厳しく制限されることとなり、気軽に水を口に出来ないのも辛い所である。
断裂の谷の気配が遠ざかると、周辺から木々が消え、背の低い草の生い茂る下りの斜面となった。
下りというのは一見楽に思えるが、実はかなり体力を奪うものである。
重い荷物を背に負う状態で重心を安定させようとすれば足に負担を掛け続ける必要があるのだ。
それは隊商全体にしてもそうで、特に重い荷を積んだ馬車は走り過ぎないように気をつける必要があった。
「うっ」
ライカは込み上げて来た物に口を押さえた。
「大丈夫か、おい」
サッズが慌てて傍に寄るが、サッズに何が出来る訳でもなくただオロオロと顔色の悪いライカを見ている。
強大な力を持ち、弱ったり傷付いたりという事を滅多に経験しない竜族は、他者の苦しみや痛みに全く耐性がないのだ。
小さい頃にライカが病気に罹った時など、家族全員がこの世の終わりのように度を失ったものだった。
何しろ壊れた物を直したり怪我を治したりという感覚はまだ彼らにもわかるものの、どこにも破損がなく弱っている状態を治療によって治すという概念がないのだから。
幸いにもライカは一晩高い熱を出すと翌朝にはケロリとしていたし、一つの病には一度しか掛からなかったので、絶望で家族が狂乱するという恐ろしい事態には至ることはなかったのだが。
そんな具合の悪そうなライカとオロオロしているサッズに近づいて来たのは、意外にもというか、当然というか、体力が余ってる僅かな人間の内の一人、ゾイバックであった。
「ったく、朝はしっかり食っとけって言われたろうが! お前の為に足を止めたりは出来ねぇんだぞ!」
苦々しい顔で開口一番そう言うと、恐ろしい形相で睨み付けるサッズを無視して、ライカに向かって手を差し出した。
「これを噛んでろ」
無骨で大きな手の中で一際小さく見える、緑色のしなびた何かの皮のような物を差し出される。
「これは?」
「エンヌダ、俺らのとこじゃ猿残しの実って呼ばれてるすっぱい木の実を干したもんだ。ほんとは飲みすぎた時に噛むんだが、重労働に慣れない奴が体をおかしくした時にも効くんだぜ? 騙されたと思ってしばらく噛んどけ」
「ありがとうございます」
ライカはありがたく受け取ると頭を下げた。
「礼なんざいらねぇから、自分の体ぐらいちゃんと管理しやがれ。どうにも足手纏いになるようなら捨てていくからな」
「すみません」
「うるせえな、他の奴等だってへとへとじゃないか、一日ぐらい休んでから進むのが道理なんじゃないのか?」
「けっ、これだから旅を知らねぇやつは困るんだよ」
噛み付くように文句を言うサッズに、ゾイバックは嘲るような笑みを見せる。
「なんだと!」
「ちょ、喧嘩しない」
サッズの意識が攻撃に動きそうになったのを察知したライカが、その機先を制してそれを抑えた。
「いいか、水場がないここらはなるべく早く通過しなけりゃ俺達は乾いて終わりだ。井戸に行けばいつでも水にありつけるような街とは違うんだ。外ってのは、いや、旅ってのは、一個の間違いが命の危険に直結する場所なんだ。そこんとこを良く覚えておくんだな」
言うだけ言うと、彼はライカ達から離れて歩き出す。
実の所、それは荷物を負って歩きながらのことなので、彼は余分な体力をライカ達のために使ってくれたのだ。
最初の頃色々と教えてくれたように、本来世話好きなのかもしれない。
「ありがとうございます」
ライカは聞こえないかもしれないながら、もう一度礼を言った。
「むかつく奴、礼なんか必要ないだろ!」
そういう細かい配慮など理解出来ないサッズはまだ腹を立てていたが、ライカはそれへ笑顔を向ける。
「言葉は乱暴だけど、助けようとしてくれたんだよ」
手にした緑の固まりを口に入れ、噛んだ。
一瞬強い苦味が広がり、その後に青臭いすっぱさが残る。
それにつれて湧き上がる唾が、乾いた口から喉に落ちた。
「そうなのか?」
「うん、これ、ちょっと気分良くなってきたし」
「ほんとに?」
「うん」
「そっか、わかった」
サッズはうなずくと、ゾイバックの方を向き、声を張り上げる。
「おい、お前! 助かった、ありがとう!」
そのあまりの唐突さに、言われた方のゾイバックは元より、周辺の男達が呆然とした顔でサッズを見た。
この旅が始まって以来、その態度や見掛けから、なんとなく距離を置かれていたサッズである。
なにか不思議な物を見るような目で見られたが、そこに以前のような壁がなくなった気がして、ライカは少し笑みを深めた。
ゾイバックは暫くなんとも言いがたい顔で彼等を見ていたが、一つ息を吐くと、また元のように前を向いて着実に進みだす。
「脈絡がないからなぁ」
相手の戸惑いになんとなく同調して、ライカは息を吐く。
「で、それは美味いのか?」
当人は気にした風もなくマイペースだ。
「美味しくはない、具合が悪くなかったら絶対口にしない味」
「うーん」
「わかった、今度貰ったげるよ」
「おう!」
わかりやすく笑顔になったサッズにライカも笑顔を返す。
体調を整えるのが一番という意見を尊重し、少しだけズルをして体を浮かび上がる寸前まで軽くしながら、早く旅というものに慣れないといけないなと思うライカだった。
なぜならば進まなければ目的地に辿り着かないからだ。
そこに辿り着くまではいかなる助け手も、安らいで眠れる夜もないのだから。
── ◇ ◇ ◇ ──
ライカ達の隊商が全部の荷物を携えて無事橋を渡り終えたのは、日が沈む寸前だった。
それから馬車を組み直しながら馬を休ませ、宿営地を作り、荷を積み直し、全てを終えたのがもうすぐ明け方に近い時分。
休息が取れたのはそこから夜明けまでの僅かな時間だけであった。
恐らく時間にしてせいぜい一刻前後だろう。
当然ながら全員の疲労の色は濃く、普段なら仲間内の軽口や、ちょっとした騒ぎが絶えない朝の出立さえも、まるで幽鬼の群れが蠢いているかのような静けさだった。
『良く分からないんだが』
サッズがライカへと問い掛ける。
『なんでこんな状態で先へ進むんだ? 一日ぐらい休んでも良いんじゃないか?』
『人間との旅なんて初めての俺に理由がわかる訳ないだろ?』
『お前、朝の食事にほとんど口を付けなかっただろ、大丈夫か?』
『食べなきゃ駄目なのはわかってたんだけど、どうしても口に入らなくてさ。なんか吐き気もするし』
ライカは、己自身ではっきりわかる程疲弊していた。
限界を超えた肉体労働と、慣れない環境での疲れが一気に体に来ていたのである。
仲間達とて、彼等より慣れているとはいえ、自分自身の体を管理するのが精一杯で年少の新入りに気遣うような余裕はない。
唯一、その日の食事担当の男が「食っておかねぇと持たないぞ」と助言をしてくれたのみだ。
ここからは水の所持量が厳しく制限されることとなり、気軽に水を口に出来ないのも辛い所である。
断裂の谷の気配が遠ざかると、周辺から木々が消え、背の低い草の生い茂る下りの斜面となった。
下りというのは一見楽に思えるが、実はかなり体力を奪うものである。
重い荷物を背に負う状態で重心を安定させようとすれば足に負担を掛け続ける必要があるのだ。
それは隊商全体にしてもそうで、特に重い荷を積んだ馬車は走り過ぎないように気をつける必要があった。
「うっ」
ライカは込み上げて来た物に口を押さえた。
「大丈夫か、おい」
サッズが慌てて傍に寄るが、サッズに何が出来る訳でもなくただオロオロと顔色の悪いライカを見ている。
強大な力を持ち、弱ったり傷付いたりという事を滅多に経験しない竜族は、他者の苦しみや痛みに全く耐性がないのだ。
小さい頃にライカが病気に罹った時など、家族全員がこの世の終わりのように度を失ったものだった。
何しろ壊れた物を直したり怪我を治したりという感覚はまだ彼らにもわかるものの、どこにも破損がなく弱っている状態を治療によって治すという概念がないのだから。
幸いにもライカは一晩高い熱を出すと翌朝にはケロリとしていたし、一つの病には一度しか掛からなかったので、絶望で家族が狂乱するという恐ろしい事態には至ることはなかったのだが。
そんな具合の悪そうなライカとオロオロしているサッズに近づいて来たのは、意外にもというか、当然というか、体力が余ってる僅かな人間の内の一人、ゾイバックであった。
「ったく、朝はしっかり食っとけって言われたろうが! お前の為に足を止めたりは出来ねぇんだぞ!」
苦々しい顔で開口一番そう言うと、恐ろしい形相で睨み付けるサッズを無視して、ライカに向かって手を差し出した。
「これを噛んでろ」
無骨で大きな手の中で一際小さく見える、緑色のしなびた何かの皮のような物を差し出される。
「これは?」
「エンヌダ、俺らのとこじゃ猿残しの実って呼ばれてるすっぱい木の実を干したもんだ。ほんとは飲みすぎた時に噛むんだが、重労働に慣れない奴が体をおかしくした時にも効くんだぜ? 騙されたと思ってしばらく噛んどけ」
「ありがとうございます」
ライカはありがたく受け取ると頭を下げた。
「礼なんざいらねぇから、自分の体ぐらいちゃんと管理しやがれ。どうにも足手纏いになるようなら捨てていくからな」
「すみません」
「うるせえな、他の奴等だってへとへとじゃないか、一日ぐらい休んでから進むのが道理なんじゃないのか?」
「けっ、これだから旅を知らねぇやつは困るんだよ」
噛み付くように文句を言うサッズに、ゾイバックは嘲るような笑みを見せる。
「なんだと!」
「ちょ、喧嘩しない」
サッズの意識が攻撃に動きそうになったのを察知したライカが、その機先を制してそれを抑えた。
「いいか、水場がないここらはなるべく早く通過しなけりゃ俺達は乾いて終わりだ。井戸に行けばいつでも水にありつけるような街とは違うんだ。外ってのは、いや、旅ってのは、一個の間違いが命の危険に直結する場所なんだ。そこんとこを良く覚えておくんだな」
言うだけ言うと、彼はライカ達から離れて歩き出す。
実の所、それは荷物を負って歩きながらのことなので、彼は余分な体力をライカ達のために使ってくれたのだ。
最初の頃色々と教えてくれたように、本来世話好きなのかもしれない。
「ありがとうございます」
ライカは聞こえないかもしれないながら、もう一度礼を言った。
「むかつく奴、礼なんか必要ないだろ!」
そういう細かい配慮など理解出来ないサッズはまだ腹を立てていたが、ライカはそれへ笑顔を向ける。
「言葉は乱暴だけど、助けようとしてくれたんだよ」
手にした緑の固まりを口に入れ、噛んだ。
一瞬強い苦味が広がり、その後に青臭いすっぱさが残る。
それにつれて湧き上がる唾が、乾いた口から喉に落ちた。
「そうなのか?」
「うん、これ、ちょっと気分良くなってきたし」
「ほんとに?」
「うん」
「そっか、わかった」
サッズはうなずくと、ゾイバックの方を向き、声を張り上げる。
「おい、お前! 助かった、ありがとう!」
そのあまりの唐突さに、言われた方のゾイバックは元より、周辺の男達が呆然とした顔でサッズを見た。
この旅が始まって以来、その態度や見掛けから、なんとなく距離を置かれていたサッズである。
なにか不思議な物を見るような目で見られたが、そこに以前のような壁がなくなった気がして、ライカは少し笑みを深めた。
ゾイバックは暫くなんとも言いがたい顔で彼等を見ていたが、一つ息を吐くと、また元のように前を向いて着実に進みだす。
「脈絡がないからなぁ」
相手の戸惑いになんとなく同調して、ライカは息を吐く。
「で、それは美味いのか?」
当人は気にした風もなくマイペースだ。
「美味しくはない、具合が悪くなかったら絶対口にしない味」
「うーん」
「わかった、今度貰ったげるよ」
「おう!」
わかりやすく笑顔になったサッズにライカも笑顔を返す。
体調を整えるのが一番という意見を尊重し、少しだけズルをして体を浮かび上がる寸前まで軽くしながら、早く旅というものに慣れないといけないなと思うライカだった。
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