竜の御子は平穏を望む

蒼衣翼

文字の大きさ
227 / 296
竜の御子達

密入国

しおりを挟む
 夜の海、ましてや月が雲で隠れているような夜は本当に何も見えない。
 だが、それは光を利用して見る第一の視覚での話だ。
 物の存在の力を形として見る第二の視覚を使えば、世界はまた違う様相を帯びる。
 普段は目を閉じないと認識出来ないその第二の視覚を、ライカは闇に沈む海中で行動する為の普通の視覚として使っていた。
 これは闇の恩恵でもある。
 第一の視覚が存在しないかのように(つまり目を閉じているように)ライカの無意識の部分が誤認しているので、自動的にもう一つの視覚に切り替わったのだ。

 そうして第二の視覚で見る海の中は地上以上に生命に満ち溢れている。
 海中を光の粒のような微細な幾種類かの生物が無数に漂い、岩に張り付いたイソギンチャク達がゆらゆらと触手を揺らめかせて世界を探る。
 眠る魚達が海流に流されないように海藻の間に体を入り込ませ、時折寝ぼけたように泳いでみたりしていた。
 尤も、今まで知っていた海が、竜王の作りし古代世界の写し世に存在する海であり、ここより遙かに生命に溢れ、夜ですら光輝く鮮やかな世界であったライカからすれば、少々寂しく見えたかもしれない。

 頭上、海の世界的に言う所の天上に、木製の物体が多数浮かんでいるのが珍しいのか、ライカはどちらかというとそちらに気を惹かれていた。

『これが船なのかな? 凄い数だけど波でぶつかったりしないんだろうか?』
『さあ? とりあえずうっかり浮かび上がると頭をぶつけるだろうから気をつけろよ』
『いくらなんでも見えてる物にぶつかったりしないよ』
『嘘だな、お前は昔から見えてる物にぶつかってた。藪とか木とか俺とか』
『あれは、小さい頃は走りまわってたし、体を軽くした時の制御とか色々難しかったからで、今はそんなことないさ』
『ついこないだのことだぞ? 信用ならんな』
『みんなのついこないだは十周期(約十年)ぐらい単位だからね、俺は人間だから成長が早いんだよ』

 そう言った矢先に、突然前を横切った海ガメを避けたライカは、浅くなった海底に足を取られて盛大に転んだ。
 その衝撃に驚いたのか、海底の砂の中で眠っていたらしい何かの魚が慌てて逃げて行く。

『……成長ね』
『うるさいな』

 二人はそのまま水面から顔を出すと、注意して周囲を窺った。
 海岸には高い木製の櫓が二つあり、その上で篝火が焚かれている。
 その光が直下の地上に落ちることは無かったが、二人は用心してそこからかなり離れた場所に上陸した。

『結構人がいるね?』
『船とか言う木製の箱の中にもかなりいるな、時々海上をカンテラで照らしているし、どうやら案外と海からの侵入を警戒してるみたいだな』
『こっちの端のほうから入り込もう。柵があるけどこの程度なら問題無いし』

 ライカは少し助走を付けると、トンと地面を蹴って柵を越える。
 サッズは音も立てずにその隣へと降り立った。

『ん? なんかあるぞ』

 着地と同時に、足元スレスレの草の間の地表に張られた紐を見付け、サッズはそれを引っ張り上げた。

 ――……カランカラン……
 途端に乾いた音が響き、それが連なるように近くから遠くへと音が広がって行く。

「まずい! サッズ、上!」
 ライカはそれが意味する所を瞬時に悟ると、何やら感心したように紐を振っているサッズを引っ張って上昇する。

「あっちだ! 急げ!」

 大地を踏み鳴らす足音と、大声の指示とそれに対する応答の声、いくつもの方向性を持った特殊なカンテラと思われる道具によって光を掲げた幾人もの人々がライカとサッズのいた場所に殺到した。
 彼らの行動は早く、もう少し上昇するのが遅かったら上を向いただけで気づかれる位置に二人はまだいたかもしれない。

「逃すな! 海賊の斥候かもしれん! なんとしても見つけ出せ!」

 指示を出す声はよく通り、地上からそこそこ離れたライカとサッズの耳にもそれが届いた。

『なあ、海賊の斥候ってなんだ?』
『さあ? とりあえず俺達のことじゃないだろうけど、だからといって見つかっても良い訳じゃないと思う』
『そうか。しかし、あの仕掛け面白かったな』
『あれのせいで見つかりそうになってるんだろ? あれはきっとこっそり柵を越えて入り込もうとした人を見つけるための工夫だな。柵越えで安心して歩き出した時に引っ掛かるようになってるんだ。きっと見つけたのをわざわざ引っ張ったのはサッズぐらいだよ』
『それは遠回しに俺のせいって言ってるのか?』
『遠回しじゃなくてはっきりと言ってるんだよ』

 目と目を交わした二人は、お互いに意識を圧力に変えて押し合いを始めた。
 最初サッズが圧倒的にライカを押していたが、ライカが極限まで収束させ、尖らせた『悪口』という意識で突っつくと、覆うように押していたサッズの意識が萎縮するように引っ込む。

『おのれ、細かい嫌がらせばっかり上手くなりやがって』
『自分の能力を過信しすぎてるから痛い目に遭うんだよ』

 ライカはその心声のやり取りの中で、ふとその自分の言葉から何かが閃いたらしく、『ん? 能力と言えば』と言って唐突に黙り込んだ。
『ん?』
 サッズは問うように顔を向ける。

「あっ!」

 いきなり声を上げたライカに、サッズはやや驚きながらも苦言を呈した。

『おいおい、相手の声が届く範囲なんだぞ? こっちの声も届くんだから気を付けろ』

 サッズの常に似合わないそんな小言も気にならないかのように、ライカはサッズに向けてどこか乾いた笑い混じりの言葉を紡ぐ。

『よく考えたら夜に入るなら空から入っても良かったんだ』
「あっ!」

 夜空に突然響いた声に数人が気づき、カンテラを空に掲げる。
 しかし、そこには何がある訳でもなかった。

「いや、ここらには上に足場になるような物は無かっただろ?」
「じゃあ今の声はなんだよ?」

 男達は顔を見合わせると、慌てて海神の御印を指で象り、「御身の恩寵にて魔を払いたまえ」と呟く。
 人知の及ばない天運に生死を委ねざるを得ない船乗りの多いこのリマニでは信仰の篤い者が多く、殆どの者が海神である女神を信仰していた。
 彼ら船乗りは、魔物や凶兆に触れるのを極端に嫌う傾向がある。
 聖印を切った彼らは、慌ててその場を離れたのだった。

 急いで遙か上空に上がったライカとサッズがそんな地表の様子を知る由もないが、ライカは寒さに凍えながらもようやく浅く息を吐く。

「なんで気が付かなかったのかな?」
「間抜けだな」
「ねえ、それって自分も間抜けな中に含まれてるのに気づいてる?」
「俺はライカの言う通りにしただけだからな」
「飛竜が空を飛ぶ事を思い付かなかったとか笑い話にもならないよね」
「いやいや、お前がどうしても海中を散歩したがったから俺は可愛い弟に合わせただけだよ?」
「サッズってさ、都合が悪いことがあると可愛い弟呼ばわりするよね」
「何のことかな?」
「まあそれはもうどうでもいいからさ、少し降りたら町中まで引っ張ってくれるかな?」
「おお、任せろ」

 表面上にこやかに微笑み合いながら、二人はゆっくりと降下したのだった。

 上空から第二の視覚で眺める町はどこか殺風景だ。
 理由は簡単で、普通の建物がほとんど見当たらず、何かの布を屋根代わりにした、まるで市場のテントのような物がぎっしりと密集しているからである。
 第二の視覚だと塗料の色は判別出来ないので全体的に白っぽく見える上に、建物の凹凸が無いと、まるで更地のようにも見えた。
 この視覚の時に見える色は存在の強さや温度によって認識されるので、ほぼ同じ物質である場合は、どのような色の物であろうが全部が同じ色に見えるのだ。

「なんか寂しい所だね?」
「飯に期待出来なさそうだな」

 ライカの言葉に答えるサッズの声もまた、別の理由で少し沈む。

 町の印象だけでなく、もう一つの予想外の出来事が二人を暗くしていた。
 彼らからは、町全体に小さな灯火が移動しながら広がっていく様子が手に取るように見える。
 もちろん灯火だけが移動する訳もなく、当然ながらそれを持つ人がいるのだ。

「あれって、さっきの音が出るやつのせいだよね」

 ライカはほとんど呆れ果てたように呟いた。
 サッズは無言である。
 流石に自分の行動が原因だろうという認識があるのか、下手に同意するのもまた危険とばかりに沈黙を守っていた。

「とにかくどっかに降りよう。なるべく人の多い所に紛れてしまえばなんとかなると思う」

 ライカの提案に、サッズは即、ある箇所を指さす。

「賑やかなのはあそこだな、エッダのいた所と似た感触だ」
「ん?」

 サッズは事前に察知しておいたのか、指し示す方向に迷いが無い。
 しかし、そこは、確かに明るく人が多かったが、同時に争いの気配も濃かった。
 近づくと、あちらこちらから怒声が響いている。
 ライカはそのまま無言で少し離れた路地のような場所に降り、辺りの様子を窺った。
 途端に盛大な破壊音と共に、ゲラゲラという大勢の笑い声。
 そうかと思うと恐ろしい唸り声のようなものが更にその向かいから聞こえて来て、そちらに目をやると、機嫌良く体を揺らしながら唸っている男がいた。

「ここに紛れ込める自信が無くなってきた」
「頑張れ!」
「いや、人ごとじゃないし」

 それでも逆側の路地の出口をカンテラらしき灯りが照らすのを見れば躊躇う暇などない。
 ライカは意を決すると、賑やかな通りへと歩を進めたのだった。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

相続した畑で拾ったエルフがいつの間にか嫁になっていた件 ~魔法で快適!田舎で農業スローライフ~

ちくでん
ファンタジー
山科啓介28歳。祖父の畑を相続した彼は、脱サラして農業者になるためにとある田舎町にやってきた。 休耕地を畑に戻そうとして草刈りをしていたところで発見したのは、倒れた美少女エルフ。 啓介はそのエルフを家に連れ帰ったのだった。 異世界からこちらの世界に迷い込んだエルフの魔法使いと初心者農業者の主人公は、畑をおこして田舎に馴染んでいく。 これは生活を共にする二人が、やがて好き合うことになり、付き合ったり結婚したり作物を育てたり、日々を生活していくお話です。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

A級パーティから追放された俺はギルド職員になって安定した生活を手に入れる

国光
ファンタジー
A級パーティの裏方として全てを支えてきたリオン・アルディス。しかし、リーダーで幼馴染のカイルに「お荷物」として追放されてしまう。失意の中で再会したギルド受付嬢・エリナ・ランフォードに導かれ、リオンはギルド職員として新たな道を歩み始める。 持ち前の数字感覚と管理能力で次々と問題を解決し、ギルド内で頭角を現していくリオン。一方、彼を失った元パーティは内部崩壊の道を辿っていく――。 これは、支えることに誇りを持った男が、自らの価値を証明し、安定した未来を掴み取る物語。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

異世界召喚された俺の料理が美味すぎて魔王軍が侵略やめた件

さかーん
ファンタジー
魔王様、世界征服より晩ご飯ですよ! 食品メーカー勤務の平凡な社会人・橘陽人(たちばな はると)は、ある日突然異世界に召喚されてしまった。剣も魔法もない陽人が頼れるのは唯一の特技――料理の腕だけ。 侵略の真っ最中だった魔王ゼファーとその部下たちに、試しに料理を振る舞ったところ、まさかの大絶賛。 「なにこれ美味い!」「もう戦争どころじゃない!」 気づけば魔王軍は侵略作戦を完全放棄。陽人の料理に夢中になり、次々と餌付けされてしまった。 いつの間にか『魔王専属料理人』として雇われてしまった陽人は、料理の腕一本で人間世界と魔族の架け橋となってしまう――。 料理と異世界が織りなす、ほのぼのグルメ・ファンタジー開幕!

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革

うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。 優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。 家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。 主人公は、魔法・知識チートは持っていません。 加筆修正しました。 お手に取って頂けたら嬉しいです。

処理中です...