エンジニア(精製士)の憂鬱

蒼衣翼

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日常と非日常は交錯する

11 迷宮(ダンジョン)は悪夢の顕現・後編

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 天然洞穴、腐臭、生息怪異は生物系。
 タイプを知れば自ずとこの迷宮の主の青写真が出来上がる。
 おそらくは巨大生物系。
 不潔な場所を好む動物の姿を模したボスだろう。

 洞窟内を駆け抜け、下へと続く階段を降り、わらわら寄ってくるモンスター共を適度にいなし、或いはほぼスルーして突進する。
 そんな感じで突き進む俺の背後には、いわゆる怪異列車トレインと呼ばれる群れが追いすがるが、相手にしてると時間が掛かるし、他に人も居ない。
 ということはトレインが他人に接触して迷惑を掛けることもないということだ。
 放置しておいても別に問題は無いだろう。

「だがうざい!」

 最初はボス部屋まで完全スルーのつもりだったんだが、いい加減金魚の糞状態で連なっている化け物共(主構成、コウモリ、ナメクジ、クモのようなモノ)がウザったくなり、俺は力任せに真後ろの一匹を殴り飛ばした。
 吹っ飛んだ子供の頭程の大きさのコウモリは、天井を這っていた数匹の単細胞なナメクジ共を巻き込むと、壁にぶつかってひしゃげる。
 コウモリは一声「ギャア!」と鳴くと、ボロボロと繊維が解けるように消えた。

 ダンジョンの怪異モンスター達は見た目は通常の顕現した怪異と同じように見えるが、その実体は固定された概念でしかない。
 だから実際には肉体は存在せず、倒されると夢の残滓を残して解けて消える。
 一回実力行使して腹が決まった俺は、初期ダンジョンらしく浅い地下3階の最下層っぽい場所へ向かう階段の入り口で振り返り、その狭い場所へ入って来ようとするやつをひたすら殴りつけるという簡単なお仕事を何度か繰り返し、面倒ながら後顧の憂いを取り払った。
 そして改めて、その最後の階段を降りる。

 幾種類かの腐った何かが混ざり合ったような、具体的には最近は衛生管理が厳しくなったためあまり見なくなったドブのような匂いが周囲に漂う。
 ピタン、ピタン、とやたらゆっくりとした間隔で落ちる水滴の音。
 何気なく壁に触れると、そのぬるっとした感触が更に嫌悪感を増幅させた。
 
 いかにも気味が悪く、それ以上に気分が悪いが、実はこういうあからさまな嫌悪感を押し付けて来るようなタイプのダンジョンは、まだまだ危険は少ない。
 最も恐ろしく、用心しなければならないのは、一見、普通の生活の一場面を切り取ったような場所や、やたら美しい風景を見せてくるようなダンジョンだ。
 ダンジョンで生成される「夢の結晶」を得ようと、あえてダンジョンに潜ることを生業とする冒険者なる連中が、一番恐れている『還らずの迷宮』と呼ばれるダンジョンの入り口は、ほとんどが日常の一場面から始まるのだそうだ。
 「ダンジョンで安心したら死ぬ」というのが連中の不文律だ。

 まあ、世の中には見るからに危険バリバリで、実際に危険なダンジョンも山ほどあるから、あんまり当てにもならん話だけどな。
 むしろ癒しの泉とかがあるダンジョンだってあるんだし、あんま色々考えすぎるのもどうかと思うんだ。俺なんかは。

 などとどうでもいいことを考えている間に、闇なのに周囲が見える謎空間の行き止まり、そこに扉が出現した。
 それは腐れ落ちた木製の扉で、このダンジョンのボスの格がわかるお粗末さだ。

「たのもー!」

 あまりにも陰気なので、つい勢いに任せて扉を蹴破り、元気良く侵入してみた。
 勢いよく吹っ飛んだ扉が部屋の中で宙に舞って消える。
 その消滅を感じたせいか、それとも別の理由か、部屋にいるモノたちからはもの凄い注目度だ。
 それは正に一部の人間にとっては悪夢のようなものであるだろう光景だった。

 みっしりと、うごめく黒っぽいネズミで地面が埋まっていた。キイキイとかバリバリとか鳴き声やら何かを齧る音やらが重なりあって響いている。
 そして、その奥には、親玉の大ネズミが鎮座ましましている。

 大ネズミと言っても、ネコほどの、とかいうような可愛らしいものではない。
 なにしろ俺よりもデカイ。
 当社比1.5倍ってとこか。
 野ねずみなんかはよく見ると案外愛嬌のある可愛い顔をしているものだが、こいつらにはそれは無い。
 ダンジョンのネズミは、飢餓と病の象徴だ。
 飢えと死を予感させる無数の赤い目が闇に爛々と光り、ただその存在だけで世界を病ませているかのようにすら見える。

「獣が人の地の豊かさを求めて里に降りるようになったとは聞いていたが、結界の中に穢れた巣穴を掘るのはいただけないなぁ。俺はさ、安心してのんびり暮らしたいんだよね。個人の栄光は必要ない世界。人という種の叡智が全てを決する、そんな世界を信じて未来を託したい訳だ。……うん、我ながらいい言葉じゃないか」

 一人迷宮ボスに立ち向かうなんてホント、俺の柄じゃない。
 数字と理論による正しさに導かれて、小さくとも夢のある楽しい機械からくりを作り、それを最初に動かすあの瞬間の喜びを味わうのが俺の望みだ。
 そんで、俺以外の誰かも笑顔になってくれれば、それ以上の至福は無い。
 そんな平和な未来に怪異の出番は無い。

「なあ、場違いなんだよ、お前さん達。とっとと闇の揺り籠の中に帰っちまいな!」

 俺の手に得物は無い。
 元々無手が俺のスタイルだしな。
 堂々と言い放った俺の言葉が通じたかどうかはわからないが、言い終わるか終わらないかぐらいのタイミングで、地面を埋めたネズミが一斉に動く。

 敵さんも面倒なことは嫌いらしい、作戦とか連携とか何も無く、単純にひたすら押し寄せて来た。
 雑魚ネズミは小さいといっても、その数がとんでもない。
 正確に数えろと言われても無理な話だが、三十畳近くはあるこのボス部屋を埋め尽くすような数だ、生半可な数ではないのだけは確かだ。
 しかも連中は、おそらく毒か疫病をその歯に宿しているはずなので、噛まれると最悪まともに動けなくなる。
 噛まれないように戦わないとヤバイのだ。

 波打つ黒い絨毯のようにも見えるその集団を、俺は一定のリズムを刻む軽いフットワークで迎え撃つ。
 腰より上に来るジャンプ攻撃は軽く腕で払い退け、足元の集団を、つま先で数匹まとめて掬い上げて蹴り出す。
 丁度サッカーのボレーシュートみたいな感じだ。
 ゴールがどこかというと、ボスネズミ様のお体になる。
 ボスネズミの体毛は、その一本一本がぶっとい針のように硬質で鋭いんで、吹っ飛ばされてぶつかったネズ公共は悲鳴を上げて突き刺さり、見事、俺とボスネズミの共闘の如く始末されていく。
 ボスはカンカンに怒って死骸を振り払う。
 その繰り返し。

 ボス自身がどうにかしようとしても、床を埋め尽くした雑魚共が邪魔で素早く動けない上に、雑魚ネズミの流した血を浴びてべったりと貼り付いた体毛によって体のキレも悪い。
 雑魚達がなぜこうも軽々と始末されているかというと、俺が足を地面に下ろす度に震脚を使って周辺のネズミ達に脳震盪を引き起こさせているからだ。

 悲しいかな、本来生物では無いはずの怪異達は、しかし、姿形を定めた瞬間からその生物の業を背負う。
 つまり擬似的な肉体を持つことで、そのイメージを強固に固定してしまい、偽りのはずの肉体が実際に機能し、彼等自身もそれに縛られてしまうようになるのだ。
 だから脳が無いはずなのに脳震盪を起すし、ボスによって存在を保っている直下の雑魚達は死んでも消え去らず、流れていないはずの血を流す。

 嫌悪感という余計なおみやげを伴ってはいるが、それは確かに一つの付け入る弱点ではあるのだ。
 そして一方で、俺がその場でこのネズミ達を踏み潰さなかった理由でもある。
 それらの血肉は擬似的ながら現世うつしよの法則に従う。
 ここで踏み潰せば床は血と肉に埋め尽くされ、靴底に貼り付いたそれらは今度は俺の自由を奪うはずだ。

 さて、すっかりおかんむりになったボスは、『ギイイイイィィ!!』と泣き喚くと、雑魚ネズミ共を消し去った。
 リアルに縛られるといっても実際にはリアルでは無いので、こういうことも可能なのが悪夢の所以ゆえんだ。

 真面目に戦ってた奴ほど、こういうのはイラっと来るところだろうな。
 だが怪異マガモノ相手にそういう感情は危険だ。
 怒りや憎しみや悲しみや痛み、全ての負の感情は悪夢の糧となるのだから。

「ひでえ匂いだなおい、ちゃんと風呂に入ってんのか?」

 俺はボスネズミ野郎にニヤニヤ笑って挑発した。

「ああ、ドブネズミだもんな、ヘドロで入浴してるんだろ?」

 この手の下等な怪異に言葉が通じるかどうかは未知数だが、とりあえず感情は通じる。
 ネズミ野郎は『ケケケケケケ……』というような、笑ってるのか単純に牙をこすりあわせている音なのか、不快な鳴き声を上げ、全身の体毛を逆立てた。

「こいよ、優しくしてやっから」

 俺は物心ついてから慣れ親しんだ怪異共にいつもそうしているように親しげに笑い掛ける。
 そうすることで、逆に決して歩み寄らないということを表明するのだ。

「消え去れ」

 感情を凍りつかせた低い声。
 その己の声により、俺の頭の奥で世界が切り替わる。

 トンと軽く蹴った地面を深く抉り、放たれた矢のように敵に迫った。
 ネズミ野郎は後ろ足で立ち上がり、元々の巨体を更に大きく見せ、俺を威嚇する。

 馬鹿だな、威嚇なんかしている暇は無いってのに。

 二歩目で奴の目前の地面を踏む。
 飛び上がりながら、不潔で危険な体毛を左右の手に掴み、それを起点に体を引き起こし膝を上方に打ち出した。

 奴は最期まで何が起こったのかを理解出来なかったのだろう、『ギィ?』と、少し間の抜けた声を上げて、打ち抜かれた喉から鮮血を噴き出しながらゆっくりとその体を傾ける。
 ボスであろうと、他の怪異と同じでしかないその肉体は、滅びを受け入れてばらりと解れると、形を無くし、夢の結晶カケラとなって転がった。

「生まれた所に還るがいいさ」

 俺は不思議と美しいそのカケラを眺めながらそう言い捨てると、ボス部屋を後にする。

 やがてボス部屋の外の通路の先に、近代的なエレベーターの扉が浮かび上がった。
 迷宮は攻略されて意義を失ったのである。

 ようやく大嫌いな迷宮攻略が終わったぜ。
 何の因果で都市の結界内部でこんな目にあわにゃならんのだ。
 そんな気持ちでトボトボとそちらへと向かっていた俺の首筋が、突然チリチリと強烈な痺れを帯びた。
 見ると腕の産毛がまたことごとく逆立っている。

「おいおい、追加オーダーはしてねぇぞ?」

 カチリと、現実ではない何処かで何かが重なる音がした。

「ああ、やっと、ああ、やっとお遭い出来ました、愛しい方」

 壁に黒々とした穴が空き、巨大で濃密な何かがズルリと這い出して来る。

「来るな! 招いてねぇぞ!」
「ふふふ、ご存知でしょう? 迷宮は存在しない場所。ゆえにどこにでも通じるのです」

 無理矢理存在を上書きしやがったな。
 力技すぎるぜ、最悪だ。
 俺は泣きたい気持ちを抑えてそいつに対峙する。

「よくもまあ辿り着いたものだな」
「恋する乙女の一途さゆえ……と言ったらお喜びになりますか?」

 誰が喜ぶか! ボケッ!
 ずるりと、長い胴体をおっくう気に引き摺って、一見魅惑的な女の上半身がその裸身を惜しげもなく晒す。
 太古の昔に顕現した蛇女の怪異、名を持つ恐るべき一体だ。

「それはご苦労だったな、だが、残念。まだ空間は繋がりきってはいないぞ」
「この程度のゆらぎ、わたくしに抑えきれないとでも?」

 俺は白々しくも驚いてみせた。

「ほほう、それじゃあ俺は助からないな」
「お戯れを、そのようなことを信じてもいらっしゃらないくせに。ねえ?」

 真っ赤な、女の口にあたる部分が大きく開かれ、そこから同じく真っ赤な舌がチロチロ覗く。

「さあ、さあさあ! この胸に、わたくしの胸に抱かれましょう? そうして二人は一つになるのです。誰であろうと我等を引き離すことは出来ませぬ」

 豊満な、いかにも男の夢に出て来そうなたわわな胸が、隠されることもなくその弾力を示すかのように揺れる。

 だが、これは女でもなければ胸でもないのだ。
 全ては擬態。
 感情すらも人を寄せるための罠にすぎない。

「残念だがお断りだ。俺は人間の女のほうが好みでな」
「あらあら、それならば……」

 蛇女、その銘清姫は、大きく口を開いた。
 いや、それはもはや開いたというより裂いたと言ったほうがいいだろう。
 メリメリと嫌な音を立てて出来上がった口は、およそひと呑みで俺程度は納まる大きさだ。

「わたくしの胎内でゆっくりと溶かしてさしあげましょう!」

 カパリと開いた口が迫る。
 俺は手の中でこっそり作り上げた『モノ』を示した。

「表でも無く裏でも無く、入り口でも無く、出口でも無い。永遠の回廊を彷徨うがいい!」

 ほとんど習慣で、いつも懐に忍ばせている懐紙を細長くちぎって一捻りして繋いだだけの物。
 つなぎ目を閉じているのは俺の血だ。
 その紙の上に、あのくじの残念賞で貰ったボールペンで、終わりもなく始まりもないひと連なりの呪文を書き記す。
 昔どっかの誰かが発見した真理、封緘メビウスの輪の呪文。
 封印の呪いだ。

 俺はそのリングをふわりと浮かせると、一足でエレベーターの扉を潜る。
 追い縋ろうとした清姫は、観念的永遠メビウスに絡めとられた。

 ―……ジジジッ

 背後で何かが焼き切れようとする音がする。

「わたくし諦めません。きっといつか一つに……」

 追い縋る声を途中で切って、エレベーターの扉が閉まった。
 相手は仮にも名持ちの怪異、あの程度の呪文は直ぐに無効化されるだろう。
 しかしあの迷宮はもはや崩壊した。
 そうなれば都市結界の内部に怪異の渡る術は無い。

「くそっ、嫌な相手に遭遇したぜ! あー気分ワル!」

 巨大ネズミとやりあった時でさえ上がらなかった息がゼイゼイとせわしない。
 足りないのか多いのかわからない酸素のせいで息苦しくてフラフラする。
 いっそ吐き気がするぐらいだ。
 頭がガンガンぶっ叩かれてるみたいだし、くそっ。

 まだガキだった俺をつけまわしてた連中の一匹、あの蛇が結界内に現れるとはな。
 もちろんこの街の結界が破られた訳じゃない。
 どこでもない迷宮だからこその荒業だ。
 問題は、こんな出来立ての迷宮に、たまたま俺が関わったことをどうやって感知したのかだ。

 あいつらの本能は人とは違う。
 いや、根底は同じなのかもしれないが、方法は違う。
 代を重ねて命を繋ぐ生き物達とは違い、連中はより希求する己になるためにのみ変化を求める。
 やつらは個と集に対する価値観が同じだ。
 それぞれ個々に個性を持ってはいるが、自分と他の怪異との境界が薄い。
 だからこそ容易く存在を重ねて膨れ上がる。
 そして、多くの怪異はより強くを望む。

 チン、と可愛らしい音を立てて展望フロアへと続く扉が開いた。
 広く取られた窓には明るい街の様子が映し出されている。

「大丈夫、俺はもう普通の会社員なんだ。最先端を模索する技術屋だ、過去の因縁なんかに追いつかれたりはしないさ」

 いつもいつも俺が自分に掛ける言葉。
 真言、それは汗と努力で勝ち取ったからこその力を持つ言葉となる。

 俺は窓際に近づくと、望遠鏡に小銭を投下してそれを覗き込む。
 遠くの店舗の一角で笑い合う見知らぬ人々の表情に、胸の奥でわだかまっていた闇がゆっくりと解けていく気がした。

「闇の時代は終わったんだ」

 明るいこの場所でなら、それは確かに真実の響きを帯びていた。
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