エンジニア(精製士)の憂鬱

蒼衣翼

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羽化

その四

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 冒険者カンパニー、それは繰り返し挑戦出来る迷宮というかつてない存在、冒険者達にとっては正に垂涎ものの宝の山への挑戦のために、互いの情報交換をスムーズに行おうと設立された登録制の冒険者情報検索サービス会社だ。
 高級なホテルのような外観で、エントランスを潜ると落ち着いたロビーになっている。適度な空間に配置されたテーブルとソファーがいかにも気持ち良さそうだ。
 登録会員でなくてもそこでドリンクサービスを受けることが出来るのだから凄い。
 何も予備知識が無くそこに入ってしまったら、普通に高級ホテルと思ってしまうだろう。
 実際ホテルと勘違いした旅行者が宿泊手続きにカウンターを訪れることは珍しくもないそうだ。

 そのロビーの奥には大ホールがあり、そこに情報端末がある。
 ほんのりと暗く広い空間に、無数に見えるホロディスプレイがまるでプラネタリウムの投影された星のように浮かび上がっていて、それは壮観だという話だった。
 俺は会員ではないので残念ながら見たことはないけどな。
 その無数に浮かぶ情報から自分の求める物を検索して手元に引き寄せるのだそうだ。

「とは言え1階のホールにある情報はほとんどオープンな物で、会費を払っている会員なら誰でも自由に使える程度のものに過ぎないのですが」

 アウグスト氏はその冒険者の検索システムの仕組みを説明して、どこか自慢気に口元を笑みの形に歪ませる。
 いや、俺みたいなその価値のわからない人間に自慢しても仕方ないと思うけどな。

「それで俺達の知りたいことはどの程度の価値だって言うんだ? 手付け百万とか一見さんお断りの店じゃないんだから、提供出来るなら出来る、出来ないなら出来ないとはっきり言ってくれないか? 俺達だって時間が有り余っている訳じゃないんだぞ」
「やれやれ、駆け引きを楽しむことも出来ないとは、人生を愉しめてないんだな、君は」
「仕事中に余計な楽しみを求める趣味はないな」

 俺はイライラするのを我慢しながらこの男の相手をした。
 こちらの問いに言を左右して一向にまともに答えようとしない。
 浩二によれば既に俺達の情報は逐一記録されていて、一方的にこちらが情報を提供し続けている状態とのことで、俺達は長居すればする程損をして相手は得をするという状態なのだそうだ。
 だから引き留め工作をしているということなのだろうか? 正直理解し難い。

「これは文化の違いというべきかもしれませんね。私共はそもそも知識欲に関しては一般の人々よりも貪欲に出来ているのですよ。だからこそ我が身の全てを賭けてでも世界の真実を知ろうとするのです。それもただ結果を求めてのことではありません。そこに至るまでの行程も大切な報酬だと思っています。ご存知ですか? 私の故郷などは買い物一つ行うにもテーブルに差し向かって、お互いにお茶を楽しみながら取引の交渉をするのです。その値段だけでなくこの交渉の内容でどれだけお互いを満足させられるかが大切なのですよ」

 ……面倒くさい。
 俺、絶対冒険者とは合わないわ、うん。

「僕達をどうにかしたいという訳ではないのでしょう? 残念ながらこちらは見た通りそのような交渉事には慣れていません。そもそも僕達は冒険者ではないのだからそちらの流儀を知らないことを責められても困ります。こちらが出向いて情報を提供したことで、ある程度は譲歩が出来ていると考えてその対価を要求するのはそうおかしな話ではないと思いますが?」

 俺にまかせておいたらこのまま決裂するだけとわかっているのだろう。
 浩二が積極的に前に出て交渉する。
 うん、わかった、これ以上混ぜっ返さないから任す。

「そのことですが、取引という物の構造を理解していただきたいのですよ。物の価値というのは実に相対的なものですから、こちらが一方的に判断した価値で取引を行うのは後々の不満に繋がり、それは将来の不安になりかねない。お互いに納得する取引というものはどういった物だと思われますか?」
「等価値ということなのでは?」

 浩二の答えにアウグスト氏はまた歪んだ笑みを浮かべる。

「この世に等しい価値など存在しません。お互いになっとくする取引というのはお互いに自分こそが得をしたと思い込む取引のことなのです」
「……なるほど、おっしゃることはわかります」

 うん、これは俺もわかる。
 何かを買う時には、その金額を無くしても構わないからその品物が欲しいと思うから購入するのだ。
 要するにその額の金を失う以上の価値を見出すから買うことが出来る。

「それをおわかりなら話が早い。それでは貴方方のお求めの情報である冒険者の間に生じたメタモルフォーゼ化ですが、実はちょっと調べればある程度のことが誰でもわかるような現象なのですよ」
「うっ」

 俺は思わずうめいた。
 つまりこのおっさんは俺達が下調べもせずにやって来たのを揶揄してこんな遠回しに文句を言っていた訳か。
 
「ようするにそれは『ありふれた事象』であるとおっしゃるんですね?」
「そうです」

 あーなるほどね。
 浩二に任すと思っていたけど、相手がそもそもやる気がないんじゃあ誰が交渉しても同じだろう。

「わかった。つまりあんたはこう言いたいんだ。『おととい来やがれ』ってな」
「わかっていただけたようでなによりです」

 こんのやろう。

「待て、とりあえず取引云々は今はいい。そういうものは置いておいてだな、お前たちの仲間、冒険者達は平気なのか? つまり不安になってパニックが起きるようなことはないのか?」

 俺の言葉にアウグスト氏はククッと喉で笑った。

「何を言うかと思えば。貴方は勘違いをしている。私達のような者達は、つまりは異常事態を求めているのだよ。化け物になる? 命を失う? なるほど大変だ。しかしな、それが嫌なら元から冒険者などにはならないのだよ」

―― ◇ ◇ ◇ ――

 豪華なホテルのような建物を後にしながら俺はため息を吐いた。

「癖がありすぎるだろ」
「まぁ冒険者ですからね」

 浩二は案外平気な感じでさらりと応える。
 さすがに会社を訪問するのにいつもの作務衣のような格好では駄目だと思ったのか、今日は珍しいスーツ姿だ。
 日本人らしい容姿とスーツとはあまり合わないのだが、弟の立ち姿はそれなりに様になっている。
 とはいえサラリーマンには見えない。
 どっちかというと何かの家元のお坊ちゃんみたいだな。

「お前は余裕がありそうだけど、無駄足とか一番嫌うことなんじゃないのか?」

 浩二は一見淡白そうだが、実は案外激情家だ。
 無駄なことをさせられるのが我慢ならないたちなのだ。

「今回の件は無駄にはなりませんよ。ああいう連中は借りっぱなしだと不安になるようですからね。絶対に今度はあっちから接触があるはずです」
「お、……おう」

 ふっと浮かべた表情の黒さにちょっと引いた。
 こええよ、お前。

「でもまぁ、確かに無駄じゃなかったか。調べれば簡単に分かることとか言ってたな」
「そっちは任せます」
「え?」
「伝手があるでしょう?」

 浩二の言葉に俺は首を傾げた。
 伝手?
 俺の顔を見た浩二は呆れたように首を振った。

「冒険者の家族と付き合っているんですから、そっちから詳しい話を聞けるでしょうに」
「あ」

 俺は今の今まで脳内で伊藤さんと冒険者を結びつけることなく話をしていたのだが、言われてそう言えばと思い出す。
 彼女の父親が元冒険者であることは承知しているはずなのにおかしな話ではある。

「でも彼女をこっちの仕事に巻き込む気はないぞ」
「別に僕だって巻き込めとは言いませんよ。彼女の伝手で冒険者の情報に詳しい人を紹介してもらえばいいでしょう? 穏当に引退した冒険者が貴重なことは僕だって知っています。おそらく兄さんが思う以上に彼女の父親は顔が広いはずです」

 なるほど、確かにそれは正論だった。
 俺自身がなんとなく気が進まないだけの話で。

「覚えていますか? 爺ちゃんの教えを。例え意図せずに繋がった縁であっても、それはもはや無かったことには出来ないのだと。その相手を大切に思うのならばより強く縁を結び、自分の手元に引き寄せるしかない」
「爺ちゃんか。子供みたいなイタズラばっかりする人だったけど、色々大事なことを教えてくれたよな」
「兄さんは嫌なことから全部目を逸らして来ましたけど、それで嫌なことが無くなる訳じゃないんですよ。いい加減きちんと自分の立場を理解すべきです。貴方が逃げ回れば逃げまわる程迷惑を被る人間が出て来る。それがわからない訳でもない癖にいつまでも往生際が悪いのが更に腹が立つんです」
「いやいや、逃げるんなら最後まで逃げ切るべきだと思わないか?」

 俺の言葉に浩二は「は?」と、いかにも嫌そうな顔をしてみせた。
 今気づいたが、こいついつの間にか背が伸びてやがる。

「中途半端に戻って来ている時点で何をか言わんやですよ。馬鹿じゃないですか?」
「……夢を見るぐらいいいんじゃないかなぁと思ってたんだけどな」
「で、諦めるんですか?」
「いや、諦めない」

 浩二は獲物を前にした肉食獣のように獰猛に笑ってみせる。

「そうでしょうとも。僕もね、一度たりとも兄さんが他人の意見で自分の考えを変えるなどと思ったこともありませんよ」
「お、おう」

 うん、これは凄く恥ずかしい。
 兄貴の威厳もへったくれもないな。
 迷惑掛けてるよなぁと思いはしてるんだけどな。

「悪い」
「次に謝ったら蛇をけしかけますよ」
「お……おう」

 うちの弟は全くもって甘くないな。
 まぁ俺が悪いんだけどね。
 自分でもつくづく己の性格が嫌になることもあるんだ。本当だぞ。
 でも、譲れないもんは譲れないんだよな。
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