エンジニア(精製士)の憂鬱

蒼衣翼

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祈りの刻

その八

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 会社のミーティングルームで最終打ち合わせを行い出立する。
 伊藤さんが事前に特区タクシー、俗に言う特タクの往復チケット付きのアパートメントホテルの手配をしてくれて、現地にとりあえず一週間の長期滞在をすることとなった。
 しかし特区に長期滞在と言うのもおかしな話だ。
 地理的には特区は会社からごく近いのである。
 なにせ徒歩で二十分程で到着してしまう場所にあるのだ。
 だが、一般人がこの特区へ入るにはいちいち手続きが必要でその度に少なくない料金が掛かってしまう仕様なので、中で仕事を行う場合には特区内に滞在して仕事をした方が効率がいいという事情があった。
 特区はハンターや軍人などにはほぼフリーパスの出入り自由な場所だが、会社の人間として仕事に出向くにはまるで外国に行くような不便さがあった。
 実際の話、特区観光は需要が高く、週末にひと時のスリルを求めて特区に行こうとする一般人は案外多い。
 だが、特区の中と外では犯罪率の桁が違うのもまた現実で、政府の、一般人が特区入りすること、冒険者が特区外へ出ることに対する規制は段々と厳しさを増していた。
 俺はハンターとして特区に入るのはしょっちゅうだったが、一般人として入るのは初めての経験になる。
 そして、その手続きの煩雑さに驚いた。

「身分証明と滞在証明を兼ねたパスポート申請が必要とはな」
「お役所の部署を三つぐらいたらい回しにされました。旅行社などを挟むとまだ手続きを簡略化出来るらしいんですけど、そうすると小回りが効かないんですよね。フリープランありの企画でも旅行社に責任があるので行動制限があるんです」
「まぁ仕事だし、観光じゃないしな」
「どうもお役所のほうでも次々と仕様が変わるせいで把握しきれてない係の方が多くて、結局自分で調べて書類を揃えました」
「ご苦労様です」

 伊藤さんに頭が上がらない。
 おそらく彼女がいなければまともに動きまわることすら出来なかったのではないかと思われた。

「あれだね、特区に大企業がなかなか進出しない理由がこの手続の不透明さにあるんだろうね。短期間の仕様の変更が甚だしい」
「コンビニはけっこう進出しているけどな」
「あれは特区内部で独立店舗として登録しているからね。フランチャイズ形式の有利さだろうな」
「ようするに特区内は別の国と思えばいい訳だ」
「それも政情不安な国だな」
「お二人共物騒な話は止してください」

 スーツ姿の男女三人が特区ゲート前の待機列で穏やかならぬ会話を繰り広げているので周囲の旅行者や移住希望の冒険者などがチラチラと視線を投げて寄越している。
 俺たちの他に営業目的の会社員はいないのかと言うとそうでもなく、セールスマンっぽい人間は何人かいるようだった。
 しかしそれらの人間は大方一人であり、俺たちのように女性込みの数人連れは珍しい。
 しかも俺たちの出で立ちがちょっと特徴的だった。
 伊藤さんはビジネスマン仕様のバックパック、流はスーツケース一つ、俺はと言えばごついバックパックと片手にさらにごついコロ付きのジュラルミン製のアタッシュケース持ちだ。
 何と言うかバランスが悪い三人組である。

 伊藤さんは待機列が結構長いことをわかっていたようで、水筒からコーヒーを紙コップに注いで俺たちに配ってくれた。

「どうぞ」
「おう」
「ありがとう、気遣いが嬉しいね」

 流が伊藤さんに微笑み掛けると、彼女の頬が紅潮するのがわかる。
 これは決して伊藤さんが流に心惹かれているからではなくって流の特性のようなものだ。
 断じてムカついていたりしない。
 その上周辺の若いお嬢さんは元より、ある程度年齢の幅のある女性方からも何か熱い視線が流に向いているのも気にしたら負けだ。
 そんな空気の中で伊藤さんがくすっと笑った。

「一ノ宮室長って前々から思っていましたけど、天然でそういう方なんですね。時々びっくりしてしまいます」
「そうか? あまり驚かせないように注意しないとね」
「そういうのがもう、スゴイです」

 クスクスと笑う伊藤さんが楽しそうで、俺は急激にイライラし始めた。
 いや、大人げないとはわかっているんですけどね。

「隆志さん」
「お、おう?」
「こういう方って同性には嫌われそうなのに親友として付き合っている隆志さんって本当にスゴイですね。さすがです」
「隆はあれだ、マゾっ気があるからな」
「ねえよ! 人を変態扱いすんな!」
「あはは」
「単に考え方が似ているからウマが合うだけだよ。こいつも技術オタクだし」
「失礼な。技術の可能性を追求するというのは人が夢見るロマンだろう? こんなことが出来たらどれほどいいだろうと誰もが考えるものだ」
「四六時中は考えないな」
自動人形オートマタを分解して一人でニヤニヤしているのも傍から見ていると変態っぽいぞ」
「あれはお前が百年前の博物館入りしてもおかしくないやつを分解修理してくれって持って来たからだろ! 別に俺が趣味でバラした訳じゃないぞ、誤解されるようなことを言うな!」
「お二人共仲良くってちょっと嫉妬してしまいます」
「う、え?」

 伊藤さんの言葉に我に返った俺は彼女を省みてギョッとした。
 少し口を尖らせて不満そうにしているのだが、その様子が可愛すぎたのだ。
 駄目だろう、こんな公衆の面前でそんな顔してちゃ。
 俺はゴホンとわざとらしい咳をして彼女の正面に回り込んでその顔を周囲から隠した。
 伊藤さんは急に立ち位置を入れ替えた俺にちょっと驚いたようだったが、正面に向かい合って笑い掛けると嬉しそうに笑い返してくれる。

「うむ、これは俺こそが辛い立場だと思うけどな」

 流が意味不明のボヤキを発したが、とりあえず無視した。
 そもそもお前は彼女を一人に決めろ! 話はそれからだ。

 小一時間程してようやく検問所に到着した。
 平日なのにこの待ち時間は酷いな。
 特区の出入りに使われるゲートは合計三箇所あり、その内の一つは公用だ。
 軍人や俺たちハンターはこの公用ゲートから出入りしている。
 そのためこの一般用のゲートから入るのは実のところ初めてだが、ゲートでは順番に検問のチェックが一列に並ばせた上で一人一人行われているのだ。これは時間が掛かるのも当然だろう。
 二箇所ある一般用のゲートの内、駅に近いこっち側は混みやすいとは聞いていたが、驚きの効率の悪さだ。
 せめて二列以上にしてチェックは複数ルートで行って欲しい。
 術式陣による荷物チェックの後、「特区の歩き方」なる冊子を手渡される。
 特区庁のかわいいのかキモいのかわからないキャラクターがまるで子供に解説するかのように特区を案内をする様子がマンガ形式で描かれていた。
 うざい。

「暗い路地には入り込まない。道路に設置してある街灯に沿って移動するようにしましょう。何かあれば街灯の下に付いているアクリル板を押し破って通報ボタンを押してください。なるほど、いきなり犯罪に対する対処方法が書かれているということは、話に聞いていたより危ないということなのかな?」
「そう思ってくれたほうがいいということだろう。自分の身を守る気がない奴を守るのは大変だからな」
「実感がこもっているな」

 俺の言葉に流が感心したように言う。

「下手に腕に覚えがある奴のほうが面倒くさいことになりやすいんだよな。自分が弱者だという意識のある人間のほうがちゃんと危ないことを避けられる」
「自信過剰な人間程我が身を滅ぼすということだね」
「あ、ここがタクシー乗り場ですね」

 俺たちが冊子を読みながら色々言い合っている間に伊藤さんはタクシー乗り場を発見し、俺たちを手招いた。
 まずはアパートメントホテルにチェックインという予定になっている。
 俺と流で一部屋、伊藤さんが隣の一部屋、食事などは付いてない家具付きの部屋で、キッチンがあるので自炊も出来るらしい。
 家具付きのアパートを一週間借りると思えばわかりやすいだろう。
 伊藤さんの話では外の人間向けのそこそこ悪くないホテルを選んだということだった。
 上にはまだまだ一流のホテルなどがあるが、長期滞在なのであまり高い所は会社に負担が大きい。
 冒険者やバックパッカー向けの宿だと一部屋に知らない人間が詰め込まれる大部屋形式の宿が基本なので、荷物に不安がある。
 伊藤さんが予約した宿は長期滞在型のビジネスマンや旅行者の評判がいい場所とのことだった。

 俺たちがタクシーに乗ってホテル名を言うと、運転手も知っている名前だったようだ。
 有名な所なのか。
 ああそういえば往復のタクシーチケット付きのホテルだ。そりゃあタクシーの運転手も知っているよな。
 そんな感じで通りを見ながら走って、タクシーが停まったのは大通りに面した一画だった。

「マンションかな?」
「マンションだな」
「マンションですね。それにおしゃれです」

 目の前にあったのは、レトロな雰囲気のいかにもマンションという感じの建物だった。
 日本のというよりも、海外のデザイナーズマンションっぽい感じだ。
 曲線が多い女性が好みそうなちょっとアンティークでおしゃれな雰囲気の建物である。

「大通りに面しているし、安全性は高そうだ」
「特区庁にも近いし、軍の駐屯地からも遠くないしな」
「かわいいですね」

 それぞれの感想を口にして、見上げた建物は実際、悪くない雰囲気だった。
 俺と流だけだったらちょっと気恥ずかしかったかもしれないが、伊藤さんが嬉しそうだし派手すぎるということもない。
 全体的には落ち着いた雰囲気のある場所だった。
 とりあえず部屋に荷物を置いて落ち着こう。
 その後俺と流の部屋でもう一回打ち合わせかな。
 ハンターとして特区を訪れた時とは全く違う新鮮な気持ちで特区に向かい合うことになるとはな。
 なにか不思議な感慨があった。
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