午前0時、彼の部屋で

のぞみ

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『午前0時、彼の部屋で』

 一ノ瀬結衣はその夜、いつものように何も感じないまま終電に乗り込んだ。車内はまばらな乗客。彼女のヒールは足を少しだけ痛めていたし、今日もクライアントには笑顔で頭を下げ、帰りの改札ではイヤホン越しに流れるプレイリストさえ、どこか遠く感じた。

 そのときだった。

 目の前の座席に、彼がいた。

 白いシャツの第一ボタンを開け、腕時計を眺めていたその男。短く整えられた髪、彫りの深い顔、無言でスマホを操る指がやたらと綺麗だった。なのに、どこか全体が色気をまとっていた。無骨さと都会の洗練の間に立つような、見た目だけで気圧される男。

 彼のスマホ画面がふと反射して、結衣の目に入ったのは、自分が週末にバイトしているカフェの店内写真だった。

「…それ、うちのカフェじゃない?」

 思わず口をついて出た声に、男はゆっくり顔を上げた。深くて、底の見えない瞳。

「…そう。あのカフェ、落ち着くからたまに行く」

「へえ、奇遇ですね。私、そこの店員なんです」

「見たことあるかもな。…そのときの顔と、今の顔、ちょっと違う」

 それが最初の会話だった。

 彼の名前は、黒川悠真。29歳、外資系IT企業でマーケティングをしているという。話す言葉の節々に知性が滲み、けれどその声の低さは何かを試すように重く、ずっと耳に残った。

 結衣はそれから数日間、いつもの生活をこなしながらも、頭の片隅に黒川悠真の存在がこびりついて離れなかった。あの終電の夜、彼と別れてからも、彼の声が脳内で繰り返し再生された。
 ——「今の顔、違う」
 あれは何気ない一言のようでいて、何もかも見透かされていた気がした。

 翌日、カフェのシフト中に彼が来た。
 入り口で彼を見つけた瞬間、心臓が跳ねた。
 黒のロングコート、グレーのタートル。無造作にセットされた髪の隙間から覗く視線は、無表情でありながら、こちらを刺すようにまっすぐ向いていた。

「ホット、ブラックで」

 彼は結衣の手からカップを受け取り、何も言わずに受け取ったレシートをくしゃりと握ってポケットに入れた。座るのはいつも一番奥の席、壁に背を預けた位置。スマホを見ながら、時折窓の外をぼんやり眺めていた。

 それが3日続いた。

 話しかけてくるわけでもなく、ただ同じコーヒーを頼み、同じ席に座る。
 けれど、それだけで——なんだか、目が合うたびに何かが削られていくような、あるいは、じわじわと溶かされていくような。

 4日目、彼はレジで言った。

「今日、上がり何時?」

 その一言に、理性がわずかに揺れた。だが口は自然と答えていた。

「…19時ですけど」

 彼は手首の時計をちらりと見て、小さく笑った。

「じゃあ、待ってる」

 それだけを言って、出て行った。
 ——ドアが閉まる音が、あんなに重たく響いたのは初めてだった。

 バイトを終えて、スタッフルームでコートを羽織る手が妙に震えた。鏡で口紅のにじみを直しながら、「行くな」「やめとけ」と理性が警告していた。でも、どうしても、もう一度、あの声を、目を、肌を近くで感じたくて——気づけば外に出ていた。

 彼はいた。

 街灯の下、スーツの上から黒いコートを羽織り、ポケットに手を入れたまま、ビルの角に寄りかかっていた。タバコも吸わず、スマホもいじらず、ただじっと結衣を待っていた。

「……寒くないんですか」

「お前、口調、敬語なのな。店のときは崩してたのに」

「……クセです」

「どっちでもいいけど、俺の前だと素出してくれたほうが……興奮する」

 言葉の途中で、わずかにトーンを落としてきたその言い方に、背筋がゾワリとした。

 彼はタクシーを拾い、ドアを開けて結衣を乗せ、自分も続いて滑り込んだ。行き先は何も言わない。なのに、運転手は黙って都心から少し離れた住宅地へとハンドルを切った。まるで、何度もこのルートを走ったことがあるかのように。

 静かな車内。結衣の膝の上に乗せられた彼の手が、ゆっくりと滑り、指先が太腿の内側をなぞった。

「……スカート短いね。こういうの、好きな男多いよ」

「好きな男がいないので……気にしてません」

「じゃあ今日から、俺のために履いて」

 彼は言葉の最後に唇を寄せてきた。声じゃない、息が耳にかかる距離。まだキスもしていないのに、吐息だけで喉の奥が詰まった。

 そして——数分後、タクシーは止まった。
 23階建てのマンション。エントランスは黒くて無機質、照明は間接的で、それが妙に艶やかだった。オートロックを通り抜け、彼はエレベーターで最上階近くまで連れていった。

 部屋の扉が開いた瞬間、外の世界が音を失ったようだった。
 高層階の夜景が壁一面に広がり、照明は抑えられ、グレージュの内装に無駄なものは何もない。けれど、そこにある空気だけが、やたらと熱を孕んでいた。

「……来たな」

 そう呟いた彼が、後ろから腰に手を回し、髪を撫で、耳に唇を寄せたとき、結衣はもう、自分の意思では何も抗えないことを理解していた。

 駅から歩いてすぐの高層マンション。最上階近く。フローリングの上を裸足で歩くと、結衣は自分がどこにいるのかもわからなくなった。

「シャワー、使う?」

「…別に、いい」

「じゃあ、いきなりで」

 彼はすぐに結衣の唇を塞いだ。キスは荒くなかった。ただ、ためらいがなかった。彼の舌が入り込み、結衣の舌をすくい、押し返され、もう息が乱れていた。腰を抱かれた瞬間、背中がぞくりと震えた。

「最初から…濡れてるじゃん、どうしたの?」

「……ちが……ん……っ、あっ……」

 彼の指がパンティ越しに結衣の中心をなぞった。じっとりと濡れた布地を指で押し上げられる感触に、喉の奥が詰まる。

「仕事終わりでこんなにエロいとか、やばいな」

 彼は笑いもせず、熱い手のひらで彼女の脚を広げた。そのままソファに押し倒され、膝を割られる。下着が引き剥がされていくたび、結衣の心拍は早くなり、耳鳴りすらしていた。

「ここ…俺の指じゃ足りないでしょ?」

 彼の長い中指が、くちゅっ、と音を立てて結衣の中に入り込む。ヌルリと迎え入れるそこは、すでに何度か小さな波を越えていた。

「ああっ……や……!そこ……っ!」

「これ好きでしょ? 奥のここ……ぎゅってしてる。ほら……トロトロ」

 音を聞かせるように、彼は指を引き抜いて見せる。ねっとりと絡む愛液が白い肌に糸を引いた。

「もう我慢できない。入れるぞ」

 ズン、と押し当てられたものは、熱くて硬くて、信じられないほど大きかった。結衣は思わず脚を閉じかけるが、その動きを簡単に押さえつけられる。

「怖い?……でも、欲しいんでしょ?」

 彼の太くて熱い肉棒が、一気に結衣の中を満たしていく。体が裂けそうなほどの衝撃、けれど甘くて、痺れるような快感がそれを凌駕していた。

「あっ、んっっ……ああ……っ!」

「うるせえ……声、出しすぎ……でも、もっと聞かせろ」

 ズンッ、ズンズンズンッ……!奥を的確に、ずっと当て続けるようなピストン。結衣の腰は跳ね、胸の先端も擦れ、視界はすでに白んでいた。

「イきそう……イくっ……あっああぁっ!!」

 彼の腕の中で何度も絶頂しながら、結衣は気づいていた。

 ——これ、セックスなんかじゃない。

 体中を貪られ、けれど抱きしめられたみたいな。
 誰にも触られたことのない場所に、彼だけが届いてくる。

 それが、余計に怖かった。

 彼の部屋で抱かれる夜は、決まって深く、熱く、終わりが見えなかった。
 その夜の始まりはいつも静かで、焦らすように、ふとした仕草で始まる。

 たとえば結衣がリビングでソファに腰を下ろした瞬間、黒川はすぐには触れてこない。コートを脱ぎながら、ふと視線だけが向けられ、そこに一切の言葉がない。
 けれど、その瞳にじっと見られると、背中に熱が走る。
 何も言われないまま、彼がグラスを片手に近づき、沈黙の中で酒を交わす。それだけで、空気は変わっていく。

「……今日、スカート短いね」

 ふいに放たれる言葉。笑っているわけでも、からかっているわけでもない。
 ただその目は、すでにすべてを脱がせているようだった。視線の下で肌が炙られる感覚に、自然と脚が閉じたくなる。けれど、そんな仕草をしたとたん、彼はその隙間に手を入れてくる。

「ほら、やっぱり……」

 指先が、太腿の内側をなぞる。
 スカートの裾がわずかにめくれ、下着のラインが浮かび上がるころには、結衣の呼吸はもう浅くなっていた。

「……触ってもいい?」

 尋ねるふりをして、許可を待たない。
 黒川の指が下着の上からぐっしょり濡れた中心を押さえつけると、そのまま指の腹でくりくりと擦ってくる。

「なにこれ……もう、こんなに?」

「ちが……やっ……!」

「本当に“ちが”う? これ、俺のせいじゃないのか?」

 その言葉を囁かれたとたん、彼の指はパンティの隙間から生々しい音を立てて入り込んでくる。

 くちゅ、くちゅ、ぬちゅっ……
 愛液が溢れるたびに、ソファの革張りが冷たく感じられる。

「やだ……声、でちゃう……」

「出せ。もっと、俺に聞かせて」

 その低い声は、耳の奥をくすぐるように、感度をさらに跳ね上げる。
 背中に手を回され、下着をするりと剥がされたかと思えば、指先がクリトリスに触れた瞬間、体が跳ねた。

「ほら、ここ、ずっと疼いてる。自分で触るときも、ここ重点的だろ?」

「……見てないのに、なんでそんな……っ、わか……!」

「顔見ればわかる。……あと、締まりが教えてくれる」

 彼の言葉はいつだって遠慮がないのに、なぜか下品に聞こえなかった。
 静かで、抑えたトーン。それでいて、どこか言葉に“責め”の熱が込められていて、抗えなかった。

 そして、とうとうソファに押し倒される。
 ブラのホックがほどかれ、胸の谷間を舌でなぞられたときには、すでに全身が敏感になっていた。
 乳首に吸いつかれ、片方を揉まれながらもう片方が甘く噛まれたとき、結衣の腰は浮き、口元から漏れた声が自分のものとは思えなかった。

「っあ……ああ……ん、も……だめ……!」

「まだ“だめ”の段階じゃねぇだろ。何回でも、壊れるまで、味わえ」

 彼のズボンが下ろされ、剥き出しになったそれは、毎回見るたびに圧倒された。
 長くて太い。それでいて、形が美しく、怒張して脈打っている。

「……ねえ、それ……本当に、全部……?」

「うん。奥、ちゃんと開けとけよ。じゃないと……泣くことになる」

 ズンッと、一気に挿入される。
「ひっ!」と喉が震え、入り口がぱっつりと引き裂かれるような感覚。
 けれど、そこからゆっくりと沈み込んでいくと、奥の奥で絡まり、満たされ、何も考えられなくなる。

「すげぇ……ぎゅうぎゅう。溶けてきてんの、わかる?」

「や、やだ……そんな……っ、はっ……!」

「やだって、言いながら動いてんじゃん。こんなに奥、吸い込んで……」

 彼は腰を打ちつけながら、わざと膣内を掻き混ぜるような角度で突いてくる。
 ズンズンと子宮口にぶつかる感覚、ぐちゅぐちゅと混ざり合う愛液の音、肌と肌がぶつかる湿った音。それらすべてが五感を支配し、思考を断ち切った。

「結衣……俺のを、感じて。奥まで。ほら……」

 指がクリを刺激しながら、亀頭で子宮口を押し上げる。
 そこに何度も当たるたびに、結衣は体を仰け反らせ、声を抑えきれずに泣きそうになった。

「だめ、イく……やだ……もうイく、イっちゃう……っ!」

「イけよ。俺の中で、ぐちゃぐちゃになってイけ」

 ビクン、ビクン……と腰が跳ねる。
 膣が締まり、彼の肉棒を絞めつけながら、結衣の全身が絶頂の波にのまれた。

 でも、それでも彼は止まらない。
 繋がったまま、ゆっくりと腰を動かし続ける。

「イった直後が一番、エロいんだよな。柔らかくなって、でも締め付けてくる。……最高」

「や、もう……無理っ……!」

「無理って言ってるの、すげぇ可愛いから、もう一回言って」

 そう囁かれて再び突き上げられると、快感が再燃する。
 さっきまで脱力していた体が再び昂り、結衣は彼の腰を掴み返してしまう。

「あっ、やだっ、またっ……あああっ!!」

「ほら、イきそうだろ。わかる。中、また締まってきた」

「んんっ、ん……やだ、ほんとに、イっ……!」

 二度目の絶頂は一度目よりも遥かに濃密で、結衣は呻きながら涙を流した。
 体が震え、頭が真っ白になり、快楽の深淵に引きずり込まれる。

「泣いてるの、可愛い。もう一回イけるな」

「むりっ……あ、あっ……っ、ああああ……っ!」

 意識が飛ぶ直前、彼の唇が優しく額に触れた。

「全部溶けてなくなればいい」
 彼の体温に包まれていると、そんな極端なことを思ってしまう。
 もう、どこまでも彼に壊されたい。
 抱かれて、満たされて、すべての理性を奪われてしまいたい。

 彼の腕の中なら、それでいい——。

 そして夜は、また深く潜っていく。
 終わりが見えないほど、彼の熱が体の奥に沁みていく。

 そして今夜も、また——。

 ⸻

「結衣、こっち向け」

 深夜のマンションのリビング。ソファに背中を預けて座る黒川の膝の上で、結衣は後ろ向きに跨がっていた。脚を開かされた姿勢のまま、結衣の膣内を下から激しく突き上げられる。ズッ、ズン、ズチュッ……と、下品な水音が部屋に響く。

「あっ、ああんっ……やっ、そんな奥、だめ……!」

「奥が欲しいって、もう口が言ってんぞ。締め方がエロすぎる」

「言ってない……言って、な……っああんっ!」

 ピストンと同時に、片手でクリトリスを擦られた瞬間、全身がビクッと跳ねた。彼の動きは容赦なく、欲情にまかせた荒々しさと計算された巧さが混ざり合っていた。ガンガンと突き上げられるたび、結衣は内壁をぐしゃぐしゃにかき回され、絶え間ない快感に喘ぐ。

「そんなに気持ちいいのか。ちゃんと感じてる顔、俺に見せろよ」

「やっ、だめ、見ないで……顔、そんなっ……!」

 ぐいっと髪を掴まれて後ろを向かされ、額を合わせる距離で黒川が笑った。

「すげぇ……こんなにエロい顔、他のやつには絶対見せんなよ」

「見せない……あなただけ……」

「は?」

「っ……黒川さんにだけ、だから……こんなに……イってばっかで……!」

 彼は一瞬黙り込んだ。ほんの少し、唇が緩んだ気がした。

 そのまま彼は、抱き上げるように結衣をソファに倒し、今度は覆いかぶさる姿勢に。二人の体が汗で滑る。結衣の脚はもう開いたまま、脱力していた。彼はそのまま再挿入し、一度深く、止まった。

「結衣」

「……ん?」

「もう、お前に会うのやめようと思ってた」

 彼は小さく息を吐いた。セックスの最中、こんな風に名前を呼ばれるのは初めてだった。

「来月からシンガポールに行く。任期三年、下手すりゃもっと伸びる」

「……聞いてた」

「だから、始めから“ただの関係”で終わらせるつもりだった。俺のこと、忘れてもらうために。……けど、無理だわ」

 彼は一度、結衣の頬に口づけた。淡く、迷うように触れるキスだった。

「こんな顔で、俺の上で泣く女、忘れられるわけねえだろ」

「……じゃあ、行かないでよ」

「行かなきゃ、全部終わる。キャリアも、今の立場も」

「じゃあ……連れてって」

 その言葉が出た瞬間、黒川の目が揺れた。

「本気で言ってる?」

「言ったって無駄だと思ってた。でも、いま……あたし、あなたのこと、すごく好き。
 体だけの関係、って思い込もうとしてた。でも、気づいたら全部欲しくなってたの。あなたの笑う顔も、キスも、声も……ずっと、傍にいてほしいって思っちゃってた」

 黒川はしばらく黙っていた。まだ結合したまま、じっと結衣を見つめる。

「……じゃあ、来い。俺の部屋じゃなくて、俺の人生に」

「……うん」

「でもその代わり、今夜は一晩中、俺のモンでいろ。逃がさねぇからな」

 そして、彼は再び動き出した。

 ——それは、まるで感情そのものだった。

 愛を証明するみたいに、彼は結衣の全身を貪った。キスは激しく、舌を絡ませながら喘ぎ声を呑み込んだ。何度も繋がり、絶頂を繰り返し、汗と涙と快楽が混ざり合った。

 シャワー室でも、ベッドでも、壁に背を預けた姿勢でも。結衣の中に彼の欲望が注がれるたび、彼の存在が深く刻まれていった。

 朝方、ぐったりと腕の中で眠る結衣の髪を撫でながら、黒川は呟いた。

「……この先どんなに忙しくても、毎晩こうして触れる。だから、もう俺のもんだからな」

 その低くて熱を孕んだ声は、最初に電車で聞いたときよりもずっと優しくて、ずっと重かった。

 ——そして、一ヶ月後。

 スーツケース一つで成田に現れた結衣は、黒川の隣に立っていた。

 新しい国、新しい暮らし。けれど、隣にいるのはあの夜のままの男。
 まだ世界のことなんて何もわからない。けれど、彼の目を見ればそれでよかった。

「なあ」

「ん?」

「まだ俺のこと、好きか?」

「うるさい、もう何回聞くの」

「じゃあ、次は……結婚、してくれる?」

 結衣はふっと笑って、黙って手を差し出した。彼はそれを強く握り返した。

 空港のゲートの向こう、陽光の中で、二人の影は重なっていた。
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