沈んだ想いは、まだ息をしている 〜鳳陵学園水球部、祟りの夏

NAYUTA

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夜の渡り廊下

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夜の渡り廊下、、、

空には星が瞬き、虫の声が校舎裏の雑木林から聞こえてくる。

校舎と校舎を繋ぐ屋根付の簡素な廊下。

定期的にメンテナンスが入る校舎とは異なり、支柱には錆が浮き、柵も老朽化が目立っている。

だが、夜になれば、その粗は消え、昼とはまるで別の場所のように見える。

特に、今、そこに立ち、木の柵にもたれて校庭を見る二人には、、、

「剣、、、どうしたんだ?急に、、、話なら部屋で出来るだろう、、、」

黒木が聞く。

フッ、、、

剣が鼻で笑う。

「隣の部屋でグースカと部員達がイビキをかいてるってのにしっぽりと話なんかできるかよ、、、」

フフ、、、

黒木も軽く笑う。

「確かにな、、、」

黒木が寛いだように木の柵に両肘をつき、空を見上げる。

「この場所、覚えてる?」

黒木は小さく息を呑む。

「忘れるわけないだろ?」

二人の間に沈黙が流れた。

夜の湿った空気が、かつての時間を思い出させる。

剣はまだ若く、黒木も未熟だった夏の日。

剣が懐かしそうな目で言った。

「ここが俺とジュンチの始まりの場所だぜ、、、」

黒木は横に立つ剣を見る。

あの日よりも確実に線が太くなり大人の男へと変貌しつつある。

「よく覚えている、、、教師になって初めての夏だった。確か、暑い日が終わり、涼しい風が吹いていたな、、、夕闇って言うんだろうな、、、沈みかけの太陽が街を真っ赤に染めて、夜の帳が降りかけた空は藍色で、星が瞬き始めて、オレンジと藍色の綺麗なグラデーションが出来上がってたのを強く覚えてる、、、」

「俺のことは覚えてないのかよ、、、まさか、忘れちまったなんて言うんじゃないだろな、、、」

黒木が剣を見る。

目には愛おしそうな光が宿る。

「忘れる訳ないだろ、、、いや、忘れようと思ってもあの顔は忘れられないよ、、、もう部活はとっくに終わってるってのに渡り廊下に仁王立ちで立っていて、いきなり強張った形相で睨みつけてきて、、、マジで殴られるかと思ったよ、、、」

「ヒドイな、、、俺、マジだったんだぜ、、、あの時」

剣は、拗ねたように黒木を見る。

昼間とは全く異なる甘えるような目だ。

二人は暫く黙ったまま見つめ合う。

言葉は要らず、優しく、熱い空気が二人を包んでいる。

二人は過去の同じ時間をなぞっている、、、

黒木は、日に焼けたこんがりとした肌が夏服の白いシャツに映え、緊張に大きく息をし、水球で鍛えた胸が上下している剣の姿を思い出す。

黒木が会議を終え、扉を開け渡り廊下に出た瞬間、立ち塞がり、直立し、睨むように黒木を見てきた。

その剣の真剣な眼差しにとうとうその瞬間が来てしまったと心の中に覚悟のようなものが生まれたことを黒木は覚えている。

剣は、渡り廊下に繋がる扉を開けた瞬間のスラっとしたジャージ姿の爽やかで、生徒達の全てを受け止めようとする包容力を持つ教師というより、兄貴と呼びたくなる頼もしい空気を纏った黒木の姿を思い出している。

始業式で緊張しながら挨拶をする姿に目を奪われ、剣が所属する水球部の副顧問となると知り喜んだ。

が、それは剣にとって、味わったことのない苦しい日々の始まりでもあった。

黒木に近づきたいという気持ちが募り、優しくされると舞い上がる、が、他の部員達と話しているとワケもなくイライラし、憎しみに似た感情を抱いてしまう。

黒木という教師の存在が剣の心を振り回す。

どうしていいかわからない、、、

そして、そのモヤモヤに決着をつけようと意を決したあの日、、、

渡り廊下に出た黒木が剣を見てビクッとした。

驚きではなく、嬉しさと、辛さと、諦めと、覚悟が混じったような不思議な表情だった。

「先生、ちょっといいっすか?」

こわばる剣の声。

「あぁ、なんだ?」

上擦った黒木の声。

一瞬の沈黙。

視線を絡ませあった二人には永遠のようにも思えた。

「お、俺、、、黒木先生、、、俺、、、先生のことが好きです」

その言葉は真っ直ぐだった。

黒木の胸を鋭く貫く。

分かっていた、、、

感じていた、、、

そして、黒木自身も、同じだった、、、

だが、越えてはならない一線というものがある。

だから、黒木は、自分の心を必死で押さえ付けていた。

自分を慕ってくれる部長。

男っぽく厳つさを感じさせるが、笑うと子供のようにクシャクシャになる顔。

突っ張っているようで、素直。

人一倍練習熱心なクセに、それを隠そうとする。

黒木は年長だ。

剣が黒木を慕っていると気付いていた。

嬉しかった。

黒木もまた、接すれば接するほどつるぎが愛おしくなっていた。

しかし、それは、教師が生徒に抱く親しみの範囲を越えてはいけない。

また、剣の気持ちも生徒が教師に対する思慕でなくてはならない。

それ以上はダメだ。

期待しようとする自分を戒め、剣の好意も教師に対するものであると信じようとした。

それ以上のことを望んでは駄目だと己を律した。

だが、渡り廊下に出て、真剣な眼差しをした剣を見た時に、自分が感じていたことは間違いではなかったと悟った。

そして、自分自身のときめく心も、、、

だが、受け入れてはならない。

剣はまだ、子供だ。

教え子だ。

そして、自分はその生徒を正しく導がなければならない教師だ。

だが、なんと答えればいい?

黒木は混乱した。

出てきた言葉は、自分でも陳腐で嫌になる当たり前の言葉だった。

「剣、、、いや、矢野、、、有難う。その気持ちは嬉しい、、、だが、駄目だ、、、教師と生徒が、そんな関係になっていいはずがない」

剣の顔が強張る。

が、次の瞬間、真摯な表情になり、黒木をじっと見つめる。

「じゃあ、教師と生徒でなければいいんですか?卒業したらいいんですか?」

剣は食い下がった。

その目には迷いも、冗談もなかった。

「それには、、、答えられない」

黒木の声は、震えていた。

それでも剣は一歩も引かず、まっすぐに見つめ返した。

その瞬間、完全に教師の黒木は生徒の剣に押されていた。

「なら、俺は待ちます」

「待つ?」

「ええ、俺は、絶対に先生を手に入れる。好きだから。先生、俺に先生の卒業した大学を薦めたよね、、、お前に似合った校風だって、、、俺、頑張って勉強して、推薦枠を取れなかったとしても実力で入ってやるよ、、、先生みたいに。そして、卒業したら、もう一度告白する。だって、その時はもう、教師と生徒じゃない、男と男になるんだもんな、、、」

二人の目が絡み合った。

沈黙。

風が、二人の間を吹き抜けた。

絡み合う視線が熱さを増していることに二人とも気付いている。

黒木の心は痛いほどに掻き乱れる。

が、教師としての理性が口を閉ざさせた。

「剣、、、今は、何も言えない」

剣は泣きそうな顔で笑った。

「言わなくていいよ、先生。言葉が無くたって、今の先生の目でわかる。俺、絶対、先生を手に入れて見せます」

本心を口にできない自分に対し、想いを全て口にする剣の潔い姿が、黒木の心に焼き付いた。

そして、今、その約束を果たした青年かつての生徒が、すぐ隣に立っている。

黒木の胸に熱いものが湧く。

「俺、あの時のジュンチの顔、今でも覚えてるよ」

剣の声が低く響く。

「嬉しそうな、辛そうな顔、、、人って同時に全く二つの感情が混じった表情になることも出来るんだって思った。なんで、正直にならないんだってあの時は言いたかったよ。あん時の俺は、ただのガキだったから。でも、辛そうな想いをさせていたのも俺だったんだよな。けど、信じてた。あんたの目が、本気で俺を拒んでなかったって」

黒木はゆっくりと目を閉じた。

「あの日の選択は、間違っていなかったと俺は思っている。お前を傷付けたとしても、それで、お前を失うとしても、、、あの答えしかなかった。だから、卒業式の翌日に出かけようと誘ってくれた時には、本当に嬉しかったよ、、、」

剣は小さく笑った。

夜空を見上げる目は、微かに潤んでいた。

「なら、やっぱり間違ってなかった」

風が再び吹き抜ける。どこか遠くで波のように木々がざわめく。

黒木は剣の肩にそっと手を置いた。

「お前は、もう子どもじゃないもんな、、、」

「最初から、ジュンチにだけは子ども扱いされたくなかったよ、、、」

二人は身体を寄せ、互いの温かさを感じていた。

その瞬間、、、

バリン、、、と、一瞬の破裂音が響く。

生徒達が寝ている校舎の方角からだ。

何かあった?

二人は顔を見合わせ、渡り廊下から校舎へと駆け出す。

渡り廊下と校舎を隔てる扉が閉まる。

生徒達が眠る教室の方へ駆ける二人は、背後でしまった扉がグギギギギという唸りに似た音を上げ、軋んだことに気付かなかった。


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