『Make the King Cry』《メイク・ザ・キング・クライ》  ──王者に涙を

NAYUTA

文字の大きさ
2 / 22

プロローグ

しおりを挟む

――あの肉体に、見惚れた。

蝉の声が遠く、風もない昼だった。

古びたビルの三階、階段の踊り場に一枚の鉄扉がある。

ペンキは剥げ、取っ手は擦り減り、壁には落書きの跡がうっすらと残っていた。 

その扉を前に、三崎 陸翔は迷いなく右手を伸ばした。

錆びた蝶番が軋む音とともに、汗とマットのにおいが鼻を突く。

だがそれは、不快というよりも――血のような匂いだった。

眼前に広がるのは、照明の薄暗い、簡素な練習場。

中央には黄色く焼けたマットが敷かれ、四隅には無骨なロープが張られている。

中では数人の男たちがシャツを脱ぎ、裸の上半身で組み合っていた。

彼らは汗を飛ばし、筋肉を軋ませ、咆哮を交わしていた。

少年の目には、それが“人間の動き”とは思えなかった。

もっと原初的で、もっと神聖な……儀式のようなものに見えた。

その奥――

ただひとり、リングの隅で縄跳びをしている男がいた。

全身が鋼のように引き締まり、跳ぶたびに背中の筋肉が波打つ。

胸筋の起伏、腹の深い溝、首筋から肩にかけての隆起。

美しさと強さを同時に備えた肉体――そして、その顔には微塵の油断もなかった。

男にミットを付けたトレーナーが声を掛ける。

男は縄跳びを止め、拳を作った。

パン、パンと小気味よくミットに打ち込まれる音。 

続けてマットで始めた受け身。

大きな身体が舞う度に響く床の衝撃音。

そのひとつひとつが、音ではなく、視線を貫く“魅せ”の連続だった。

 鷹城 大牙たかぎ・たいが――

プロレス団体の看板を背負い続けるトップスター。

強くて、美しくて、まぶしい存在だった。

185センチの長身に、無駄のない厚い筋肉。

まるで大理石から彫り出された彫像のような体幹。

鍛え抜かれた肩がしなるたび、広背筋が音もなく波打つ。

分厚い胸板と、そこから斜めに走る腹筋の流れ、、、

……息を呑んだ。

何が起こっていたのか、当時の自分にはうまく説明できなかった。

ただ、確かに感じていた。 

「見てはいけない」と思うのに、目を逸らせなかった。

男として、選手として、理想だった。

あんな身体を手に入れられたら、強くなれる気がした。

同じリングに立つ資格がある気がした。

けれど――それだけでは、なかった。



すべての始まりは、テレビだった。

高校を中退し、バイトもすぐに辞めて、何も続かず、行き場のないままソファに沈んでいたあの日。

深夜、偶然つけたスポーツチャンネルの画面に、それは現れた。

暗転したリングに、赤いマントを翻しながら登場するその男。

無言のままコーナーポストに登り、観客の歓声を浴びる姿。

照明が切り替わり、汗に光る肩と胸筋、腕の血管。

乱れた髪から覗く、鋭い目つき。

鍛え抜かれた脚がマットを踏みしめるたび、画面が揺れそうなほどの存在感だった。

気づけば、息を止めていた。

心が、どこかを撃ち抜かれていた。

“あれになりたい”でも、“あれを超えたい”でもない。

ただ、“あれに惹かれた”。

まるで、救われた気がした。

何者でもなかった自分に、見上げるべき神が現れたような気がして。

次の日、衝動のままネットで道場を調べ、家を出た。



そして、初めて本物を見た。

テレビの中より、百倍も分厚く、恐ろしいほど“人間離れ”していた。

無駄のない筋肉が連なる背中。

そこから分かれて走る肩甲骨の隆起。

踏み込む脚の腱が鋼のように張りつめ、股関節から膝、足首へと一本の“力の流れ”が通っていた。

シャツを脱いで、グローブを締める瞬間。

その二の腕と腹斜筋、広がった胸郭に、目を奪われた。

“生きたギリシャ彫刻”という言葉を、あの日初めて本気で信じた。

見学者の一人でしかない自分に、軽く会釈をくれたあの時。

ただそれだけの仕草で、鼓動が跳ね上がった。

身体の奥で、何かが爆ぜるように高鳴っていた。

練習後、ふと近づいてきた鷹城が声をかけてくれた。

「見学、どうだった?」

その一言が、何度も夢に出てくる。

笑顔の裏に、気遣いと静かな強さが滲んでいた。

……あの時、確信した。

自分はもう、この人から離れられない。

尊敬とか、憧れとか、そんな言葉じゃ足りない。

――

それが、もっとも近い感情だった。

鷹城大牙の肉体。

鍛え抜かれ、磨かれ、神性すら感じさせるその身体は、三崎にとって“リング”そのものだった。

無敵の王者。

試合では必ず相手を倒し、技を極め、リングの中心に立ち続ける男。

その存在を“かっこいい”と感じることが、最初の感情だった。

だが、何度も映像を繰り返し観るうちに、それは単なる憧れではなくなっていた。

「……俺も、ここで強くなりたいんです」

受付にいた男にそう告げたとき、声は震えていなかった。

その奥にある熱が、すでに少年を突き動かしていた。

目標ではなく、ゴール。

それからの日々は、ひたすらに「追いかける」時間だった。

誰よりも早く来て掃除をし、誰よりも遅くまでマットに残った。

鷹城の練習を遠くから盗み見るように観察し、真似し、失敗して、また繰り返す。

そして気づけば、少年は青年になり――

いつしか、憧れは“執着”に変わっていた。

倒したい、勝ちたい。

だが、それ以上に、支配したい。

自分の手で、あの完璧な存在を“屈服させたい”。

その妄執が、血肉になり、魂に宿った。

鷹城のすべてが欲しかった。

肉体、称賛、王者の称号、観客の目線、そして……鷹城自身の視線。

リングの上で対等に組み合い、その鋼の身体を打ち破り、その眼に「お前が俺を倒した」と刻まれるその瞬間を夢見た。

それはもはや、夢ではなくなっていた。

21歳になった三崎 陸翔の肉体は、もはや少年ではなかった。

広く厚い胸板、鍛え上げられた脚、絞り上げられた腹筋。

懸垂とロープワークで削り出した肩と腕は、鎧のように肉を纏い、まさしく“戦うための道具”として完成に近づいていた。

彼は間も無く夢にまで見た場所に立つ。

団体の枠を超えた――真の実力者だけが呼ばれる総合大会の舞台。

この大会には、団体の顔ぶれを問わず、実力がある者だけが集められる。

そして、大牙はこの大会の絶対王者。

三年連続で無敗。出場すれば必ず決勝へ進み、すべてをねじ伏せる。

そこに、ついに自分も招かれた。

もう、夢じゃない。ここからが、俺の本当の物語だ、、、

ただし、公式のトーナメントはすぐには始まらない。

まず行われるのは、各選手の“顔見せ”を兼ねたエキシビションマッチ。

――非公式。

――非記録。

――だが、確実に“見られている”。

特に、今回は大会初の試みとして勝敗傾向や試合内容を分析し、トーナメントの組み合わせが調整されるという方針が取られていた。

それはつまり、エキシビションマッチの結果次第で、誰と誰が当たるかが決まるということ。

加えて、八百長を避けるため、同一団体所属の選手は初期のブロックでは絶対に当てられない。

――そう、彼と大牙は、トーナメントの正規戦で直接ぶつかるには、どちらも勝ち上がるしかなかった。

(決勝で、俺たちは出会う。それしかない)

そして、このエキシビション。

なんと三崎と大牙の二連戦が組まれた。

観客も騒然となった。

同一団体所属の二人が、エースと新星として注目される今、まさに夢のカード。

だが、三崎はそれをただの“名誉”とは思わなかった。

これは自分にとって、神の癖を見抜く、唯一にして最後の機会だった。

大牙の技の精度、投げの間合い、呼吸の速さ、力の流れ。

表面の筋肉ではなく、深部の“決定的な脆さ”――

それを探し、手に触れ、この手で記憶に焼きつけるための闘い。

(あなたの身体は、俺がすべて理解してみせる)

心の奥底に、確かに生まれた執念があった。

真面目な大牙のことだ、エキシビジョンであっても真剣に向かってくるだろう。

そこに漬け込む。

決勝での確実な勝利に向けて、、、

もはや、少年のように「あんな風になりたい」と願う気持ちは、そこにはなかった。

(あの身体を倒す。あの筋肉を屈服させる。あの背中を、這い上がってでも超える)

リングに立つたび、三崎の中でその感情は形を変えていった。

憧れは尊敬に、尊敬は渇望に、そして渇望は、妄執に変わった。

――全部、あんたのせいだよ、大牙さん、あんたが完璧過ぎるんだよ、、、壊したくなるほどに、、、

見つめる先には、変わらぬ姿の鷹城 大牙。

爽やかに笑い、手を差し伸べ、観客に向かって自信を込めて手を掲げる。

今も“完璧な王者”。

けれど、間も無くそれも終わる、、、終わらせてやる、、、

リングの上で、三崎 陸翔は王者を“知る”。

技で、筋肉で、息づかいで、そのすべてを暴く。

それは愛にも近く、それ以上に、支配への衝動だった。 

そこには、ただ一つ。

“この男に勝って、すべてを奪う”

そのためだけに生きてきた、燃えるような意思だけが残っていた。

そして、ついに――

同じリングに立つ時が来る。

少年の祈りが終わる。

始まるのは――

男と男、肉体と肉体の、剥き出しの“記憶”の刻み合いだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...