上 下
33 / 40

第33話 恭司の意図

しおりを挟む
「……いかがですか?」

 恭司が控えめに、《状態異常回復薬》を飲み下した博と俺に尋ねる。
 本当に見かけによらず、気を遣える男でいいな。
 《状態異常回復薬》の味も懐かしく、清涼飲料水なんて概念のない向こうではそういう感覚で飲んでいた。
 レモン水とか薄荷水とか果汁を絞ったジュースとかは確かにあったけれど、なんかこう、添加物じみた甘さが懐かしくなる瞬間があった。
 そういう時にごくごく飲んで美味しい飲み物、それこそがこの《状態異常回復薬》だった。
 向こうでも後半の方はほぼ状態異常なんてかからなくなっていたが、それでも手に入れて飲んでたくらいだしな。
 ほぼ嗜好品に近い。
 博は流石にそんなことをする俺を笑っていたが。
 そんな博もこっちの世界じゃコーラとか好きだけどな。
 今なら《状態異常回復薬》もうまく飲めそうだぜ、みたいなことも言っていた。
 もちろん、俺がもともとこっちの世界出身だと言うことは知らないので、なんか味の感じ似てるよなという共感を口にしただけだろうが。
 
 俺と博は恭司の言葉に顔を見合わせる。
 どちらがなんと答えるべきか、一瞬迷った体が、やはりここは博が最初に設定を作り上げるべきだろうと合意に達し、博が口を開く。
 表情もその豚の顔でうまいこと作り、

「……なんだか、頭がすっきりしたような感じがしますね。どうも先ほどまでは、随分白亜さんに肩入れしようとしていたしていたような気がします。外部さんはいかがですか?」

 と訪ねてきた。
 憑物が落ちたような表情である。
 俺もそれを真似しつつ、ポツリポツリと答える。

「……博サンノオッシャル通リデス。私モ今回ノ釘バットハ白亜サンニ譲ロウ、ト決メテイタノデスガ……ドウシテソンナ風ニ決メテイタノカ思イ出セマセン……全テノギルドト交渉シテカラ考エルベキコトナノニ……」

 この俺たちの反応を見て、恭司と桜花はほっとしたような表情をし、それから恭司が言った。

「……良かった。どうやらちゃんと効いたようですね。本当のところ、効くのかどうか不安でした」

「そうだったのですか?」

 博が尋ねたので、恭司は答える。

「ええ。白亜の《魅了》の正確なレベルなどは分かっていないものですから。その《状態異常回復薬》は毒や麻痺の類は、レベル3程度のものまでなら回復できることは確認しているのですが、それ以上だと流石に。ですが、白亜の《魅了》はどうやらその程度だったようですね」

 精神系のスキルはレベルが上がりにくく、3程度まであれば何のスキルも持たない人間なら全く抵抗出来ずにかかってしまう。
 加えて迷宮十層程度にしか到達していない地球人類の今の状況からすると、それでもかなり高い方だと言える。
 と言うか、高すぎるくらいだな。
 これが《剣術》とか《斧術》とかなら4くらいあってもおかしくはないのだが。
 
「そうでしたか……どうやら、私たちは《スーサイド・レミング》に救われたのは確かなようですね。やはり何らかの対価を……」

 と博が言いかけたところで、恭司が慌てて、

「いえいえ! ありがたい話ですが、それでは最初のお約束と違ってしまいますから。あくまでも交渉は公平に行っていただきたい」

「それでよろしいのですか?」

「……はい」

 少し悩んだようだが、しかし答えは揺るがないようだ。
 博はさらに、

「外部さんの釘バット、相当に欲しくていらっしゃるのでは……?」

 と尋ねる。
 恭司は、これにグググ、と拳に力を入れて、

「……もちろん、喉から手が出るほど欲しいです」

「でしたら」

「ですが! あくまでも筋を通した上で手に入れなければ、ただの卑怯者です。私は……私たち《スーサイド・レミング》は、筋の通らないことだけは、しない。そういう奴らで作ったギルドなんですから、総長の私がそれを破るわけにはいきません」

 この恭司の覚悟というか、信念は世の中でもある程度知られているらしい。
 この話し合いに臨む十分ほど前に博から簡単に聞いた。
 そもそもそのギルド名は、レミング、という集団自殺をすると言われるネズミからとられている。
 実際にはレミングが集団自殺する、という話はただの眉唾だ。
 にもかかわらずなぜそんな名前を付けたかといえば、この世界に迷宮が出現した当初、内部から魔物が出てきて被害が出始めた頃に、率先して中に入り、魔物たちを間引きしたのはいわゆる不良、と呼ばれる人々が少なくなかった。
 彼らがいい人間か悪い人間かははっきりとは言えないが、少なくともこの時の行いだけを見れば、間違いなく人類のためになった。
 そういう勇気を、普通の人はなかなか持てないからだ。
 彼らが努力しなければ、おそらく日本人も数万、もしくは数十万人は死んでいた可能性がある。
 それなのに、そういう若者をテレビのワイドショーでバカにしたコメンテーターがいた。
 彼は、若者たちを「彼らは危険なところに行って自分は勇気があると示したいんですよ。しかしそれは実のところ、ただの自殺のようなものです。レミングっていうネズミがいましてね……」と続け、レミングに関する迷信をこれみよがしに語り、喩えた。
 その場のMCや他のコメンテーターたちは真面目ぶった顔で頷き、危険な行為は止めるように、とお茶の間の皆さんに語っていたが、その後、この発言をしたコメンテーターは番組ごと炎上した。
 意外なことに、迷宮に潜る不良たちの行動は地域の人々から相当に感謝されていて、コメンテーターたちの言葉が真実に反する上、現実を分かっていないと誰もが理解したからだ。
 ただ、この炎上が度を過ぎたところまで進んだところで、そんな不良たちの中でも最も有名だった岡倉恭司がギルドを立ち上げた。
 俺たちは確かに自殺するレミングのような存在かもしれない。
 だが、それが皆のためになるならやってやろうじゃないか、と真正面から全てを受け入れた台詞と共にだ。
 この恭司の行動によって炎上は鎮まり、そして若者たちの迷宮探索も組織だって行われるようになっていった。
 もちろん、《スーサイド・レミング》に多くの不良たちが所属した結果なのは言うまでもない。
 筋が通らないことは認めない人間で作ったギルド、とはそういうことなのだ。

 そんな彼の言葉に、博は深く頷き、

「……良かったです。やっぱりさっきの約束はなし、と言われても困りますからね」

 と言ったので、恭司は、

「……試したんですか?」

 と尋ねた。

「そんなつもりではなかったですが、岡倉さんの性格を外部さんに分かりやすく見せたかった、というところです。外部さん、どう思われましたか?」

「……信用ガ出来ル方ダナト」

「そういうことのようですよ」

 博が恭司の方を見てそう言うと、恭司はため息をついて、

「……そんな風に言われたら、文句も言えないじゃないですか。でも、良かった。私は卑怯な方法を使ったり、おかしな買いたたきをしたりするつもりはないです。ですから、真っ当に交渉していただければ、それでいいので。どうぞよろしくお願いします」

 そう言って頭を下げたのだった。
しおりを挟む

処理中です...