結びの物語

雅川 ふみ

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2話

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 春休みが明けて、新学期が始まった。わたしは相変わらず、学校に行く勇気がなく、行けずにいた。元気に登校していく小学生、昨晩放送された番組やゲームの話しで盛り上がって登校する中高生。わたしにとって、それがとても眩しく見えてしまう。平日の昼間は、手伝い以外は、基本的に時間があるということもあって、部屋で勉強していることが多い。学校へは行っていないが、最低限の勉強するように父さんから言い渡されている。わからないところがあれば、ソウ兄に聞くようにしている。彼自身、イヤな顔はせず、親身になって教えてくれる。その甲斐もあって、勉強の遅れなどはほとんどない。
 静かにノックの音がした。父さんだろう。わたしは「どうぞ」と少し素っ気ない感じで返事をした。ゆっくりとドアが開き、父さんが顔を覗かせた。

「勉強はどうだい」

「う、うん。まぁ、ボチボチかな」

「息抜きがてらにおつかいに行って来てもらえるかい」

 おそらく神社の手伝い関係だろう。不登校をしている身として、なんだか断るのが心苦しく感じてしまう。
 わたしは、軽く頷くと、父さんもホッと胸を撫で下ろしていた。もしかしたら行かないと拒否されると感じていたのだろう。わたしが学校に行かない理由を知っている父なら仕方がない。

「おつかいってどこまで行けばいいの?」

「隣街に住むご婦人の家まで。少し話し相手になってあげてほしいんだ」

「なんでその人と」

「ちょっとした知り合いなんだよ。身内もほとんどいないみたいだし。女同士なら、分かり合えることもあるだろう」

「どうかな」

「マナなら大丈夫だよ。なにせ、僕の娘なんだから」

「なに、その理屈」

 可笑しすぎて笑えてくる。父さんは、天然というか自由というか。どこか変な人なのだ。だからだろうか。あまり父のことをキライとは感じたことはない。わたしには反抗期という反抗期はなかった。仲は良好と呼べるだろう。
 わたしは、父さんから住所を教えてもらい、支度をした。外出用とは言え、冴えない白いワンピースにピンクのカーディガンを羽織っているだけである。
 天気は、爽やかな晴れ。眩しすぎる日差しに、目がやられてしまいそうになってそうになった。微かに匂う土の匂い。一息を突き、歩き始めた。



 その人の家は、まるでドラマに出て来そうなくらい、とても大きなお屋敷で、明治時代にタイムスリプしてしまったと錯覚してしまいそうなくらいだ。恐る恐る玄関に近づき、ドアベルを鳴らした。心臓が破裂してしまうんじゃないかと思うくらい、ドキドキとしていた。身を縮こませていると、扉がガラリと開かれた。そこには、紫色の生地で菊の花の柄の着物を着たご婦人が立っていた。ご婦人はニコリと笑った。

「あら、とてもかわいらしいお客さんだわね」

「え、えっと。さ、相楽、ま、愛美と申します。父から話し相手なってあげてほしいと頼まれ、足を運ばせていただきました」

「相楽というと、もしかして隆敏くんの娘さんかしら。あの子にこんなにもかわいらしい娘さんがいるだなんて知らなかったわ」

 ご婦人は、まるで女学生のように、屈託のない笑顔を浮かべた。愛嬌があって、とてもかわいらしい人だなというのが、第一印象であった。ご婦人がわたしの手を握って「ぜひ、わたくしと話し相手になっていただけないかしら」と問いかけられ、頬を赤くしながらも頷いた。
 ご婦人に手を引かれて、客室へ招かれた。そこから見られる庭がとても芸術的で、教科書にも掲載されそうなくらいに素敵なものであった。

「ねぇ、愛美さん、あなた何年生かしら」

「今月から中学三年生になりました。み、見えませんよね」

「ごめんなさいね。小学五年生くらいかなと思っていたわ」

「よ、よく言われます」

 小学校低学年と言われなかったことに少しホッとした。童顔ということは自覚しているが、情けなくなってしまう。それだけ成長ができていないと言われてしまっているように感じてしまう。ご婦人は微笑ましそうにわたしを眺めていた。

「そんなに緊張しなくてもいいのよ。って、無理があるわね。お茶淹れてきたから、おしゃべりを始めましょうか」

「は、はい」

 ご婦人が淹れてくれた紅茶の匂いのおかげか、少しずつ心が落ち着いてきていた。
 ご婦人の名前は、神倉千鶴子さんというらしい。着物を着ているからだろうか。背筋がピンとなっていて、小柄ながらも大きく見える。それと比べてわたしは、いつも自信なさげな猫背だ。だから余計に年下に見られてしまうのかもしれない。

「愛美さんも着物とか着たら、雰囲気が変わりそうね。あなたに似合いそうなもの探しておくわね」

「そ、そんな。わたしなんかのために」

「愛美さん。『わたしなんか』って、自分を下げては駄目よ。あなた顔立ちだっていいし、とてもキレイな目をしているわ」

「そうですかね。あまり言われたことがなくて…」

「みんな、あなたとどう関わればいいのかわからなかったのかもしれないわね。愛美さんは、とても繊細な印象があるから」

 千鶴子さんの洞察力には驚かされる。いや長年の培ってきたものだろう。まだ十四のわたしには到底敵うものではない。確かに『結びの力』を使えるようになる前、わたしはあまり同級生から声をかけられる経験はない。だけれど、さっき千鶴子さんが言った繊細な印象を植え付けてしまうような、弱々しい性格から、声をかけることを億劫にさせてしまっているのかもしれない。わたしは深く反省をした。
 彼女は静かに紅茶を啜り、息を吐いた。なんて美しいのだろう。すごく絵になる。まるで、聖母のようであった。わたしは彼女に見惚れてしまっていった。
 七十歳を超えていると聞いていたが、それ以上に若く見えてしまう。父さんが天女のようにキレイだと褒める理由がわかった気がした。

「愛美さん、今度着物仕立ててあげるわね。そうね。あなた、桜の花が凄く似合いそうだわ」

「そうですか」

「えぇ。桜は、儚く散ってはしまうけれど、パァと満開に咲いたとき、みんなのことを笑顔にしてくれるでしょ。あなたはそれぐらい秘めた可能性があると思うわ」

「そ、そうできるよう、精進していきます」

 褒め慣れていないこともあるが、どう反応すればいいのかわからなかった。きっと頬を赤くしているだろう。すごく体が熱くなった。そんなわたしを見て、彼女はやさしい眼差しを向け「いつでもいらっしゃい。あなたとはいいお友達になれそうだわ」と言ってくれた。わたしは曇りのない笑顔を向け「はい」と返した。
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