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時間地獄
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自宅に見知らぬ女あり。少女のような態をして、誰の許可を得てなのか、座椅子に勝手に座っている。読書、飲食、やりたいほうだい。夢ではないかと思うたが、扉の開け閉てくりかえし、のびのびくつろぐ姿態に変わりなし。息をととのえ踏み込んだ。
きわめてきれいな横顔に、忍び、迫り、息を飲み、披読の眼差しこちらへ移ろう同時に彼女の手首を掴みあげ、しかし臆せずあらがわず。そうして女はこう言った。
「あなたの思断つ十五の時が、すなわち私の糧となる」
何がなんだかわからない。ふざけているのかこの女。
「君は誰だい、名乗りなさい」
「名前は何か? 知らないわ。あなたが決めたらいいじゃない」
「さては百舌屋の妾だな。五十を過ぎても妻子を持たず、だのに身なりは清潔で、見た目は若人そのものだ。秘密があるに違いない。君が由だろ、違うかね」
女が急に嗤いだす。腹を抱えつあごを上向け、身体が蠕動するのにともなって、楽器を鳴らしているかのごとく、ころころころと涙を流して大わらい。
するうちおさまり、
「そんなわけないじゃない」
と言った。
「なら、たしかめよう」
私は女を連れて出た。
⁂
百舌屋は江戸よりつづく老舗の扇子屋だが、さいきんめっきり客が来ず、修繕する金もないのか木造の家屋は今にも崩れそうだ。さりとて汲々と復興に努める様子もなく、主人は悠然と茶座敷にあぐらをかいて煙管をふかしている。私が◇○大学の准教授になって五年は経つというのに、藍染の着物を装った痩身に病的な風貌はぜんぜん変わらない。
「やあ、久しいね」
主人の男は糸目をさらに細めて言った。
笑うと口の端が耳まで裂けそうに思われるので、たいてい不気味がられる。提灯のあわい燈が細面の陰影をきわ立たせ、しかも雨催いの空の夕方はうす暗く、店内に輪をかけた陰鬱さと相まって余計にあやしい。
私は一揖した。
「ご無沙汰です」
「む、大学はどうした」
「常に一日中いるわけではありませんから」
「ははあ、以前は泊まったまま帰らない日が多いと言っていたのに」
「近いうちにまた、そうなります」
「難儀だな。......今日はどうしたね。よもや秋の扇を買い求めに来たわけではあるまい」
「お嬢さんを返しにまいりました」
「はあ」
彼は憮然とした表情をして、口から煙を吐き出す。
「娘とはおかしいな。おれには妻さえおらんというのに」
「このヒトがあなたの世話をしているのではないのですか」
私は店先に待たせた女を引っ張って来、自分の前に立たせた。不思議そうにこちらを見たり、店内の壁一面に飾られたさまざまな扇子を眺めている。かたや主人は彼女を点検するごとく前傾し、てのひらで顎をささえ、両の眼球を忙しく運動させている。
ややあって「ふっ」と息をこぼして微笑もあらわに、「やはり知らんね。それに自分の世話を他人に任すほど、おれは衰えてはおらんつもりだよ」と言うて横向きに座ったのち、流し目に私をみた。
「それは人間か?」
「は」
「その女は人間か、と訊いているのだよ」
主人の目路のありさまは知れないが、どう見ても女は人の形をしている。彼女に「君は人間かい?」とたずねるのも馬鹿ばかしいほどの実在に、なんの異義があろうか。人形か、化けた狐か、ミュータントか、いずれも現実的ではない。はたして私は返答に窮した。
ふいに主人がのろりと立ち上がったかと思うと、女の喉元を親指でぐっと押した。当然、女は苦しげに咳を発するに至り、私はそのうずくまる丸い背を撫ぜてやりながら怒った。
「何をする!」
「本物の皮膚だ」
主人は自分の巨擘をためつすがめつして言う。
「気管や食道もある」
「当たり前だ!」
「なぜ君が怒る。それはおれの女ではないのか」
「あなたは否定されたが」
「そうとも。だが、貰ってはいかんという道理もない。よこせ」
主人のたもとから青白い腕が伸び、彼女の少女趣味の服のえりを掴もうとした。私はとっさにそれを払い、彼女を連れて店を出た。雨が降っていた。傘のまばらにひらかれる雑踏は、咲き乱れる花の行進に錯覚した。紛れ込み、来し方をしゃにむに行く私の背に、かの男の言葉が追いすがった。
「よこせ」
⁂
あくる朝、カーテンの間に漏れる陽に私は目覚めた。背中が少し痛いのは、例の女をベッドに寝かせたのだと気づいた。かたわらに女の寝息が聞こえて安心した。
なにゆえ安堵したのだろう。
疑問に思いつつ私はシンクに立ち、顔を洗い水を一杯飲んでタバコを吸った。扇子屋の主人の鬼気迫る執着はなんだったろう。「たぶん彼女を渡してはろくなことにならんだろう」という推量をもって逃げたが、果たしてこれで良かったのか。そしてこれからどうすれば良いのか。
ふと衣擦れの音がしてベッドの方を見遣れば、女が上半身を起こして目の下をこすっている。ぐぐっと伸びをするしなやかな体が後ろに反るのに附随して、形の良い乳房の運動はシャツごしにあきらかである。すらりと長い脚が布団の重みを逃れ、こちら向きに横座りの女はいささか大人びて感じられた。どうしてか、成長している。
「あなたの思断つ三十二の時が、すなわち私の糧となる」
女は落ち着いた声音で言い、微笑んだ。
そのとき、私は姿見に映る自分の姿を見て戦慄した。ふるえる指でなぞる頬は、全く別人の肌と思われた。
唐突にベルが鳴った。やおら振り返った。ドアのポスト口がキイイと開き、爛々と光る二個の眼がのぞいたのを見た。
「よこせ」
了
きわめてきれいな横顔に、忍び、迫り、息を飲み、披読の眼差しこちらへ移ろう同時に彼女の手首を掴みあげ、しかし臆せずあらがわず。そうして女はこう言った。
「あなたの思断つ十五の時が、すなわち私の糧となる」
何がなんだかわからない。ふざけているのかこの女。
「君は誰だい、名乗りなさい」
「名前は何か? 知らないわ。あなたが決めたらいいじゃない」
「さては百舌屋の妾だな。五十を過ぎても妻子を持たず、だのに身なりは清潔で、見た目は若人そのものだ。秘密があるに違いない。君が由だろ、違うかね」
女が急に嗤いだす。腹を抱えつあごを上向け、身体が蠕動するのにともなって、楽器を鳴らしているかのごとく、ころころころと涙を流して大わらい。
するうちおさまり、
「そんなわけないじゃない」
と言った。
「なら、たしかめよう」
私は女を連れて出た。
⁂
百舌屋は江戸よりつづく老舗の扇子屋だが、さいきんめっきり客が来ず、修繕する金もないのか木造の家屋は今にも崩れそうだ。さりとて汲々と復興に努める様子もなく、主人は悠然と茶座敷にあぐらをかいて煙管をふかしている。私が◇○大学の准教授になって五年は経つというのに、藍染の着物を装った痩身に病的な風貌はぜんぜん変わらない。
「やあ、久しいね」
主人の男は糸目をさらに細めて言った。
笑うと口の端が耳まで裂けそうに思われるので、たいてい不気味がられる。提灯のあわい燈が細面の陰影をきわ立たせ、しかも雨催いの空の夕方はうす暗く、店内に輪をかけた陰鬱さと相まって余計にあやしい。
私は一揖した。
「ご無沙汰です」
「む、大学はどうした」
「常に一日中いるわけではありませんから」
「ははあ、以前は泊まったまま帰らない日が多いと言っていたのに」
「近いうちにまた、そうなります」
「難儀だな。......今日はどうしたね。よもや秋の扇を買い求めに来たわけではあるまい」
「お嬢さんを返しにまいりました」
「はあ」
彼は憮然とした表情をして、口から煙を吐き出す。
「娘とはおかしいな。おれには妻さえおらんというのに」
「このヒトがあなたの世話をしているのではないのですか」
私は店先に待たせた女を引っ張って来、自分の前に立たせた。不思議そうにこちらを見たり、店内の壁一面に飾られたさまざまな扇子を眺めている。かたや主人は彼女を点検するごとく前傾し、てのひらで顎をささえ、両の眼球を忙しく運動させている。
ややあって「ふっ」と息をこぼして微笑もあらわに、「やはり知らんね。それに自分の世話を他人に任すほど、おれは衰えてはおらんつもりだよ」と言うて横向きに座ったのち、流し目に私をみた。
「それは人間か?」
「は」
「その女は人間か、と訊いているのだよ」
主人の目路のありさまは知れないが、どう見ても女は人の形をしている。彼女に「君は人間かい?」とたずねるのも馬鹿ばかしいほどの実在に、なんの異義があろうか。人形か、化けた狐か、ミュータントか、いずれも現実的ではない。はたして私は返答に窮した。
ふいに主人がのろりと立ち上がったかと思うと、女の喉元を親指でぐっと押した。当然、女は苦しげに咳を発するに至り、私はそのうずくまる丸い背を撫ぜてやりながら怒った。
「何をする!」
「本物の皮膚だ」
主人は自分の巨擘をためつすがめつして言う。
「気管や食道もある」
「当たり前だ!」
「なぜ君が怒る。それはおれの女ではないのか」
「あなたは否定されたが」
「そうとも。だが、貰ってはいかんという道理もない。よこせ」
主人のたもとから青白い腕が伸び、彼女の少女趣味の服のえりを掴もうとした。私はとっさにそれを払い、彼女を連れて店を出た。雨が降っていた。傘のまばらにひらかれる雑踏は、咲き乱れる花の行進に錯覚した。紛れ込み、来し方をしゃにむに行く私の背に、かの男の言葉が追いすがった。
「よこせ」
⁂
あくる朝、カーテンの間に漏れる陽に私は目覚めた。背中が少し痛いのは、例の女をベッドに寝かせたのだと気づいた。かたわらに女の寝息が聞こえて安心した。
なにゆえ安堵したのだろう。
疑問に思いつつ私はシンクに立ち、顔を洗い水を一杯飲んでタバコを吸った。扇子屋の主人の鬼気迫る執着はなんだったろう。「たぶん彼女を渡してはろくなことにならんだろう」という推量をもって逃げたが、果たしてこれで良かったのか。そしてこれからどうすれば良いのか。
ふと衣擦れの音がしてベッドの方を見遣れば、女が上半身を起こして目の下をこすっている。ぐぐっと伸びをするしなやかな体が後ろに反るのに附随して、形の良い乳房の運動はシャツごしにあきらかである。すらりと長い脚が布団の重みを逃れ、こちら向きに横座りの女はいささか大人びて感じられた。どうしてか、成長している。
「あなたの思断つ三十二の時が、すなわち私の糧となる」
女は落ち着いた声音で言い、微笑んだ。
そのとき、私は姿見に映る自分の姿を見て戦慄した。ふるえる指でなぞる頬は、全く別人の肌と思われた。
唐突にベルが鳴った。やおら振り返った。ドアのポスト口がキイイと開き、爛々と光る二個の眼がのぞいたのを見た。
「よこせ」
了
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