悪役令嬢レベル100

夏見ナイ

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第30話 水源問題

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広大な耕地はできた。しかし、肝心の水がない。
このままではせっかくのふかふかの土も、ただの乾いた砂漠になってしまう。私のスローライフ計画は、早くも暗礁に乗り上げていた。
私は腕を組み、うーんと唸りながら遥か遠くにそびえる雪化粧の山脈を睨みつけた。
あの山には雪解け水が豊富にあるはずだ。問題は、どうやってあの場所からこの畑まで水を運んでくるか。
「……やはり、引いてくるしかないわよね」
私の口から、ぽつりと独り言が漏れた。
その呟きは背後で控えていたゼノの耳に、雷鳴のような神託として届いた。
「引いてくる……!やはり!やはりそうでございましたか!」
ゼノは何かを確信したように目を見開き、感極まった様子で叫んだ。
「我が主は、あの巨大な山脈を動かしこの地に大河を創造されるおつもりなのですね!なんと壮大で、なんと慈悲深きご計画!」
「いや、山は動かさないわよ」
さすがにそれは無理だ。というか、そんな大事にするつもりはない。
私は彼の壮大な勘違いを冷静に訂正した。
「水路を作るのよ。山から、この畑まで水を引くための道をね」
「す、水路……でございますか!」
ゼノは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに彼の超解釈エンジンがフル回転を始めた。
(そうか!ただ川を作るのではない!治水まで完璧に考慮された、人工の『大運河』を建設されるのだ!食料生産だけでなく、水運による物流までも見据えた、千年先を見通す国家計画!ああ、我が主の叡智は、どこまで深いのだ!)
彼は一人で勝手に納得し、再び感動に打ち震えていた。もはや彼の思考回路を理解するのは諦めた。
私は泣きじゃくる村人たちの中から、村長のボルツを呼び寄せた。
「ボルツさん。あの山に水源になりそうな場所はあるかしら?湖とか、川とか」
「は、はい!」
ボルツは慌てて涙を拭い、居住まいを正した。
「あの、一番高い山の裏手に決して凍ることのない不思議な湖があると、言い伝えにございます。我々は恐ろしくて近づいたこともございませんが……」
「そう。分かったわ。ありがとう」
情報を得た私は、早速行動に移すことにした。
「じゃあ、ちょっと行ってくるわね」
「ひ、姫様!?お一人で!?」
「大丈夫よ。シロもいるし。すぐに戻るわ」
私はボルツたちの制止も聞かず、シロを伴って山の方へと歩き出した。
「アシュリー様!お待ちください!せめて、このゼノも!」
背後からゼノの悲痛な声が聞こえたが、私は振り返らなかった。
彼がついてくるとまた話が大げさになって面倒だからだ。これは、私のスローライフのための個人的な土木工事なのだ。

山への道のりは、思ったよりも険しくなかった。
私が足踏みをした際の衝撃で道中の岩の多くが砕け、なだらかな道が出来上がっていたからだ。私は自分の仕事の思わぬ副産物に満足しながら、鼻歌交じりで山を登った。
数時間後、私たちはボルツが言っていた湖にたどり着いた。
そこは、息を呑むほど美しい場所だった。
雪に覆われた山肌にぽっかりと空いたカルデラ湖。その水は空の青を溶かし込んだかのようにどこまでも澄み渡り、湖の底まで見通せそうだ。周囲の寒さにもかかわらず湖面は凍り付くことなく、穏やかに水を湛えている。おそらく地熱か何かで温められているのだろう。
「ここね。最高の水源じゃない」
私はその完璧な立地に満足げに頷いた。
あとは、この水を畑までどうやって運ぶか。
私は崖の上から、畑のある方角を見下ろした。
ここから畑までの直線距離は数キロといったところか。その間にはいくつもの岩山や丘が連なっている。
普通に水路を掘るとなると、大変な迂回ルートを取らねばならず膨大な時間がかかるだろう。
(面倒だわ)
私の思考は、常にこの一点に行き着く。
どうすれば、一番楽ができるか。
答えは、単純だった。
迂回するのが面倒なら、しなければいい。
障害物があるなら、貫通すればいいのだ。
つまり山から畑まで、一直線のトンネルを掘る。それが最も効率的で、最も楽な方法だった。

「よし」
私は方針を固めると、湖のほとり、畑に面した岩壁の前に立った。
シロはまた主が何かとんでもないことをしでかすと察したのか、少し離れた場所で身を伏せている。
私は伝説のクワ『大地を穿つもの(ガイア-ブレイカー)』を構えた。
いや、違う。
こんな繊細な作業に、あんな大げさな道具は必要ない。
私はクワを脇に置くと、代わりに自分の右手を掲げた。
そしてその人差し指の先を、目の前の硬い岩盤にそっと押し当てた。
「まずは、下書きからね」
私はまるで黒板にチョークで線を引くかのように、指先で岩盤に円を描いた。直径は、大人が立って通れるくらいの大きさだ。
STR9999の指先は岩盤を豆腐のように削り、くっきりと円形の溝を刻んでいく。
円を描き終えた私は、その出来栄えに満足げに頷いた。
「うん、こんなものかしら」
そしてその円の中心に向かって、私は右の拳を握りしめた。
何の力みもない、自然体の構え。
そしてその拳を、ゆっくりと岩盤に突き出した。
まるでドアをノックするかのように、こん、と。
軽い音が、響いた。

その瞬間。
私の拳から放たれた衝撃波は岩盤の内部構造を分子レベルで破壊しながら、凄まじい勢いで突き進んだ。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!
山全体が悲鳴を上げるように激しく揺れる。
私が拳を当てた場所から一直線に、岩盤がガラスのように砕け散り巨大なトンネルが穿たれていく。その速度は音速を遥かに超えていた。
トンネルはいくつもの岩山を貫通し、丘を突き抜け、数キロ先の私が作った畑のすぐ脇まで寸分の狂いもなく到達した。
トンネルが開通した瞬間、カルデラ湖の水が堰を切ったようにその中へとなだれ込んでいく。
ゴウウウウウッ!
凄まじい水音が、山間に響き渡った。

その頃、畑で待っていたゼノと村人たちは、目の前で起こった光景に言葉を失っていた。
彼らの目の前、何もないはずの大地が突如として内側から爆発したのだ。
土煙が舞い上がり、その中から巨大な洞窟の入り口が姿を現す。
そしてその暗い穴の奥から、轟音と共に濁流が姿を現した。
それはもはや水路などという生易しいものではない。
まさしく、大河の誕生だった。
水はあらかじめ私が地面を殴って作っておいた巨大な窪地――貯水池へと、凄まじい勢いで流れ込み、あっという間にその空間を満たしていく。
ゼノと村人たちは、その神話が現実となった光景を前にただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
膝から崩れ落ち、祈りを捧げる者。
あまりの出来事に腰を抜かして泣き出す者。
そしてゼノは天を仰ぎ、静かに涙を流していた。
「……我が主は……本当に、川を……創造された……」
彼の脳内史書に、また一つ新たな伝説が刻まれた瞬間だった。

山の上で、私はトンネルから水が流れ出ていく様子を満足げに眺めていた。
「うん、完璧ね。これで水やりも楽になるわ」
私は自分の仕事の出来栄えに、最高の評価を下した。
自分の拳一つでこの地域の水脈を永遠に変えてしまったことなど、全く気にも留めずに。
「さて、と」
私はパン、と手の土を払った。
「畑に戻って、今度こそジャガイモの種を蒔かなくちゃ。忙しくなるわよ」
私のスローライフは、着実に、しかし私の意図とは全く異なるスケールでその基盤を固めていっていた。
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