バグズ・グリモワール・オンライン 〜エラー報告が趣味の俺、バグを喰らう魔書(グリモワール)を授かり最強のイレギュラーになる〜

夏見ナイ

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第34章 画面越しの悪魔との対話

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『――僕と、同じ匂いがする、君をね』

PCの暗転した画面に浮かび上がる、白い文字列。
それは、デジタルなテキストでありながら、まるで背後から囁きかけられているかのような、生々しい悪意を伴っていた。
全身の血が、急速に冷えていく感覚。ゲームの中での死の恐怖とは、全く質の違う、現実的な生命の危機。俺、相田 誠のパーソナルスペースが、見えざる敵によって完全に侵されている。

「……ノア、か」
俺は、震えそうになる声を、なんとか押し殺して呟いた。
俺の部屋のマイクが、勝手にONになっているのだろうか。俺の言葉に反応するように、画面に新たな文字列がタイプされていく。

『その声……想像していたよりも、若いな。もっと老獪なハッカーかと思っていたよ。まあ、いい。驚かせてしまったかな? 少しばかり、君のプライベートを覗かせてもらった』

画面の端に、小さなウィンドウが次々とポップアップし始めた。
そこには、俺の個人情報が、赤裸々に表示されていく。
住民票の写し、銀行口座の残高、大学の卒業論文、そして、このアパートの監視カメラが捉えた、数分前の俺の映像まで。
完全に、掌握されている。俺のデジタルな人生の全てが、彼の掌の上にあった。

「……何の用だ。自慢話をしにきたのか?」
俺は、恐怖を押し隠し、いつものように軽口を叩いた。ここで怯えを見せれば、奴の思う壺だ。俺は、キーボードにそっと手を伸ばしながら、奴の出方を探る。
ネットワークを切断するか? いや、ダメだ。奴ほどのハッカーなら、PC内にオフラインでも作動する時限爆弾のようなプログラムを仕掛けている可能性がある。下手に動けば、このPCごと、物理的に破壊されかねない。

『面白い。その状況でも、まだジョークを言う余裕があるのか。気に入ったよ、マコト君。いや、相田 誠君』
『君の戦いは、全て見させてもらった。壁抜け、NPCの思考誘導、地形生成……どれも素晴らしい発想だ。常人なら、バグをただの不具合としてしか認識できない。だが、君は違う。君は、バグがシステムの理(ことわり)から生まれた、もう一つの「可能性」であることを理解している。まさに、僕の同類だ』

同類。その言葉に、俺は吐き気を覚えた。
「勘違いするな。俺は、あんたとは違う」
『違わないさ。僕たちは、この世界の誰よりも、システムの深淵を愛している。そして、その不完全さを憎んでいる。そうだろう?』

ノアの言葉は、まるで悪魔の囁きのように、俺の心の奥底にある、プログラマーとしての暗い欲望を的確に突いてきた。
そうだ。俺も、杜撰なコードや、非効率なシステムを見るたびに、苛立ちを覚えてきた。全てを、もっと美しく、完璧なものに作り替えたいという衝動に駆られたことも、一度や二度ではない。
だが。

「俺は、システムを破壊しようとは思わない。その限界を知り、その中で遊ぶのが好きなだけだ。あんたのやっていることは、ただの八つ当たりだ。自分が作ったおもちゃが、思い通りにならなかったからって、癇癪を起してるガキと、何も変わらん」
俺の言葉に、画面のタイプが、一瞬だけ止まった。
図星だったのだろうか。

『……君は、まだ分かっていない。この世界は、もう手遅れなんだ。商業主義にまみれ、プレイヤーという名の蝗(いなご)に食い荒らされ、美しいはずだった僕の世界は、ただの陳腐な娯楽に成り下がった。僕は、それを元の、あるべき姿に戻そうとしているだけだ。一度、全てを無に還し、僕の理想郷を、新たに創造する』
『相田君。君ほどの才能があれば、僕の言っていることが理解できるはずだ。腐った運営側にいる必要はない。こちら側に来い。僕と共に、真の世界を創造しようじゃないか。君になら、この世界の神の座、その隣席を用意してやってもいい』

壮大な勧誘。それは、俺が心のどこかで、一度は夢想したかもしれない、甘美な誘惑だった。
システムの全てを意のままに操り、自らの理想の世界を創り出す。プログラマーにとって、それ以上の快楽があるだろうか。
俺は、数秒間、黙り込んだ。
そして、ゆっくりと、しかしはっきりと、答えた。

「断る」

『……なぜかな?』
ノアの声には、純粋な疑問の色が浮かんでいた。
「あんたは、世界を愛していると言ったな。だが、それは違う。あんたが愛しているのは、あんたが作った『完璧なシステム』だけだ。プレイヤーが、そこに住まうNPCが、予想外の行動をとって、あんたの想定を乱すのが許せない。あんたは、ただの独裁者だ」

俺は、キーボードから手を離し、椅子にもたれかかった。もはや、小手先の抵抗は意味がない。この戦いは、言葉と、信念の戦いだ。
「俺が好きなのは、あんたが言うところの『不完全さ』だ。開発者の予想を超えて、プレイヤーが生み出す、カオスな文化。AIの穴を突いて、NPCが見せる、人間臭い反応。その、ぐちゃぐちゃで、予測不能な『歪み』こそが、俺にとってのゲームだ。あんたの言う、完璧で、予定調和な世界なんざ、クソくらえだ」

俺の、偽らざる本心。
ゲームへの、愛。
その言葉は、ノアにとって、最も理解しがたい、異質な概念だったのだろう。
画面の沈黙が、彼の混乱を物語っていた。

『……そうか。残念だ』
やがて、タイプされた言葉には、感情が抜け落ちていた。
『君は、僕の最高の理解者になれると思っていたが……。どうやら、君もまた、あの陳腐な楽園に毒された、ただの凡人だったらしい』
失望。あるいは、諦観。
『ならば、仕方ない。君がそこまで愛しているという、その不完全で、歪んだ世界が、僕の創る『完璧な悪意』の前に、いかに脆く、無様に崩れ去っていくか、その目で、その身で、味わうがいい』

画面に、新たなウィンドウが開かれた。
そこには、アルモニカの街の、リアルタイムの俯瞰映像が映し出されている。
そして、その空に、巨大な黒い亀裂が、ゆっくりと生まれつつあった。
『――さあ、パーティーの始まりだ。君の愛する世界に、最高の絶望をプレゼントしよう』

その言葉を最後に、PCの画面は、正常なデスクトップへと戻った。
まるで、何もかもが、悪夢だったかのように。
だが、俺の背筋を流れる冷たい汗と、ディスプレイに映し出された恐るべき光景が、それが紛れもない現実であることを告げていた。

ノアは、ついに、本格的な攻撃を開始した。
俺個人への攻撃ではない。この世界全体への、無差別攻撃を。
俺は、震える手で、スマホを掴んだ。
そして、たった一人のパートナーへと、メッセージを送る。

『誠:莉奈、すぐにログインしろ。最悪の事態になった』

返事を待つ時間も惜しい。
俺は、再び、フルダイブ用のヘッドギアを装着した。
ノアとの現実世界での対話は、終わった。
ここからは、再び、マコトとしての戦いだ。
俺は、愛するこの世界を守るため、そして、俺に宣戦布告してきた悪魔に、一発お見舞いしてやるため、決意と共に、意識を仮想の戦場へとダイブさせた。
物語は、終わらせない。俺が、ハッピーエンドに書き換えてやる。
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