影なる支配者(パラサイト・ロード)〜最弱のスライムに転生したけど、寄生した相手を進化させて裏から世界を救うことにした〜

夏見ナイ

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第11話 理不尽な暴力

洞窟の闇は、ギギの覚悟を映す鏡のように静まり返っていた。彼の心は凪いでいた。明日、自分に死が訪れるかもしれないというのに、不思議と恐怖はなかった。

『……本気か、ギギ。お前の決意は変わらないのか』
俺は最後の確認として、彼の心に問いかけた。この無謀な挑戦を止められるのは、もはや俺しかいない。

(はい、主様。俺は、もう逃げたくないのです)
ギギの返答は、迷いのない一本の槍のように真っ直ぐだった。
(ここで逃げたら、俺は一生ゴミ蟲のままです。たとえ無様に負けて殺されたとしても、ガズの前に立つ。そうでなければ、俺が今まで訓練してきた意味がない)

その言葉に、俺は沈黙した。
論理的ではない。合理的でもない。生存戦略としては最悪の選択だ。だが、彼の言葉には、理屈を超えた魂の叫びがあった。

生命とは、ただ生き延びるだけのシステムではない。種の保存という大原則の他に、個としての尊厳、誇りといった非効率なプログラムも内包している。ギギは今、ゴブリンという種を超え、一個の「個」として立ち上がろうとしているのだ。

(面白い……)
研究者としての俺の血が、再び騒ぎ始めた。この絶望的な状況で、この最弱の個体が見せる魂の輝き。それを間近で観察できるのなら、リスクを冒す価値はある。

『……分かった。お前の覚悟、受け止めよう。だが、無策で挑むのは愚者のすることだ。我に考えがある。勝機は限りなくゼロに近い。だが、ゼロではない』
俺は即座に思考を切り替え、勝利への最も細い道を模索し始めた。

夜が明け、洞窟に朝の光が差し込む。他のゴブリンたちが起き出すざわめきの中、その時は来た。

ガズが、手下のゴブリンを数体引き連れて、ギギの寝床へとやってきた。その顔には、これから始まるショーを楽しむかのような、残酷な笑みが浮かんでいた。

「おい、ゴミ蟲。朝だぞ。お前の最期の晴れ舞台の時間だ」
ガズの言葉に、周囲のゴブリンたちが下卑た笑い声を上げる。

ギギは、ゆっくりと立ち上がった。そして、傍らに置いていた樫の棍棒を、静かに手に取った。
その行動は、ガズにとって予想外だったらしい。彼の笑みが、一瞬だけ消えた。

「……ほう。まだやる気か。無駄な抵抗を」
「ガズ」

ギギが、初めてその名を呼んだ。か細いが、凛とした声だった。
「俺は、餌じゃない」

その言葉が、引き金だった。
ガズの顔から全ての表情が抜け落ち、純粋な殺意だけがその場を支配した。

「……いいだろう。獣の餌になる前に、まずは俺が、お前がただのゴミであることを、その体に教えてやる」

ガズは、武器さえ持たなかった。丸太のような腕を鳴らし、一歩、また一歩とギギに近づいてくる。圧倒的な威圧感。空気が鉛のように重くなる。

(主様……!)
『来るぞ、ギギ! 呼吸を合わせろ! カウンターだ! 狙うは奴の膝!』

俺の指示が飛ぶ。ギギは俺の言葉に頷き、訓練で体に叩き込んだ基本の型で棍棒を構えた。膝を落とし、重心を安定させる。全身の力を抜き、ただ相手の動きだけを待つ。

ガズが動いた。それは、突進というにはあまりにも速い、爆発的な踏み込みだった。
ギギの動体視力が、辛うじてその動きを捉える。

(予備動作が見えない……!?)
『構うな! 奴の初動は右だ!』

俺の《解析》が、ガズの筋肉の微細な収縮を捉え、未来を予測する。
ガズの巨大な拳が、ギギの顔面を粉砕せんと迫る。

『今だ!』
ギギは、その拳を最小限の動きで避けた。そして、がら空きになったガズの右膝へ、スキル【一撃】を乗せた渾身のカウンターを叩き込もうとした。

全ての力を、棍棒の先端一点に収束させる。
勝てる。この一撃が決まれば!

だが。
ガズは、ギギの動きをあざ笑うかのように、空中で拳の軌道を変えた。そして、振り抜かれようとしていたギギの棍棒を、その拳で真横から殴りつけた。

ガギィン! という、木と骨がぶつかったとは思えない硬質な音。
ギギの棍棒は、いとも簡単に弾き飛ばされ、洞窟の壁に当たって砕け散った。手には、痺れるような衝撃だけが残る。

(なっ……!?)
ギギの思考が、完全に停止した。
必殺の一撃を、スキルを発動するモーションの途中で、潰された。あまりにも絶対的な、力の差。

そして、がら空きになったギギの腹部に、ガズの岩のような拳がめり込んだ。

「グッ……!」
息が、できなかった。内臓が口から飛び出すかのような衝撃。ギギの体は「く」の字に折れ曲がり、数メートル後方まで吹き飛ばされた。岩壁に背中を強かに打ち付け、地面に崩れ落ちる。

「……カウンター狙いか。小賢しい真似を」
ガズは、拳をぶるりと振ると、興味なさそうに吐き捨てた。
「だがな、ギギ。圧倒的な力の差の前では、どんな小細工も意味をなさねえんだよ」

ガズはゆっくりと、咳き込むギギに近づく。そして、その痩せた体を、まるでゴミ袋でも蹴るかのように、無造作に蹴り上げた。
何度も、何度も。

殴られ、蹴られ、地面に叩きつけられる。ギギはなす術もなく、ただ理不尽な暴力の嵐に翻弄された。痛みで意識が朦朧とする。

周囲のゴブリンたちの嘲笑が、耳鳴りのように遠くで聞こえる。
これが、現実か。
あれだけ訓練して、スキルまで手に入れて、それでも、俺はこいつの足元にも及ばないのか。

絶望が、彼の心を黒く塗りつぶそうとした。
その時、脳内に主の声が響いた。それは、いつもの冷静な声ではなく、激情を帯びた、魂の叫びだった。

『聞け、ギギ! 今は耐えろ! 抵抗するな! されるがままになれ!』
(でも……! このままじゃ、殺される……!)

『殺させはしない! だが、ここで無様に抵抗すれば、本当に殺されるぞ! 生き延びろ! そして、この屈辱を、この痛みを、その魂に刻みつけろ!』

主の声が、薄れゆくギギの意識を繋ぎ止める。

『奴の顔を忘れるな! 奴の拳の重さを忘れるな! お前を嘲笑う、あのゴブリンたちの顔を、一人残らず覚えておけ! その全てが、お前を強くするための燃料になる!』

そうだ。
このままでは、終われない。
こんなところで、死んでたまるか。

ギギは、抵抗するのをやめた。ただ、固く目を閉じ、全身でガズの暴力に耐えた。
一発殴られるたびに、彼はガズへの憎しみを心に刻む。
一発蹴られるたびに、彼は自分の無力さへの怒りを刻む。
嘲笑が聞こえるたびに、彼はこの集落の全てへの復讐を誓う。

痛みは、やがて感覚を麻痺させていった。
だが、彼の心に刻まれた屈辱の炎は、その熱を増すばかりだった。

どれくらいの時間が経っただろうか。
ガズは、ぐったりと動かなくなったギギを見下ろし、飽きたように唾を吐きかけた。

「つまらねえ。壊れちまったか。おい、お前ら。そいつを洞窟の隅に転がしておけ。明日の朝まで生きてたら、予定通り餌にしてやる」

手下のゴブリンたちが、ギギの足を引きずり、彼がいつも寝床にしている暗い隅へと放り投げた。まるで、汚れた雑巾のように。

ガズと、彼に従うゴブリンたちは、満足げにその場を去っていく。

洞窟の隅で、血と泥にまみれ、意識を失いかけたギギの脳裏に、主の静かな声が響いた。
その声は、怒りに震えているようにも聞こえた。

『……よく耐えた、ギギ』
『立てるか』

ギギは、その声に導かれるように、震える腕で、ゆっくりと体を起こそうとした。
折れた骨が軋み、激痛が走る。

だが、彼の心は、折れていなかった。
彼の瞳の奥で、今までとは比較にならないほど、暗く、そして激しい炎が燃え盛っていた。

『立て、ギギ』
『ここからが、お前の、本当の始まりだ』

屈辱という名の泥の中から、一人の復讐者が、静かに産声を上げた。
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