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第18話 不器用なプレゼント
バルト村の再開発計画は、レオナルドの驚異的な実行力によって瞬く間に軌道に乗った。
あの夜の提案は、もはやただの机上の空論ではなかった。
領地から集められた専門家たちが日夜議論を重ね、具体的な計画へと昇華させていく。
その中心には、常にレオナルドの姿があった。
彼は水を得た魚のように、その辣腕を振るっていた。
時折、深夜の執務室で彼と計画の進捗について言葉を交わす時間は、私にとって新たな喜びとなっていた。
私たちは、単なる夫婦ではなく、志を同じくする同志のような関係を築きつつあった。
イザベラとの穏やかな日々。
夫との間に生まれた、新しい信頼関係。
私の日常は、転生した当初には想像もできなかったほど、温かく満たされたものになっていた。
だから、私はすっかり忘れていたのだ。
今日という日が、アリシア・フォン・エルグランドにとって、特別な一日であることを。
その日の夕食は、いつも通り和やかな雰囲気で終わった。
レオナルドが、イザベラに学校制度の歴史について簡単な質問をし、それにイザベラが一生懸命答える。
そんな微笑ましい光景が、もはや珍しいものではなくなっていた。
私は満足感に包まれながら、イザベラを寝かしつけ、自室でお茶を飲んで寛いでいた。
明日はイザベラに、どんな物語を読んであげようか。そんなことを考えていた、その時だった。
コン、コン。
控えめなノックの音に、私は驚いて顔を上げた。
こんな時間に、私の部屋を訪れる者などいるはずがない。
侍女はもう下がらせた後だ。
「……どなた?」
私が問いかけると、扉の向こうから、思いもよらない声が返ってきた。
「……俺だ」
レオナルドの声だった。
私は慌てて椅子から立ち上がった。
彼が、私の部屋を訪れる。それは、結婚してから一度もなかったことだ。
バルト村の件で、何か緊急の報告だろうか。
それとも、イザベラの教師の件で、ついに最終候補が決まったのか。
様々な憶測を胸に、私は緊張しながら扉を開けた。
そこに立っていたレオナルドは、いつものような厳格な公爵の顔ではなく、どこか落ち着かない、居心地の悪そうな表情をしていた。
その手には、何も持っていないように見えた。
「あなた。どうかなさいましたか? 何か問題でも……」
私の問いかけを、彼は手で制した。
そして、無言のまま部屋の中に入ってくると、私との間に数歩の距離を保ったまま、立ち止まる。
その視線は、私と合おうとせず、部屋の隅にある絵画や、窓の外の夜景を彷徨っていた。
そのただならぬ様子に、私の緊張はますます高まっていく。
何を切り出されるのだろう。
息を詰めて彼を見守る私に、彼はようやく意を決したように、懐から一つの小さな箱を取り出した。
ビロードの貼られた、上品な小箱だった。
彼はそれを、まるで扱い方の分からない厄介なものでも持つかのように、無造作に私へと突き出した。
「……やろう」
「え?」
「聞こえなかったのか。これを、お前にやると言っている」
ぶっきらぼうな、命令口調。
だが、その声は微かに震えていた。
私は戸惑いながらも、その小箱を恐る恐る受け取った。
ひんやりとしたビロードの感触が、指先に伝わる。
「あの……これは、一体?」
私の問いに、レオナルドはますます気まずそうに、ふいと顔を背けた。
そして、壁にかかったカレンダーを顎でしゃくりながら、ぼそりと言う。
「……今日だろう」
「今日……?」
「……誕生日だ」
その言葉に、私は雷に打たれたように固まった。
誕生日。
そうだ。今日は、アリシアの三十六回目の誕生日だった。
娘のこと、夫のこと、家のことに夢中になるあまり、自分自身の年齢すら、意識の片隅からも消え去っていた。
驚きは、それだけではなかった。
彼が、私の誕生日を覚えていた。
そして、こうして祝いの品を用意してくれた。
ゲームの中の彼は、娘の誕生日すら忘れる男だったはずだ。
その彼が、なぜ。
私の驚愕をよそに、レオナルドは早く中を見ろとでも言うように、苛立った仕草で私を促した。
私は言われるがまま、震える指で小箱の蓋をそっと開ける。
中に収められていたものを見て、私は思わず息を呑んだ。
それは、息を呑むほどに美しい、一つの髪飾りだった。
月光を思わせるプラチナの繊細な細工。
その中央には、夜空の最も深い色を閉じ込めたような、大きなサファイアが一つ。
そして、その周りを囲むように、小さなダイヤモンドが星屑のようにきらめいていた。
それは、私の銀色の髪に、そしてイザベラの瞳の色にも通じる、静かで、気品のある輝きを放っていた。
「……綺麗……」
思わず、感嘆の声が漏れた。
こんなに美しい装飾品は、見たことがない。
私は顔を上げ、彼の顔を見た。
「なぜ……こんな、高価なものを」
すると、彼は照れ隠しのように、わざとらしく咳払いをした。
「……バルト村の件だ。お前の助言には、それくらいの価値がある。これは、その報酬だと思え」
報酬。
その言葉に、私は思わず笑みをこぼしてしまった。
なんて不器用な人なのだろう。
素直に「おめでとう」と言うのが恥ずかしくて、仕事の対価だという理屈を持ち出すなんて。
その可愛らしさに、私の胸の奥が、きゅうっと甘く締め付けられた。
「……何がおかしい」
「いえ。とても、あなたらしい理由だと思いまして」
私がそう言うと、彼はますます居心地悪そうに、黙り込んでしまった。
その耳が、ほんのりと赤く染まっていることに、私は気づいていた。
「つけてみろ」
沈黙を破ったのは、彼の命令だった。
私は素直に頷くと、鏡台の前に座った。
そして、丁寧に、自分の髪にその飾りをつける。
ひんやりとした金属の感触が、肌に心地よかった。
銀色の髪に、深い青のサファイアが、驚くほどよく映える。
それは、まるで私のためにあつらえられたかのように、しっくりと馴染んでいた。
鏡越しに、背後に立つレオナルドと視線が合った。
彼は、何も言わなかった。
だが、その鋼色の瞳には、何の感情も映さない氷の仮面はなかった。
そこにあったのは、ただ純粋に、美しいものを見る男の、静かな感嘆の色だった。
その瞳に見つめられて、私の心臓が、とくん、と大きく音を立てた。
熱いものが、頬に集まってくる。
ああ、だめだ。
これは、ただの尊敬じゃない。感謝でもない。
これは、紛れもなく――恋だ。
前世でも、そしてこの世界に来てからも、忘れていたはずの感情。
氷のように冷たいと思っていたこの人に、私は、どうしようもなく惹かれている。
その事実を、突きつけられていた。
「……よく、似合っている」
レオナルドが、ぽつりと呟いた。
その声に、私ははっと我に返る。
「……ありがとうございます、あなた。大切に、いたしますわ」
鏡越しに、私は彼に微笑みかけた。
今、自分はどんな顔をしているのだろう。
きっと、熱に浮かされたように、赤くなっているに違いない。
レオナルドは、私のその顔から逃れるように、踵を返した。
「用は済んだ。俺は執務室に戻る」
そう言い捨てて、彼は少しだけ足早に部屋を出て行った。
扉が閉まる直前に見えたその背中は、どこか満足げで、そしてやっぱり少しだけ照れているように見えた。
一人残された部屋で、私はしばらく動けなかった。
ただ、髪に飾られた髪飾りに、そっと指で触れる。
そこから伝わってくるのは、彼の不器用な優しさと、秘められた熱。
私の心は、その温かさで、じんわりと溶かされていくようだった。
氷の公爵様と、雪解けを。
私の立てた計画は、いつの間にか、私自身の心を溶かす計画にもなっていたらしい。
そのことに気づいて、私は一人、幸せなため息をつくのだった。
あの夜の提案は、もはやただの机上の空論ではなかった。
領地から集められた専門家たちが日夜議論を重ね、具体的な計画へと昇華させていく。
その中心には、常にレオナルドの姿があった。
彼は水を得た魚のように、その辣腕を振るっていた。
時折、深夜の執務室で彼と計画の進捗について言葉を交わす時間は、私にとって新たな喜びとなっていた。
私たちは、単なる夫婦ではなく、志を同じくする同志のような関係を築きつつあった。
イザベラとの穏やかな日々。
夫との間に生まれた、新しい信頼関係。
私の日常は、転生した当初には想像もできなかったほど、温かく満たされたものになっていた。
だから、私はすっかり忘れていたのだ。
今日という日が、アリシア・フォン・エルグランドにとって、特別な一日であることを。
その日の夕食は、いつも通り和やかな雰囲気で終わった。
レオナルドが、イザベラに学校制度の歴史について簡単な質問をし、それにイザベラが一生懸命答える。
そんな微笑ましい光景が、もはや珍しいものではなくなっていた。
私は満足感に包まれながら、イザベラを寝かしつけ、自室でお茶を飲んで寛いでいた。
明日はイザベラに、どんな物語を読んであげようか。そんなことを考えていた、その時だった。
コン、コン。
控えめなノックの音に、私は驚いて顔を上げた。
こんな時間に、私の部屋を訪れる者などいるはずがない。
侍女はもう下がらせた後だ。
「……どなた?」
私が問いかけると、扉の向こうから、思いもよらない声が返ってきた。
「……俺だ」
レオナルドの声だった。
私は慌てて椅子から立ち上がった。
彼が、私の部屋を訪れる。それは、結婚してから一度もなかったことだ。
バルト村の件で、何か緊急の報告だろうか。
それとも、イザベラの教師の件で、ついに最終候補が決まったのか。
様々な憶測を胸に、私は緊張しながら扉を開けた。
そこに立っていたレオナルドは、いつものような厳格な公爵の顔ではなく、どこか落ち着かない、居心地の悪そうな表情をしていた。
その手には、何も持っていないように見えた。
「あなた。どうかなさいましたか? 何か問題でも……」
私の問いかけを、彼は手で制した。
そして、無言のまま部屋の中に入ってくると、私との間に数歩の距離を保ったまま、立ち止まる。
その視線は、私と合おうとせず、部屋の隅にある絵画や、窓の外の夜景を彷徨っていた。
そのただならぬ様子に、私の緊張はますます高まっていく。
何を切り出されるのだろう。
息を詰めて彼を見守る私に、彼はようやく意を決したように、懐から一つの小さな箱を取り出した。
ビロードの貼られた、上品な小箱だった。
彼はそれを、まるで扱い方の分からない厄介なものでも持つかのように、無造作に私へと突き出した。
「……やろう」
「え?」
「聞こえなかったのか。これを、お前にやると言っている」
ぶっきらぼうな、命令口調。
だが、その声は微かに震えていた。
私は戸惑いながらも、その小箱を恐る恐る受け取った。
ひんやりとしたビロードの感触が、指先に伝わる。
「あの……これは、一体?」
私の問いに、レオナルドはますます気まずそうに、ふいと顔を背けた。
そして、壁にかかったカレンダーを顎でしゃくりながら、ぼそりと言う。
「……今日だろう」
「今日……?」
「……誕生日だ」
その言葉に、私は雷に打たれたように固まった。
誕生日。
そうだ。今日は、アリシアの三十六回目の誕生日だった。
娘のこと、夫のこと、家のことに夢中になるあまり、自分自身の年齢すら、意識の片隅からも消え去っていた。
驚きは、それだけではなかった。
彼が、私の誕生日を覚えていた。
そして、こうして祝いの品を用意してくれた。
ゲームの中の彼は、娘の誕生日すら忘れる男だったはずだ。
その彼が、なぜ。
私の驚愕をよそに、レオナルドは早く中を見ろとでも言うように、苛立った仕草で私を促した。
私は言われるがまま、震える指で小箱の蓋をそっと開ける。
中に収められていたものを見て、私は思わず息を呑んだ。
それは、息を呑むほどに美しい、一つの髪飾りだった。
月光を思わせるプラチナの繊細な細工。
その中央には、夜空の最も深い色を閉じ込めたような、大きなサファイアが一つ。
そして、その周りを囲むように、小さなダイヤモンドが星屑のようにきらめいていた。
それは、私の銀色の髪に、そしてイザベラの瞳の色にも通じる、静かで、気品のある輝きを放っていた。
「……綺麗……」
思わず、感嘆の声が漏れた。
こんなに美しい装飾品は、見たことがない。
私は顔を上げ、彼の顔を見た。
「なぜ……こんな、高価なものを」
すると、彼は照れ隠しのように、わざとらしく咳払いをした。
「……バルト村の件だ。お前の助言には、それくらいの価値がある。これは、その報酬だと思え」
報酬。
その言葉に、私は思わず笑みをこぼしてしまった。
なんて不器用な人なのだろう。
素直に「おめでとう」と言うのが恥ずかしくて、仕事の対価だという理屈を持ち出すなんて。
その可愛らしさに、私の胸の奥が、きゅうっと甘く締め付けられた。
「……何がおかしい」
「いえ。とても、あなたらしい理由だと思いまして」
私がそう言うと、彼はますます居心地悪そうに、黙り込んでしまった。
その耳が、ほんのりと赤く染まっていることに、私は気づいていた。
「つけてみろ」
沈黙を破ったのは、彼の命令だった。
私は素直に頷くと、鏡台の前に座った。
そして、丁寧に、自分の髪にその飾りをつける。
ひんやりとした金属の感触が、肌に心地よかった。
銀色の髪に、深い青のサファイアが、驚くほどよく映える。
それは、まるで私のためにあつらえられたかのように、しっくりと馴染んでいた。
鏡越しに、背後に立つレオナルドと視線が合った。
彼は、何も言わなかった。
だが、その鋼色の瞳には、何の感情も映さない氷の仮面はなかった。
そこにあったのは、ただ純粋に、美しいものを見る男の、静かな感嘆の色だった。
その瞳に見つめられて、私の心臓が、とくん、と大きく音を立てた。
熱いものが、頬に集まってくる。
ああ、だめだ。
これは、ただの尊敬じゃない。感謝でもない。
これは、紛れもなく――恋だ。
前世でも、そしてこの世界に来てからも、忘れていたはずの感情。
氷のように冷たいと思っていたこの人に、私は、どうしようもなく惹かれている。
その事実を、突きつけられていた。
「……よく、似合っている」
レオナルドが、ぽつりと呟いた。
その声に、私ははっと我に返る。
「……ありがとうございます、あなた。大切に、いたしますわ」
鏡越しに、私は彼に微笑みかけた。
今、自分はどんな顔をしているのだろう。
きっと、熱に浮かされたように、赤くなっているに違いない。
レオナルドは、私のその顔から逃れるように、踵を返した。
「用は済んだ。俺は執務室に戻る」
そう言い捨てて、彼は少しだけ足早に部屋を出て行った。
扉が閉まる直前に見えたその背中は、どこか満足げで、そしてやっぱり少しだけ照れているように見えた。
一人残された部屋で、私はしばらく動けなかった。
ただ、髪に飾られた髪飾りに、そっと指で触れる。
そこから伝わってくるのは、彼の不器用な優しさと、秘められた熱。
私の心は、その温かさで、じんわりと溶かされていくようだった。
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他サイトにも掲載しています。
よろしくお願いします。
25.4.25 HOTランキング(女性向け)四位、ありがとうございます!