悪役貴族? いえ、ただの合理主義者ですが何か? ~冷徹と呼ばれる俺の改革が、いつの間にか国を豊かにし聖女にまで懐かれる件~

夏見ナイ

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第37話:聖女の確信

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難民キャンプは、数日のうちに目覚ましい変化を遂げていた。
最初に漂っていた絶望と不安の空気は消え失せ、代わりに未来への希望と再生への活気が満ち始めていた。
男たちはマルクの指揮の下でグループに分けられ、街道整備の現場や新しい加工場の建設現場へと派遣されていった。彼らには領民と同じ基準の日当が支払われた。それは「負債を返すための労働」というより、正当な「仕事」だった。
女たちはゼノンが「投資」と称して設立した孤児院や、新設された炊事場で働いた。子供たちはそこで領民の子供たちと分け隔てなく温かい食事を与えられ、読み書きを学んでいる。

その全ての光景を、リリアーナは毎日自分の目で見て回っていた。
彼女は、もはやゼノンの政策を疑いの目で見ることはなかった。
彼女の瞳に映るのは、彼の冷酷な言葉の裏に隠された、あまりにも深く、そしてあまりにも分かりにくい慈愛の行動の数々だった。

(やはり、私の思った通りだったわ……)
リリアーナは、子供たちの無邪気な笑い声を聞きながらそっと胸に手を当てた。
「お前たちは労働力だ」。あの言葉は彼らに、ただ施しを待つだけの弱い存在ではない、自分の力で未来を切り拓く力があるのだと信じさせるための厳しい激励だったのだ。
「負債を背負ってもらう」。それは彼らに生きるための目標と、社会の一員としての責任を与えるための愛の鞭だったのだ。

彼の行動は、全てが繋がっている。
孤児たちに教育を「投資」したのも、今回の難民の子供たちを受け入れるための布石だった。
彼は、ずっと前からこうなることを見越していたのかもしれない。悪政に苦しむ人々が、いつか自分の領地を頼ってくることを。そして、その時に彼ら全てを救うための巨大な受け皿を、密かに、たった一人で用意していたのだ。

(なんて、孤独な戦いなのかしら……)
リリアーナの胸は、切なさで締め付けられた。
彼のやり方は誰にも理解されない。
家臣たちですら彼の表面的な合理性しか見ておらず、その奥にある本当の優しさには気づいていない。
だから彼は、あえて孤独な道を選ぶ。
冷血漢の仮面を被り、憎まれ役を演じ続けることで人々を正しい方向へと導いている。

「聖女様」
物思いに耽るリリアーナの背後から、護衛騎士団長が硬い声で話しかけてきた。
「……ゼノン殿のやり方は、確かに結果としては民を救っているのかもしれません。ですが、私はどうしても納得がいきません」
彼は苦々しげに言葉を続けた。
「人の心をあまりにも軽んじている。効率や数字ばかりを追い求め、人の尊厳を蔑ろにしているようにしか私には思えません。あれは王道を歩む者のやり方ではない。覇道……いえ、魔王のやりようです」

騎士団長の言葉は、かつてのリリアーナ自身の考えと同じだった。
だが、今の彼女にはその言葉が、あまりにも浅はかで物事の表面しか見ていない意見にしか聞こえなかった。

「……いいえ、違います」
リリアーナは、静かに、しかしきっぱりとした口調で振り返った。
その瞳には、聖女としての揺るぎない確信の光が宿っていた。
「あなたは、何も分かっていらっしゃらない」
「なっ……聖女様?」

「あの方ほど、人の心を、その弱さを、そしてその尊厳を深く理解している方はいません」
リリアーナの声は熱を帯びていた。
「ただ優しい言葉をかけるだけの安っぽい同情では、人は本当に救われないことを彼は知っているのです。だからこそ彼は、あえて厳しい道を示す。自らの足で立ち上がらせるために。それは人の可能性を誰よりも信じているからこその厳しさなのです」

騎士団長は、リリアーナのあまりの変貌ぶりに言葉を失った。
目の前の聖女はもはや、王都にいた頃のただ純粋で慈愛に満ちた少女ではなかった。
一つの絶対的な真理を見出した、預言者のような近寄りがたいほどの気高さと熱狂を、その身にまとっていた。

「私は、決めました」
リリアーナはきゅっと拳を握りしめた。
「彼の孤独な戦いを、私だけは理解しなくてはならない。そして、彼の真意をこの世界に正しく伝えること。それこそが、神が私に与えた新たな使命なのだと」

その日の午後、リリアー-ナは意を決してゼノンの執務室を訪れた。
彼に、難民たちがどれだけ感謝しているか、その声を直接届けたかったのだ。そして、自分はあなたの理解者であると伝えたかった。

「……ゼノン様。少し、よろしいでしょうか」
「何だ。手短に頼む」
ゼノンは山のような書類から顔も上げずに答えた。

「難民キャンプの皆が、あなたに心から感謝していました。温かい食事と仕事を与えられたこと。そして何より、自分たちを人間として扱ってくれたこと、に……」
リリアーナが感動を込めてそう伝えると、ゼノンはようやくペンを置き、心底面倒くさそうな顔で彼女を見た。

「感謝? 感傷的な報告は不要だと言ったはずだ。俺が聞きたいのは、彼らがどれだけの労働力を提供し、計画がどれだけ前倒しで進んでいるかという具体的なデータだけだ。彼らの感情など、生産性を測る上での一指標に過ぎん」

その言葉は、以前のリリアーナなら心を凍りつかせるには十分な、冷酷な響きを持っていた。
だが、今の彼女には全く違う意味に聞こえていた。

(ああ、また……。また、仮面を被って……)
リリアーナの胸が、きゅんと締め付けられた。
本当は嬉しいくせに。
本当は人々が喜んでいると聞いて、心の中では安堵しているくせに。
それを決して表に出さない。
この人は、どこまで自分を律しているのだろう。どこまで孤独なのだろう。
その健気さが、リリアー-ナにはたまらなく愛おしく感じられた。

「……分かりました」
リリアーナはこくりと頷いた。その瞳は潤んでいたが、その表情は慈愛に満ちた穏やかな微笑みを浮かべていた。
「では、データでご報告します。難民の皆さんの労働意欲(モチベーション)は現在、最高値を記録しています。よって、今後の生産性はあなたの予測をきっと遥かに上回ることでしょう。……私の、『分析』では」

初めて、彼女が彼の土俵の言葉を使って返した瞬間だった。
ゼノンは、その意外な返答にわずかに目を見開いた。
(……分析? こいつが? まあ、どうでもいい。結果が出るなら、それでいい)
彼はすぐに興味を失ったように、再び書類へと視線を落とした。

リリアー-ナはそんな彼の姿に静かに一礼すると、そっと部屋を退出した。
扉を閉めた瞬間、彼女は背中をドアに預け、熱くなった頬に手を当てた。
心臓が早鐘のように鳴っている。
この感情が、ただの尊敬や同情ではないことに彼女はもう気づき始めていた。

(このお方を、支えたい。このお方の孤独な心を、私が温めたい)

聖女リリアーナは完全に恋に落ちていた。
その相手が、自分のことをただの「扱いにくい、非合理的なヒューマンリソース」としか見ていないことなど、全く知らずに。

勘違いはついに確信へと変わった。
そして、その確信は彼女をゼノンの最も熱心な、そして最も厄介な擁護者へと変えていくことになるのだった。
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