ドラゴンに攫われた聖女ですが、このドラゴン、めちゃくちゃ過保護でイケメンです

夏見ナイ

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第三話 天空の城

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保護。
その言葉は、私の頭の中で意味もなく反響した。目の前で跪く美しい青年、カイザーの真意が全く読めない。私を攫った終焉の黒竜が、なぜ私を保護するなどと言うのだろう。
「……どういう、意味ですか」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、震えていた。
「言葉通りの意味だ。アリア・リンドバーグ。私はお前を、お前を縛り付ける全ての者から守るためにここへ連れてきた」
カイザーは静かに立ち上がった。その立ち姿は王のように堂々としていて、見上げる私の方が臣下のような気分になる。彼の黒曜石の瞳が、真っ直ぐに私を射抜いていた。その瞳には、嘘や偽りは感じられない。だが、だからこそ理解できなかった。
「私を……守る?」
「そうだ」
「なぜです。私はあなたの敵である、人間の聖女です。竜と人は、相容れない存在のはずでは」
古の物語では、竜は常に人間の敵として描かれてきた。世界を破壊する厄災。あるいは、財宝を守り人を寄せ付けない貪欲な番人。聖女とは、まさにそうした闇を祓う光の象徴のはずだった。
カイザーは私の問いに、ふっと僅かに口元を緩めた。それは嘲笑ではなく、どこか寂しさを帯びた微笑に見えた。
「古い言い伝えだな。まあ、あながち間違いではない。俺は人間が好きではない。愚かで、移ろいやすく、すぐに裏切る」
彼の言葉には、棘があった。まるで、過去に何かを経験したかのような響きだ。
「だが、お前は違う」
「……何が、違うというのですか」
「お前は、彼らとは違う。……今はまだ、それだけ言っておこう。さあ、こちらへ来い。いつまでもこんな岩の上では、体が冷えるだろう」
カイザーはそう言って、私に背を向けた。有無を言わせぬ態度だった。私は戸惑いながらも、彼の後に続くしかない。この状況で彼に逆らうことは、すなわち死を意味する。たとえ彼の言葉が真実だとしても、力の差は歴然としていた。

彼が歩き出すと、ごつごつしていたはずの岩の平地が、まるで意志を持っているかのように滑らかな道へと変わっていく。魔法だろうか。彼の力は計り知れない。
私たちは深い霧の中へと進んでいった。湿った空気が肌を撫で、視界は数メートル先も見えないほど白く染まる。不安に思っていると、前を歩くカイザーが足を止めた。
「ここが、俺の住処だ」
彼が手を軽く払うと、目の前の濃い霧が、まるで巨大な幕が上がるように左右へと晴れていく。
そして、私の目の前に現れたのは。
「……城?」
思わず、声が漏れた。
そこに聳え立っていたのは、黒曜石を削り出して作ったかのような、壮麗な城だった。天を突く尖塔、優美な曲線を描く城壁、そして所々に嵌め込まれた巨大な水晶が、周囲の光を集めて淡く輝いている。それは人間が造ったどんな城よりも雄大で、幻想的で、そしてどこか孤独な雰囲気を纏っていた。
雲海に浮かぶ、天空の城。
ここが、終焉の黒竜の巣。あまりの光景に、私は言葉を失った。
「入るぞ」
カイザーに促され、私は夢遊病者のように城門へと歩を進める。高さが数十メートルはあろうかという巨大な門は、私たちが近づくと、音もなく静かに内側へと開いていった。
城の中は、外観以上に壮麗だった。
床も壁も天井も、磨き上げられた黒い石でできており、鏡のように私たちの姿を映している。天井には星空が描かれているのか、無数の宝石が埋め込まれているのか、まるで本物の夜空のように瞬いていた。人の気配は全くない。だというのに、城内は塵一つなく、完璧に管理されているようだった。
長い廊下を歩く。私たちの足音だけが、静寂の中に響き渡った。
やがてカイザーは、ある一つの扉の前で足を止めた。それは他の扉よりも一際大きく、美しい銀の装飾が施されている。
「ここが、今日からお前の部屋だ」
扉が、またしてもひとりでに開く。
中に足を踏み入れた私は、再び息を呑んだ。
部屋は、信じられないほど広かった。私が王城で与えられていた部屋の、十倍はあろうか。中央には天蓋付きの大きなベッドが置かれ、その傍らには暖炉の火が静かに揺らめいている。壁際には美しい彫刻が施された書棚や衣装箪笥が並び、部屋の奥には、雲海を一望できる巨大な窓が嵌め込まれていた。
床には、足が沈み込むほど柔らかい絨毯が敷かれている。
何もかもが、私が今まで知っていた世界とはかけ離れていた。王城での私の部屋は、固いベッドと小さな机が一つあるだけの、牢獄のような場所だった。食事は冷え切り、侍女たちからは蔑みの視線を向けられる。それが、聖女である私の日常だった。
なのに、ここはなんだろう。
この過剰なまでの贅沢は。この至れり尽くせりのもてなしは。
「どうした。気に入らないか」
カイザーの声に、はっと我に返る。いつの間にか、彼は私のすぐ隣に立っていた。
「い、いえ……!そんなことは……ただ、あまりにも、その……」
言葉が続かない。こんな素晴らしい部屋を、なぜ私が。
これはきっと、何かの罠だ。こんな甘い蜜で私を油断させ、最後には残酷な絶望に突き落とすつもりなのだ。そうに違いない。人間よりも狡猾だという竜が、何の見返りもなく、敵である人間にこれほどのものを与えるはずがない。
「……なぜ、私にここまでしてくださるのですか」
私は警戒心を露わに、カイザーを見上げた。
彼は私の疑念を見透かしたように、静かな瞳で私を見つめ返した。
「お前は、それに値するからだ。それ以上の理由はない」
「信じられません」
「だろうな。だが、いずれ分かる時が来る」
カイザーはそれ以上何も言わず、部屋の隅にある小さな扉を指さした。
「そこは浴室だ。湯は常に満たしてある。長旅で疲れただろう。ゆっくり休むといい」
そして彼は、私の返事を待たずに部屋を出て行こうとした。
「待ってください!」
私は思わず、彼の袖を掴んでいた。
彼は驚いたように振り返る。その黒い瞳が、僅かに見開かれていた。
「……一つだけ、お聞かせください」
「何だ」
「あなたは……私を、どうするつもりなのですか。殺すのでも、弄ぶのでもないのなら……一体、私に何を望んでいるのですか」
それが、一番の疑問だった。一番の恐怖だった。
カイザーは私の問いに答えず、ただ静かに私の手を解くと、その大きな手で、私の頭を一度だけ、優しく撫でた。
「今はただ、休め。アリア」
初めて名前を呼ばれた。その響きに、心臓が小さく跳ねる。
扉が閉まり、部屋には私一人が残された。
静寂が戻ってくる。暖炉の薪がぱちりと爆ぜる音だけが、やけに大きく聞こえた。
私はふらふらと窓辺に歩み寄り、外の景色を眺めた。どこまでも続く雲の海。夕日がそれを茜色に染め上げ、世界は息を呑むほど美しかった。
本当に、私は攫われてきたのだろうか。
全ては悪い夢なのではないか。それとも、これから始まる、もっと残酷な現実への序章なのだろうか。
分からない。何も。
極度の緊張と疲労が、一気に全身を襲う。立っているのも辛くなり、私は吸い寄せられるように、部屋の中央にあるベッドへと倒れ込んだ。
体が、ふわりと柔らかなそれに包み込まれる。
こんな感触は、生まれて初めてだった。
意識が急速に薄れていく。思考はまとまらないまま、ただ瞼だけが重くなっていく。
これが夢なら、どうか覚めないでほしい。
もし現実なら、どうか、優しいものでありますように。
そんな矛盾した願いを胸に、私は深い眠りへと落ちていった。
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