破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第五十話 仕組まれた敗北

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灼熱の霊鳥、聖炎鳥が闘技場を焼き尽くさんと迫る。その圧倒的な熱量と魔力の奔流を前に、観客席は恐怖と興奮のるつぼと化していた。リリアーナは貴賓席で思わず立ち上がり、その口元を両手で覆う。あれはもはや模擬戦の範疇を超えた、真なる殺意の顕現だった。
カイウスもまた、自らが放った魔法のあまりの威力に、一瞬だけ我を忘れていた。だが、アレンに対する積もり積もった怒りと、正義を執行するのだという強い意志が、彼にかすかな躊躇さえも許さなかった。
その渦中。絶体絶命のはずの俺は、ただ静かにその破壊の化身を見据えていた。俺の瞳には、恐怖も焦りも浮かんでいない。ただ、完璧なタイミングを待つ狩人のような、冷徹な光が宿るだけだった。
聖炎鳥が俺の体を飲み込む、その刹那。
俺は、動いた。
いや、傍目には、俺は一歩も動いていなかっただろう。
俺は、全身の魔力を足元の影に注ぎ込み、「影潜」を発動させた。だが、それはただ影に潜るのではない。俺は、影の中にある俺だけの亜空間「影の倉庫」へと、自分自身の体を瞬時に転移させたのだ。
現実世界での俺の肉体は、影の魔法が生み出した、極めて精巧な幻影へと置き換わる。
そして――。
ドォォォォォンッ!
天地を揺るがす轟音と共に、聖炎鳥が俺のいた場所に着弾した。灼熱の爆炎が巨大なキノコ雲となって立ち上り、闘技場の石畳は溶けてマグマのように赤熱する。凄まじい熱波と衝撃波が観客席にまで及び、生徒たちの悲鳴が木霊した。
爆心地は、もはや何も見えない。ただ、全てを焼き尽くす純白の光と、燃え盛る炎が渦巻いているだけだった。
「……やったのか」
誰かが、呆然と呟いた。
やがて、爆炎がゆっくりと収まっていく。煙が風に流され、現れたのは、息も絶え絶えに片膝をつくカイウスの姿と、巨大なクレーターと化した闘技場の中心部だけだった。
アレン・フォン・ヴァルハイトの姿は、どこにもない。塵一つ残さず、完全に消滅したかのように。
闘技場は、水を打ったように静まり返った。誰もが、そのあまりに凄惨な結末に言葉を失っていた。
「……し、勝者、カイウス・フォン・グランツ!」
審判が、やや引きつった声で、ようやく勝敗を宣告した。
その瞬間、静寂は爆発的な歓声へと変わった。
「うおおおおっ! カイウス様、万歳!」
「帝国の害悪を、完全に消し炭にしてくださった!」
「これぞ、王家の力だ!」
彼らは、俺の「死」を、正義の勝利として心から祝福していた。
カイウスは、その歓声の中、ただ呆然と立ち尽くしていた。勝った。確かに勝ったのだ。だが、彼の心には達成感ではなく、やりすぎてしまったという後悔と、そして、それ以上に大きな、得体の知れない違和感が渦巻いていた。
(本当に、当たったのか……?)
彼の動体視力は、常人を遥かに超えている。その彼の目には、爆炎に飲み込まれる寸前のアレンの姿が、ほんの一瞬、陽炎のように揺らめいて見えたのだ。それは、蒸発する人間の姿とは明らかに違う、まるで空間そのものに溶け込むかのような、物理法則を無視した動きだった。
リリアーナは、貴賓席で蒼白になっていた。彼女は、カイウスの勝利を喜ぶことができなかった。ただ、アレンの身に起きた悲劇に、胸を締め付けられていた。
父ジークフリートは、貴賓席の最も奥で、腕を組んだまま表情一つ変えていなかった。ただ、その鷲のような瞳だけが、闘技場のある一点を、鋭く見据えていた。

観客の熱狂が最高潮に達した、その時だった。
闘技場の最も端、貴賓席の真下に広がる深い影。そこから、まるで水面から浮かび上がるように、一つの人影が音もなく現れた。
その姿は、衣服のあちこちが焼け焦げ、肌には痛々しい火傷の痕が浮かんでいる。だが、その足は、確かに大地を踏みしめていた。
アレン・フォン・ヴァルハイト。
俺は、生きていた。
その俺の姿に、最初に気づいたのは、父ジークフリートだった。彼の口元に、ほんのかすかな笑みが浮かぶ。
次に気づいたのは、リリアーナだった。彼女は、信じられないものを見るように目を見開き、その口元から安堵のため息が漏れた。
そして、最後にカイウスが気づいた。彼は、歓声の中から俺の気配を感じ取り、弾かれたように振り返った。
俺は、わざとらしく壁に手をつき、肩で大きく息をしながら、片膝をついた。顔には、苦痛と悔しさを滲ませる。もちろん、この火傷も、疲労も、全ては俺が影魔法で作り出した幻影。俺自身は、亜空間で涼んでいただけで、無傷だった。
「……はぁ……はぁ……参った」
俺は、絞り出すような声で言った。
「降参だ、王子様。見事な魔法だった。あんたの……勝ちだ」
俺は、潔く敗北を認めた。
その光景に、観客たちは再び混乱に陥った。
「い、生きていたのか!?」
「だが、ボロボロじゃないか。命からがら逃げ延びたんだな」
「結局、王子殿下には敵わなかったということか。ざまあないぜ!」
彼らは、俺が奇跡的に生き延びたものの、カイウスの圧倒的な力の前に完敗したのだと解釈した。俺の「無能」は、この敗北によって、さらに決定的なものとなった。
だが、カイウスだけは違った。
彼は、勝利の歓声も、俺への嘲笑も、何も聞こえていなかった。彼の頭の中では、ただ一つの事実が、雷鳴のように鳴り響いていた。
(……回避、したのか)
彼は、完全に理解した。
アレンは、あの聖炎鳥を、回避したのだ。それも、俺を含め、この場にいる誰一人として、そのトリックを見破れないような、神業的な方法で。
彼が今見せているボロボロの姿は、全て演技。彼は、無傷で俺の必殺魔法をいなし、その上で、わざと負けたのだ。
なぜ?
カイウスの脳裏に、これまでのアレンの不可解な行動が、走馬灯のように駆け巡る。
豊富な知識と、稚拙な実技。
卑劣な戦い方と、時折見せる超人的な体捌き。
そして、この完璧に仕組まれた、敗北。
全ては、繋がっていた。
彼は、俺を英雄に仕立て上げるためでも、自分を卑下するためでもない。もっと巨大な、底知れない目的のために、彼は自らの圧倒的な実力を、厚い仮面の下に隠し続けているのだ。
カイウスは、勝利の歓声が響き渡る闘技場の真ん中で、一人、冷たい汗を流していた。
目の前で敗北を演じている少年が、もはやただの悪党や出来損ないではない、自分では到底計り知れない、巨大な「何か」であることを、彼は全身で感じ取っていた。
トーナメントは、その後カイウスが決勝も危なげなく勝利し、彼の優勝で幕を閉じた。彼は英雄として、学園中の賞賛を浴びた。
だが、彼の心は、決して晴れることはなかった。
真の勝者は、誰だったのか。
その答えを知っているのは、闘技場の片隅で嘲笑を浴びながら、静かに退場していく、一人の悪役だけだった。
アレン・フォン・ヴァルハイト。その底知れなさを、カイウスは己の魂に深く、深く刻み込んだ。
俺たちの、奇妙で歪んだ関係は、この日を境に、新たな局面へと突入することになる。
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