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第19話 悪夢の再現
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暗闇と静寂。それが、山田健太の世界の全てだった。
どれくらいの時間が経ったのか。体感では数十分か、あるいは数時間か。時間の感覚さえも、この閉鎖された空間では曖昧になっていく。
「クソ……クソがっ!」
山田は、苛立ちを紛らわすように何度も壁を殴りつけた。拳がじんじんと痛み、皮膚が擦り切れて血が滲む。だが、分厚い石壁はびくともしない。彼の自慢の力が、ここでは何の役にも立たなかった。
最初は、すぐに仲間が助けに来るか、あるいはこの罠を仕掛けた奴が姿を現すと思っていた。だが、待てど暮らせど、何も起こらない。ただ、孤独だけが彼の心を蝕んでいく。
「……そうだ、影山」
不意に、山田の口からその名が漏れた。
あの、いつも俯いてばかりいた陰気なクラスメイト。何をされても抵抗せず、ただ黙って殴られていた無力なサンドバッグ。
「あいつを殴ってる時も、こんな感じだったか……? いや、違うな。あいつはもっとマシだった。少なくとも、悲鳴くらいは上げたからな」
山田は、過去のいじめの記憶を思い出すことで、精神の均衡を保とうとしていた。自分が強者であり、支配者であった頃の記憶。それが、今の無力な自分を慰める唯一の手段だった。
そうだ、俺は強い。影山みたいな雑魚とは違う。こんな場所に閉じ込められたくらいで、どうにかなる俺じゃない。
彼はそう自分に言い聞かせた。
その時だった。
カリ……カリカリ……。
どこからか、壁を爪で引っ掻くような、乾いた音が聞こえ始めた。
山田は、はっとして身構えた。
「……誰だ?」
音は止まらない。カリカリ、カリカリ……。それは、一部屋だけではなく、四方の壁の向こう側、その全てから聞こえてくるようだった。まるで、無数のネズミが壁の中にいるかのように。
「出てこいよ、コソコソしてんじゃねえ!」
山田が怒鳴ると、一瞬だけ音が止んだ。だが、すぐにまた再開される。今度は、さらに数が増えている。カリカリ、ガリガリ、ゴリゴリ……。壁を削るような、不快な音が彼の鼓膜を刺激した。
それだけではない。どこからか、腐った肉のような、甘ったるい悪臭が漂い始めた。
「……なんだよ、この臭いは……」
強気な言葉とは裏腹に、山田の声は僅かに震えていた。得体の知れない何かが、すぐそこにいる。その気配が、彼の本能に警鐘を鳴らしていた。
ゴッ……。
突如、背後の壁から鈍い音がした。山田が振り返ると、先ほど彼が何度も殴りつけて亀裂が入っていた部分。その石壁が、ゆっくりと内側に向かって崩れ始めていた。
「……やっと出てきやがったか」
山田は拳を固め、臨戦態勢を取る。どんな魔物が現れようと、一撃で粉砕してくれる。そのはずだった。
ガラガラと音を立てて、壁に人一人が通れるくらいの穴が開いた。
穴の向こうは、さらなる暗闇。その闇の中から、何かがゆっくりと姿を現す。
それは、人型だった。
だが、その動きはぎこちなく、関節が有り得ない方向に曲がっている。所々が破れ、薄汚れた制服。それは、山田がよく知っているものだった。自分たちの高校の制服。
そして、闇の中から現れたその顔を見て、山田は息を呑んだ。
「……かげ、やま……?」
そこに立っていたのは、影山蓮だった。
だが、その姿は明らかに異常だった。肌は土気色で、頬はこけ、眼窩は黒く窪んでいる。焦点の合わない虚ろな瞳が、ゆっくりと山田を捉えた。その体からは、先ほどから鼻をついていた強烈な腐臭が放たれている。
「……あ……う……」
ゾンビ。
その言葉が、山田の脳裏をよぎった。
「な、なんだよ、てめえ……。影山の格好した、アンデッドか……?」
山田は、目の前の存在が本人ではないと思おうとした。ただの、よく似たモンスターだと。
だが、ゾンビはゆっくりと口を開いた。そこから漏れ出たのは、呻き声とも言葉ともつかない、掠れた音だった。
「……い……たい……」
その声は、紛れもなく影山蓮のものだった。
「ひっ……」
山田の喉から、短い悲鳴が漏れた。
「ふ、ふざけんじゃねえぞ! 死んだはずの奴が、出てくんじゃねえ!」
恐怖を振り払うように、山田は叫びながら拳を叩き込んだ。彼の拳は、ゾンビの顔面を正確に捉え、ぐしゃりという鈍い手応えと共にその頭部を粉砕した。
「はっ、ははっ! なんだ、大したことねえじゃねえか! 所詮は影山、死んでも雑魚は雑魚だな!」
山田は、勝利を確信して高笑いした。
だが、その笑いはすぐに凍り付く。
頭を砕かれたゾンビは、倒れない。それどころか、首をかしげたまま、まだそこに立っている。
そして、崩れた壁の奥の暗闇から、一体、また一体と、新たな影が現れ始めた。
その全てが、同じ姿をしていた。
ボロボロの制服を着て、腐敗した体を引きずる、影山蓮の姿をしたゾンビ。
「……うそ、だろ……」
一体や二体ではない。十体、二十体……。穴の向こうから、無限に湧いてくるかのように、無数の『影山蓮』が部屋の中へと溢れ出してくる。
「……かえせ……」
「……いたいよ……」
「……なんで……」
ゾンビたちは、それぞれにかつて山田が蓮に浴びせた言葉、あるいは蓮が心の中で叫んだであろう言葉を、うわ言のように呟きながら、ゆっくりと山田に迫ってきた。
「く、来るな! こっちに来るんじゃねえ!」
山田はパニックに陥り、手当たり次第に拳を振るった。ゾンビの頭が砕け、腕が吹き飛ぶ。だが、ゾンビたちは怯まない。痛みを感じない彼らは、ただ黙々と、山田との距離を詰めてくる。
一体のゾンビが、山田の足に組み付いた。
「離せ、この野郎!」
蹴り飛ばそうとするが、別のゾンビが腕を掴む。背後から、肩を。次から次へと、無数の腐った手が彼に伸びてくる。
「やめろ! やめてくれぇ!」
かつて、影山蓮が何度も発したであろう言葉が、今、山田自身の口から悲鳴となって迸った。
自慢の力は、数の暴力の前では無力だった。そして何より、彼の心を蝕んだのは、目の前の光景そのものだった。
自分が最も見下し、虐げてきた存在。その無力だったはずの被害者が、今、自分を恐怖のどん底に突き落としている。
この悪夢の光景は、山田健太の矮小なプライドを、完膚なきまでに打ち砕いていった。
「いやああああああああ!」
無数のゾンビに埋め尽くされ、山田の絶叫が、暗く閉ざされた処刑場に木霊した。
それは、彼の精神が崩壊を始める、始まりの音だった。
どれくらいの時間が経ったのか。体感では数十分か、あるいは数時間か。時間の感覚さえも、この閉鎖された空間では曖昧になっていく。
「クソ……クソがっ!」
山田は、苛立ちを紛らわすように何度も壁を殴りつけた。拳がじんじんと痛み、皮膚が擦り切れて血が滲む。だが、分厚い石壁はびくともしない。彼の自慢の力が、ここでは何の役にも立たなかった。
最初は、すぐに仲間が助けに来るか、あるいはこの罠を仕掛けた奴が姿を現すと思っていた。だが、待てど暮らせど、何も起こらない。ただ、孤独だけが彼の心を蝕んでいく。
「……そうだ、影山」
不意に、山田の口からその名が漏れた。
あの、いつも俯いてばかりいた陰気なクラスメイト。何をされても抵抗せず、ただ黙って殴られていた無力なサンドバッグ。
「あいつを殴ってる時も、こんな感じだったか……? いや、違うな。あいつはもっとマシだった。少なくとも、悲鳴くらいは上げたからな」
山田は、過去のいじめの記憶を思い出すことで、精神の均衡を保とうとしていた。自分が強者であり、支配者であった頃の記憶。それが、今の無力な自分を慰める唯一の手段だった。
そうだ、俺は強い。影山みたいな雑魚とは違う。こんな場所に閉じ込められたくらいで、どうにかなる俺じゃない。
彼はそう自分に言い聞かせた。
その時だった。
カリ……カリカリ……。
どこからか、壁を爪で引っ掻くような、乾いた音が聞こえ始めた。
山田は、はっとして身構えた。
「……誰だ?」
音は止まらない。カリカリ、カリカリ……。それは、一部屋だけではなく、四方の壁の向こう側、その全てから聞こえてくるようだった。まるで、無数のネズミが壁の中にいるかのように。
「出てこいよ、コソコソしてんじゃねえ!」
山田が怒鳴ると、一瞬だけ音が止んだ。だが、すぐにまた再開される。今度は、さらに数が増えている。カリカリ、ガリガリ、ゴリゴリ……。壁を削るような、不快な音が彼の鼓膜を刺激した。
それだけではない。どこからか、腐った肉のような、甘ったるい悪臭が漂い始めた。
「……なんだよ、この臭いは……」
強気な言葉とは裏腹に、山田の声は僅かに震えていた。得体の知れない何かが、すぐそこにいる。その気配が、彼の本能に警鐘を鳴らしていた。
ゴッ……。
突如、背後の壁から鈍い音がした。山田が振り返ると、先ほど彼が何度も殴りつけて亀裂が入っていた部分。その石壁が、ゆっくりと内側に向かって崩れ始めていた。
「……やっと出てきやがったか」
山田は拳を固め、臨戦態勢を取る。どんな魔物が現れようと、一撃で粉砕してくれる。そのはずだった。
ガラガラと音を立てて、壁に人一人が通れるくらいの穴が開いた。
穴の向こうは、さらなる暗闇。その闇の中から、何かがゆっくりと姿を現す。
それは、人型だった。
だが、その動きはぎこちなく、関節が有り得ない方向に曲がっている。所々が破れ、薄汚れた制服。それは、山田がよく知っているものだった。自分たちの高校の制服。
そして、闇の中から現れたその顔を見て、山田は息を呑んだ。
「……かげ、やま……?」
そこに立っていたのは、影山蓮だった。
だが、その姿は明らかに異常だった。肌は土気色で、頬はこけ、眼窩は黒く窪んでいる。焦点の合わない虚ろな瞳が、ゆっくりと山田を捉えた。その体からは、先ほどから鼻をついていた強烈な腐臭が放たれている。
「……あ……う……」
ゾンビ。
その言葉が、山田の脳裏をよぎった。
「な、なんだよ、てめえ……。影山の格好した、アンデッドか……?」
山田は、目の前の存在が本人ではないと思おうとした。ただの、よく似たモンスターだと。
だが、ゾンビはゆっくりと口を開いた。そこから漏れ出たのは、呻き声とも言葉ともつかない、掠れた音だった。
「……い……たい……」
その声は、紛れもなく影山蓮のものだった。
「ひっ……」
山田の喉から、短い悲鳴が漏れた。
「ふ、ふざけんじゃねえぞ! 死んだはずの奴が、出てくんじゃねえ!」
恐怖を振り払うように、山田は叫びながら拳を叩き込んだ。彼の拳は、ゾンビの顔面を正確に捉え、ぐしゃりという鈍い手応えと共にその頭部を粉砕した。
「はっ、ははっ! なんだ、大したことねえじゃねえか! 所詮は影山、死んでも雑魚は雑魚だな!」
山田は、勝利を確信して高笑いした。
だが、その笑いはすぐに凍り付く。
頭を砕かれたゾンビは、倒れない。それどころか、首をかしげたまま、まだそこに立っている。
そして、崩れた壁の奥の暗闇から、一体、また一体と、新たな影が現れ始めた。
その全てが、同じ姿をしていた。
ボロボロの制服を着て、腐敗した体を引きずる、影山蓮の姿をしたゾンビ。
「……うそ、だろ……」
一体や二体ではない。十体、二十体……。穴の向こうから、無限に湧いてくるかのように、無数の『影山蓮』が部屋の中へと溢れ出してくる。
「……かえせ……」
「……いたいよ……」
「……なんで……」
ゾンビたちは、それぞれにかつて山田が蓮に浴びせた言葉、あるいは蓮が心の中で叫んだであろう言葉を、うわ言のように呟きながら、ゆっくりと山田に迫ってきた。
「く、来るな! こっちに来るんじゃねえ!」
山田はパニックに陥り、手当たり次第に拳を振るった。ゾンビの頭が砕け、腕が吹き飛ぶ。だが、ゾンビたちは怯まない。痛みを感じない彼らは、ただ黙々と、山田との距離を詰めてくる。
一体のゾンビが、山田の足に組み付いた。
「離せ、この野郎!」
蹴り飛ばそうとするが、別のゾンビが腕を掴む。背後から、肩を。次から次へと、無数の腐った手が彼に伸びてくる。
「やめろ! やめてくれぇ!」
かつて、影山蓮が何度も発したであろう言葉が、今、山田自身の口から悲鳴となって迸った。
自慢の力は、数の暴力の前では無力だった。そして何より、彼の心を蝕んだのは、目の前の光景そのものだった。
自分が最も見下し、虐げてきた存在。その無力だったはずの被害者が、今、自分を恐怖のどん底に突き落としている。
この悪夢の光景は、山田健太の矮小なプライドを、完膚なきまでに打ち砕いていった。
「いやああああああああ!」
無数のゾンビに埋め尽くされ、山田の絶叫が、暗く閉ざされた処刑場に木霊した。
それは、彼の精神が崩壊を始める、始まりの音だった。
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