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第33話 白石紬の苦悩
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王城の礼拝堂は、静寂に満ちていた。
高い天井のステンドグラスから差し込む光が、床に七色の模様を描き、荘厳な雰囲気を醸し出している。白石紬は、祭壇の前に置かれた長椅子に一人座り、固く両手を組んでいた。
彼女は、祈っていた。だが、その祈りは、誰に捧げるものなのか、彼女自身にも分からなかった。
自分たちをこの世界に召喚した、あの美しい女神アストライアか。
それとも、元の世界で聞きかじった、唯一の神か。
あるいは、これはただの気休めで、どこにも届かない独り言なのかもしれない。
談話室での出来事が、彼女の心を重く沈ませていた。
赤城くんの、焦りと苛立ちに満ちた横暴な態度。
鈴木くんの、仲間を駒のようにしか見ていない、冷たい計算。
そして、恐怖に支配され、自分の身を守ることしか考えられない、他のクラスメイトたち。
みんな、変わってしまった。
いや、違う。変わったのではない。元々、彼らの心の中にあった醜い部分が、異世界という極限状況と、手に入れた強大な力によって、剥き出しになっただけなのだ。
あの教室で、影山くんがいじめられているのを見て見ぬふりをしていた時と、本質は何も変わらない。
「……影山くん……」
紬の唇から、無意識にその名が漏れた。
彼が魔王として、山田くんをあんな姿にしたことは、許されることではないのかもしれない。
だが、彼をそこまで追い詰めたのは、紛れもなく自分たちだ。
もし、あの時、自分がほんの少しでも勇気を出して、誰かが「やめなよ」と一言でも言えていたら。
未来は、何か違っていたのだろうか。
後悔が、毒のように彼女の心を蝕んでいく。
彼女のユニークスキル【真実の瞳】は、諸刃の剣だった。それは、人の感情の機微や、嘘を色として見抜くことができる。その力のおかげで、彼女は貴族たちの甘言に騙されることなく、勇者パーティー内での自分の立ち位置を保つことができていた。
だが同時に、その力は、見たくないものまで彼女に見せてしまう。
仲間たちの心の奥底に渦巻く、黒く濁った感情。
そして何より、自分自身の心の中にある、罪悪感という名の、深い澱みを。
【真実の瞳】を発動させると、自分の胸のあたりが、いつも鈍い灰色に曇って見える。それは、彼女の罪の証だった。
「……うぅ……」
紬は、顔を両手で覆った。涙が、指の間からこぼれ落ちる。
どうして、自分はこんなに弱いのだろう。
どうすれば、この罪を償えるのだろう。
その時だった。
「……もし、心に迷いがあるのなら、このわたくしにお話しください、子羊よ」
穏やかで、慈愛に満ちた声が、背後からかけられた。
紬がはっとして振り返ると、そこには純白の神官服を身にまとった、初老の男性が立っていた。優しげな目元には深い皺が刻まれ、その白髪と長い髭は、彼が重ねてきたであろう年月を感じさせる。エルトリア王国の神殿を統べる、大神官だった。
「大神官様……」
「勇者様ご一行の中にあって、あなたはいつも物憂げな表情をされている。何か、深い悩みを抱えておられるのではありませんかな」
大神官は、紬の隣に静かに腰を下ろした。
紬は、躊躇した。この人に、自分の悩みを打ち明けていいものだろうか。いじめの傍観者だった、などという醜い過去を。
だが、大神官の纏う穏やかな雰囲気が、彼女の固く閉ざした心を、少しだけ開かせた。
「……私……私、どうすればいいのか、分からないんです」
紬は、ぽつり、ぽつりと語り始めた。クラスでの出来事、影山くんのこと、そして、今の勇者パーティーの歪んだ現状。
「私たちは、本当に正義なのでしょうか。魔王を倒すことが、本当にこの世界のためになることなのでしょうか。私たち自身が、魔王と同じくらい、醜いことをしているように思えて……」
彼女の告白を、大神官はただ黙って、静かに聞いていた。決して遮ることも、否定することもなく。
全てを話し終えた紬は、堰を切ったように泣きじゃくった。
しばらくして、彼女が少し落ち着いたのを見計らい、大神官はゆっくりと口を開いた。
「……辛い思いをなさいましたな。あなたのその優しさと、罪悪感こそが、あなたがまだ人の心を失っていない証拠です」
その温かい言葉に、紬の心は少しだけ救われた気がした。
「聖女様」
大神官は、紬のジョブである【治癒師】ではなく、彼女が持つべき本来の器を、そう呼んだ。
「正義とは、常に一つではありません。立場が変われば、正義の形も変わる。大切なのは、誰かの決めた正義を鵜呑みにするのではなく、あなた自身の瞳で、あなた自身の心で、何が真実なのかを見極めることです」
大神官は、紬の目を見つめた。その瞳は、まるで全てを見通しているかのように、どこまでも澄んでいた。
「あなたのその【真実の瞳】は、ただ人の嘘を見破るためだけのものではないはず。それは、物事の本質を、世界の理の歪みさえも見通す、聖なる力。その力が、あなたに何を訴えかけているのか。今はまだ、分からずとも良い。ただ、その声から、耳を背けてはなりませぬ」
世界の理の歪み。
その言葉が、紬の心に強く響いた。
そういえば、時々、世界そのものに違和感を覚えることがあった。女神アストライア様の、あまりにも完璧すぎる美貌と慈愛。赤城くんたちが手にした、あまりにも都合の良すぎる強大な力。まるで、誰かが書いた物語の登場人物のように、全てが出来すぎている。
それが、歪み、なのだろうか。
「……私に、何ができるのでしょうか」
「今は、何もなさらなくて良い」
大神官は、穏やかに微笑んだ。
「ただ、見つめ続けなさい。あなたの仲間を、この世界を、そして、あなた自身の心を。そうすれば、いずれ、あなたが進むべき道が、自ずと見えてくるはずです」
大神官は、そう言うと静かに立ち上がり、礼拝堂の奥へと去っていった。
残された紬は、彼の言葉を胸の中で何度も繰り返した。
見つめ続ける。
それなら、今の自分にもできるかもしれない。
逃げるのではなく、目を逸らすのでもない。ただ、この罪と向き合い、真実を見極める。
紬は、涙を拭うと、固く拳を握りしめた。
彼女の心は、まだ迷いの霧の中にいる。だが、その霧の向こうにかすかな光が差し込んだような、そんな気がした。
彼女は知らない。
この大神官との出会いが、やがて世界の真実へと繋がる、重要な鍵となることを。
そして、彼女の【真実の瞳】が、偽りの神々の欺瞞を暴く、最強の武器となることを。
少女の苦悩は、まだ続く。
だが、彼女の物語は、ただの傍観者で終わるものではなかった。
それは、贖罪と、真実の探求の物語の、静かな始まりだった。
高い天井のステンドグラスから差し込む光が、床に七色の模様を描き、荘厳な雰囲気を醸し出している。白石紬は、祭壇の前に置かれた長椅子に一人座り、固く両手を組んでいた。
彼女は、祈っていた。だが、その祈りは、誰に捧げるものなのか、彼女自身にも分からなかった。
自分たちをこの世界に召喚した、あの美しい女神アストライアか。
それとも、元の世界で聞きかじった、唯一の神か。
あるいは、これはただの気休めで、どこにも届かない独り言なのかもしれない。
談話室での出来事が、彼女の心を重く沈ませていた。
赤城くんの、焦りと苛立ちに満ちた横暴な態度。
鈴木くんの、仲間を駒のようにしか見ていない、冷たい計算。
そして、恐怖に支配され、自分の身を守ることしか考えられない、他のクラスメイトたち。
みんな、変わってしまった。
いや、違う。変わったのではない。元々、彼らの心の中にあった醜い部分が、異世界という極限状況と、手に入れた強大な力によって、剥き出しになっただけなのだ。
あの教室で、影山くんがいじめられているのを見て見ぬふりをしていた時と、本質は何も変わらない。
「……影山くん……」
紬の唇から、無意識にその名が漏れた。
彼が魔王として、山田くんをあんな姿にしたことは、許されることではないのかもしれない。
だが、彼をそこまで追い詰めたのは、紛れもなく自分たちだ。
もし、あの時、自分がほんの少しでも勇気を出して、誰かが「やめなよ」と一言でも言えていたら。
未来は、何か違っていたのだろうか。
後悔が、毒のように彼女の心を蝕んでいく。
彼女のユニークスキル【真実の瞳】は、諸刃の剣だった。それは、人の感情の機微や、嘘を色として見抜くことができる。その力のおかげで、彼女は貴族たちの甘言に騙されることなく、勇者パーティー内での自分の立ち位置を保つことができていた。
だが同時に、その力は、見たくないものまで彼女に見せてしまう。
仲間たちの心の奥底に渦巻く、黒く濁った感情。
そして何より、自分自身の心の中にある、罪悪感という名の、深い澱みを。
【真実の瞳】を発動させると、自分の胸のあたりが、いつも鈍い灰色に曇って見える。それは、彼女の罪の証だった。
「……うぅ……」
紬は、顔を両手で覆った。涙が、指の間からこぼれ落ちる。
どうして、自分はこんなに弱いのだろう。
どうすれば、この罪を償えるのだろう。
その時だった。
「……もし、心に迷いがあるのなら、このわたくしにお話しください、子羊よ」
穏やかで、慈愛に満ちた声が、背後からかけられた。
紬がはっとして振り返ると、そこには純白の神官服を身にまとった、初老の男性が立っていた。優しげな目元には深い皺が刻まれ、その白髪と長い髭は、彼が重ねてきたであろう年月を感じさせる。エルトリア王国の神殿を統べる、大神官だった。
「大神官様……」
「勇者様ご一行の中にあって、あなたはいつも物憂げな表情をされている。何か、深い悩みを抱えておられるのではありませんかな」
大神官は、紬の隣に静かに腰を下ろした。
紬は、躊躇した。この人に、自分の悩みを打ち明けていいものだろうか。いじめの傍観者だった、などという醜い過去を。
だが、大神官の纏う穏やかな雰囲気が、彼女の固く閉ざした心を、少しだけ開かせた。
「……私……私、どうすればいいのか、分からないんです」
紬は、ぽつり、ぽつりと語り始めた。クラスでの出来事、影山くんのこと、そして、今の勇者パーティーの歪んだ現状。
「私たちは、本当に正義なのでしょうか。魔王を倒すことが、本当にこの世界のためになることなのでしょうか。私たち自身が、魔王と同じくらい、醜いことをしているように思えて……」
彼女の告白を、大神官はただ黙って、静かに聞いていた。決して遮ることも、否定することもなく。
全てを話し終えた紬は、堰を切ったように泣きじゃくった。
しばらくして、彼女が少し落ち着いたのを見計らい、大神官はゆっくりと口を開いた。
「……辛い思いをなさいましたな。あなたのその優しさと、罪悪感こそが、あなたがまだ人の心を失っていない証拠です」
その温かい言葉に、紬の心は少しだけ救われた気がした。
「聖女様」
大神官は、紬のジョブである【治癒師】ではなく、彼女が持つべき本来の器を、そう呼んだ。
「正義とは、常に一つではありません。立場が変われば、正義の形も変わる。大切なのは、誰かの決めた正義を鵜呑みにするのではなく、あなた自身の瞳で、あなた自身の心で、何が真実なのかを見極めることです」
大神官は、紬の目を見つめた。その瞳は、まるで全てを見通しているかのように、どこまでも澄んでいた。
「あなたのその【真実の瞳】は、ただ人の嘘を見破るためだけのものではないはず。それは、物事の本質を、世界の理の歪みさえも見通す、聖なる力。その力が、あなたに何を訴えかけているのか。今はまだ、分からずとも良い。ただ、その声から、耳を背けてはなりませぬ」
世界の理の歪み。
その言葉が、紬の心に強く響いた。
そういえば、時々、世界そのものに違和感を覚えることがあった。女神アストライア様の、あまりにも完璧すぎる美貌と慈愛。赤城くんたちが手にした、あまりにも都合の良すぎる強大な力。まるで、誰かが書いた物語の登場人物のように、全てが出来すぎている。
それが、歪み、なのだろうか。
「……私に、何ができるのでしょうか」
「今は、何もなさらなくて良い」
大神官は、穏やかに微笑んだ。
「ただ、見つめ続けなさい。あなたの仲間を、この世界を、そして、あなた自身の心を。そうすれば、いずれ、あなたが進むべき道が、自ずと見えてくるはずです」
大神官は、そう言うと静かに立ち上がり、礼拝堂の奥へと去っていった。
残された紬は、彼の言葉を胸の中で何度も繰り返した。
見つめ続ける。
それなら、今の自分にもできるかもしれない。
逃げるのではなく、目を逸らすのでもない。ただ、この罪と向き合い、真実を見極める。
紬は、涙を拭うと、固く拳を握りしめた。
彼女の心は、まだ迷いの霧の中にいる。だが、その霧の向こうにかすかな光が差し込んだような、そんな気がした。
彼女は知らない。
この大神官との出会いが、やがて世界の真実へと繋がる、重要な鍵となることを。
そして、彼女の【真実の瞳】が、偽りの神々の欺瞞を暴く、最強の武器となることを。
少女の苦悩は、まだ続く。
だが、彼女の物語は、ただの傍観者で終わるものではなかった。
それは、贖罪と、真実の探求の物語の、静かな始まりだった。
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