ゴブリンだって進化したい!~最弱モンスターに転生したけど、スキル【弱肉強食】で食って食って食いまくったら、気づけば魔王さえ喰らう神になってた

夏見ナイ

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第34話 夜襲

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新月の夜は、俺たちのためにあった。
漆黒の闇がガロッシュ砦の輪郭を曖昧にし、森のざわめきが俺たちの息遣いをかき消してくれる。風は無く、空気は冷たく張り詰めていた。絶好の、夜襲日和だった。

俺たちは、砦から十分に離れた森の中に潜んでいた。陽動部隊と本隊、二つの影が、静かにその時を待つ。ゴブリンたちの目には、緊張と興奮が入り混じった光が宿っていた。

「時間だ」

俺の短い合図で、陽動部隊のリーダーが頷いた。
「ボス、ご武運を。必ずや、奴らの注意を引きつけてみせます」
「頼んだぞ。死ぬなよ」

短い言葉を交わし、陽動部隊が音もなく動き出した。彼らは大きく迂回し、砦の正門へと向かう。

彼らが持ち場に着くであろう時間を計算し、俺は本隊を率いて砦の西側、ボルグが話していた崖下へと移動した。見上げると、三十メートルはあろうかという巨大な岩壁が、夜の闇にそそり立っている。見張り塔の明かりが、遥か頭上で小さく揺れていた。

「ここだ」

俺は壁の根元、見張り塔の死角になる場所を選んだ。そして、壁に手を当て、MPを集中させる。

「溶解液」

俺の口から、酸性の液体が吐き出された。液体は岩肌に当たり、ジュッと小さな音を立てて蒸発する。硬い岩盤は、びくともしないように見えた。

「ボス、本当にこれで……?」
部下の一人が、不安げに呟く。
「黙って見ていろ」

俺は構わず、同じ一点に【溶解液】を吐きかけ続けた。MPが尽きれば、回復するのを待ち、また吐きかける。地味で、根気のいる作業だ。だが、この一手間が、我々の作戦の成否を分ける。

どれくらいの時間が経っただろうか。
砦の正門の方角から、突如としてけたたましい音と、雄叫びが響き渡った。

ドォン! ドゴォン!
「ウォオオオオオ! オークドモ、出テコイ!」
「殺セ! 殺セ!」

陽動部隊が、作戦を開始したのだ。彼らは巨大な丸太で城門を打ち鳴らし、大声で挑発を繰り返している。

砦の内部が、にわかに騒がしくなった。
「敵襲! 敵襲だ!」
「またあの虫ケラどもか!」
「正門へ急げ! 一匹残らず叩き潰せ!」

オークたちの怒声と、慌ただしい足音が、崖の上から聞こえてくる。砦の注意は、完全に正門へと引きつけられていた。見張り塔の兵士たちも、身を乗り出して正門の様子を窺っている。

「よし、続けろ」

俺は、壁への攻撃を再開した。
何度も、何度も、溶解液を浴びせ続ける。俺が集中して攻撃している一点が、僅かだが、確実に脆くなっていくのが分かった。

そして、ついにその時が来た。
俺が最後の溶解液を吐きかけた瞬間、岩壁の表面に亀裂が走り、メシリ、と嫌な音がした。

「全員、下がれ!」

俺の号令で、部下たちが後方へ退避する。俺は近くにあった大岩を抱え上げると、【怪力】スキルを使い、亀裂の入った壁に向かって力任せに叩きつけた。

ゴオオオォン、という轟音。

岩壁が、内側から崩れるようにして砕け散った。そこには、大人が一人やっと通れるくらいの、黒々とした穴が口を開けていた。

穴の向こう側は、ボルグが言っていた通り、食料庫だった。干し肉や穀物の匂いが、穴から漂ってくる。

潜入、成功だ。

「行くぞ。音を立てるな」

俺は部下たちに合図し、一人、また一人と、穴の中へと侵入していく。食料庫の中は無人で、警備の姿はなかった。陽動作戦が、完璧に機能している証拠だ。

俺たちは猫のように音を殺し、食料庫を抜けた。目の前には、オークたちが眠るであろう兵舎が立ち並ぶ通路が続いている。松明の光が、壁をまだらに照らしていた。

俺たちは、壁の影に身を潜めながら、砦の最奥を目指した。

しばらく進むと、前方の角から、二体のオークの見張りが現れた。彼らは、正門の騒ぎが気になるのか、どこか落ち着かない様子で話している。

「おい、またあのゴブリンどもらしいな」
「ああ。ガロン様も、相当ご立腹だ。だが、たかがゴブリン相手に、何を手こずっているんだか」

俺は部下たちに目配せをした。二手に分かれ、左右の壁際から同時に奇襲をかける。

俺たちが影から飛び出した瞬間、オークたちは驚愕の表情を浮かべた。
「なっ……なぜ、こんな場所に……!?」

彼らが声を上げるよりも早く、俺たちの刃がその喉を切り裂いていた。二体のオークは、声もなくその場に崩れ落ちる。

完璧な、無音の暗殺だった。

「死体を隠せ。血の跡を拭え」

俺たちは死体を物陰に引きずり込み、手早く証拠を隠滅する。そして、さらに奥へと進んだ。

道中、何度か巡回の兵とすれ違った。だが、俺たちがボルグから聞いた合言葉「血ニハ血ヲ」を告げると、彼らは何の疑いもなく俺たちを行かせてくれた。ホブゴブリンである俺の姿を訝しむ者もいたが、「ガロン様の命令で動いている特別部隊だ」と適当な嘘をつけば、それ以上追及してくる者はいなかった。ガロンの名は、この砦では絶対なのだ。

そして、ついに俺たちは、砦の最も奥まった区画へとたどり着いた。
そこには、他とは明らかに違う、重厚な鉄の扉があった。扉の前では、二体の屈強なオークが、微動だにせず番をしている。

戦士長の間。

ガロンは、この中にいる。

俺は、部下たちに合図した。
「お前たちは、ここで待機しろ。何があっても、中には入るな。そして、俺以外の者がこの扉から出てきたら、殺せ」

「ボス、しかし……!」
「これは、王と王の戦いだ。俺一人で、ケリをつける」

俺は、部下たちの制止を振り切り、一人で鉄の扉へと向かった。
扉の前の番兵が、俺の姿を認め、眉をひそめる。

「何者だ。ここは、ガロン様のおられる場所だぞ」

俺は、フードを目深にかぶり直し、低い声で合言葉を告げた。
「――血ニハ血ヲ」

そして、俺はゆっくりと顔を上げた。俺のホブゴブリンの顔が、松明の光に照らし出される。

「なっ……お前は……!」

番兵たちが、驚愕に目を見開いた、その瞬間。
俺の左右の手から、同時に短剣が放たれた。それは、人間の盗賊が使っていた投擲術。俺が密かに練習していた、新たなスキルだった。

二本の短剣は、寸分違わず、二人の番兵の眉間に突き刺さった。
彼らは、悲鳴を上げる暇さえなく、その場に崩れ落ちる。

俺は、重い鉄の扉に手をかけた。
ギィィ、という軋む音を立てて、扉が開かれる。

その先には、広大な空間が広がっていた。壁には無数の武器が飾られ、中央には巨大な玉座が鎮座している。

そして、その玉座に、戦士長ガロンが座っていた。

彼は、正門の騒ぎなど意にも介さず、巨大な大剣の手入れをしていた。俺が入ってきたことに気づくと、彼はゆっくりと顔を上げ、俺の姿を認めた。

彼の目に、驚きはなかった。
むしろ、待ち構えていたかのような、獰猛な笑みが浮かんでいた。

「……ようやく来たか、虫ケラの王よ。この俺の寝首を掻きに、わざわざご苦労なことだ」

砦は、既に混乱の渦中にあるはずだった。
だが、この男だけは、全てを見通していたかのように、静かに俺を待っていた。
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