ゲームの悪役貴族に転生した俺、断罪されて処刑される未来を回避するため死ぬ気で努力したら、いつの間にか“救国の聖人”と呼ばれてたんだが

夏見ナイ

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第43話:王女とのお忍び

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シルフィード子爵家での婿殿認定事件から数日。俺の胃は、もはや慢性的な機能不全に陥っていた。
リリアーナは、あの一件以来、俺を見るたびに「む、婿殿……」と呟いては顔を真っ赤にして逃げていくようになり、その様子を見たセレスティーナとルナからの無言の圧力が、さらに俺の精神を削っていた。
そんなある日、俺の地獄の夏休みに、さらなる追い打ちをかける出来事が起こった。
王家の紋章を掲げた、一頭立ての簡素な馬車が、クラインフェルト家の屋敷の裏門に、ひっそりと停車したのだ。

「アレン。少し、付き合いなさい」
馬車から降りてきたのは、フード付きの簡素なローブを纏った、セレスティーナだった。しかし、その圧倒的な美貌と気品は、粗末な衣服では隠しきれていない。
「……殿下?これは、一体……」
「しーっ!ここでは、セレスと呼びなさい。今日はお忍びよ」
彼女は悪戯っぽく人差し指を唇に当てた。
お忍び。その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内でけたたましく警報が鳴り響いた。嫌な予感しかしない。

「行くわよ」
セレスティーナは有無を言わさず俺の手を掴むと、半ば強引に馬車へと引きずり込んだ。
馬車が静かに走り出す。
「一体、どこへ向かうのですか、セレス」
「決まっているでしょう。このクラインフェルト領の、視察よ」
彼女は腕を組み、さも当然のように言った。
「貴方が作り上げた、王国一と噂される豊かな領地。未来の王配となる貴方の領地を、次期女王となる私が、自らの目で見ておくのは当然の責務だわ」
その理由は、あまりにも正論だった。
だが、俺には分かっていた。これは、ただの建前だ。
彼女の本当の目的は、視察などではない。
これは、デートだ。

馬車は、領都の市場で止まった。
「さあ、降りて。まずは、民の暮らしぶりを見せてもらうわ」
セレスティーティーナはフードを目深にかぶり、活気あふれる市場へと足を踏み入れた。俺も、ため息を一つついて、その後に続く。
市場は、干ばつの影響など微塵も感じさせないほど、賑わっていた。新鮮な野菜や果物、焼きたてのパンの香ばしい匂い、そして行き交う人々の屈託のない笑顔。
それは、俺がこの五年間、必死に築き上げてきた、平穏の象徴だった。
「……すごいわ。これが、貴方の……」
セレスティーナは、その光景に目を奪われたように、呟いた。彼女は王都の華やかさとは違う、地に足のついた豊かさと活気に、純粋な感銘を受けているようだった。

「あら、お若いお二人さん!デートかい?」
果物屋の陽気な女将さんが、俺たちに声をかけてきた。
「で、デートだなんて、そんな……!」
セレスティーティーナの顔が、カッと赤く染まる。その反応が、さらに周囲の興味を引いた。
「まあまあ、照れちゃって!うちのリンゴは、恋を成就させるって評判なんだよ!一つ、どうだい?」
「い、要らないわよ!そんなもの!」
慌てふためくセレスティーナの姿は、普段の「剣姫」としての威厳とはかけ離れた、年相応の少女のそれだった。
俺は、そんな彼女の姿を、少しだけ微笑ましく思った。
胃の痛みが、ほんの一瞬だけ、和らいだ気がした。

だが、そんな穏やかな時間は、長くは続かなかった。
俺たちが市場を歩いていると、ふと、人だかりができている一角が目に入った。
何かの見世物だろうか。俺たちが近づいてみると、そこでは一人の吟遊詩人が、リュートを奏でながら高らかに歌い上げていた。
その歌の内容を聞いて、俺は全身が凍りついた。

『――語り継ごう、英雄の詩を!銀の髪持つ、若き賢者の物語を!』

吟遊詩人が歌っていたのは、俺の英雄譚だった。
灌漑事業で領地を救った話から、ダンジョンで学友を救った話まで、事実を三割増し、いや、十割増しで脚色した、壮大な叙事詩。
聴衆たちは、うっとりとした表情でその歌に聴き入り、歌のクライマックスでは、拍手喝采を送っている。
「アレン様、万歳!」
「我らが聖人様!」
領民たちの、狂信的なまでの歓声。
終わった。俺のささやかな平穏は、完全に終わった。

「……アレン」
隣で、セレスティーナが呆然とした表情で俺を見つめていた。
「貴方、この領地で……神様か何かだと思われているの……?」
その声は、畏怖と、困惑と、そしてほんの少しの嫉妬が混じっているように聞こえた。
俺は、何も答えられなかった。
ただ、引きつった笑みを浮かべることしかできない。

その後の視察は、もはや生きた心地がしなかった。
どこへ行っても、俺の姿を見つけた領民たちが駆け寄り、ひれ伏し、祈りを捧げてくる。
「アレン様!どうか、我が子に祝福を!」
「このパンをお受け取りください!アレン様が触れたパンは、万病に効くと……!」
セレスティーナは、その異常な光景を前にして、完全に言葉を失っていた。
俺が作り上げたはずの平穏な領地は、いつの間にか、俺を神と崇める、巨大な宗教国家に変貌していたのだ。

夕暮れ。
屋敷に戻る馬車の中、俺とセレスティーナは、気まずい沈黙に包まれていた。
先に口を開いたのは、彼女だった。
「……貴方、大変なのね」
その声には、同情の色が滲んでいた。
「あれほどの期待と崇拝を、たった一人で背負っているなんて。私には……想像もつかないわ」
彼女は、俺が感じている重圧を、少しだけ理解してくれたようだった。
そして、彼女は静かに、しかし力強い声で言った。
「……でも、安心なさい。これからは、私がいるわ。貴方の隣で、その重荷を、半分、私が背負ってあげる」
彼女は、俺の手を、そっと握りしめた。
その手は、温かかった。
「だから……一人で、抱え込まないで」

その言葉は、俺の疲弊しきった心に、じんわりと染み渡った。
胃の痛みが、すっと消えていくのを感じた。
だが、次の瞬間。俺の脳内で、再び警報が鳴り響いた。
まずい。
これは、原作ゲームで、攻略対象がヒロインに完全に心を許した時に流れる、イベントCGの構図だ。
俺は、セレスティーナとの恋愛フラグを、完全に、そして確定的に、打ち立ててしまった。

俺の胃は、一度は消えかけた痛みを、倍にして取り戻した。
握られた彼女の手の温かさが、俺には、断頭台の冷たさにしか感じられなかった。
俺の平穏な老後は、もはや絶望的だった。
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