偽りの聖女と罵られたので、隣国の訳あり公爵様と結託して祖国を滅ぼします~本当の力に目覚めた私を今更返せと言われても、もう遅いのです~

夏見ナイ

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第十一話 カインの側近騎士

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侍女頭ゲルダが去った後、エリアーナは部屋に残された冷たい緊張感の中で一人、思考を巡らせていた。
カインに会わなければ、何も始まらない。
だが、どうやって? 広大な邸のどこに彼の執務室があるのか、正確な場所も分からない。下手にうろついて、不審者として捕まるのは避けたかった。
壁に設置された呼び鈴に目をやる。ゲルダは「無用な呼び出しは慎め」と言った。公爵に会いたいという用件が、無用と見なされない保証はない。
逡巡の末、エリアーナは扉に手をかけた。直接行くしかない。たとえ迷ったとしても、部屋でじっとしているよりはましだ。昨夜、執務室から連れてこられた際の記憶を必死に手繰り寄せながら、彼女は意を決して部屋の外へと一歩踏み出した。

北翼の廊下は、しんと静まり返っていた。人の気配はない。エリアーナは足音を忍ばせ、記憶の中の道を辿っていく。幸いにも、この邸の構造は比較的単純で、迷うことなく中央棟へと続く大階段にたどり着くことができた。
問題はここからだ。昨夜はカインの後についていくだけで、周囲を詳しく見る余裕はなかった。彼の執務室は確か、この階の……。
エリアーナが廊下の角を曲がろうとした、その時だった。
前方から、重い足音と共に巨大な影が現れ、エリアーナは思わず息を呑んで立ち止まった。危うく、その影にぶつかるところだった。
目の前に立っていたのは、一人の騎士だった。
身の丈は二メートル近くあるのではないか。分厚い胸板と太い腕は、磨き上げられた漆黒の鎧の上からでも、その鍛え抜かれた肉体の凄まじさを伝えてくる。短く刈り込んだ金髪に、彫りの深い厳つい顔立ち。その鋭い青い瞳が、エリアーナの姿を捉えた瞬間、露骨な警戒の色を宿した。
この男も、自分を敵と見なしている。エリアーナは肌でそれを感じ取った。
「……貴様が、公爵閣下が拾ってきたというエルミールの女か」
地響きのような、低い声だった。その声に含まれた敵意は、侍女頭ゲルダのそれとは種類が違う。ゲルダの敵意が冷たい氷なら、この男のそれは燃え盛る炎のようだった。暴力的で、直接的。
エリアーナは怯えで後ずさりそうになるのを、必死で堪えた。
「私がエリアーナです。あなたは……」
「ヴァルハイト公爵騎士団、団長が一人、ジークハルト・フォン・ベルクマンだ」
男は尊大な態度で名乗った。騎士団長。カインの最も信頼する側近の一人であることは、その立ち居振る舞いから明らかだった。
ジークハルトは、エリアーナの頭のてっぺんから爪先までを、品定めするようにじろりと見た。
「なるほど。こんなか弱い小娘が、あの公爵閣下に取り入ったと? 一体どんな妖術を使った」
「妖術など……」
「しらを切るな。エルミール王国が、この時期に女一人を国境に送り込んできた。それがただの偶然であるものか。貴様は、王国が放った密偵だろう。あるいは、公爵閣下を誑かし、その命を奪おうとする魔女かもしれん」
その疑いは、あまりに一方的で、侮辱に満ちていた。エリアーナの胸に、怒りの火が小さく灯る。
「違います。私は祖国を追放された身です。帰る場所などありません」
「追放された、だと? そんな言葉を、誰が信じるものか。それはお前たちの手の込んだ芝居だろう。同情を誘い、閣下の懐に入り込むためのな」
ジークハルトは一歩、エリアーナに詰め寄った。その威圧感に、エリアーナの身体がびくりと震える。
「一つ、警告しておく。公爵閣下は情け深いお方だ。お前のような哀れな小娘に、つい同情心を抱かれたのかもしれん。だが、俺は騙されんぞ」
ジークハルトの声が、さらに低くなる。それは、紛れもない脅迫だった。
「もし、貴様の存在が公爵閣下にとって害をなすと判断した時、あるいは閣下のお身に万が一のことがあれば……その時は、俺がこの手で貴様を斬り捨てる。たとえ、閣下のお許しがなくともな。肝に銘じておけ」
青い瞳が、殺意にも似た光を放つ。この男は本気だ。カインのためならば、何の躊躇もなく自分を殺すだろう。
恐怖が、足元から這い上がってくる。
だが、エリアーナはここで引き下がるわけにはいかなかった。彼女は震える膝に力を込め、ジークハルトの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「私は、公爵閣下と契約を交わしました」
その凛とした声に、ジークハルトの眉がぴくりと動く。
「閣下の呪いを解くお手伝いをする、と。私は魔女でも密偵でもありません。閣下の呪いを解くために、ここにいるのです」
「……口先だけなら、何とでも言える」
ジークハルトは吐き捨てるように言った。だが、エリアーナの瞳に宿る強い光に、彼は一瞬だけ怯んだように見えた。
その緊迫した空気を破ったのは、第三者の声だった。
「何をしている、ジークハルト」
その声が聞こえた瞬間、ジークハルトの纏っていた刺々しい空気が霧散した。彼は弾かれたように振り返り、声の主に対して深く頭を垂れる。
廊下の向こうから、カインが静かに歩いてきた。
「閣下! これは……」
ジークハルトが慌てて何かを言おうとするが、カインはそれを手で制した。彼の視線は、ジークハルトとエリアーナの間を一度だけ往復し、全てを理解したようだった。
「お前は、書庫へ行きたいのではなかったのか」
カインは、エリアーナに向かって言った。その声は、いつも通り平坦で、感情が読めない。
「は、はい。その許可をいただきたく、閣下をお探ししておりました」
エリアーナが答えると、カインはあっさりと頷いた。
「いいだろう。好きに使うがいい。必要な書物があれば、ゲルダに言え。手配させる」
「ありがとうございます」
エリアーナが頭を下げると、カインは視線をジークハルトに戻した。その目は、先程までの無感動な光とは違い、絶対零度の冷たさを帯びていた。
「ジークハルト」
「はっ!」
「この女は、俺が客人としてこの邸に招いた。俺の客に対して、無礼な振る舞いは許さん。たとえ、それが騎士団長であるお前でもだ。二度はないと思え」
その声は静かだったが、逆らうことを決して許さない、絶対的な君主の響きを持っていた。
ジークハルトの顔から、血の気が引いていくのが分かった。彼は、自分の主君が本気で怒っていることを悟ったのだ。
「も、申し訳ございません! 閣下のお心を煩わせるような真似を……」
「分かったならいい。下がれ」
「はっ!」
ジークハルトはエリアーナを一瞥することもなく、硬い足取りでその場を去っていった。その背中からは、主君に叱責されたことへの悔しさと、それでもエリアーナへの疑いが晴れていない頑なさが感じられた。
廊下には、カインとエリアーナだけが残された。
エリアーナは、どうすればいいのか分からず、ただ立ち尽くしていた。
「執務室は、この先だ。書庫は、その隣にある」
カインはそれだけ言うと、エリアーナに背を向け、再び歩き始めた。
エリアーナは、その大きな背中を見つめた。
侍女頭に続き、今度は騎士団長。この邸には、自分の敵が多すぎる。彼らの信頼を得るのは、不可能に近いだろう。
だが、カインは自分を守った。
それは、彼が自分を気に入っているからではない。ただ、彼が交わした「契約」を重んじているからだ。彼は、エリアーナを「呪いを解くための道具」として、その価値を認めている。
今は、それでいい。
エリアーナは、小さく息を吐き出した。道は険しい。だが、確かに一歩、前に進むことができた。
彼女はカインの後を追いながら、これから対峙するであろう、膨大な書物の海に思いを馳せていた。その中に、きっと希望の光が眠っているはずだと信じて。
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