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第二十五話 帝都への外出
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自分の内に眠る未知の力。
エリアーナは、その存在を自覚してからというもの、喜びよりも大きな戸惑いの中にいた。この力は一体何なのか。どうすれば制御できるのか。答えの見えない問いが、常に頭の片隅に重くのしかかっていた。
庭園の手入れは続けていたが、あの奇跡の日以来、動物たちが彼女の周りに集まることはあっても、再び光が溢れ出すような現象は起きていない。それが、エリアーナを余計に混乱させていた。
その日の午後。
エリアーナが書庫で一人、考えあぐねていると、珍しく侍女頭のゲルダが訪ねてきた。
「エリアーナ様。閣下がお呼びでございます。至急、執務室へ」
その言葉には、いつも以上の緊張感が含まれているように感じられた。カインからの呼び出しは、あの契約の日以来、初めてのことだった。
何か、良くないことだろうか。自分の力が、何か問題を引き起こしたのかもしれない。不安に胸をざわつかせながら、エリアーナはゲルダの後に続いて執務室へと向かった。
重厚な扉の前に立つと、ゲルダは「わたくしはここで」とだけ言って下がっていった。
エリアーナは深呼吸を一つして、扉をノックする。中から「入れ」という低い声が聞こえた。
部屋に入ると、カインは執務机で山のような書類に目を通していた。その様子はいつもと変わらない。エリアーナは彼の前に立ち、静かに呼び出しの理由を待った。
しばらくして、カインはペンを置くと、ようやく顔を上げた。その深い色の瞳が、真っ直ぐにエリアーナを見据える。
「……顔色が優れんな」
唐突に、カインが言った。
「え?」
「悩み事でもあるのか。ここ数日、浮かない顔をしていると報告を受けている」
その言葉に、エリアーナは驚いた。自分の心の揺れを、彼が見抜いていたとは。そして、それを気にかけてくれていたとは。
「い、いえ。そのようなことは……」
「嘘をつくな。お前の考えていることは、手に取るように分かる」
カインは、冷ややかに言い放った。彼の前では、どんな取り繕いも無意味なのだと、エリアーナは改めて思い知る。
彼女は、観念して正直に打ち明けることにした。
「……自分の、力のことで。少し、戸惑っておりました。あれが何なのか、どうすればいいのか分からず……」
「そうか」
カインは短く相槌を打つと、椅子から立ち上がった。そして、エリアーナが予想だにしなかった言葉を口にする。
「支度をしろ。外出するぞ」
「……はい?」
エリアーナは、自分の耳を疑った。外出。今、この人はそう言ったのだろうか。
「聞こえなかったか。外出すると言ったんだ。いつまでもこの薄暗い邸に籠っていては、思考も滞る。気分転換も、時には必要だ」
その口調は、あくまで合理性を装っていた。だが、エリアーナには分かった。これは、思い悩んでいる自分に対する、彼なりの気遣いなのだと。
「ですが……よろしいのですか。私が、外へ出て」
「俺が許す。誰に文句を言われる筋合いもない」
カインの言葉は、絶対的な自信に満ちていた。この国において、彼が許したことに異を唱える者など存在しないのだ。
「どこへ……」
「帝都の市街だ。お前はまだ、この国のことを何も知らんだろう。自分の目で見ておくのも、無駄にはなるまい」
それは、抗いがたい誘いだった。
最後に街へ出たのは、あの断罪の夜会の日。人々の侮蔑と嘲笑に晒された、悪夢のような記憶。外出という言葉に、一瞬だけ胸が痛んだ。
だが、今は違う。
自分の隣には、この人がいる。
カインと一緒ならば、何も怖くない。そう、不思議と思えた。
「……はい。お供させていただきます」
エリアーナがはっきりと答えると、カインは満足げに頷いた。
「一時間後に、玄関ホールで待つ。遅れるな」
それだけ言うと、彼は再び椅子に座り、書類へと視線を戻してしまった。
エリアーナは、どこか夢見心地のまま自室へと戻った。
部屋の扉を開けると、そこには既にゲルダが待っていた。彼女の隣には、外出用と思われる上質な衣服が数着、用意されている。どうやら、カインからの指示は、エリアーナが執務室にいる間に飛んでいたらしい。
「閣下との外出と伺っております。身支度を」
ゲルダの口調は相変わらず厳しい。だが、その目に宿る光は、以前のような冷たいものではなかった。
「閣下にご迷惑をおかけせぬよう、万全の準備をなさい。帝都の空気は、冬は特に冷えます」
そう言って、ゲルダがエリアーナに手渡したのは、深い青色のベルベットの生地で作られた、上品なワンピースだった。そして、その上から羽織るための、白銀の狐の毛皮で縁取られた、豪奢なマント。
「こんな、立派なものを……」
「あなた様は、公爵閣下と共に行動されるのです。ヴァルハイト公爵家の威信を損なうような格好は、許されません」
ゲルダはそう言いながらも、その手つきはどこまでも丁寧だった。エリアーナの髪を結い上げ、小さな宝石がちりばめられた髪飾りを挿す。その仕草には、彼女の主君への忠誠と、そしてエリアーナに対する、不器用な気遣いが込められているようだった。
支度を終えたエリアーナが玄関ホールへと向かうと、そこにはカインが待っていた。
エリアーナは、彼の姿を見て、小さく息を呑んだ。
いつもの堅苦しい軍服ではなく、黒を基調とした、貴族らしい仕立ての良い礼装に身を包んでいる。上から羽織った重厚な黒い外套が、彼の威厳をさらに際立たせていた。顔の痣さえも、その圧倒的な存在感の前では、一つの個性的な装飾のように見えてしまう。
カインは、エリアーナの姿を一瞥すると、ほんのわずかに目を見張った。
深い青色のドレスは、彼女の白い肌と銀色の髪を美しく引き立てている。白銀のマントが、神秘的な輝きを添えていた。怯えた小鳥のようだった少女は、今や気品に満ちた、一人の美しい令嬢としてそこに立っていた。
「……悪くない」
カインが、ぽつりと呟いた。それは、彼なりの最大の賛辞だった。
彼はエリアーナに手を差し伸べる。その大きな手を、エリアーナは少しだけためらいながらも、そっと取った。彼の指先は、冷たい外気とは裏腹に、確かな熱を帯びていた。
二人で、邸の前に待つ馬車へと乗り込む。
それは、雪原で意識を失っていた時に乗せられた、あの豪華な馬車だった。しかし、今、エリアーナが感じているものは、あの時とは全く違う。
恐怖も、不安もない。ただ、隣に座るカインの存在が、不思議なほどの安心感を与えてくれた。
馬車が、滑るように走り出す。
ぎこちない沈黙が、二人を包む。だが、それは決して気まずいものではなかった。
「あの……」
先に口を開いたのは、エリアーナだった。
「本日は、お気遣いいただき、ありがとうございます」
「気遣いではない。合理的な判断だ」
カインは、そっけなく答える。だが、エリアーナはもう、その言葉の裏にある意味を理解していた。
彼女は、窓の外に目をやった。
馬車は、帝都の賑やかな大通りへと差し掛かっていた。活気のある人々の声。様々な品物を並べた店の看板。行き交う人々の、明るい表情。
その全てが、エリアーナの目には新鮮に、そして眩しく映った。
閉ざされた世界で生きてきた彼女が、初めて触れる、光に満ちた外の世界。
「……すごい」
思わず、感嘆の声が漏れる。彼女の紫水晶の瞳が、子供のようにきらきらと輝いていた。
その横顔を、カインが静かな眼差しで見つめていることに、エリアーナはまだ気づいていなかった。
彼の唇の端に、彼自身も気づかぬうちに、ごく微かな笑みが浮かんでいたことも。
エリアーナは、その存在を自覚してからというもの、喜びよりも大きな戸惑いの中にいた。この力は一体何なのか。どうすれば制御できるのか。答えの見えない問いが、常に頭の片隅に重くのしかかっていた。
庭園の手入れは続けていたが、あの奇跡の日以来、動物たちが彼女の周りに集まることはあっても、再び光が溢れ出すような現象は起きていない。それが、エリアーナを余計に混乱させていた。
その日の午後。
エリアーナが書庫で一人、考えあぐねていると、珍しく侍女頭のゲルダが訪ねてきた。
「エリアーナ様。閣下がお呼びでございます。至急、執務室へ」
その言葉には、いつも以上の緊張感が含まれているように感じられた。カインからの呼び出しは、あの契約の日以来、初めてのことだった。
何か、良くないことだろうか。自分の力が、何か問題を引き起こしたのかもしれない。不安に胸をざわつかせながら、エリアーナはゲルダの後に続いて執務室へと向かった。
重厚な扉の前に立つと、ゲルダは「わたくしはここで」とだけ言って下がっていった。
エリアーナは深呼吸を一つして、扉をノックする。中から「入れ」という低い声が聞こえた。
部屋に入ると、カインは執務机で山のような書類に目を通していた。その様子はいつもと変わらない。エリアーナは彼の前に立ち、静かに呼び出しの理由を待った。
しばらくして、カインはペンを置くと、ようやく顔を上げた。その深い色の瞳が、真っ直ぐにエリアーナを見据える。
「……顔色が優れんな」
唐突に、カインが言った。
「え?」
「悩み事でもあるのか。ここ数日、浮かない顔をしていると報告を受けている」
その言葉に、エリアーナは驚いた。自分の心の揺れを、彼が見抜いていたとは。そして、それを気にかけてくれていたとは。
「い、いえ。そのようなことは……」
「嘘をつくな。お前の考えていることは、手に取るように分かる」
カインは、冷ややかに言い放った。彼の前では、どんな取り繕いも無意味なのだと、エリアーナは改めて思い知る。
彼女は、観念して正直に打ち明けることにした。
「……自分の、力のことで。少し、戸惑っておりました。あれが何なのか、どうすればいいのか分からず……」
「そうか」
カインは短く相槌を打つと、椅子から立ち上がった。そして、エリアーナが予想だにしなかった言葉を口にする。
「支度をしろ。外出するぞ」
「……はい?」
エリアーナは、自分の耳を疑った。外出。今、この人はそう言ったのだろうか。
「聞こえなかったか。外出すると言ったんだ。いつまでもこの薄暗い邸に籠っていては、思考も滞る。気分転換も、時には必要だ」
その口調は、あくまで合理性を装っていた。だが、エリアーナには分かった。これは、思い悩んでいる自分に対する、彼なりの気遣いなのだと。
「ですが……よろしいのですか。私が、外へ出て」
「俺が許す。誰に文句を言われる筋合いもない」
カインの言葉は、絶対的な自信に満ちていた。この国において、彼が許したことに異を唱える者など存在しないのだ。
「どこへ……」
「帝都の市街だ。お前はまだ、この国のことを何も知らんだろう。自分の目で見ておくのも、無駄にはなるまい」
それは、抗いがたい誘いだった。
最後に街へ出たのは、あの断罪の夜会の日。人々の侮蔑と嘲笑に晒された、悪夢のような記憶。外出という言葉に、一瞬だけ胸が痛んだ。
だが、今は違う。
自分の隣には、この人がいる。
カインと一緒ならば、何も怖くない。そう、不思議と思えた。
「……はい。お供させていただきます」
エリアーナがはっきりと答えると、カインは満足げに頷いた。
「一時間後に、玄関ホールで待つ。遅れるな」
それだけ言うと、彼は再び椅子に座り、書類へと視線を戻してしまった。
エリアーナは、どこか夢見心地のまま自室へと戻った。
部屋の扉を開けると、そこには既にゲルダが待っていた。彼女の隣には、外出用と思われる上質な衣服が数着、用意されている。どうやら、カインからの指示は、エリアーナが執務室にいる間に飛んでいたらしい。
「閣下との外出と伺っております。身支度を」
ゲルダの口調は相変わらず厳しい。だが、その目に宿る光は、以前のような冷たいものではなかった。
「閣下にご迷惑をおかけせぬよう、万全の準備をなさい。帝都の空気は、冬は特に冷えます」
そう言って、ゲルダがエリアーナに手渡したのは、深い青色のベルベットの生地で作られた、上品なワンピースだった。そして、その上から羽織るための、白銀の狐の毛皮で縁取られた、豪奢なマント。
「こんな、立派なものを……」
「あなた様は、公爵閣下と共に行動されるのです。ヴァルハイト公爵家の威信を損なうような格好は、許されません」
ゲルダはそう言いながらも、その手つきはどこまでも丁寧だった。エリアーナの髪を結い上げ、小さな宝石がちりばめられた髪飾りを挿す。その仕草には、彼女の主君への忠誠と、そしてエリアーナに対する、不器用な気遣いが込められているようだった。
支度を終えたエリアーナが玄関ホールへと向かうと、そこにはカインが待っていた。
エリアーナは、彼の姿を見て、小さく息を呑んだ。
いつもの堅苦しい軍服ではなく、黒を基調とした、貴族らしい仕立ての良い礼装に身を包んでいる。上から羽織った重厚な黒い外套が、彼の威厳をさらに際立たせていた。顔の痣さえも、その圧倒的な存在感の前では、一つの個性的な装飾のように見えてしまう。
カインは、エリアーナの姿を一瞥すると、ほんのわずかに目を見張った。
深い青色のドレスは、彼女の白い肌と銀色の髪を美しく引き立てている。白銀のマントが、神秘的な輝きを添えていた。怯えた小鳥のようだった少女は、今や気品に満ちた、一人の美しい令嬢としてそこに立っていた。
「……悪くない」
カインが、ぽつりと呟いた。それは、彼なりの最大の賛辞だった。
彼はエリアーナに手を差し伸べる。その大きな手を、エリアーナは少しだけためらいながらも、そっと取った。彼の指先は、冷たい外気とは裏腹に、確かな熱を帯びていた。
二人で、邸の前に待つ馬車へと乗り込む。
それは、雪原で意識を失っていた時に乗せられた、あの豪華な馬車だった。しかし、今、エリアーナが感じているものは、あの時とは全く違う。
恐怖も、不安もない。ただ、隣に座るカインの存在が、不思議なほどの安心感を与えてくれた。
馬車が、滑るように走り出す。
ぎこちない沈黙が、二人を包む。だが、それは決して気まずいものではなかった。
「あの……」
先に口を開いたのは、エリアーナだった。
「本日は、お気遣いいただき、ありがとうございます」
「気遣いではない。合理的な判断だ」
カインは、そっけなく答える。だが、エリアーナはもう、その言葉の裏にある意味を理解していた。
彼女は、窓の外に目をやった。
馬車は、帝都の賑やかな大通りへと差し掛かっていた。活気のある人々の声。様々な品物を並べた店の看板。行き交う人々の、明るい表情。
その全てが、エリアーナの目には新鮮に、そして眩しく映った。
閉ざされた世界で生きてきた彼女が、初めて触れる、光に満ちた外の世界。
「……すごい」
思わず、感嘆の声が漏れる。彼女の紫水晶の瞳が、子供のようにきらきらと輝いていた。
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