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第四十五話 力の解放
エリアーナの絶叫と共に放たれた金色の光は、帝都の夜空を貫く巨大な柱となった。
その圧倒的な光の前では、魔獣が放つおぞましい瘴気も、戦場を覆う血と鉄の匂いさえも、全てがかき消されていく。
光の中心に立つエリアーナは、静かに目を開けていた。
もう、恐怖はない。迷いもない。
ただ、守りたいという強い意志だけが、彼女の魂を満たしていた。
彼女の背後で、小さな女の子が息を呑む気配がする。エリアーナは振り返らず、ただ目の前の、動きを止めた紫色の魔獣を見据えていた。
魔獣は、困惑していた。
目の前の、か弱いはずの人間の女から放たれる、計り知れないほどのプレッシャー。それは、この世のどんな魔獣よりも、どんな魔王よりも、もっと根源的で、抗うことのできない、絶対的な力の波動だった。
本能が、警鐘を鳴らしている。
逃げろ、と。この存在に逆らってはいけない、と。
だが、黒幕によって脳に刻み込まれた命令が、その本能を無理やり押さえつける。
グルルル……、と魔獣は威嚇の唸り声を上げた。そして、恐怖を振り払うかのように、再びその巨大な鉤爪をエリアーナへと振り下ろした。
だが、その爪がエリアーナに届くことはなかった。
彼女が、ただ一言、静かに告げたからだ。
「風よ」
その声に呼応し、突風が巻き起こった。
それは、ただの風ではない。意思を持った、巨大な力の奔流。風の精霊たちが、彼女の呼びかけに応え、その姿を現したのだ。
風は、見えない刃となって魔獣の爪を弾き飛ばし、その巨体をいとも簡単に後方へと吹き飛ばした。
ズシン、という重い音を立てて、魔獣が地面に叩きつけられる。
だが、エリアーナの奇跡は、それだけでは終わらなかった。
「大地よ」
今度は、地面が鳴動した。
エリアーナが立っている足元から、無数の蔦や木の根が、まるで生きている蛇のように、物凄い速さで伸びていく。それらは、地面に倒れた魔獣の身体に瞬く間に絡みつき、その動きを完全に封じ込めてしまった。
大地の精霊たちが、彼女の願いを叶えるために、その力を貸したのだ。
身動き一つできなくなった魔獣は、混乱と恐怖に鳴き声を上げる。
「すごい……」
エリアーナの背後で、女の子が小さな声で呟いた。邸の窓から見ていた使用人たちも、目の前で起きている神の如き御業に、ただただ圧倒されていた。
エリアーナ自身も、驚いていた。
自分の内に、これほどの力が眠っていたとは。
風や大地と、こんなにも簡単に対話ができるとは。
だが、今は感傷に浸っている場合ではなかった。庭にはまだ、他の魔獣が残っている。そして、帝都の各地で、今も人々が苦しんでいるはずだ。
エリアーナは、捕らえた魔獣へと歩み寄った。
その赤い目には、もはや敵意はなく、ただ純粋な恐怖だけが浮かんでいる。
エリアーナは、その魔獣の額に、そっと手を触れた。
そして、三度、願った。
「清めなさい」
彼女の手のひらから、再び金色の光が放たれた。
今度の光は、先程までの力の奔流とは違う。温かく、優しく、全てを包み込むような、慈愛に満ちた光だった。
光は、魔獣の身体を覆っていた、黒い瘴気をゆっくりと浄化していく。まるで、汚れた水を濾過するように。
魔獣の身体から、黒い靄が霧散していく。赤い光を放っていた瞳は、次第に元の穏やかな色を取り戻していった。
やがて、光が消えた時。
そこにいたのは、もう凶暴な魔獣ではなかった。
ただ、怯えたように小さく身体を震わせる、一匹の生き物だった。その瞳には、知性が戻り、エリアー-ナへの感謝と畏敬の色が浮かんでいる。
エリアーナが、蔦と根に命じて拘束を解かせると、その生き物は深々と頭を下げた。そして、主君に忠誠を誓う騎士のように、彼女の足元に静かにひれ伏した。
その光景は、誰の目にも明らかだった。
エリアーナは、ただ魔獣を倒したのではない。その心を、邪悪な呪縛から解放し、救ってみせたのだ。
「……信じられん」
オルデン平原の戦場で、帝都から立ち上る光の柱を見上げていたジークハルトが、呆然と呟いた。
ヒュドラと対峙していたカインもまた、その光景に目を見張っていた。
あの光は、間違いなくエリアーナのものだ。
彼女が、ついに覚醒したのだ。
(……エリアーナ……!)
カインの胸を、安堵と、そしてそれ以上の誇らしさが満たした。俺の信じた女は、やはりこれほどの存在だったのだ、と。
その一瞬の隙を、黒幕マルバスが見逃すはずはなかった。
「よそ見とは、余裕ですな、公爵殿!」
ヒュドラの九つの頭が、一斉にカインへと襲いかかる。
だが、カインはもう、焦ってはいなかった。
彼の心は、不思議なほどに落ち着いていた。エリアーナが、無事だ。それどころか、自分の力を完全に解放した。
その事実が、カインに絶対的な安心感と、そして新たな力を与えてくれた。
「……消えろ」
カインの呟きと共に、彼の身体から放たれた黒い魔力が、巨大な剣の形となってヒュドラの首を薙ぎ払った。
その一撃は、今までとは比べ物にならないほどに鋭く、そして強力だった。
エリアーナの覚醒が、カインの力さえも、無意識のうちに増幅させていたのだ。
庭園で、全ての魔獣を鎮め、浄化したエリアーナは、空を見上げた。
帝都の南の空が、まだ赤く燃えている。
戦いは、まだ終わっていない。
カインが、まだ戦っている。
行かなければ。
彼の元へ。
エリアーナは、先程自分にひれ伏した、元・魔獣に向き直った。それは、グリフォンの亜種のような姿をしている。
「お願い。私を、彼の元へ連れて行って」
彼女がそう言うと、グリフォンは恭しく頷き、その背を低くして翼を広げた。
エリアーナは、背後でまだ震えている女の子の頭を優しく撫でた。
「もう大丈夫よ。すぐに、お母様のところへ帰りなさい」
女の子は、涙を浮かべながら、何度も何度も頷いた。
エリアーナは、グリフォンの背に軽やかに跨る。
翼が、力強く風を捉えた。
エリアーナを乗せたグリフォンは、夜空へと舞い上がる。
目指すは、南。
愛する人が戦う、炎と絶望の戦場へ。
今や、彼女はもう、守られるだけのか弱い令嬢ではなかった。
彼と肩を並べて戦う、唯一無二のパートナーとして。
そして、この国を、この世界を救う、真の力を持つ者として。
エリアーナ・フォン・リーゼンガングは、その運命の翼を、今、大きく広げた。
その圧倒的な光の前では、魔獣が放つおぞましい瘴気も、戦場を覆う血と鉄の匂いさえも、全てがかき消されていく。
光の中心に立つエリアーナは、静かに目を開けていた。
もう、恐怖はない。迷いもない。
ただ、守りたいという強い意志だけが、彼女の魂を満たしていた。
彼女の背後で、小さな女の子が息を呑む気配がする。エリアーナは振り返らず、ただ目の前の、動きを止めた紫色の魔獣を見据えていた。
魔獣は、困惑していた。
目の前の、か弱いはずの人間の女から放たれる、計り知れないほどのプレッシャー。それは、この世のどんな魔獣よりも、どんな魔王よりも、もっと根源的で、抗うことのできない、絶対的な力の波動だった。
本能が、警鐘を鳴らしている。
逃げろ、と。この存在に逆らってはいけない、と。
だが、黒幕によって脳に刻み込まれた命令が、その本能を無理やり押さえつける。
グルルル……、と魔獣は威嚇の唸り声を上げた。そして、恐怖を振り払うかのように、再びその巨大な鉤爪をエリアーナへと振り下ろした。
だが、その爪がエリアーナに届くことはなかった。
彼女が、ただ一言、静かに告げたからだ。
「風よ」
その声に呼応し、突風が巻き起こった。
それは、ただの風ではない。意思を持った、巨大な力の奔流。風の精霊たちが、彼女の呼びかけに応え、その姿を現したのだ。
風は、見えない刃となって魔獣の爪を弾き飛ばし、その巨体をいとも簡単に後方へと吹き飛ばした。
ズシン、という重い音を立てて、魔獣が地面に叩きつけられる。
だが、エリアーナの奇跡は、それだけでは終わらなかった。
「大地よ」
今度は、地面が鳴動した。
エリアーナが立っている足元から、無数の蔦や木の根が、まるで生きている蛇のように、物凄い速さで伸びていく。それらは、地面に倒れた魔獣の身体に瞬く間に絡みつき、その動きを完全に封じ込めてしまった。
大地の精霊たちが、彼女の願いを叶えるために、その力を貸したのだ。
身動き一つできなくなった魔獣は、混乱と恐怖に鳴き声を上げる。
「すごい……」
エリアーナの背後で、女の子が小さな声で呟いた。邸の窓から見ていた使用人たちも、目の前で起きている神の如き御業に、ただただ圧倒されていた。
エリアーナ自身も、驚いていた。
自分の内に、これほどの力が眠っていたとは。
風や大地と、こんなにも簡単に対話ができるとは。
だが、今は感傷に浸っている場合ではなかった。庭にはまだ、他の魔獣が残っている。そして、帝都の各地で、今も人々が苦しんでいるはずだ。
エリアーナは、捕らえた魔獣へと歩み寄った。
その赤い目には、もはや敵意はなく、ただ純粋な恐怖だけが浮かんでいる。
エリアーナは、その魔獣の額に、そっと手を触れた。
そして、三度、願った。
「清めなさい」
彼女の手のひらから、再び金色の光が放たれた。
今度の光は、先程までの力の奔流とは違う。温かく、優しく、全てを包み込むような、慈愛に満ちた光だった。
光は、魔獣の身体を覆っていた、黒い瘴気をゆっくりと浄化していく。まるで、汚れた水を濾過するように。
魔獣の身体から、黒い靄が霧散していく。赤い光を放っていた瞳は、次第に元の穏やかな色を取り戻していった。
やがて、光が消えた時。
そこにいたのは、もう凶暴な魔獣ではなかった。
ただ、怯えたように小さく身体を震わせる、一匹の生き物だった。その瞳には、知性が戻り、エリアー-ナへの感謝と畏敬の色が浮かんでいる。
エリアーナが、蔦と根に命じて拘束を解かせると、その生き物は深々と頭を下げた。そして、主君に忠誠を誓う騎士のように、彼女の足元に静かにひれ伏した。
その光景は、誰の目にも明らかだった。
エリアーナは、ただ魔獣を倒したのではない。その心を、邪悪な呪縛から解放し、救ってみせたのだ。
「……信じられん」
オルデン平原の戦場で、帝都から立ち上る光の柱を見上げていたジークハルトが、呆然と呟いた。
ヒュドラと対峙していたカインもまた、その光景に目を見張っていた。
あの光は、間違いなくエリアーナのものだ。
彼女が、ついに覚醒したのだ。
(……エリアーナ……!)
カインの胸を、安堵と、そしてそれ以上の誇らしさが満たした。俺の信じた女は、やはりこれほどの存在だったのだ、と。
その一瞬の隙を、黒幕マルバスが見逃すはずはなかった。
「よそ見とは、余裕ですな、公爵殿!」
ヒュドラの九つの頭が、一斉にカインへと襲いかかる。
だが、カインはもう、焦ってはいなかった。
彼の心は、不思議なほどに落ち着いていた。エリアーナが、無事だ。それどころか、自分の力を完全に解放した。
その事実が、カインに絶対的な安心感と、そして新たな力を与えてくれた。
「……消えろ」
カインの呟きと共に、彼の身体から放たれた黒い魔力が、巨大な剣の形となってヒュドラの首を薙ぎ払った。
その一撃は、今までとは比べ物にならないほどに鋭く、そして強力だった。
エリアーナの覚醒が、カインの力さえも、無意識のうちに増幅させていたのだ。
庭園で、全ての魔獣を鎮め、浄化したエリアーナは、空を見上げた。
帝都の南の空が、まだ赤く燃えている。
戦いは、まだ終わっていない。
カインが、まだ戦っている。
行かなければ。
彼の元へ。
エリアーナは、先程自分にひれ伏した、元・魔獣に向き直った。それは、グリフォンの亜種のような姿をしている。
「お願い。私を、彼の元へ連れて行って」
彼女がそう言うと、グリフォンは恭しく頷き、その背を低くして翼を広げた。
エリアーナは、背後でまだ震えている女の子の頭を優しく撫でた。
「もう大丈夫よ。すぐに、お母様のところへ帰りなさい」
女の子は、涙を浮かべながら、何度も何度も頷いた。
エリアーナは、グリフォンの背に軽やかに跨る。
翼が、力強く風を捉えた。
エリアーナを乗せたグリフォンは、夜空へと舞い上がる。
目指すは、南。
愛する人が戦う、炎と絶望の戦場へ。
今や、彼女はもう、守られるだけのか弱い令嬢ではなかった。
彼と肩を並べて戦う、唯一無二のパートナーとして。
そして、この国を、この世界を救う、真の力を持つ者として。
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