83 / 100
第八十四話 絶句
バーンズ子爵は、震える唇を、必死で動かそうとした。
だが、言葉が出てこない。
目の前に座る、カインとエリアーナ。
その、神々しいまでの一対から放たれる、圧倒的なプレッシャー。それは、ただの威圧感ではない。生命としての、格の違いとでも言うべき、抗いがたい力の差だった。
まるで、矮小な人間が、天上の神々を前にしているかのようだ。
(……何を、言えばいいのだ)
王太子アルフォンスから託された、傲慢な要求。
『聖女エリアーナを、即刻、返還せよ』
そんな言葉を、この二人を前にして、口にすることなど、できるはずもなかった。
それは、あまりにも滑稽で、あまりにも無謀。自殺行為に等しい。
バーンズ子爵だけでなく、彼と共に来た使節団の者たちも、皆、同じ思いだった。
彼らは、床にひれ伏したまま、顔を上げることさえできない。ただ、冷や汗を流し、小刻みに震えているだけだった。
謁見の間は、水を打ったように静まり返っている。
その、異様な沈黙を、楽しむかのように、カインは、玉座に深く腰掛けたまま、冷ややかに彼らを見下ろしていた。
彼は、何も言わない。
ただ、エルミールの者たちが、自らの口で、その愚かな要求を述べ、自滅していくのを、待っているのだ。
その、冷徹な沈黙が、バーンズ子爵の心を、さらに追い詰めていく。
(言わなければ……。言わなければ、国に帰った後、殿下に何をされるか……!)
恐怖が、羞恥を上回った。
バーンズ子爵は、最後の力を振り絞り、かろうじて、声を絞り出した。
「……こ、公爵閣下……並びに、エリアーナ、様……」
その声は、情けないほどに、かすれていた。
エリアーナは、そんな彼の哀れな姿を、静かな、そしてどこか憐れむような目で見つめていた。
彼女は、カインの隣で、一言も発しない。
だが、その存在そのものが、何よりも雄弁な、拒絶の意志を放っていた。
彼女が纏う、深い紫色のドレス。
胸元に輝く、月光石のネックレス。
そして、左手の薬指で、確かな光を放つ、虹彩石の婚約指輪。
その全てが、彼女がもはや、エルミールの者ではないこと。
ヴァルハイト公爵カインが、生涯をかけて愛し、そして護り抜くと誓った、唯一無二の存在であることを、示していた。
バーンズ子爵は、その輝きを、直視することができなかった。
あまりにも、眩しすぎたからだ。
自分たちが、泥の中に打ち捨てた石ころが、今、自分たちの手の届かない、天空の星となって、輝いている。
その、残酷なまでの現実が、彼の心を、完全にへし折った。
「……あ……う……」
言葉が、続かない。
彼は、ただ、絶句するしかなかった。
自分たちが、どれほど途方もない過ちを犯したのか。
どれほど、かけがえのない宝を、自らの手で失ってしまったのか。
その、取り返しのつかない事実を、今、この場所で、骨の髄まで、思い知らされていたのだ。
使節団の者たちも、皆、同じだった。
彼らは、エリアーナの、あまりの変貌ぶりと、その神々しいまでの姿に、完全に言葉を失い、ただひれ伏しているだけ。
謁見は、まだ始まってさえいない。
だが、その勝敗は、エリアーナがこの場に姿を現した、その瞬間に、既に決していたのだ。
カインは、その光景を、満足げに眺めていた。
彼は、エリアーナの手を、そっと握る。
そして、彼女にだけ聞こえるように、優しく囁いた。
「……見ろ、エリアーナ。あれが、お前を捨てた者たちの、成れの果てだ」
その声には、冷たい悦びが滲んでいた。
エリアーナは、何も答えなかった。
ただ、カインの手を、そっと握り返す。
彼女の心にあったのは、勝利の喜びではない。
ただ、深い、深い哀れみと、そして、過去の自分への、静かな訣別の想いだけだった。
運命の謁見は、エルミール王国の使節団の、完全な沈黙と、絶句によって、その幕を開けたのだった。
だが、言葉が出てこない。
目の前に座る、カインとエリアーナ。
その、神々しいまでの一対から放たれる、圧倒的なプレッシャー。それは、ただの威圧感ではない。生命としての、格の違いとでも言うべき、抗いがたい力の差だった。
まるで、矮小な人間が、天上の神々を前にしているかのようだ。
(……何を、言えばいいのだ)
王太子アルフォンスから託された、傲慢な要求。
『聖女エリアーナを、即刻、返還せよ』
そんな言葉を、この二人を前にして、口にすることなど、できるはずもなかった。
それは、あまりにも滑稽で、あまりにも無謀。自殺行為に等しい。
バーンズ子爵だけでなく、彼と共に来た使節団の者たちも、皆、同じ思いだった。
彼らは、床にひれ伏したまま、顔を上げることさえできない。ただ、冷や汗を流し、小刻みに震えているだけだった。
謁見の間は、水を打ったように静まり返っている。
その、異様な沈黙を、楽しむかのように、カインは、玉座に深く腰掛けたまま、冷ややかに彼らを見下ろしていた。
彼は、何も言わない。
ただ、エルミールの者たちが、自らの口で、その愚かな要求を述べ、自滅していくのを、待っているのだ。
その、冷徹な沈黙が、バーンズ子爵の心を、さらに追い詰めていく。
(言わなければ……。言わなければ、国に帰った後、殿下に何をされるか……!)
恐怖が、羞恥を上回った。
バーンズ子爵は、最後の力を振り絞り、かろうじて、声を絞り出した。
「……こ、公爵閣下……並びに、エリアーナ、様……」
その声は、情けないほどに、かすれていた。
エリアーナは、そんな彼の哀れな姿を、静かな、そしてどこか憐れむような目で見つめていた。
彼女は、カインの隣で、一言も発しない。
だが、その存在そのものが、何よりも雄弁な、拒絶の意志を放っていた。
彼女が纏う、深い紫色のドレス。
胸元に輝く、月光石のネックレス。
そして、左手の薬指で、確かな光を放つ、虹彩石の婚約指輪。
その全てが、彼女がもはや、エルミールの者ではないこと。
ヴァルハイト公爵カインが、生涯をかけて愛し、そして護り抜くと誓った、唯一無二の存在であることを、示していた。
バーンズ子爵は、その輝きを、直視することができなかった。
あまりにも、眩しすぎたからだ。
自分たちが、泥の中に打ち捨てた石ころが、今、自分たちの手の届かない、天空の星となって、輝いている。
その、残酷なまでの現実が、彼の心を、完全にへし折った。
「……あ……う……」
言葉が、続かない。
彼は、ただ、絶句するしかなかった。
自分たちが、どれほど途方もない過ちを犯したのか。
どれほど、かけがえのない宝を、自らの手で失ってしまったのか。
その、取り返しのつかない事実を、今、この場所で、骨の髄まで、思い知らされていたのだ。
使節団の者たちも、皆、同じだった。
彼らは、エリアーナの、あまりの変貌ぶりと、その神々しいまでの姿に、完全に言葉を失い、ただひれ伏しているだけ。
謁見は、まだ始まってさえいない。
だが、その勝敗は、エリアーナがこの場に姿を現した、その瞬間に、既に決していたのだ。
カインは、その光景を、満足げに眺めていた。
彼は、エリアーナの手を、そっと握る。
そして、彼女にだけ聞こえるように、優しく囁いた。
「……見ろ、エリアーナ。あれが、お前を捨てた者たちの、成れの果てだ」
その声には、冷たい悦びが滲んでいた。
エリアーナは、何も答えなかった。
ただ、カインの手を、そっと握り返す。
彼女の心にあったのは、勝利の喜びではない。
ただ、深い、深い哀れみと、そして、過去の自分への、静かな訣別の想いだけだった。
運命の謁見は、エルミール王国の使節団の、完全な沈黙と、絶句によって、その幕を開けたのだった。
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
【完結】義姉上が悪役令嬢だと!?ふざけるな!姉を貶めたお前達を絶対に許さない!!
つくも茄子
ファンタジー
義姉は王家とこの国に殺された。
冤罪に末に毒杯だ。公爵令嬢である義姉上に対してこの仕打ち。笑顔の王太子夫妻が憎い。嘘の供述をした連中を許さない。我が子可愛さに隠蔽した国王。実の娘を信じなかった義父。
全ての復讐を終えたミゲルは義姉の墓前で報告をした直後に世界が歪む。目を覚ますとそこには亡くなった義姉の姿があった。過去に巻き戻った事を知ったミゲルは今度こそ義姉を守るために行動する。
巻き戻った世界は同じようで違う。その違いは吉とでるか凶とでるか……。
聖女は記憶と共に姿を消した~婚約破棄を告げられた時、王国の運命が決まった~
キョウキョウ
恋愛
ある日、婚約相手のエリック王子から呼び出された聖女ノエラ。
パーティーが行われている会場の中央、貴族たちが注目する場所に立たされたノエラは、エリック王子から突然、婚約を破棄されてしまう。
最近、冷たい態度が続いていたとはいえ、公の場での宣言にノエラは言葉を失った。
さらにエリック王子は、ノエラが聖女には相応しくないと告げた後、一緒に居た美しい女神官エリーゼを真の聖女にすると宣言してしまう。彼女こそが本当の聖女であると言って、ノエラのことを偽物扱いする。
その瞬間、ノエラの心に浮かんだのは、万が一の時のために準備していた計画だった。
王国から、聖女ノエラに関する記憶を全て消し去るという計画を、今こそ実行に移す時だと決意した。
こうして聖女ノエラは人々の記憶から消え去り、ただのノエラとして新たな一歩を踏み出すのだった。
※過去に使用した設定や展開などを再利用しています。
※カクヨムにも掲載中です。
「犯人は追放!」無実の彼女は国に絶対に必要な能力者で“価値の高い女性”だった
佐藤 美奈
恋愛
セリーヌ・エレガント公爵令嬢とフレッド・ユーステルム王太子殿下は婚約成立を祝した。
その数週間後、ヴァレンティノ王立学園50周年の創立記念パーティー会場で、信じられない事態が起こった。
フレッド殿下がセリーヌ令嬢に婚約破棄を宣言した。様々な分野で活躍する著名な招待客たちは、激しい動揺と衝撃を受けてざわつき始めて、人々の目が一斉に注がれる。
フレッドの横にはステファニー男爵令嬢がいた。二人は恋人のような雰囲気を醸し出す。ステファニーは少し前に正式に聖女に選ばれた女性であった。
ステファニーの策略でセリーヌは罪を被せられてしまう。信じていた幼馴染のアランからも冷たい視線を向けられる。
セリーヌはいわれのない無実の罪で国を追放された。悔しくてたまりませんでした。だが彼女には秘められた能力があって、それは聖女の力をはるかに上回るものであった。
彼女はヴァレンティノ王国にとって絶対的に必要で貴重な女性でした。セリーヌがいなくなるとステファニーは聖女の力を失って、国は急速に衰退へと向かう事となる……。
「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして
東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。
破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。
堅実に働いてきた私を無能と切り捨てたのはあなた達ではありませんか。
木山楽斗
恋愛
聖女であるクレメリアは、謙虚な性格をしていた。
彼女は、自らの成果を誇示することもなく、淡々と仕事をこなしていたのだ。
そんな彼女を新たに国王となったアズガルトは軽んじていた。
彼女の能力は大したことはなく、何も成し遂げられない。そう判断して、彼はクレメリアをクビにした。
しかし、彼はすぐに実感することになる。クレメリアがどれ程重要だったのかを。彼女がいたからこそ、王国は成り立っていたのだ。
だが、気付いた時には既に遅かった。クレメリアは既に隣国に移っており、アズガルトからの要請など届かなかったのだ。
「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった
歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。
だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」
追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。
一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。
誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。
「その言葉は、もう翻訳できません」
『魔力ゼロの欠陥品』と蔑まれた伯爵令嬢、卒業パーティーで婚約破棄された瞬間に古代魔法が覚醒する ~虐げられ続けた三年間、倍返しでは足りない~
スカッと文庫
恋愛
「貴様のような無能、我が国の王妃には相応しくない。婚約を破棄し、学園から追放する!」
王立魔道学園の卒業パーティー。きらびやかなシャンデリアの下、王太子エドワードの声が冷酷に響いた。彼の隣には、愛くるしい表情で私を嵌めた男爵令嬢、ミナが勝ち誇ったように寄り添っている。
伯爵令嬢のリリアーヌは、入学以来三年間、「魔力ゼロの欠陥品」として学園中の嘲笑を浴び続けてきた。
婚約者であるエドワードからは一度も顧みられず、同級生からはゴミのように扱われ、ミナの自作自演による「いじめ」の濡れ衣まで着せられ……。
それでも、父との「力を隠せ」という約束を守るため、泥を啜るような屈辱に耐え抜いてきた。
――だが、国からも学園からも捨てられた今、もうその約束を守る必要はない。
「さようなら、皆様。……私が消えた後、この国がどうなろうと知ったことではありませんわ」
リリアーヌが身につけていた「魔力封印の首飾り」を自ら引き千切った瞬間、会場は漆黒の魔力に包まれた。
彼女は無能などではない。失われた「古代魔法」をその身に宿す、真の魔道の主だったのだ。
絶望する王太子たちを余目に、隣国の伝説の魔術師アルベルトに拾われたリリアーヌ。
彼女の、残酷で、甘美な復讐劇が今、幕を開ける――。