この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~

夏見ナイ

文字の大きさ
45 / 99

第45話 泥水の交渉術

しおりを挟む
床に転がったまま呆然とするマルクスに、俺は優雅に手を差し伸べた。彼は、まだ何が起きたのか理解できていない様子で、俺の手を恐る恐る掴む。俺は、彼の巨体を軽々と引き起こしてやった。創生水の効果で、彼の体は一時的に全盛期の活力を取り戻しているはずだ。

「さあ、支部長様。席にお戻りください。話の続きをしましょう」

俺がにこやかに促すと、マルクスはまるで操り人形のように、ふらふらと椅子に戻った。その顔には、先ほどの尊大な態度は微塵もなく、ただただ困惑と、俺に対する畏怖の色が浮かんでいる。

護衛の傭兵たちも、ギルドの役人たちも、静まり返っている。彼らは、目の前で起きた超常現象と、自分たちの上司の無様な姿を前にして、どう動くべきか判断できずにいた。

俺は、そんな彼らには目もくれず、マルクスの正面に座った。

「さて、査察の件でしたな」

俺がそう切り出すと、マルクスの肩がびくりと震えた。

「我々ミストラル村は、商業ギルドの皆様とは、今後も良好な関係を築いていきたいと、心から願っております。我々の特産品が、ギルドを通じて多くの人々に届くことは、我々にとっても喜ばしいことです」

俺は、穏やかな口調で語りかけた。だが、その言葉には、決して譲れない一線を引く、鋼のような響きを込めた。

「しかし、我々の生産活動を、一方的に『管理』されるというのは、少々承服しかねます。我々は、我々のやり方で、この村を発展させてきました。その自主性を、奪われるわけにはいきません」

マルクスは、何か反論しようと口を開きかけた。だが、先ほどの地獄のような味が蘇ったのか、ひゅっと息を呑み、口を閉ざしてしまう。

俺は、そんな彼に、たたみかけるように提案を持ちかけた。

「そこで、ご提案です。我々ミストラル村を、商業ギルドの『特別交易パートナー』として、認めてはいただけないでしょうか」
「……特別、交易パートナー?」
「ええ。我々は、ギルドの規定に従い、交易にかかる税はきちんと納めます。その代わり、我々の村の運営に関しては、一切の干渉をしない。生産計画も、販売価格も、我々自身で決定する。ギルドには、我々の生産物を、優先的に、そして『公正な価格』で買い取っていただく権利を差し上げる。いわば、対等なビジネスパートナーです。いかがですかな?」

俺の提案は、ギルド側にとっても決して悪い話ではなかった。ミストラルの特産品という金のなる木を、独占的に扱えるのだ。強引に村を支配しようとして反発を招くよりも、よほど賢明な選択のはずだ。

マルクスは、額の汗を拭いながら、必死に頭を働かせていた。商人の本能が、この提案の利益とリスクを天秤にかけている。

俺は、そんな彼に、最後の一押しを加えることにした。

「もちろん、このパートナーシップを結んでいただけた暁には……」

俺は、カウンターの奥から、小さな樽を取り出した。それは、俺が特別に作った、高濃度の創生水を熟成させたものだった。

「この『奇跡の水』を、ギルドを通じて、特別価格で卸しましょう。一口飲めば、十年は若返ると、もっぱらの評判でしてな」

その言葉に、マルクスの目が、カッと見開かれた。彼の脳裏には、先ほど体験した、驚異的な若返りの感覚が鮮明に蘇っていた。貴族や富豪たちが、このポーションのためにどれほどの金を積むか。その計算が、瞬時に彼の頭の中で完了したのだろう。その価値は、村を支配する利益など、霞んでしまうほど莫大だ。

味は、最悪。だが、それを上回るほどの、抗いがたい魅力が、この泥水にはあった。

「……ぐ、ぐ……」

マルクスは、喉を鳴らした。欲望と、あの味への恐怖が、彼の心の中で激しくせめぎ合っている。

俺は、そんな彼に、悪魔の囁きのように、言葉を続けた。

「もちろん、この話がご不満であるならば、仕方ありません。我々は、他の販路を探すまでです。幸いなことに、我々の品を欲しがっている商会は、他にもいくつかありましてな」

それは、全くのでたらめだった。だが、マルクスには、それが真実か嘘かを見抜く余裕は、もはや残されていなかった。

「……わ、分かった!」

ついに、彼が折れた。

「分かりました、ルーク殿!あなたの提案を、飲もう!いや、ぜひ、飲ませていただきたい!」

彼は、椅子から立ち上がると、俺に向かって深々と頭を下げた。その態度は、村に来た時とは、まるで別人だった。

「ミストラル村を、ギルドの最重要パートナーとして、正式に認定いたします!今後、あなた方の活動に、我々が不当に干渉することは、決してないと、このマルクスが保証いたします!」

その言葉を聞いて、店内にいた村人たちから、抑えきれない歓声が上がった。リゼットとノエルが、俺に向かって小さく頷き、その交渉術を称えている。

こうして、ミストラル村と商業ギルドの間に、新たな協定が結ばれた。それは、力ずくで奪おうとした相手に、逆に手玉に取り、対等以上の関係を築き上げた、前代未聞の交渉だった。

その日の夕方。マルクス率いる査察団は、そそくさと村を後にしていった。その荷馬車には、彼らが持ち込んだ威圧的な雰囲気の代わりに、お土産として持たせた「太陽の実」と、そしてマルクスが震える手で受け取った、あの小さな創生水の樽が積まれていた。

去り際、マルクスは俺にだけ聞こえるように、小さな声で尋ねた。

「……ルーク殿。一つだけ、教えてくださらんか。あのポーションの味を、どうにかして、もう少しマシにすることは……」

俺は、ただ静かに首を振った。

「そればかりは、女神様にも分かりませんな」

俺の答えに、彼は絶望したような、しかしどこか諦めたような顔で、馬車に乗り込んでいった。

『奇跡の泥水亭』の主人は、ただ優しいだけの聖者ではない。時には、悪魔すら手玉に取る、したたかな交渉人でもある。

その噂は、マルクスが流したのか、あるいは別の誰かが広めたのか。商業ギルドの上層部や、王都の貴族たちの間で、静かに、しかし確実に、囁かれ始めることになった。

俺は、店の前で去っていく馬車を見送りながら、静かに息を吐いた。

「さて、と。これでまた、しばらくは平和かな」

俺は、店のカウンターに積まれた、村人たちが感謝の印に置いていってくれた焼きたてのパンを手に取った。

泥水の味のする交渉は終わった。これからは、パンの味がする、穏やかな日常が戻ってくる。俺は、そのことに、心からの安堵を感じていた。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

「男のくせに料理なんて」と笑われたけど、今やギルドの胃袋を支えてます。

ファンタジー
「顔も頭も平凡で何の役にも立たない」とグリュメ家を追放されたボルダン。 辿り着いたのはギルド食堂。そこで今まで培った料理の腕を発揮し……。 ※複数のサイトに投稿しています。

兄がやらかしてくれました 何をやってくれてんの!?

志位斗 茂家波
ファンタジー
モッチ王国の第2王子であった僕は、将来の国王は兄になると思って、王弟となるための勉学に励んでいた。 そんなある日、兄の卒業式があり、祝うために家族の枠で出席したのだが‥‥‥婚約破棄? え、なにをやってんの兄よ!? …‥‥月に1度ぐらいでやりたくなる婚約破棄物。 今回は悪役令嬢でも、ヒロインでもない視点です。 ※ご指摘により、少々追加ですが、名前の呼び方などの決まりはゆるめです。そのあたりは稚拙な部分もあるので、どうかご理解いただけるようにお願いしマス。

無能扱いされた実は万能な武器職人、Sランクパーティーに招かれる~理不尽な理由でパーティーから追い出されましたが、恵まれた新天地で頑張ります~

詩葉 豊庸(旧名:堅茹でパスタ)
ファンタジー
鍛冶職人が武器を作り、提供する……なんてことはもう古い時代。 現代のパーティーには武具生成を役目とするクリエイターという存在があった。 アレンはそんなクリエイターの一人であり、彼もまたとある零細パーティーに属していた。 しかしアレンはパーティーリーダーのテリーに理不尽なまでの要望を突きつけられる日常を送っていた。 本当は彼の適性に合った武器を提供していたというのに…… そんな中、アレンの元に二人の少女が歩み寄ってくる。アレンは少女たちにパーティーへのスカウトを受けることになるが、後にその二人がとんでもない存在だったということを知る。 後日、アレンはテリーの裁量でパーティーから追い出されてしまう。 だが彼はクビを宣告されても何とも思わなかった。 むしろ、彼にとってはこの上なく嬉しいことだった。 これは万能クリエイター(本人は自覚無し)が最高の仲間たちと紡ぐ冒険の物語である。

「お前は無能だ」と追放した勇者パーティ、俺が抜けた3秒後に全滅したらしい

夏見ナイ
ファンタジー
【荷物持ち】のアッシュは、勇者パーティで「無能」と罵られ、ダンジョン攻略の直前に追放されてしまう。だが彼がいなくなった3秒後、勇者パーティは罠と奇襲で一瞬にして全滅した。 彼らは知らなかったのだ。アッシュのスキル【運命肩代わり】が、パーティに降りかかる全ての不運や即死攻撃を、彼の些細なドジに変換して無効化していたことを。 そんなこととは露知らず、念願の自由を手にしたアッシュは辺境の村で穏やかなスローライフを開始。心優しいエルフやドワーフの仲間にも恵まれ、幸せな日々を送る。 しかし、勇者を失った王国に魔族と内通する宰相の陰謀が迫る。大切な居場所を守るため、無能と蔑まれた男は、その規格外の“幸運”で理不尽な運命に立ち向かう!

お荷物認定を受けてSSS級PTを追放されました。でも実は俺がいたからSSS級になれていたようです。

幌須 慶治
ファンタジー
S級冒険者PT『疾風の英雄』 電光石火の攻撃で凶悪なモンスターを次々討伐して瞬く間に最上級ランクまで上がった冒険者の夢を体現するPTである。 龍狩りの一閃ゲラートを筆頭に極炎のバーバラ、岩盤砕きガイル、地竜射抜くローラの4人の圧倒的な火力を以って凶悪モンスターを次々と打ち倒していく姿は冒険者どころか庶民の憧れを一身に集めていた。 そんな中で俺、ロイドはただの盾持ち兼荷物運びとして見られている。 盾持ちなのだからと他の4人が動く前に現地で相手の注意を引き、模擬戦の時は2対1での攻撃を受ける。 当然地味な役割なのだから居ても居なくても気にも留められずに居ないものとして扱われる。 今日もそうして地竜を討伐して、俺は1人後処理をしてからギルドに戻る。 ようやく帰り着いた頃には日も沈み酒場で祝杯を挙げる仲間たちに報酬を私に近づいた時にそれは起こる。 ニヤついた目をしたゲラートが言い放つ 「ロイド、お前役にたたなすぎるからクビな!」 全員の目と口が弧を描いたのが見えた。 一応毎日更新目指して、15話位で終わる予定です。 作品紹介に出てる人物、主人公以外重要じゃないのはご愛嬌() 15話で終わる気がしないので終わるまで延長します、脱線多くてごめんなさい 2020/7/26

婚約破棄されましたが、お兄様がいるので大丈夫です

榎夜
恋愛
「お前との婚約を破棄する!」 あらまぁ...別に良いんですよ だって、貴方と婚約なんてしたくなかったですし。

【状態異常無効】の俺、呪われた秘境に捨てられたけど、毒沼はただの温泉だし、呪いの果実は極上の美味でした

夏見ナイ
ファンタジー
支援術師ルインは【状態異常無効】という地味なスキルしか持たないことから、パーティを追放され、生きては帰れない『魔瘴の森』に捨てられてしまう。 しかし、彼にとってそこは楽園だった!致死性の毒沼は極上の温泉に、呪いの果実は栄養満点の美味に。唯一無二のスキルで死の土地を快適な拠点に変え、自由気ままなスローライフを満喫する。 やがて呪いで石化したエルフの少女を救い、もふもふの神獣を仲間に加え、彼の楽園はさらに賑やかになっていく。 一方、ルインを捨てた元パーティは崩壊寸前で……。 これは、追放された青年が、意図せず世界を救う拠点を作り上げてしまう、勘違い無自覚スローライフ・ファンタジー!

勇者パーティーを追い出された大魔法導士、辺境の地でスローライフを満喫します ~特Aランクの最強魔法使い~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
クロード・ディスタンスは最強の魔法使い。しかしある日勇者パーティーを追放されてしまう。 勇者パーティーの一員として魔王退治をしてくると大口叩いて故郷を出てきた手前帰ることも出来ない俺は自分のことを誰も知らない辺境の地でひっそりと生きていくことを決めたのだった。

処理中です...