この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~

夏見ナイ

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第74話 治療の準備

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国王からの勅命。それは俺たちに絶大な権限を与えると同時に、失敗の許されない、あまりにも重い責任を負わせるものだった。

謁見の間を辞した俺たちは休む間もなく、最後の儀式に向けた準備に本格的に取り掛かった。時間は限られている。聖女セシリアの魂は、俺の創生水でかろうじて繋ぎ止められているに過ぎない。いつ呪いの力が再び活性化しても、おかしくはないのだ。

俺たちの司令塔は、引き続き大神殿の俺に与えられた一室に置かれた。そこは今や王都で最も重要な場所となり、ひっきりなしに人々が出入りする作戦司令室と化していた。

「ノエル、禁書庫の調査状況は?」

テーブルに広げられた古文書の山を前に、リゼットが尋ねる。

「うん、だいぶ絞れてきたよ」

ノエルは目の下にうっすらと隈を作りながらも、その瞳は研究者の興奮に輝いていた。

「この文献によれば、『魂へのダイブ』を安全に行うには、術者の魂を安定させるための強力な魔力触媒が必要らしい。いくつか候補はあるけど、最も効果が高いのは……『竜の涙』と呼ばれる伝説の宝石だね」
「竜の涙だと!?」

その名を聞いた神官長が驚愕の声を上げた。

「そ、それは我が国の建国の祖が古竜から授かったとされる、王家に伝わる秘宝中の秘宝……! 陛下の許可なく持ち出すことなど……」
「その許可は、既にもらっています」

俺は静かに言った。国王は、「国庫の鍵すら預ける」と言ってくれた。その言葉に偽りはなかった。

「すぐに王城へ使いを。陛下に事情を話し、『竜の涙』をお借りしてきてください」

俺の指示に、神官長はまだ信じられないといった顔をしながらも、慌てて部屋を飛び出していった。

「次に、魔法陣だ」

ノエルは羊皮紙の上に、複雑怪奇な幾何学模様を描き始めた。

「魂を同調させるための古代エルフの魔法陣だよ。これを描くには普通のインクじゃダメ。魔力を帯びた特殊な素材が必要になる。……一番いいのは、『光を喰らう蟲』の体液とミスリルの粉末を混ぜたものかな」
「光を喰らう蟲……そんなもの、どこに」
「王宮魔術師団の珍奇生物飼育室になら、いるかもしれない。これも陛下にお願いしてみよう」

次々と挙げられる伝説級のアイテムや希少な素材。普通なら、その一つを手に入れるだけでも一生を棒に振るほどの困難が伴うだろう。だが、今の俺たちには国王の勅命という最強の切り札があった。

王宮魔術師団長、王国騎士団長、商業ギルドの支部長まで。王都のありとあらゆる組織のトップたちが俺たちの部屋に呼びつけられ、俺たちの要求に二つ返事で応じていく。彼らは俺たち――特に、その中心にいる俺――を、畏怖と好奇心が入り混じった目で見つめていた。

「リゼット。大神殿の封鎖と防衛体制の準備は?」

俺が尋ねると、リゼットは壁に貼られた大神殿の見取り図を指さした。そこには赤いインクで無数の書き込みがされている。

「今日の正午をもって大神殿は完全に封鎖した。出入りは正面の正門一箇所に限定し、通行証を持つ者以外はアリ一匹通さん。警備は私の指揮下に置かれた神殿騎士団と、王国騎士団からの応援部隊が合同で行う」

彼女は見取り図のいくつかのポイントを指さした。

「敵が侵入するとすれば、可能性が高いのは三箇所。以前見つけた地下水路への隠し通路。警備が手薄になりがちな屋根裏の資材搬入口。そして、正面から何か別のものに成りすまして侵入してくる可能性だ」

彼女の分析は冷静で的確だった。

「それぞれの場所に最も腕利きの騎士たちを配置した。そして、ノエルが作った魔力感知式の警報装置も設置済みだ。敵が侵入すれば、即座に俺の元へ報せが届く」

完璧な布陣だった。だが、リゼットの表情はまだ硬い。

「問題は、やはり内部の協力者だ。そいつが我々の知らない第四のルートを知っている可能性も捨てきれない」

その言葉に、部屋の空気が再び重くなる。

準備は着々と進んでいた。

王城から『竜の涙』が厳重な警備のもと運び込まれた。それは赤子の拳ほどの大きさの、透き通った青い宝石で、内側から淡い光を放っているようだった。

王宮魔術師団からは『光を喰らう蟲』の体液をはじめ、ノエルが必要とするあらゆる希少な素材が惜しげもなく提供された。

ギムリの指示を受けた王都のドワーフ鍛冶師たちが、最高純度のミスリルの粉末を作り上げてくれた。

聖女の私室の床にはノエルの指揮のもと、巨大で精密な魔法陣がミスリルの輝きを放つ特殊なインクで少しずつ描かれていった。

俺はそれらの準備の指揮を執る傍ら、来るべき魂の戦いに備え自らの精神を研ぎ澄ませていた。儀式が始まれば俺は肉体を離れ、精神だけの存在となる。そこは物理的な力は一切通用しない、純粋な意志と魂の力の強さだけが勝敗を決する世界。

俺はミストラル村での日々を思い返していた。仲間たちとの出会い。村人たちの笑顔。エリアナの無邪気な笑い声。

守るべきものがある。帰るべき場所がある。

その思いこそが、魂の世界で戦う俺の最大の力になるはずだ。

準備開始から二日が過ぎた。儀式に必要なものは全て揃った。魔法陣も今夜には完成する。

決戦は、明日。

俺は窓の外に広がる、夕日に染まる王都の街並みを見下ろしていた。街は大神殿が封鎖され物々しい雰囲気に包まれているが、その中にも人々の営みは続いている。

この光景を、守りたい。

その時、部屋の扉が控えめにノックされた。入ってきたのはリゼットだった。

「ルーク。少し、いいか」
「はい。どうしました?」

彼女の顔はいつになく真剣だった。

「内部協力者の件で……少し、進展があった」

彼女は声を潜めて、俺に一枚の羊皮紙を手渡した。それは大神殿に仕える全ての神官と職員の名簿だった。

その中の一人の名前に、赤い丸がつけられていた。

その名前を見て、俺は息を呑んだ。

そこに書かれていたのは、俺が予想だにしなかった、あまりにも意外な人物の名だったからだ。
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