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第59話:電磁誘導の発見
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鉄道の開通によってアシュフォード領を中心とする物流網は劇的に改善された。だが、それに伴い新たな問題が浮き彫りになってきた。
情報の伝達速度が、物の移動速度に全く追いついていないのだ。
鉱山でトラブルが発生しても、その報せが領都に届くのは早馬を使っても半日後。市場の価格が変動しても、その情報が前線で取引している商人に伝わる頃にはすでに手遅れになっている。
そして何より、俺の心を占めていたのはガルニア帝国という見えざる脅威だった。
もし、帝国の軍勢が国境に現れたとしても、その情報が王都に届くまでに何日もかかってしまうだろう。それでは、いかに優れた鉄道網があっても兵力を迅速に展開させることはできない。
「情報の速さは、生命線だ」
俺は王都の屋敷の開発室で、一人呟いていた。
必要なのは馬の速さではない。音の速さ、いや、光の速さで情報を伝える革命的な通信手段。
俺の脳裏には、前世の知識が明確なビジョンを結んでいた。
電気。
そして、その電気を利用した電信。
だが、この世界にはまだ電気という概念そのものが存在しない。シルフィのマナが電気と似た性質を持つことは分かっている。しかし、マナは属人的な力であり、誰もが安定して使えるエネルギー源ではない。
自然界に存在する純粋な「電気」を発見し、それを制御する技術をゼロから生み出さなければならない。
それは蒸気機関の開発とは、比較にならないほどの困難な挑戦だった。
俺の研究は、まず、この世界で「電気」に最も近いとされている現象の観察から始まった。
静電気だ。
琥珀を布でこすると小さな羽毛や紙片を引き寄せる。その現象自体は、この世界の錬金術師たちも古くから知っていた。だが、彼らはそれを「琥珀が持つ不思議な魂」と解釈し、科学的な探求の対象とはしていなかった。
俺はアカデミーの若い学者たちの協力を得て、様々な物質で静電気を発生させ、その性質を調べる地道な実験を繰り返した。
ガラス棒を絹でこする。硫黄を毛皮でこする。
そして、引き合う力と反発しあう力の二種類が存在すること、すなわちプラスとマイナスの電荷の存在を突き止めた。
次に俺は、ボルタ電池の原理を応用し、化学的な方法で持続的な電流を生み出すことを試みた。
銅と鉄。そして、塩水。
アシュフォード鋼を作る過程で手に入る純度の高い銅板と鉄板。そして、食塩を溶かした水。この三つがあれば簡易的な電池が作れるはずだ。
俺は銅板と鉄板を交互に重ね、その間に塩水に浸した布を挟み込むという「ボルタの電堆」を組み立てた。
そして、その両端にアシュフォード鋼で作った細い針金を繋いでみる。
果たして、電気が流れるのか。
俺は固唾をのんで、その先端を見つめた。
何も起きない。
「……くそ、何が悪いんだ」
電圧が低すぎるのか。それとも、針金の抵抗が大きすぎるのか。
俺は、何日も何週間も試行錯誤を繰り返した。
板の枚数を増やし、電解液の種類を変え、導線の材質を検討する。
その様子をシルフィは不思議そうに、しかし興味深そうに眺めていた。
「リオ、何をしているの? その金属の板を積んで、何が面白いの?」
「面白いんだよ、シルフィ。今、俺は、この世界に存在しないはずの『雷』をこの手で生み出そうとしているんだ」
俺の言葉に、シルフィは目を丸くした。
そんなある日、実験は思わぬ形で劇的な進展を見せた。
俺は電池から流れる微弱な電流を何とかして観測できないかと考え、一つの装置を組み立てていた。
それは磁石の周りに銅線をぐるぐると巻きつけた、単純なコイルだった。電流が流れれば電磁石の原理でコイルが磁力を帯びるはずだ。そうすれば、近くに置いた方位磁針の針がわずかに振れるかもしれない。
俺は完成したコイルを方位磁針の隣に置き、その両端を改良を重ねた大型のボルタ電堆に繋いだ。
スイッチを入れる。
方位磁針の針はピクリとも動かなかった。やはり、電流が弱すぎるのか。
俺はがっくりと肩を落とし、スイッチを切った。
その、瞬間だった。
スイッチを切った、まさにその一瞬だけ、方位磁針の針がぴくんと、ごく僅かに振れたのだ。
「……え?」
見間違いか?
俺はもう一度、スイッチを入れた。
何も起きない。
そして、スイッチを切る。
また、針がぴくんと振れた。
「なんだ……これは……?」
スイッチを入れた時ではなく、切った時にだけ針が振れる。電流が流れている間ではなく、電流が「変化」した瞬間にだけ、何かが起きている。
俺は今度は逆に、電池を繋がずにただコイルの近くで磁石を素早く動かしてみた。
すると、どうだろう。
コイルに繋がれた検流計――ごく微弱な電流に反応する装置――の針が、磁石を動かした瞬間だけ、確かに振れるのだ。
磁石を動かす。
針が振れる。
磁石を止める。
針が戻る。
その光景を見た瞬間、俺の脳裏に前世の物理学の授業で習ったある偉大な法則の名が、雷のように閃いた。
「……電磁誘導……」
俺は震える声で呟いた。
ファラデーが発見した、電気と磁気の根源的な関係性。
『磁界が変化すると、その変化を妨げる向きに、電界(電圧)が発生する』
俺は今、この剣と魔法の世界で、人類の歴史を大きく変えたその偉大な法則を、独力で再発見したのだ。
それはただの偶然の発見ではなかった。
諦めずに何度も何度も実験を繰り返し、微かな異常を見逃さなかったからこそ掴み取ることができた、必然の発見だった。
「シルフィ! 見てくれ!」
俺は隣にいたシルフィの手を取り、興奮のままに叫んだ。
「俺は見つけたぞ! 電気と磁気の秘密の関係を! これさえあれば、電気はもう俺たちのものだ!」
シルフィは、何が起きたのか分からず、ただ目をぱちくりさせていた。
だが、俺には見えていた。
この電磁誘導の発見が、何をもたらすかを。
コイルと磁石があれば電気が生み出せる。つまり、発電機が作れる。
逆に、電気を流せば力を生み出せる。つまり、モーターが作れる。
そして、電流のON/OFFを遠く離れた場所で制御できれば。
電信が生まれる。
俺は、壁に貼られた王国の巨大な地図を見上げた。
アシュフォードと王都。
その二つの点を、目に見えない情報の糸で結ぶ壮大な計画。
その実現に向けた最も重要な、そして最も困難な第一歩を、俺は今、確かに踏み出したのだ。
開発室の片隅で、小さな方位磁針の針がぴくんと振れた。
それは、この世界に電気という新しい時代の夜明けが訪れたことを告げる、ささやかで、しかし偉大な最初の鼓動だった。
情報の伝達速度が、物の移動速度に全く追いついていないのだ。
鉱山でトラブルが発生しても、その報せが領都に届くのは早馬を使っても半日後。市場の価格が変動しても、その情報が前線で取引している商人に伝わる頃にはすでに手遅れになっている。
そして何より、俺の心を占めていたのはガルニア帝国という見えざる脅威だった。
もし、帝国の軍勢が国境に現れたとしても、その情報が王都に届くまでに何日もかかってしまうだろう。それでは、いかに優れた鉄道網があっても兵力を迅速に展開させることはできない。
「情報の速さは、生命線だ」
俺は王都の屋敷の開発室で、一人呟いていた。
必要なのは馬の速さではない。音の速さ、いや、光の速さで情報を伝える革命的な通信手段。
俺の脳裏には、前世の知識が明確なビジョンを結んでいた。
電気。
そして、その電気を利用した電信。
だが、この世界にはまだ電気という概念そのものが存在しない。シルフィのマナが電気と似た性質を持つことは分かっている。しかし、マナは属人的な力であり、誰もが安定して使えるエネルギー源ではない。
自然界に存在する純粋な「電気」を発見し、それを制御する技術をゼロから生み出さなければならない。
それは蒸気機関の開発とは、比較にならないほどの困難な挑戦だった。
俺の研究は、まず、この世界で「電気」に最も近いとされている現象の観察から始まった。
静電気だ。
琥珀を布でこすると小さな羽毛や紙片を引き寄せる。その現象自体は、この世界の錬金術師たちも古くから知っていた。だが、彼らはそれを「琥珀が持つ不思議な魂」と解釈し、科学的な探求の対象とはしていなかった。
俺はアカデミーの若い学者たちの協力を得て、様々な物質で静電気を発生させ、その性質を調べる地道な実験を繰り返した。
ガラス棒を絹でこする。硫黄を毛皮でこする。
そして、引き合う力と反発しあう力の二種類が存在すること、すなわちプラスとマイナスの電荷の存在を突き止めた。
次に俺は、ボルタ電池の原理を応用し、化学的な方法で持続的な電流を生み出すことを試みた。
銅と鉄。そして、塩水。
アシュフォード鋼を作る過程で手に入る純度の高い銅板と鉄板。そして、食塩を溶かした水。この三つがあれば簡易的な電池が作れるはずだ。
俺は銅板と鉄板を交互に重ね、その間に塩水に浸した布を挟み込むという「ボルタの電堆」を組み立てた。
そして、その両端にアシュフォード鋼で作った細い針金を繋いでみる。
果たして、電気が流れるのか。
俺は固唾をのんで、その先端を見つめた。
何も起きない。
「……くそ、何が悪いんだ」
電圧が低すぎるのか。それとも、針金の抵抗が大きすぎるのか。
俺は、何日も何週間も試行錯誤を繰り返した。
板の枚数を増やし、電解液の種類を変え、導線の材質を検討する。
その様子をシルフィは不思議そうに、しかし興味深そうに眺めていた。
「リオ、何をしているの? その金属の板を積んで、何が面白いの?」
「面白いんだよ、シルフィ。今、俺は、この世界に存在しないはずの『雷』をこの手で生み出そうとしているんだ」
俺の言葉に、シルフィは目を丸くした。
そんなある日、実験は思わぬ形で劇的な進展を見せた。
俺は電池から流れる微弱な電流を何とかして観測できないかと考え、一つの装置を組み立てていた。
それは磁石の周りに銅線をぐるぐると巻きつけた、単純なコイルだった。電流が流れれば電磁石の原理でコイルが磁力を帯びるはずだ。そうすれば、近くに置いた方位磁針の針がわずかに振れるかもしれない。
俺は完成したコイルを方位磁針の隣に置き、その両端を改良を重ねた大型のボルタ電堆に繋いだ。
スイッチを入れる。
方位磁針の針はピクリとも動かなかった。やはり、電流が弱すぎるのか。
俺はがっくりと肩を落とし、スイッチを切った。
その、瞬間だった。
スイッチを切った、まさにその一瞬だけ、方位磁針の針がぴくんと、ごく僅かに振れたのだ。
「……え?」
見間違いか?
俺はもう一度、スイッチを入れた。
何も起きない。
そして、スイッチを切る。
また、針がぴくんと振れた。
「なんだ……これは……?」
スイッチを入れた時ではなく、切った時にだけ針が振れる。電流が流れている間ではなく、電流が「変化」した瞬間にだけ、何かが起きている。
俺は今度は逆に、電池を繋がずにただコイルの近くで磁石を素早く動かしてみた。
すると、どうだろう。
コイルに繋がれた検流計――ごく微弱な電流に反応する装置――の針が、磁石を動かした瞬間だけ、確かに振れるのだ。
磁石を動かす。
針が振れる。
磁石を止める。
針が戻る。
その光景を見た瞬間、俺の脳裏に前世の物理学の授業で習ったある偉大な法則の名が、雷のように閃いた。
「……電磁誘導……」
俺は震える声で呟いた。
ファラデーが発見した、電気と磁気の根源的な関係性。
『磁界が変化すると、その変化を妨げる向きに、電界(電圧)が発生する』
俺は今、この剣と魔法の世界で、人類の歴史を大きく変えたその偉大な法則を、独力で再発見したのだ。
それはただの偶然の発見ではなかった。
諦めずに何度も何度も実験を繰り返し、微かな異常を見逃さなかったからこそ掴み取ることができた、必然の発見だった。
「シルフィ! 見てくれ!」
俺は隣にいたシルフィの手を取り、興奮のままに叫んだ。
「俺は見つけたぞ! 電気と磁気の秘密の関係を! これさえあれば、電気はもう俺たちのものだ!」
シルフィは、何が起きたのか分からず、ただ目をぱちくりさせていた。
だが、俺には見えていた。
この電磁誘導の発見が、何をもたらすかを。
コイルと磁石があれば電気が生み出せる。つまり、発電機が作れる。
逆に、電気を流せば力を生み出せる。つまり、モーターが作れる。
そして、電流のON/OFFを遠く離れた場所で制御できれば。
電信が生まれる。
俺は、壁に貼られた王国の巨大な地図を見上げた。
アシュフォードと王都。
その二つの点を、目に見えない情報の糸で結ぶ壮大な計画。
その実現に向けた最も重要な、そして最も困難な第一歩を、俺は今、確かに踏み出したのだ。
開発室の片隅で、小さな方位磁針の針がぴくんと振れた。
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