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第72話:英雄か、魔王か
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グラウ平原の戦いが終わった後も、王都の城門はしばらく閉ざされたままだった。
国王軍が広大な平原に散らばった反乱軍の残党狩りと、膨大な数の捕虜の収容に追われていたからだ。
夕暮れの光が、煙の立ち上る戦場を不気味に照らし出す。勝利したはずの国王軍の兵士たちの顔に、しかし晴れやかな色はない。彼らはまるで亡霊でも見るかのような目で、ある一点を畏れと共に遠巻きに眺めていた。
鉄道の線路際に整然と隊列を組んだまま、静かに撤収準備を進めるアシュフォード軍の姿だ。
彼らは感情を一切表に出さなかった。負傷した仲間を担架で運び、武器を丁寧に手入れし、一糸乱れぬ動きで列車へと戻っていく。その姿は勝利に沸き立つ人間的な軍隊とはあまりにもかけ離れた、冷たい鉄の機械のようだった。
「……おい、見たかよ」
国王軍の百戦錬磨の騎士が、声を潜めて仲間に話しかけた。
「ああ。あいつら、俺たちが戦っている間一歩も動かなかった。ただ近づく敵を、虫でも払うように撃ち続けていただけだ」
「俺たちの誇る騎士の突撃が子供の遊びに見えちまうほどだったな。あの鉄の嵐の前では、どんな勇者もただの肉塊だ」
彼らの間にはアシュフォード軍に対する称賛よりも、得体の知れないものへの恐怖が色濃く渦巻いていた。
そしてその恐怖の視線は、やがて城壁の上で静かに戦場を見下ろす一人の少年の姿へと集約されていく。
「あいつだ。あいつがこの地獄を作り出したんだ」
「辺境の若き英雄……? とんでもない。あれは人の姿をした、戦の神か、あるいは悪魔そのものだ」
リオ・アシュフォード。
その名は、この日を境にただの英雄譚の主人公ではなく、人知を超えた畏怖すべき存在の代名詞となった。
勝利の報せが王都に届くと、街は爆発的な歓喜に包まれた。
包囲の恐怖から解放された市民たちは通りに繰り出し、歌い、踊り、国王とそして王都を救った英雄の名を叫んだ。
「国王陛下、万歳!」
「英雄リオ・アシュフォードに神のご加護を!」
だが戦いの詳細が戦場から帰還した兵士たちの口によって少しずつ街に広まっていくにつれて、その歓喜の質は微妙に変化していった。
酒場では吟遊詩人たちが、尾ひれをつけた武勇伝を大げさな身振り手振りで語り聞かせていた。
「聞きましたか、旦那方! アシュフォード軍の戦いぶりを! 彼らが構えた銃からは鉄の嵐が吹き荒れ、百人の騎士団が一瞬で塵と化したとか!」
「それだけじゃねえ! リオ様が天に手をかざすと、空から炎を吹く竜が舞い降り、敵の本陣を焼き尽くしたって話だ!」
炎を吹く竜。それは遠距離から飛来し爆発するカノン砲の榴弾を、人々が理解できるように表現した比喩だった。
だがその比喩は人々の想像力を掻き立て、恐怖を煽るのに十分すぎた。
神の見えざる手による百発百中の砲撃。
瞬時に言葉を伝える魔法の蜘蛛の巣。
馬のいらない鉄の馬車。
リオ・アシュフォードが生み出す奇跡の数々は、もはや人間の理解を超えていた。
人々の心の中には英雄への感謝と共に、人ならざる者への根源的な恐怖が芽生え始めていた。
彼は我々を救ってくれた救世主なのか。
それともこの世界の秩序を破壊するために現れた魔王なのか。
王都の市民たちはその答えを見つけられないまま、ただその新しい伝説の大きさに打ち震えるだけだった。
王城の一室では国王アルベール三世が、クラウスからの正式な戦勝報告を重い沈黙の中で聞いていた。
「……鉄道による電撃的な奇襲。後装式ライフルによる圧倒的な制圧火力。そして電信を利用した前代未聞の精密砲撃。全てが我々の軍事常識を遥かに超越しておりました」
クラウスは感情を排した声で、淡々と事実を述べる。
「結論から申し上げますと、リオ・アシュフォードの軍隊と我が国王軍が正面から戦った場合、たとえ十倍の兵力差があったとしても我々に勝ち目はございません」
その言葉は国王にとって衝撃的なものだった。
自分がこの国の王として絶対的な権力と軍隊を掌握していると信じていた。だが今、自分の足元に自らの力を遥かに凌駕するコントロール不能な力が生まれてしまったのだ。
「……恐ろしい小僧だ」
国王は絞り出すように言った。「奴はたった一人でこの国の軍事バランスを完全に破壊してしまった」
「はい。彼の力は諸刃の剣です」とクラウスは続けた。「正しく用いれば、かのガルニア帝国の脅威さえも退ける最強の盾となりましょう。ですが一歩間違えれば、この王家そのものを焼き尽くす最悪の炎ともなり得ます」
国王は玉座で深く腕を組んだ。その顔には権力者としての深い苦悩が刻まれている。
「……どうすればいい、クラウス。どうすればあの若き獅子を、我々の檻に入れておくことができる?」
「もはや力で押さえつけることは不可能です」クラウスは即答した。「彼に必要なのは力ではありません。名誉と、そして彼がその力を振るうための大義名分です」
「大義名分……?」
「そうです、陛下。彼を公に王国の英雄として祭り上げるのです。破格の地位と名誉を与える。そして彼の力を国家の発展という誰もが否定できない大義名分のもとに利用していくのです。彼を我々の枠組みの中に、取り込むのです」
それは猛獣を飼い慣らすための甘い毒餌だった。
国王はしばらく黙考した後、静かに、しかし力強く頷いた。
「……分かった。すぐに布告の準備をせよ。奴を飼い慣らせるかどうかは分からん。だが少なくとも、野に放たれたままにしておくことだけは絶対にできん」
王都の喧騒をよそに、俺たちはアシュフォードの屋敷で静かに凱旋の準備を進めていた。
エリアーナが街で集めてきた噂話を俺に報告してくれた。
「……というわけで、あなたは今、王都の民から『鉄の魔王』なんていう大層な二つ名で呼ばれ始めているわよ。気分はどう?」
彼女は悪戯っぽく笑いながら尋ねてきた。
「英雄か、魔王か」
俺は窓の外に広がる夕暮れの王都の空を見ながら、静かに答えた。
「どちらでも構わないさ。俺は俺のやるべきことをやるだけだ。俺たちの故郷を、仲間たちを、そしてこの国の未来を守るために」
俺のその目に迷いはなかった。
自分がどのような存在として歴史に名を刻むことになるのか。そんなことはもはや些細な問題だった。
俺の戦いはまだ終わっていない。
むしろ、これから始まるのだ。
この手に入れてしまったあまりにも大きすぎる力を、どうやって真に人々のための未来へと導いていくのか。
その答えを見つけるための長く孤独な戦いが。
俺は静かに、その重い覚悟を胸に刻み込んでいた。
国王軍が広大な平原に散らばった反乱軍の残党狩りと、膨大な数の捕虜の収容に追われていたからだ。
夕暮れの光が、煙の立ち上る戦場を不気味に照らし出す。勝利したはずの国王軍の兵士たちの顔に、しかし晴れやかな色はない。彼らはまるで亡霊でも見るかのような目で、ある一点を畏れと共に遠巻きに眺めていた。
鉄道の線路際に整然と隊列を組んだまま、静かに撤収準備を進めるアシュフォード軍の姿だ。
彼らは感情を一切表に出さなかった。負傷した仲間を担架で運び、武器を丁寧に手入れし、一糸乱れぬ動きで列車へと戻っていく。その姿は勝利に沸き立つ人間的な軍隊とはあまりにもかけ離れた、冷たい鉄の機械のようだった。
「……おい、見たかよ」
国王軍の百戦錬磨の騎士が、声を潜めて仲間に話しかけた。
「ああ。あいつら、俺たちが戦っている間一歩も動かなかった。ただ近づく敵を、虫でも払うように撃ち続けていただけだ」
「俺たちの誇る騎士の突撃が子供の遊びに見えちまうほどだったな。あの鉄の嵐の前では、どんな勇者もただの肉塊だ」
彼らの間にはアシュフォード軍に対する称賛よりも、得体の知れないものへの恐怖が色濃く渦巻いていた。
そしてその恐怖の視線は、やがて城壁の上で静かに戦場を見下ろす一人の少年の姿へと集約されていく。
「あいつだ。あいつがこの地獄を作り出したんだ」
「辺境の若き英雄……? とんでもない。あれは人の姿をした、戦の神か、あるいは悪魔そのものだ」
リオ・アシュフォード。
その名は、この日を境にただの英雄譚の主人公ではなく、人知を超えた畏怖すべき存在の代名詞となった。
勝利の報せが王都に届くと、街は爆発的な歓喜に包まれた。
包囲の恐怖から解放された市民たちは通りに繰り出し、歌い、踊り、国王とそして王都を救った英雄の名を叫んだ。
「国王陛下、万歳!」
「英雄リオ・アシュフォードに神のご加護を!」
だが戦いの詳細が戦場から帰還した兵士たちの口によって少しずつ街に広まっていくにつれて、その歓喜の質は微妙に変化していった。
酒場では吟遊詩人たちが、尾ひれをつけた武勇伝を大げさな身振り手振りで語り聞かせていた。
「聞きましたか、旦那方! アシュフォード軍の戦いぶりを! 彼らが構えた銃からは鉄の嵐が吹き荒れ、百人の騎士団が一瞬で塵と化したとか!」
「それだけじゃねえ! リオ様が天に手をかざすと、空から炎を吹く竜が舞い降り、敵の本陣を焼き尽くしたって話だ!」
炎を吹く竜。それは遠距離から飛来し爆発するカノン砲の榴弾を、人々が理解できるように表現した比喩だった。
だがその比喩は人々の想像力を掻き立て、恐怖を煽るのに十分すぎた。
神の見えざる手による百発百中の砲撃。
瞬時に言葉を伝える魔法の蜘蛛の巣。
馬のいらない鉄の馬車。
リオ・アシュフォードが生み出す奇跡の数々は、もはや人間の理解を超えていた。
人々の心の中には英雄への感謝と共に、人ならざる者への根源的な恐怖が芽生え始めていた。
彼は我々を救ってくれた救世主なのか。
それともこの世界の秩序を破壊するために現れた魔王なのか。
王都の市民たちはその答えを見つけられないまま、ただその新しい伝説の大きさに打ち震えるだけだった。
王城の一室では国王アルベール三世が、クラウスからの正式な戦勝報告を重い沈黙の中で聞いていた。
「……鉄道による電撃的な奇襲。後装式ライフルによる圧倒的な制圧火力。そして電信を利用した前代未聞の精密砲撃。全てが我々の軍事常識を遥かに超越しておりました」
クラウスは感情を排した声で、淡々と事実を述べる。
「結論から申し上げますと、リオ・アシュフォードの軍隊と我が国王軍が正面から戦った場合、たとえ十倍の兵力差があったとしても我々に勝ち目はございません」
その言葉は国王にとって衝撃的なものだった。
自分がこの国の王として絶対的な権力と軍隊を掌握していると信じていた。だが今、自分の足元に自らの力を遥かに凌駕するコントロール不能な力が生まれてしまったのだ。
「……恐ろしい小僧だ」
国王は絞り出すように言った。「奴はたった一人でこの国の軍事バランスを完全に破壊してしまった」
「はい。彼の力は諸刃の剣です」とクラウスは続けた。「正しく用いれば、かのガルニア帝国の脅威さえも退ける最強の盾となりましょう。ですが一歩間違えれば、この王家そのものを焼き尽くす最悪の炎ともなり得ます」
国王は玉座で深く腕を組んだ。その顔には権力者としての深い苦悩が刻まれている。
「……どうすればいい、クラウス。どうすればあの若き獅子を、我々の檻に入れておくことができる?」
「もはや力で押さえつけることは不可能です」クラウスは即答した。「彼に必要なのは力ではありません。名誉と、そして彼がその力を振るうための大義名分です」
「大義名分……?」
「そうです、陛下。彼を公に王国の英雄として祭り上げるのです。破格の地位と名誉を与える。そして彼の力を国家の発展という誰もが否定できない大義名分のもとに利用していくのです。彼を我々の枠組みの中に、取り込むのです」
それは猛獣を飼い慣らすための甘い毒餌だった。
国王はしばらく黙考した後、静かに、しかし力強く頷いた。
「……分かった。すぐに布告の準備をせよ。奴を飼い慣らせるかどうかは分からん。だが少なくとも、野に放たれたままにしておくことだけは絶対にできん」
王都の喧騒をよそに、俺たちはアシュフォードの屋敷で静かに凱旋の準備を進めていた。
エリアーナが街で集めてきた噂話を俺に報告してくれた。
「……というわけで、あなたは今、王都の民から『鉄の魔王』なんていう大層な二つ名で呼ばれ始めているわよ。気分はどう?」
彼女は悪戯っぽく笑いながら尋ねてきた。
「英雄か、魔王か」
俺は窓の外に広がる夕暮れの王都の空を見ながら、静かに答えた。
「どちらでも構わないさ。俺は俺のやるべきことをやるだけだ。俺たちの故郷を、仲間たちを、そしてこの国の未来を守るために」
俺のその目に迷いはなかった。
自分がどのような存在として歴史に名を刻むことになるのか。そんなことはもはや些細な問題だった。
俺の戦いはまだ終わっていない。
むしろ、これから始まるのだ。
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