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1巻
1-3
しおりを挟む「会食の時間には早すぎませんか?」
「ええ、でも待ちきれなくて来てしまいました」
お嬢様はピンクの頬をさらに赤く染め、先輩も優しげに微笑んでいる。
私は二人の姿を視界に入れないよううつむきながら横を通りすぎ、人気のなくなった会議室の扉を閉めた。ドア一枚に隔たれた廊下では、先輩とお嬢様が仲睦まじく談笑している。そう思うだけで胸が痛んだ。
頭の中で、先日の飲み会での兄の言葉がリピートされる。
『お前もそろそろ身を固めろとか言われはじめる頃だろう?』
華やかな容姿の先輩とお嬢様は、悔しいけれどお似合いだった。
誰かと並ぶ先輩の姿を見なければならない時が、来たのかもしれない。
第三話
その日の仕事は、思いの外早く終わった。慣れない秘書課の手伝いに行った私を気遣って、太田さんと黒木さんが私の分の雑務まで片付けてくれたからだ。
二人に感謝しつつ、定時に退社した私は、いつもより早く帰宅した。
就職を機に、私は一人暮らしをはじめた。
駅から徒歩十五分の1DKのアパートが私のお城。もちろん家賃も自分のお給料から払っている。
社会人になったのだから、一人前の大人として自立しろと、父に半強制的に追い出された。……アパートと実家は近いけどね。
父が大企業の顧問弁護士をしているのであれば、家はかなりのお金持ちだと思われるかもしれないけれど、実際はそうでもない。
うちの一番の浪費家は、趣味に没頭する母だ。私たち兄妹にやたらと厳しい父は、母にだけ優しい。
まあ、兄妹で私立の学校には行かせてもらったんだけどね。
帰り道にあるスーパーで買った食材を使い、簡単な夕食を作って食べた。それからお風呂に入って、部屋着に着替える。すっかりリラックスした私は、その日一日大切に保管していたメモを片手に、スマホとにらめっこした。
もらった直後はテンションMAXだったけど、いざとなるとやっぱり緊張する。連絡先を手に入れたからといって気軽に電話やメールができるほど、私と先輩の間柄は親しいものなのだろうか。
しつこいようだけど、私は先輩とどうこうなりたいなどと思っていない。誕生日プレゼントだって、本当に必要ない。でも電話なんてしたら、プレゼントを催促しているように思われないかな?
現在、時刻は二十時を少し回ったところ。まだ仕事中かもしれないし、プライベートな時間だとしても……お邪魔かもしれない。
もしかしたら、誰かと――昼間に会ったお嬢様と、デートの真っ最中という可能性だってある。
着飾って会いに来た女性とお昼を食べただけでさようなら、なんてありますか?
先輩がそんな軟派な男だとは思いたくないけれど、あれだけハイスペックな人なんだから、彼女の一人や二人や三人いたって不思議じゃない。それこそ、モデルさんや仕事のできるクール美女、清楚で可憐なお嬢様まで、よりどりみどり食べ放題だろう。ねずみ顔の小動物系なんてお呼びじゃない。
……ああ、いかん。また卑屈になってしまった。
――せっかく連絡をもらったのに、お返事しないのも失礼だよね……?
さんざん迷った挙句、私は自分の連絡先を添えて、当たりさわりのない挨拶とお気遣いなくという内容のメールを送信した。
これでいいんだ。身の程をわきまえている私は、自分と先輩がいかにかけ離れた存在であるかを知っている。叶うはずのない高望みをして一喜一憂するのは、時間の無駄である。
現実世界には、ねずみをお姫様にしてくれる魔法使いのおばあさんは存在しないのだから。
スマホの画面をぼんやり眺めていたら、タイミングよく電話の着信音が鳴りはじめた。私は反射的に電話に出る。
「はい、もしもし」
『もしもし、美月ちゃん?』
「は、はい!?」
耳に飛び込んできたのは、高すぎず低すぎない、よく通る先輩の声。
慌ててスマホのディスプレイを確認すれば、登録したばかりの輝翔先輩の名前があった。
……反応、早っ!
メールの返事が電話で来るとは思ってもいなかった。あんまりびっくりしたもんだから、声が裏返っちゃった。せめてもう少し心の準備をさせてほしかった……
『こんばんは。今、大丈夫?』
スマホから聞こえる先輩の声は、実際に会っている時よりもさらに近くで響き、私は悶絶しかけた。
「こ、こんばんは。大丈夫です、もう家に帰ってます。先輩……いや、専務? こそ、お仕事の邪魔じゃないですか?」
あー、こういう時にはどっちで呼べばいいのかわからないよ。電話の向こうからは、先輩のクスクスという笑い声が聞こえてくる。まるで耳に直接息を吹きかけられているような錯覚を起こして、首を竦めた。
『今日はもう終わったよ。朝イチでメールしたのになかなか連絡が来ないから、待ってたんだ』
……ああ、すみません! 朝に来たメールに夜までお返事をしないなんて、配慮に欠けておりました!
誰もいない一人暮らしの部屋で、思わず正座して謝ってしまう。
すると先輩は、とても優しい声で言った。
『今日はお疲れ様。おかげで会議もスムーズにできたよ、ありがとう』
たいした仕事もしてないのにお礼を言われるのは気恥ずかしい。それでも、誉めてもらえて嬉しかった。その相手が先輩ならばなおさらだ。
『ところで、美月ちゃん。今度の金曜は何か予定入ってる?』
「いいえ……、ありません」
『じゃあ、その日は空けておいて。誕生日のお祝いに、何か美味しいものでもご馳走するから。店はこちらで予約して、詳細はまたメールするからね。それじゃ、おやすみ』
「あ、はい。おやすみなさい……」
通話終了ボタンを押した私は、そのままベッドへ倒れこんだ。
つ、疲れた……
通話時間はほんの数分だったのに、今日一番の疲労を感じる。
しかも、なんだか強引にお誘いされてしまったような……
物はいらないと言ったから、食事になったのだろう。色気より食い気だと思われたのかもしれない。誕生日プレゼントが美味しいものって、女としてどうなんだろうかと考え、ふと気がついた。
金曜の夜に男の人と二人でお食事ってことは、デート、だよね?
事の重大さにサッと血の気が引き、私はベッドから飛び起きた。
――ど、ど、どうしよう!? 先輩とデートだなんて!
でも、今さら、やっぱり無理です、なんて言えないよぉ!
しばらくベッドの上で打ち揚げられた魚のようにびちびち跳ねていたけれど、長くは続かない。
手にしたスマホの履歴を見て、不安と同時に、嬉しさと恥ずかしさが入りまじったような感情が込み上げてくる。
嬉しくないはずがない。だって、中学生の頃から憧れていた人なんだから。
例のお嬢様に対して罪悪感が湧くけど、少しくらいならいいよね?
誰にも迷惑をかけなければいいんだから。
スマホのカレンダーにハートのアイコンを付けたのは、単なる目印。
これは、いつも仕事を頑張っている自分へのご褒美。
先輩にとっては、私との食事が特別なわけじゃない。
だから期待しちゃ、だめ。勘違いしちゃ、だめ。
眠くない目を閉じてベッドに潜りながら、私は何度も自分に言い聞かせた。
――それからの数日間、地に足がついていなかったかもしれない。
火曜日、水曜日、と時間は流れ、私は表向きいつもと変わらず仕事に赴き、誰にでもできる仕事を淡々とこなした。
ただひとつ違うのは、エントランスやエレベーターホール、専務室のあるフロアの廊下など、先輩の姿を少しでも見られそうな場所に率先して足を運んだことだろうか。
あれから秘書課のお手伝いの仕事は入ってこない。もともと仕事中に先輩と会えることは滅多になかったのに、たった一度イレギュラーなことが起きただけでその次を期待するなんて、私も欲張りな人間だ。
そんな私に、神様は警告するのを怠らない。
先輩に偶然会えるのを期待して、電球の交換や観葉植物のお世話をしている私を戒めるかのように、例のお嬢様は決まって私の前に現れた。
……よりにもよって、脚立を担いでいたり、植木の剪定という地味な作業をしたりしている時にばかり遭遇するんだよなあ。
頬をピンクに染めたお嬢様は、足取りも軽く私の横を通りすぎていく。彼女は私のことなんて気にも留めない。彼女にとって、私は廊下の隅に置かれた椅子や植物などと同様、ただそこにあるだけの存在らしい。
先輩からは、あれ以来、なんの音沙汰もない。詳細は追って連絡すると言っていたのに、電話もメールもなかった。
だけど自分から連絡する勇気はない。お嬢様と自分を比べては自信を失くし、先輩から電話があったのは夢だったんじゃないかと、スマホの着信履歴を何度も確認した。
そんな中、お嬢様の情報は、知りたくなくても勝手に入ってくる。
頻繁に会社に出入りする彼女は、社内でもちょっとした有名人になっていた。
専務を狙っているストーカーだとか、親同士が決めた許嫁だとか――黒木さんが情報を仕入れるたびに報告してくれる。
どれも単なる噂でしかないのに、私には信憑性があるように思えて仕方なかった。おまけに彼女は取引先の令嬢。専務ファンのお姉さま方も迂闊に手は出せず、指を咥えて見守るしかない状況なんだそうだ。私が恐れるお姉さま方すら寄せつけないなんて。ここまでくると、周りの空気に流されずに我が道を行く彼女が潔く思えてきた。
だから、このまま先輩から連絡がなくても、無駄に傷ついたりはしないでおこう。
先輩には、本命の彼女が別にいる。
ただ、先輩が私の誕生日を祝おうと思ってくれたことは事実だ。それだけで私の心は救われる。
――そして木曜日。先輩から待ち合わせについてのメールが来た時、たった一行の文面に歓喜して、心底安堵する自分がいた。
――気がつけばこの一週間、私の頭は先輩のことでいっぱいだった。
こうして訪れた金曜日。私の緊張はピークに達していた。
仕事帰りは先輩とデート……いや、お食事。何を着るかさんざん悩みまくって、ベージュのジャケットに黒とグレーのチェックのワンピースに決めた。
だって一応、通勤服だしね? 先輩からは特に服装の指定がなかったから、ドレスコードのあるお店ではないと思う。あまりに気合が入った格好だとおかしいし、だからと言ってカジュアルすぎるのも悪い。木曜は夜中まで一人ファッションショーを繰り広げたおかげで、少し寝不足です。
『十八時に地下駐車場で待ってて』
メールで指定された通り、更衣室で着替えを済ませた私は地下の駐車場へ向かう。約束の時間をちょっとだけすぎてしまった。
駐車場を利用しているのは重役の方々。入社一年目の平社員の小娘が簡単に足を踏み入れてもいい場所ではない。人目を気にしてコソコソ階段を下りる私は、泥棒と間違われてもおかしくなかっただろう。
駐車場に辿り着いてきょろきょろしていると、心地いい彼の声が響いた。
「――美月ちゃん」
声の主は黒くて大きい車の横に立ち、おいでおいでと右手を動かす。
国産の、SUVというやつ? 車のことはよくわからないけれど、外車じゃなくて意外なような、ホッとしたような……
いやいや、先輩が先に来ていることのほうが驚きだ。ほんの数メートルの距離を、私は慌ててダッシュした。
「すみません! お待たせして……」
部下に待たされたというのに、先輩はちっとも不快な表情を見せず、にこにこと笑っているのでちょっと安心した。
本日の先輩は、グレーのストライプの入ったダークスーツに、赤いドットのネクタイ。胸ポケットにはシャツと同じ白色のハンカチーフが挿されている。清潔感の中にも、できる男のオーラが全開です。
「そんなに待ってないから大丈夫だよ。じゃあ、どうぞ」
そう言って、先輩は助手席のドアを開けてくれた。
まさかと思ったけど、先輩の運転ですか!? 本当に、こんなところを誰かに見られたら、月曜から出社できないな……
なんてことを考えていたら、薄暗い駐車場に靴音が響いた。
コツコツという高い音は、ハイヒールの奏でる音。
焦った私は、そのまま身を屈めて車のドアで身を隠した。
たとえるなら、『頭隠して尻隠さず』? ……我ながら間抜けな体勢だ。
近づいてきた足音は、すぐ近くまで来るとぴたりと止まった。
「こんにちは、輝翔さん」
その声には聞き覚えがあった。
そこに立つ女性は、きっと、艶やかな髪を真っ直ぐにブローし、チークで頬を染めて、くるんとカールしたまつ毛をしばたたかせていることだろう。
「どうしました? 今日は予定は入っていなかったはずですが」
「あら、ご迷惑でしたか?」
――迷惑です。などという突っ込みは口にできない。
静かな駐車場に響く男女の声と、中腰の私。……どう考えても迷惑をかけているのは私のほうだ。
これは世に言う、修羅場でしょうか?
彼女には、隠れきれていない私の姿が見えているはず。顔は見えないとはいえ、私が女であることは服装でわかる。お嬢様の立場からすると、浮気相手を見つけた本妻といった心境ではないだろうか。
「実はオーストリアの交響楽団のチケットが偶然手に入りまして。以前お話した時に、ここの指揮者に大変興味があると仰っていましたでしょう? 急いで足を運んで参りましたの」
彼女はあくまで冷静に、穏やかな口調で喋っている。
「へえ……あの楽団は小さいながらもコアなファンが多くてチケットの入手も困難だと聞いていましたが、よく手に入りましたね」
「ええ。知り合いに、ホールの運営をやっている者がおりますの。問い合わせたら、今夜の公演分ならなんとかなると言われて。お部屋にうかがったんですがもう退社されたとのことだったので、慌てて追いかけて来てしまいました」
会話の内容がセレブすぎて、ついていけん。
慌てて追いかけた割には息ひとつ上がってないじゃないか、なんて突っ込みは、やっぱり口にできない。
クラシックには詳しくないけど、海外から来た楽団のプラチナチケットなら、先輩もそそられるんじゃないかな。
だけど先輩は、先に約束していた私のことを忘れてはいなかった。
「せっかく来ていただいたのに申し訳ありませんが、これから出かける予定があるんですよ」
なんか、申し訳ないな。入手困難なクラッシックのコンサートと、親友の妹との食事――どちらの価値が高いかは一目瞭然だ。コンサートは別の日に動かせないけど、私との食事はいつでも行けるんだから、予定を変更するのもありなんじゃないだろうか。
そう思ったのは、私だけではなかったらしい。
「それは別の日にできませんの? コンサートは今夜しか聴けないんですよ」
お嬢様の声はすごく残念そうだ。
そりゃそうだ。きっと彼女は、先輩のためにコネを総動員してチケットを手に入れたに違いない。ふいにするには、お金も労力も使いすぎているだろう。
この時点で、私の浮ついた心は脆くも砕け散った。
何よ、約束していたのは私のほうが先よ! なんて啖呵を切る勇気など私にはない。現に私は、こうして顔を上げることさえできずにいる。
あとから現れたお嬢様に堂々と向き合えるほど、私は立派な人間ではない。彼女と戦えるほどの美貌も、地位も、教養もない。
私が今考えていたのは、どうやってこの場から逃げ出そうかということ。
なぜなら、さっきからビシビシと矢が刺さるように、お嬢様からの視線を感じるのだ。
だけど優しい先輩は、それでも私との約束を優先してくれた。
「生憎ですが随分前から予定していたことなので、コンサートはまたの機会にしておきます」
予定したのは一週間前なんですけど、それって随分前になるんでしょうか?
「でも、この楽団が次に来日するのは、一年先になるかもしれないんですよ?」
「一年後に来るのなら、その時に自分でチケットを予約しますよ。こう見えて、私にも音楽関係の知り合いくらいいますので。だけど今夜の予定は、逃すと次はいつになるかわからないんです」
なんでだろう。先輩の言い方がものすごく嫌みに聞こえた気がする。
こう見えてって、あなた自分を過小評価しすぎですよ。天下の須崎グループの御曹司なんですから、プラチナチケットの一枚や二枚、簡単に入手できそうなもんでしょう。
「せっかく喜んでいただけると思いましたのに……」
ああ、ほら、お嬢様がみるみるトーンダウンしていく。私から、用事を思い出したのでまた今度にしましょう! と言ったほうがいいのかもしれない。私は海外公演で飛び回ったりしませんから、先輩の都合にいくらでも合わせられます。いつ誘ってくれても、構わない。
私だって、傷つかないと言えば嘘になる。だけど本命の彼女が現れたのであれば、邪魔者は一刻も早く退散すべきだ。
「ねえ、そちらの方はどう思います? あなたにも、どうしても今夜でなければいけない理由があるんですか?」
――あわわ、こっちに来る!?
お嬢様は私の存在を忘れていなかったらしい。だけど、ずっとドアに隠れていた私が、今さら優雅にご挨拶をするのも不自然だ。
それに、お嬢様とは一度話したことがあるから、顔を覚えられている可能性もある。専務が自分の会社の子をつまみ食いしようとしてた、なんて誤解されたら、先輩の立場が悪くなる。
顔を見られるのはまずい。問題なくこの場から退散するには、カニのように横歩きをするか、匍匐前進か。どちらにしても不審者極まりないが、選択の余地がないのなら――カニ歩きだ!
体勢を立て直すため、後ろへ一歩下がろうとした時、痛いほど感じていた視線が和らいだ気がした。
どうやら先輩が、私を庇ってお嬢様の視界から隠してくれたらしい。さすがは場慣れしていらっしゃる。修羅場の対応だって心得たものなのかもしれない。
嬉しいような悲しいような、複雑な心境ではあるものの、これで私はお嬢様に顔を晒すことなくこの場を立ち去ることができる。あとは誤解を解くなり喧嘩するなり、お二人の好きにすればいい。
と思った瞬間、いきなり背筋がぞわっとした。
「しつこいなぁ。本当、迷惑なんですよ」
すぐ傍で、今まで聞いたことがないほど冷たい先輩の声がした。
「よくもまあ、毎日毎日飽きもせずに顔を出せますね。いい年して定職にも就かず親の金でふらふら遊びまわっているお嬢様と違って、こちらは時間を持て余しているわけではないんですよ」
――げええっ。キレた!?
決して口調は荒くないが、その言葉には確実に怒気が込められていて、顔を見なくとも先輩がどんな表情をしているのか容易に想像がついた。
「前にも言いましたが、ここは仕事をする場所であって遊ぶ場所ではないんです。あなたのような浮ついた気持ちの人間が、軽々しく足を踏み入れていい場所じゃない。そんなに会社が好きなら、自分の父親の会社に行って一心不乱に働く従業員の姿でも見て勉強したほうがいい」
「な……なんですって!?」
お嬢様の声が、ひどく上擦っている。それもそのはず、先輩の口からは辛辣な言葉が次から次へと飛び出してくる。正面切って鋭い言葉を浴びせられたお嬢様は、凍りついていることだろう。
「ま、待って……!」
けれどお嬢様は、意外にもしっかりした声で先輩に追いすがった。
彼女はどこから見てもお金持ちのご令嬢で、蝶よ花よと育てられた箱入り娘なんだと思っていた。先輩に手酷く拒絶されたからには、その場に泣き崩れてしまうくらい打たれ弱いだろうと勝手に想像していたが、案外そうでもないらしい。
「気分を害したのなら、謝ります……輝翔さんにお会いしたかったあまり、ご迷惑も顧みずに押しかけてしまって、申し訳ありません……でも、それでも、輝翔さんのことが好きなんです!」
ぎゃあっ。他人の告白シーン、はじめて見た! いや、聞いた!
いや、恋する乙女を馬鹿にするつもりはありません。好きな人に会いたくて追いかけてしまう気持ちは、私にだって少しは理解できますから。
彼女だって、先輩の喜んだ顔が見たくていろいろ準備したのだろうし、好きな人が別の女と一緒に出かけようとしていたら、やっぱりおもしろくはないだろう。
でも、先輩って追いかけられるのが好きなタイプなのかな。
むしろ、やりすぎたら嫌われそうな気がするんだけど。
すぐ近くで起きている泥沼愛憎劇に、私は自分の間抜けな姿勢も忘れて、すっかり聞き入ってしまった。
「お気持ちはありがたいですが、お引き取りください」
捨て身のお嬢様を、先輩はあっさりと切り捨てた。
そして問題は、先輩の次の言葉にあった。
「私には、ずっと前から心に決めた人がいるんです。だからあなたの気持ちにお応えすることはできません」
――ずっと前から、心に決めた人がいる。
その言葉に胸を痛めたのは、お嬢様だけではない。
「いい機会なんではっきり言っておきますが、自分の責務を見つけて全うすることもできないような人間を、私も須崎の家も必要とはしていません。あなたが自分の時間をどう使おうが関係ないが、これ以上あなたと付き合うのは私の時間の無駄です。金輪際、私の前には現れないでいただきたい」
そう言い放ったあと、先輩は私の手を掴み、有無を言わさず車の中へと押し込んだ。
ちらりと見上げた先輩の目は、ひどく冷淡だった。
それは、私の知っている輝翔先輩ではなくて、SUZAKI商事の専務にして須崎グループの御曹司である彼の本当の姿だった。
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